憧れの世界でもう一度

五味

文字の大きさ
上 下
987 / 1,214
29章 豊かな実りを願い

料理をする者達

しおりを挟む
「また、難しい注文があったものですね」

朝食の席で、ヴィルヘルミナから実に厄介な注文があった。さらには、オユキからもそれが食べられるなら悪くはないだろうと、そんな考えもトモエは感じた。ここ暫くでは珍しく、と言うよりも、こちらに来てからは初めてと言ってもいいくらいにジャガイモと大豆、この二種類の食べ物はオユキの嗜好にあっているらしい。何より、食べるという行為に対して、ほとんど抵抗を感じていない様子がはたから見ても分かり易いのだ。とにかく、今は何よりも量を食べる習慣を身につけなければいけないと感じているトモエとしても、アルノーとしても。オユキが、好むというよりも、食べたいと感じている料理であれば食卓に並べることに否やは無いのだが。

「この醤油だと、私の知っている物は難しそうですね。だしを取って、薄めてみたところで」
「むしろ、かつての物と違う香りが邪魔をするでしょう」
「そう、なんですよね」

朝食を終えて、昼にはまず無理だと分かっていながらも、夕食の用意の為にと今はトモエはアルノーの城に足を踏み入れている。そこで、早速とばかりに相談を持ち掛けているのだが、一品は既に決まっているために互いに作業をしながら。今は、かつての世界では電磁調理器などとも呼ばれていた、誘導加熱器によく似た見た目をした魔道具の上で一先ずジャガイモを茹でながら、その隣で玉ねぎをゆっくりと炒めながら。
アルノーのほうは、ヴィルヘルミナの要望があったからだろう。クヌーデルを作るためにと実に分かり易い、ジャガイモを摩り下ろしては布巾で絞ってという作業を子供たちに指示しながら、付け合わせのソースや中に入れる物をこちらは、トモエよりも数を作りながら。摩り下ろしている以上は、クレースになるのだが、中身に入れる者にはそれこそ肉や魚介だけではなく、何やら果物を煮詰めてジャムなども用意しながら。かなりの量を作るつもりである以上は、今日はこの屋敷で働く他の者たちに向けてもと言う事なのだろう。さらには、昨晩から火入れの行われている牛の半身もあったりと、厨房の中は本当に今は色々な匂いに満たされている。

「正直、お酢にしても米から作られているわけではありませんし」

アルノーが少し気にしていたこと、レシピを彼の得意に変えた理由の一つでもあるのだが、こちらで手に入る酢と言うのは基本的にはワインビネガー。勿論、それが悪いと言う訳でも無ければ、変わり種と言うよりも異なる用途としてのアップルビネガーをはじめとした果実由来の酢も手に入る。だが、トモエの慣れ親しんだ穀物すという物が、こちらには本当に存在していない。

「大陸のほうでは、もち米と呼ばれている物でしたか」
「そうですね、黒酢等とも言っていましたが、そちらに果実のピューレなどを合わせたものが多かったかと」
「私も、そのように記憶していますとも」

確かに、こちらで手に入る酢は香りが華やかではあるのだが、トモエに言わせれば華やかに過ぎる。

「どう、しましょうね、本当に」
「今後探す、作る、それを行うにしても」
「ええ、問題は今です」

ジャガイモを煮る、それについてはトモエのほうでも放っておけばいいのだと理解が出来ている。玉ねぎを炒める手を、一度止めて。温めていた豆乳から、薄く固まった部分、湯葉をそっと引き上げては、置くと決めたバットのうえに。

「刺身に和え物、サラダや、煮物に。覚えているだけも、使い道は多いのですが」
「確かに、馴染んだ調味料が無ければ片手落ちどころではすみませんね」
「オユキさんが好んでいたグラタン、こちらはいよいよかつての国にしかない調味料を使う物ではないのですが」

そう、オユキが好んでいた料理と言うのは、本当に単純なグラタンなのだ。作るといったときに、アルノーからはベシャメルソースはと言われたのだが、それも必要が無いのだ。ジャガイモをただ潰して、ひき肉や玉ねぎなどを混ぜただけの物。言ってしまえば、丸く整形して衣をつけてあげてしまえばコロッケにでもなるような、そんなフィリング。その上にチーズをかけて焼き上げて。そんな、至極単純ではあるのだが、とかく手間のかかる料理をオユキは好んでいる。勿論、中身にしても、かつてのトモエは香りをつけるためにといくらかの香草を入れたりと余念は無かったのだが。

「そのままで食べるのも、悪くはないのですが」
「並べるものに寄っては、負けてしまうでしょうね」

そうして話しながらも、味見用と言えばいいのだろうか。いくらかを切り出して、アルノーと共に軽く口に含んでみる。のこった豆乳の処理、かなり薄くなってしまうそちらの問題もあるにはあるのだが、今は置いておいて。昔に食べたときよりも、やはり少々大豆の香りを強く感じる。そして、食材の持つ甘さにしても鮮明に。そんな印象を覚えながらも、トモエとしてはこれを食べるのならばかつてよく口にした醤油、その味に少し郷愁を覚えるという物だ。

「私の得意であったり、こちらで一般的な調理法でとするには、食材としての味が柔らかに過ぎますね。点心として出すのが、一番かとは思いますが」
「確かに、これで餡を巻き込むという料理もありましたね」

