憧れの世界でもう一度

五味

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29章 豊かな実りを願い

術理

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短刀術の間合いは、やはりトモエの得意とは違う。過去に積み上げた物の多くが、使えはしない距離でもあるのがただ事実。こちらに来てからは、背が伸びたこともある。腕の長さも、一歩進める足にしてもはっきりと距離が変わった。だからこそ、改めてなじませる必要がある。勿論、屋敷の庭に置いた立木を相手に行ってはいる。何度も、頭の中で、日々の生活の中でも間合いを意識し続けている。だが、色々と難しい事がある。オユキとの対峙であれば、トモエとしても必要な緊張感を得られる。だが、ここ暫くではそれも無い。
オユキに教える、そうした形をとっているのだが、それはトモエも確認を行っているというのがどこまでも事実。トモエにとってもオユキと向き合う時間と言うのは、何も心の安寧のためだけと言う訳では無い。心に滋養を与えるためだけ、と言う訳では無い。それが、トモエにとっても。皆伝と言う一つの到達点に足を進めたトモエにとっても、オユキとの時間で得られるものが間違いなくあるのだ。万が一それが無いのだと、己の刃の為に必要ないのだと感じているのならば、やはりそこまでトモエは意義を見出さない。不要な事だと断じて、オユキは既に大目録を得ているのだから、そこから先は、ある程度まで進めた後は自分で歩が良いとそう判断する。そして、そうした己での積み重ねと言うのが印状を与えるためには必要にもなる。

「不可」

そんな事を考えているからだろうか。トモエは襲い来る魔物の中を歩きながらも、ただただ己の動きに対して冷徹に評価を下していく。果たして、この動きは本当に皆伝たる身が行って許されるものかと。
だが、結果はやはり芳しくない。動きがはっきりとよくない。已む無く可とできる、そんな動きですら二十回のうちに一回あるかどうか。己の思い描く通りに体が動く、そのようなことが一度も無い。トモエにとっては、皆伝の返上を考えなければならない程ではあるのだが、問題として返す相手もいないのだ。流派を背負っているのは、すべてトモエ。それ以外の、オユキもしばしば悩んでいることではあるのだが、とにかく判断の全てを自分で行わなければならないという事実が付きまとう。それが重いのかと聞かれれば、既に慣れてはいると応える者の。

「オユキさんと、話がしたくなりますね」

だが、既に慣れていることと、それが不可にならない事は意味が違う。そして、オユキは日々こうしてはっきりと過去と今の己の差異を感じて、落ち込むトモエの為にと振る舞っているのだ。少しおどけて、そんな事は勿論互いの中にはないのだが、ただ話をしてゆっくりとした時間を過ごす。それが、トモエにとっても重要ではある。だからこそ、ここ暫くトモエからのあたりがオユキに対して強くなっているとそういった自覚もあるにはある。
だが、オユキの望みが、楽しみが。今はトモエと尋常の立ち合いを行う事でしかない以上は、そのためにトモエは整えよとしか言えない立場でもある。次の闘技大会は近い。年に一度、それは既に決まったことと聞いている。そして、あと少しもすれば、前回から一年が経つ。オユキの話では、行政側の思考として年に一回と言うのであれば、そのような形で数えないとそんな事を言ってもいる。トモエとしては、恐らく戦と武技が考える日程と言うのが存在していて、そこに合わせて行う事になるだろうと考えているのだ。

「少し、相手を選びますか、数を減らしますか」

トモエは、己に対して改めて問いかける。集中が深まらない、と言うよりも集中が行き過ぎないように。今はあくまで己を客観視したうえで、自分がどのように動いてるかを評価しなければならない時間だ。悩みは、多く。戦闘である以上、そこには無数の選択肢がある。全てを、先も考えた上で選択しながら、動き続けなければならない。係る負荷は、やはりかなりの物。額を汗が伝う。呼吸にしても、動けば当然と荒れる。無理に整えながら、隙あらばとばかりに己の手の内にある担当の確認と合わせて、息を入れる。
他方、アイリスについては、こちらもなかなかに難物だ。性格とでもいえばいいのだろうか、それはあまりにもオユキによく似ている。動きながらも、耳が、眼が確実にトモエを追っている。少しでも情報を、今後オユキと相対するとアイリスの中では決まっている。決めている。だからこそ、トモエが明確に今後オユキに伝えると決めていることを見逃しはしない。アイリスが使うべきものとは、いよいよ異なる。示現流には、流石に短刀術は向かないとトモエにしても考えている。一刀で方をつける、それが術理の根底である以上は致命とならない短刀はやはり向いていない。体の動かし方、いかに力を伝えるのか、放つのか。そのあたりでは応用が効くものではあるのだが。

