憧れの世界でもう一度

五味

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29章 豊かな実りを願い

庭を眺めて

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王都には、生憎と紫陽花の気配はない。何処かこんもりとしたあの花が、植物がオユキは嫌いではない。それこそ、身を寄せ合うように集まる額と、そのうちにある小さな白い花。振り返ってみれば、縁側から見えるところに生垣として。義父の趣味だったのか、トモエの趣味だったのか。もしくは、オユキが足を運ぶ頃には既に失われていた義母の趣味であったのか。そんなことを、当時のオユキは訪ねていなかったなとそんな事を思い出す。今は、生憎と縁側などという物が望めるような環境ではないが、少なくとも近しい四阿で、トモエと肩を並べて生け垣などを眺めているのだ。
ここまで暫くは、トモエから師としての言葉もかけられていたのだが、互いに振り返ってみれば小太刀に代えてまともに動いた時間と言うのが非常に短い。ただ、その事実を互いに思い出すことでそこから先がなくなった。トモエとしても、オユキの才覚は信じているのだが、流石にその程度の期間で身につくような物でも無いと知っているからこそ。どうにもならぬものを、とやかくいう物ではにとして。オユキのほうでも、成程、そうした違いがあるのかと納得だけ。この後には、それを試してみようかと考えはするものの、やはりこれまでの期間でトモエがオユキにと見せていたもの、それを確認するために時間を使いたいとオユキは考えて。

「そう、ですね。それも、良いかとは思うのですが」

ただ、トモエとしては、気になることが出てきたために、一度方針を考え直そうかとも考えている。言ってしまえば、これまでの振る舞いと言うのは過去にも起きた事。怪我をして、治療の期間はやはり鍛錬が出来ない。そして、その間にも、重傷であれば、相応に長いその間に緩やかに筋力が落ちる。そうした部分を考えた上で、オユキが動けるようになったらと。

「小太刀でなくとも、構わないとも思えてきましたから」
「筋力の低下が起きない事、ですか」
「ええ」

トモエが、オユキに小太刀を教えると決めたのは、比較すれば膂力が少なくても済むからだ。より繊細に、技を磨く。武器そのものに頼るのではなく、正しく己の手指の延長線と認識を。そういった事を考えての事ではある。だが、後者はある程度身についていることもあり、その先はやはり時間がものを言う。前者については、確かにトモエが教えた物を磨いたところで、それでトモエに勝てるのかと言われれば難しい。オユキにしても百も承知。

「ただ、私としても結果が出ないうちにと言うのは」
「結果、ですか」
「はい。以前、トモエさんに問われたことです」

オユキに対して、トモエが真剣に尋ねたのは、一つ。剣を置く話かと考えて、その割にはオユキに緊張が無いため心当たりが無いと少し首をかしげてみる。

「目録、印状です」
「ああ。その、オユキさんはてっきり」
「確かに、間に合うかと言われれば難しいというのは理解していますが」

オユキのほうではその様な事を言っているのだが、ただ暗器術としてみたときになかなかに面倒な物と言うのはオユキは既に父から伝えられている。いよいよ残っているのがこうした短刀術。今は、その中でも絞って小太刀を伝えており併せて二刀もとしているに過ぎない。正式に暗記術としての目録をとなれば、二刀を切り離す必要も出てくるのが、トモエにとっては問題と言えば問題。

「それは、確かに、そうですね」
「ええ。オユキさんが先をと、そう思ってくださるのは嬉しいのですが」
「あの、トモエさんは気が付いて」
「父が既に暗器術、その多くを伝えていることは。ですが、こうした短刀術の部分が抜けているあたり、片手落ちと言いますか」

全く、父の悪い癖だとそんなことをトモエは考えて。もとより、トモエの師でもあった父親は精神修養と言えばいいのだろうか。手続きに従うよう考えていた、といえばいいのだろうか。トモエにとっては、重要では無い事。言ってしまえば、流派を継ごうと考えていない相手にまで、それを守る様にとしていた。だからこそ、唯一作った例外、かつてのオユキに対しても本当に例外としたのだろう。散々に、言い含めたことがあるのだろう。どうにも、そうした部分がトモエとしてもこちらに来て気恥ずかしくも思う。かつては気が付かなかった、多くの事にこうして気が付く。自分で子供を産んで、家庭をもって。そこで気が付くことが、改めて思う所が多かったように。

「私を守るために、そうした気遣いからだったのでしょうし」
「その、トモエさんが気が付いていたように、ですね」
「いえ、それでも必要だと思えばオユキさんは習ったでしょうから」

そこに関しては、トモエとオユキに共通する師の足りていなかった部分とでもいえばいいのだろう。もしくは、かつての子供可愛さで、これまでは頑なに守ろうとしていた一線を踏み越えた結果としてだろうか。そのあたりは、いよいよ今は亡き相手に問いたださねばならないのだが、それは既に過去の事。トモエは改めて、一度頭を振って。

