憧れの世界でもう一度

五味

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29章 豊かな実りを願い

整えるべき事

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はたから見ても、実に分かりやすいほどに。シェリアだけでなく、久しぶりに一緒に動いているはずのラズリアに迄ほほえましく見守られるほど。オユキは実に分かりやすく、浮かれている。それこそ、体を動かす段から、簡単に素振りから始めるときから。

「オユキさん」
「ええと、その、はい」

うきうきと。ここ暫くは、いよいよ寝たきりのようなものであったのだ。今にしても、護符が無ければ自分の足でのろのろと歩くのがやっとの有様。そんな状態で、どうせ短く切り上げるのだからと言わんばかりに動こうとするオユキをトモエが諫めながら。どうにも、オユキにしてもそれすら楽しんでいるとそう言わんばかりの振る舞い。子供じみた、等とは確かにトモエも思いはする。だが、それこそがここまでの間にため込んだ不満の証左でもある。
オユキとして、忸怩たる思いを抱えていたには違いない。我慢をすることに、慣れてはいる。それこそ、今護符を外せばいよいよ晩年の己たち、基本としてはその程度の範囲でしか動けはしない。過去にもあったことだからこそ、どうにか自制を効かせる事は出来る。だが、こちらに来てから改めて己の体が自由に動く、そこで覚えた喜びが自制に対して激しい反発を見せる。それこそ、他の者が外から抑え込みでもしなければ、オユキ程の見た目であればさぞ不満を、不平を並べ立てる事だろう。シグルドやアナにしても、軽度のけがで、何故鍛錬から外れるのかと少々不満げにはしていたものだ。
彼らは、そうした意味ではイドという物が強いのだとトモエは考えている。
そう、イドの強弱、それを語る時に。オユキと言う人間はあまりに自制が効きすぎる。過去から、今まで。本来であれば、快、不快の原則に。根源的な欲求に対して、本来であれば非常に素直なその部分。どうにも、オユキはそちらがあまりにも弱い。過去の事もあるのだろう。だが、本来であれば、そこでもっと違った方向に向くこともあったはずだ。だが、当時のオユキはそこで己を激しく抑圧することを良しとした。そして、外に向けて、非常に大きな仮面をつけて暮らすことを選んだ。
本人にその自覚は無いだろう。だが、外彼見れば、何とも分かりやすいのだ。
対人関係を担う、そんなオユキが理想とする人物像を作った。そして、己の実際はそれに対して操作をするような、距離を少し開けるような、そんな立ち位置を選んだ。結果として、オユキがトモエをこうしている時にだけ覗かせる、かつての経験を考慮すればありえないような、子供らしさと言うのがそこには出てくる。

「それにしても、不思議な物ですね」
「そう、ですね」

それよりも、トモエの疑問としてはただ一点。

「感覚として、どういえばいいのでしょうか」
「私も一度くらい、そうなってもとは思うのですが、いえ」

オユキが、あまりにも直前までと、体がまともに動いていたころと変わりなく動ける。その事実が、こうして動いてみればやはりトモエにとっても、オユキにとっても疑問として浮かぶ。
トモエとしても、思い返してみれば初めて魔国に向かい神国に戻る事となった時には、かなりの負担を得てはいたのだ。数日は目を覚まさなかった、と言うよりも自分で立ち上がることも難しかっただけではあった。オユキよりも軽度とはいえ、いよいよ意識を取り戻すことが暫くなかったオユキに比べて、確かに軽度ではあった。だが、そこから暫くはゆっくりと体を動かして。しかし、確かに己の思うほど、過去に少々派手な病などで数日寝込んだ時に比べても、遥かに良い状態ではあった。それこそ、劣化が無いとはっきりと言っても良いほどに。そして、オユキにしても、それを感じていると言う事らしい。トモエの眼から見ても、オユキが己がここ暫くは病床に臥せっており、さらに今も万全ではないとその自覚の上で動くからこそずれが出る。
思ったよりも、動けるようだと。

「ただ、息が上がるのは、以前オユキさんは掌を」
「そういえば、そうでしたね」

ただ、体が動くこと、丈夫さが戻っているのか、その二つはやはり異なる。

「オユキさん」
「ええと、問題はなさそう、いえ、確かに少し腫れていますか」

以前にはすっかりと掌がボロボロになっており、オユキ自身では開けない程に握ったこぶしが固まったものだ。今は、その時とは使っている武器も違えば、動きも違う。確かに負担は軽い物だろう。それ故に、トモエとしても行き過ぎないようにと気を配っている。

「そう、ですね。少し熱も持ち始めていますから、一度休んで、少ししたら今の半分ほど、でしょうか」
「良しとするしか、ありませんか」

オユキとしては、叶うならとそれを考えてはいるようなのだが。それをやってしまえば、トモエとしても加減が効かなくなるというのはわかっている。オユキが、それを許しはしないだけの熱量を持っているのも理解が出来てしまう。ここで、ようやく少しは動けるようになったこの時に、またもオユキが掌をけがしてしまえば、明日以降がなくなってしまうのだから。