「アイリスさん、気を取られすぎです」
「別に、この辺りであれば」
「動きが雑になっています。鍛錬をと望むのであれば」
「それは、確かにそうかもしれないけれど」

トモエは、目的をもって戦場に来たというのならば、それに従えとしかやはり言えない。オユキであれば、もっとうまい言い方も考えるのだろう。アイリスに対して、自分とよく似ているからこそ上手くアイリスの感情も煽る。トモエにしても、オユキ相手であればなどとは考えるのだが、どちらかと言えばオユキがトモエの考えを理解してそれに乗っているだけ。

「下がりますか」
「まさか」
「では、そろそろ良い時間です」
「もう、なのね」

実のところ、こうしているトモエにしても万全と言う訳では無い。普段に比べて、明らかに息が上がるのが早い。それこそ、オユキも理解のある事として、オユキの回復には、事が起こった時の負担は勿論トモエも負担をしなければならない。それを望んでの事ではある、寧ろ己の伴侶ばかりがとなっていれば、トモエにしてもこの世界を心底嫌っていただろう。こうして、己の道を求めて楽しもうなどと考えもしなかっただろう。トモエにとって、数少ない救いとなっていることでもあり、この世界にトモエが残っても良いと考える最低条件が、最初から用意されている。

「頼める相手は、こちらで今は連れてきていませんが」
「護衛にいる相手は」
「ええ、そちらにお任せしなければいけないでしょう」

護衛を頼んでいるはずが、荷物運び迄。一応は、荷役を頼んではいるし、そうした者たちにしてもきちんと住居を用意して、トモエとオユキがいない間も、きちんと支払いを続けてとしてはいる。こちらの都合で待機を頼んでいる、それがあるのだからオユキは当然の事としてそうした予算を組んでいる。どの程度を払うのかに関しては、オユキがこちらの世界の貨幣価値をある程度以上無視してしまっているため、方々からの申し込みであったり羨望であったりがかなりきついと、そうした話をトモエもされたりはするのだ。
この世界でも、貴族家には当然国から手当てが出る。そして、オユキはまた別に巫女等と言う役職を持っている。それも、この国では本来存在しないはずの戦と武技。さらには、ここまでの間に、トモエと揃って散々に色々と成し遂げたこともある。オユキが苦笑いと共に、少々不安に思うトモエが、アイリスや他の異邦人たちと揃って、食費に随分とかけていると分かるトモエがオユキに話をして見た事がある。そして、笑いながら言われたものだ。もはや、入ってくる量が出ていく量を圧倒的に上回ってしまったのだと。
オユキの予想としては、こちらでの貴族の基本的な仕事と言うのはお役所仕事であるには違いない。だが、それ以外にも家として行わなければならないことが相応にある。価格に合わせて、家を整える事。自分の基礎となる領の繁栄。他との付き合いの為に。使用人も、かなりの量が必要になるため、そちらに向けて。支出の項目は、本来であればかなり多い。翻って、ファンタズマ子爵家はと言えば、方々から贈られる礼品を筆頭に、こうしてトモエが、時にはオユキもふらりと表に向かっては、大量に成果を持ち帰ってくる。本来であれば、お茶会や出仕といった時間となるべきなのに。

「騎士は、どういう区分なのでしたか」
「あなたも、きをぬいているのではないかしら」
「それも、事実ではありますね」

今は、歩みを進めて、一応はアベルに習った手信号も使って、目当ての得物を護衛に追い込んでもらってもいる。仕事が過剰だと、そう感じはするのだがそれでも付き合ってくれる相手には、やはりトモエにしても感謝しかない。オユキが、散々に苦手意識を覚えながらも、アルノーにせめて主菜くらいはと話す理由は、トモエにもよく分かる。なんとなれば、今回のようなことが無ければ、トモエにしてもそれを望むはしなかった。

「丸ごと、残るのかしら」
「それは、わたしたち次第でしょう」

トモエは、腰から下げるのがこちらに来ていよいよ当然となっている太刀を、未だに抜いてはいない。結果として、所々にそれと分かるものが残っている。アイリスにしても、これまでは当然として使っていた狐火を、今日は一度も放っていない。さらには、見た目を整えるためと言うよりも、その姿を見せぬ様にと幻術を行使もしているからだろう。王都の外、これまでに散々狩りに狩ってきた魔物だというのに、相も変わらずと言うにはかなり少なく。唯一救いと呼んでも良い事は、人手を借りなければならない程とはなっていない事。

「この程度の事で、トロフィーが残るというのは」
「そう、ね」

慣れぬ武器であろうとも、既に得た加護がある。幻術を身内に使ったところで、振るう刃だけで見れば、体調不良がある、それ以下の物にはならない。だというのに、これまではまれだなどと散々に言われたものが残るのだ。だからこそ、オユキもトモエも、実はたいしたことが無いのではなどと、そんな事を考えてしまう。

「神々も、私たちに対してと、そういう事じゃないかしら」
「それは、いえ、ありそうなことですか」

魔物は、木々と狩猟、加えて戦と武技の領分なのだから。
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