「目指していただけるのは、嬉しいのですが問題はあります」
「もんだい、ですか」
「印可、印状の試験はどうにかなるのですが」
「ああ」

そう。目録にしても、同様。印状であれば、尚の事。

「そういえば、皆伝を示すものは」
「正直、今はそれも無いのですよね」

オユキが、これまで全くもって気が付かなかったとばかりに話せば、トモエはただため息をつくしかない。

「時間をとって、用意をとは考えているのですが」
「野暮な事でしょうが」
「ええ、勿論覚えてはいるのですが」

そう覚えてはいる。だが、問題と言うんのはそればかりでもない。
トモエが持っている、持っていたそれぞれには改めて伝えるべき型であったりが、絵として描かれていたものばかり。かつては、それこそ文字だけであった等と聞いてはいるし、事実本当に古い物はまさに文字の並びとして残っていた。数百年程、それこそ正確にさかのぼれば五百余年。古語と呼んでも差支えの無い言葉で書き記された、流派の真髄。それが記されていた物すら、今はトモエの記憶の中にだけ。

「こちらで、となると」
「それも、良いのではないですか」

オユキは、トモエが何を不安に思うのかは理解ができる。要は、それが置かれるべきは、正しく管理ができる人間の手元にあるべきなのだと。万が一、心得しらずの物がそれを持ち出し、トモエの継いだ流派なのだとそう語られることがあれば、とてもではないが耐えられるものでは無いと。事実として、こちらの世界で既にいくつかの失敗例を見ている。いやさ、いくつかなどではなく、はっきりと三つ。レジス侯爵家の伝える、槍術。アイリスがハヤトからと言う、剣術。騎士が揃いで身に着けている、騎士剣術。これらの全てが、トモエから見て、オユキから、オユキ程度から見ても継承に問題があるのだ。
どれもこれもが、本来であれば人相手を想定して磨き上げてきた術理。その最も基本的な部分。武術としての、技術としての根幹。それが失われた結果、歪んでしまっている物。そして、そのゆがみを正すための、本流からそれたとして、そこにさらなる工夫も研鑽も無いこの世界のそれぞれ。そうした物を見た以上は、勝手に秘伝を、基本を記した書物を読んで名乗りを上げられたときには。

「今であれば、こうして残っているというのであれば」

そう、あの少年たちにも話しているように、かつてクララとイマノルを相手に話したときにも伝えたように。トモエが直接始末をつけることが出来る。名乗るものの前に、教えた覚えのない相手の前に、容赦なく立ちはだかって。そして、そこで示すのだ。その名が持つ、意味の重さを。伝えてきた、連綿と繋がっている流派の重さを背負う覚悟があるのか、それに足るだけの鍛錬と才がお前にあるのかと。

「いえ。こちらであれば、それこそ知識と魔、法と裁きの領分ですから」

しかし、なにもトモエがそこまでとオユキは考える。
この世界は、あまりに広いのだから、やはりそのあたりは人では無理だと。ならば、仕組みとして、今は仕組みとして、今後は役割としてそうした物を得るだろう神を頼めばよいのではないかと。

「現実として、今はと言う意味ですが、伝わらぬ言葉が存在します。そして、読めぬものも」
「オユキさんは」
「はい。神々に関する説話、これも凡そ」

そして、オユキは変わらず疑っている。

「この世界で、これだけの世界で、許されぬことなどあるはずも無いでしょう」

そう、オユキの疑念として。この世界では、神々に関わる書物は残せないなどと言われている。神の似姿を作ることが禁止されている、それについてはまだ良い。神々については、散々にそれにかかわるものを既に書き残しもしている。

「ですが」
「ええ、それを分けるための、と言えばいいのでしょうか」

それこそ、王家にでも直接確認しなければわからない。だが、何か、そうした仕組みを統治者たちが作っているには違いない。そして、異邦人と言うのは、ことごとくその外にある。だからこそ、警戒される。事と次第によっては、それが当然とばかりに排斥される。

「いえ、それも違いそうなのですが」

口にしても、やはりオユキとしては其処に納得がいかぬと。
神々に関して、カナリアと共に書き残したもの。オユキとトモエが、二人の時間で話した内容を、覚書として残している物。

「片付けてはくれているのですが」
「言語の問題ではない、それは」
「はい」

そう、トモエとの相談として、確かにそのあたりも試してみようとなったこともある。ようは、こちらで公用語と言うよりも公文書に使うための言語とされている物を使っていくつかは記した。そして、それらがどう取り扱われるのかを確認しようと考えて。しかし、内容については誰もが認識できていない様子。いい加減、この辺りも決定的な事を調べたいと考えて、オユキが直接戦と武技の冠ではない名を記したりもしたのだ。

「とすると、次に隣国に行くときには」
「ええと、間に合うようでしたら」

そう、間に用であれば、一度知識と魔に納めてみればよいのだ。そうした、流派を確かに継ぐと値するものに向けて書き残したものを。戦と武技、そちらもとは思うのだが、書物の形をとる以上は。
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