「互いに、どうにも」
「トモエさんは、楽しんでくれているのですよね」
「ええ。師として行わなければならない、それすらできない程に」
「では、仕方ありません。そうでは無い時に、そうはならないように」

トモエとしても、正直皆伝として与えられてはいるのだが、人にそれを伝えるのは得意ではない。過去の世界で、父がいた頃には相応の数がいた門下生が、ただただ数を減らしていくさまを見ていたのだ。どうにも、口下手とでもいえばいいのだろうか。感覚で、それこそ物心ついたころから散々に体に覚えさせてきたのだ。才能は、はっきりと自分でも理解できるほどに無い。トモエは、少なくともそう考えている。比較相手は、年頃がまだ近かったかつてのオユキ。そして、己よりも遥かに早く皆伝を手に入れた孫娘、三十にも満たぬうちにそれを手にすることになった孫娘の先。
家でと称して道場に泊まり込む、そんな孫娘がどこからともなくといえばいいのだろうか。見どころがあるからと、己の係累からは少し離れていただろうに、連れてきて。一応、そちらの両親や本人の意思確認などは行ってみたのだが、こちらもなかなか愉快な子ではあった。オユキが言うには、昔のトモエによく似ているとそんな話ではあったのだが、トモエとしては全くそのような物ではなく。孫娘にしても、何処が似ているのかと首をかしげていたものだ。
要は、そうしたあまりにも特殊な例と比較しているだけであり、トモエも十分以上に才に恵まれている。十年に一人、そう読んでも良い程度には。

「さて、改めてオユキさん」
「はい」

では、一度刀を置いて、座学の時間とするのも良いだろうと。下は砂地。鍛錬の為に、足を動かす。体を動かす以上は、そのあとが残る方が良いからと、王都でも同じ造りに。オユキが陣取る四阿には、それこそ生垣であったり芝生であったりと、らしい空間は広がっているのだが。

「オユキさん、流石に、あちらで」
「おや」

そして、トモエの様子に、何か改めて流派としての話があるのだろうと、オユキがそのままその場に腰を下ろそうと動くのを、トモエが止める。トモエとしても、その方が手っ取り早いとは思うのだが生憎と、今は互いに着ている服も着ている服だ。鍛錬をするのだからと、オユキとしては常に持ち歩いている狩猟者としていたころに纏めて買った衣類。飾り気のない、長袖長ズボンと言った物を口にしたのだが。トモエと、何よりも近衛としてついているシェリアがそれを良しとしなかったのだ。ユーフォリアは、確かにオユキの言葉通りの用意を考えたのだが、反対する者たちの言葉とは至極単純。鍛錬をと言うのであれば、やはり普段着を使うべきなのだと。
もはや、屋敷の外にオユキが長袖長ズボンでであることなど今後はほとんどない。流石に、盛装でと言う事は少ないのだが、それでも最低限の装いと言うのもある。手っ取り早い物としては、オユキに与えられた位を示すための緋袴姿。それ以外の場合では、やはり簡素と呼ぶには流石にトモエもどうかとは思うのだがしっかりとした洋装。他に選べるもの、オユキがまだ良しと言えるものは以前に作った紬に打掛。
今は、常であればオユキがあまり好まず、動きなれていない洋装を着せられている。そして、そんな恰好で今のオユキが、トモエにしても色々と所作を教えていないオユキが、このまま地面に正座でもすることになれば問題が起きるのは簡単にわかるからと。

「そうですね、休憩をと言うのであれば」
「ええ、せっかくああして誂て頂いていますから」

ただ、オユキとしては衣服の汚れなど当然だと考えているのだ。
トモエから見れば、こうした服がそれこそ派手にした土、所々に医師も含まれているような、そんな砂地の上に正座の下敷きとされる。その結果として、布も傷むだろうなどと考えるのだ。しかし、トモエがその様な事を口にすれば、オユキはまず間違いなく衣類と言うのはそもそも防護、体毛を失った生き物が改めて己の皮膚を保護するために身に着けているだけだと、そんなことを言い出すだろう。オユキにとっては、衣装と言うのはそうした道具でしかないとあまりにもはっきりと内外に示すことなる、そんな発言で。

「トモエさんは、そういえば」
「茶葉、ですか。こちらでは、何度か入れたこともありますが、かつての物とそう変わるものではないように思っています」
「とすると、緑茶とするには」

オユキとしても、叶うならと考えてはいるらしい。確かに、生前はオユキがコーヒーを愛飲しており、しかしトモエのほうでは緑茶を特に好んでいたのだから。トモエは、自分が飲む物を。オユキのほうは、トモエに頼んで自分が飲む物を。そうしていることが当然となってはいたのだが、それでもオユキがたまにはトモエと並んで同じものをとすることもあったのだ。特に、食事によってはかつてのオユキはコーヒーよりも緑茶のほうが良いだろうとそう考える時もあったのだから。

「味覚が変わった今であれば、オユキさんも少し気に入るかもしれませんね」
「甘みがあると、そういった理解はあったのですが」
「オユキさんは、寧ろそれが苦手でしたからね」
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