春巻きに近い料理として、そのような物もあったはずだとアルノーの言葉にトモエは思い出す。それを用意して、皆でと言うよりもカリンが主体として楽しむのも良いだろう。だが、今度ばかりはヴィルヘルミナから言われた物でもある。あの歌姫は、かつてトモエとオユキが暮らしていた地の料理だと、そうした認識の上で話していたこともある。ならば、考えている物は、そちらではないのだ。

「仕方ありません、配膳はかなり難しくなりそうですが」
「そこは、お任せいただければ」
「ええ、お願いします」

一応は、川が近い町でもある。トモエにとってなじみがある、と言うよりも使い慣れた物も発行させない食材としては、ある程度手に入る。それこそ、散々に馴染んでいる出汁として重用されていた魚は海の物であり、こちらではいよいよ見かけもしていないのだが。

「とすると、基本はキノコと葉物野菜。あとは、つみれくらいで構わないでしょうか」
「一品として完成されすぎてもいますが、日をずらしますか」
「手早く作れるものでもありますし、昼にと言うのでも構わないでしょう、出汁を引くという行程さえなければ、なのですが」

それにしても、ある程度は短縮する方法も過去にはあった。こちらにはない物も多いには多いのだが、似たような真似はトモエであればやれないことも無い。問題としては、過去であれば食卓にそのものを持ち込んでとしていたものだが、こちらでは個別に盛り付ける必要がある。

「分けた方が」
「いえ、構いません」

ならば、初めから分けて作った方が等とトモエは考えたものだが、それにはアルノーから早々に否定が。

「これまでにも何度か行っていますが、配膳は本来であればその席に控えている者たちの」
「ああ、そういえば」

確かに、これまでも配膳と言うのは使用人たちの仕事であった。ならば、ひとまとめに放り込んで似てしまっても、後の事はそれこそそちらの仕事となるだろう。好みの食材を、それをやらないようにと考えても確かに都合がいい事ではある。問題としては、行う者によっては、配慮が過剰になる事なのだが。

「そのあたりは、あちらの品も昼にはちょうど良いでしょう」
「それにしても、あれほど大きな牛の半身を、ですか」
「方法としては、過去に行った物とは変わりませんとも」
「ワイルドボアとは、色々と違うかともおもいますが」

漂う香りにしても、その時に用意されていたものとははっきりと違うと分かる。

「何、基本は変わりませんよ」
「本当に、抜けている方の話は、いよいよと言ったところですね」

トモエの料理、武術もそう。身に着けた物の基本と言うのは、とにかく知識から。だが、オユキにしても、このアルノーにしても。いよいよ、全くもって理解の及ばないヴィルヘルミナにしても。自分で自在に作ることが出来る者達と言うのは、本当に発想とでもいえばいいのだろうか。それが、あまりにも抜けている。トモエにはない、信じられない思考や利用法と言うのがいくらでも。

「トモエさんは、まぁ、そうなのでしょうね。カリンさんも」
「ええ、そのあたりは互いに理解が有りますとも」

以前に、カリンにしても己の流派として名乗りを上げていたのだが、正直完成されたものではない。あとに残すために、きちんと段階までが決まったものではない。トモエにはいる後を継ぐ物、カリンがそれについて言及することが無かった。見世物であることを差し引いても、これならば良しとできる相手がいれば、少しくらいはとも思うのだが。考えてみれば、そうした話をしたことがあっただろうかと、そんな当たり前の事に気が付く。

「そういえば、アルノーさんはあちらの」
「ああ、私の店ですか。生憎と、私が十分と思うときには看板を下ろしました」
「その、誰か後をと言うのは」
「それですか」

アルノーが、それについて実にあっさりと。

「料理と言うのは、人によってあまりにも異なりますから」
「味覚は、確かにそうですか」
「ええ。私の良いと思う物を、他の誰かが良くないものだと感じる事は非常に多いのですよ」

体を動かす、それにしても各個人によって大きく異なる部分がある。だが、それにしても基本は同じ形。つまりは、最低限として通る部分がある。流派として残すべき部分、守らなければならない場所と言うのは其処にとどまっている。だが、料理と言う完成品を出すときには話が違う。まずもって、レシピ通りに作った等と言う話にしても、トモエでも分かる程度に素材によるばらつきという物が存在している。人間の持つ、味覚と言う感覚器官はあまりにも鋭敏で、人によって感じ方と言うのがどこまでも異なる。以前は、何とはなしに知識として頭に入っていたものだが、こちらに来てからという物、体が変わってからという物、つくづくそれを思い知らされる。

「アルノーさんは、こちらに来てから味覚に変化は」
「ええ、はっきりと。かつては、確かにはっきりとかつての体で感じていたものですが」

難しい物だと、そうしてため息を、アルノーが珍しく。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

親友彼氏―親友と付き合う俺らの話。

BL / 完結 24h.ポイント:610pt お気に入り:20

うっかり『野良犬』を手懐けてしまった底辺男の逆転人生

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:1,357pt お気に入り:1,457

【完】君を呼ぶ声

BL / 完結 24h.ポイント:269pt お気に入り:87

夫の浮気相手と一緒に暮らすなんて無理です!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,469pt お気に入り:2,711

あなたを愛する心は珠の中

恋愛 / 完結 24h.ポイント:269pt お気に入り:1,966

バスケットボールくすぐり受難

大衆娯楽 / 連載中 24h.ポイント:42pt お気に入り:14

罰ゲームで告白した子を本気で好きになってしまった。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:347pt お気に入り:104

処理中です...