憧れの世界でもう一度

五味

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9章 忙しくも楽しい日々

鹿肉

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「シチューとなると時間がかかりますからね。」

流石に今日すぐに料理というのはそういった事情もあって難しい。狩猟者ギルドで、本来なら肉の類は纏めて納品としていたが、改めてそれなりの量の肉を持ち帰ると伝えれば、至極あっさりと了承された。

「そうですね、手早いものだと、ローストも美味しいですよ。ナランカのサルサによく合うんです。」

そして、納品の確認、その片手間に受付の女性と盛り上がっている。
そもそも移動に時間がかかる造りの街だ、他の狩猟者が戻るにはまだまだ時間がかかる。そして、話している女性にしても書類の写しを作ったりと、決して暇ではないのだろうが、手癖で済む以上、気分転換というところなのだろう。

「ナランカのサルサ、ですか。」
「恐らく、オレンジソースでしょうね。」
「ああ、成程。そういえば肉料理に良く使う物ですね。サルサというとトマトを使ったものばかり記憶にありますが。」
「ええ、勿論ありますよ。色々と過程で香辛料の使い方も違うので、どれが定番というのも難しいのですけど。」
「成程。」

家庭料理の定番となれば、確かにそこに多様性は生まれる物だろう。正直家庭の味というのはあまりに多様で、そういった物、外食の折によく似た物が食卓に上がれば話も弾むというものだ。これは違う品だと、そういう狭量と言えばいいのか、それだけ譲れぬ愛着があると言えばいいのか難しい手合いもいた物だが。
さて、そうして受付で料理の談義は確かに行われているのだが、無論それについていけない者もいる。

「ファルコ様は。」
「食事の場で、会話として多いのは分かっているのだが、そもそもそういう場に出る前に騎士学舎に。」
「ああ、社交の場ですからね。それにしても、そちらでは。」
「生憎と、最低限ですね。やはりこれまでそういった教育を受けていない者もいますから。」

ファルコの言葉にオユキがアベルに視線を向ければ、ため息が返ってくる。

「正直、人数分が正しく使うための食器を用意する金属があれば。」
「流石に訓練用の武器に回しますか。」
「そういう事だ。騎士団見習いになるだけだからな、学院を出たところで。」
「となると、学院がペイジ、それからエクスクワイアですか。」
「他の国の言葉だな。ああ、こっちだとわざわざ階級として付けてないが、扱いは同じだな。」

だからこそ事務仕事、近侍としての仕事をまずはという事なのだろう。そして身分が違う相手もいるという事は、それこそそちらの者たちに重点的に行儀作法を教える必要がある。とすれば、確かに纏めて教育というのが効率が良いのだろう。そして、他の者たちにしても改めてそこで確認を行い、これまでの教育と差異があるようであれば修正をしてと、確かになかなか忙しそうだ。
そういった事情を慮れば、どうにもオユキの振る舞いというのは矯正がいると、そう見られているのだろう。以前勧めたラザロにしても、そういった思惑があったのだろう。特にメイについては、自身が奉仕を受ける物として、またそれを行うものとしての振る舞いができる、少なくとも公爵の下で学んでいたのだから慣習としてあるのだろう。異邦の頃過去として聞いたそれのように。
さて、せめて見苦しくない程度にもてなすくらいはと思いはするが、巫女としてとなると学院ではなく、いよいよ教会の領分となりそうなものでもある。
そういった事を求められるのは、そういった背景があっての事となるのだから。
そんな思いを乗せてアイリスをちらりと見れば、そちらの目にもしっかりと愁いが乗っている。成程、確かに自由な気性の物が巫女に多い、それも理解できる。

「私は、あくまで最低限は覚えていますが、話術となるとどうにも。練習の機会も少ない物ですから。」
「ま、そうだな。それこそ見習いになれば仕事の一環として警備に立つから実際を見られるんだがな。」
「家族相手ではどうしてもその部分以外からわかってしまいますし、教師の方々にしても。」
「それは、やむを得ないでしょうね。」

前者はそもそも慣れが違う。そして後者については教師だからこそのものが有る。

「大変そうだよな。」
「ああ、正直食事はただ楽しみたい。」
「気持ちはわかるし、そういった場もあるのだが。どうしても正式にとなるとな。」
「そういや、それって、どんなもんなんだ。」

シグルドとパウは辟易としているが、興味はあるようでファルコと話し始める。

「そうだな。やはり最たるものは他の領からの客を招いた時だな。」
「あー、そりゃそうか。遠くから危ない中来たんだもんな、もてなさないわけにもいかないよな。」
「ああ、その通りだ。そしてやはり離れた場所の話というのは互いに知らないことが多い。」
「それで、情報交換か。優先したいものなどをそれとなく伝えるのか。」
「そうらしい。すまんな、私も経験はないので知識だけなのだ。そして全てとなるとやはりお互いにそれだけの時間も取れない物でな。」
「何かと都合がいいんですね。」

そんな様子を見ながら苦笑いを張り付けているアベルに声をかける。彼の考えていることは、オユキにもわかる。

「どうしても、説明するほうが改めて身につくという事もありますから。」
「そうだな。分かっちゃいるが難しい。」

どうにも苦手だと、そういうにしてはファルコもきちんと知識を治めているし、振る舞いも初日に見た物に比べて随分と様になっている。

「距離が遠いのは、理解していますよ。」
「ああ、そりゃお前なら気が付くか。ま、それこそ今後は変わっていくんだろうが、そこでもまたなぁ。」
「隔差は大きくなるでしょう。社会の在り様も突然大きく変わるのですから。そういえば、アベルさんはそのあたりは。」

正直、彼とて壮年とそう言っていい年頃なのだ。そして身分についても相応に高い事は見受けられる。つまるところ彼も側室を進められる側だ。そしてそれにはただただ重いため息が返ってくる。

「大変ですね。」
「権利には、まぁ、言わなくても分かるだろうが。」

付き物として、まぁ色々あるのだろう。そしてここには後二人、それに巻き込まれた者がいるのだ。ファルコについては、まぁ今後理解していくことだろう。

「結局、聞きそびれているのよね。」
「そういえば、そうですが。それこそ助祭様に尋ねるのが早いでしょうね。」
「そうでしょうね。」

そして、今度は二人そろってため息をつく。

「お、終わったみたいだな。ま、シエルヴォの肉は美味い、食事を楽しみに切り替えるか。」
「臭み抜き等もあるかと思いますから、今日はもう戻って訓練としましょうか。」
「なんか予定でもあったのか。」
「いえ、結局武器も見れていませんから。」

尽く予定というのは変更を余儀なくされるものだ。
ただ、今はアベルの言うようにと、皆でそれなりの量、それこそ異邦であれば一過程で求める様な量ではない、そんな大量のシカ肉を持って馬車に戻る。
そしてそこに実物があるのだからと、話は引き続きそれに係るものになる。

「へー、焼くだけってのもあるんだ。」
「教会だと、一度にたくさん作らなきゃいけなかったから。」
「ああ、それなら大鍋料理が楽でしょうね。」
「向こうでも、調理の温度にコツがいる以外は、凡そ大概の料理にはできていましたね。」

ローストやステーキもあれば煮込み、カレーに入れる等という話もあったくらいだ。注意するべき点としては日を通しすぎると硬くなるため、煮込むにしても低温で長時間、ローストの場合は表面を焼いたら後は休ませて中心温度を上げる、そういった工夫を求められるため簡単な物では無かったはずだが。

「臭み抜きについては、牛乳やヨーグルトが多いのでしたか。」
「そうなんですね。」

はじまりの町では、肉と言えばそれこそ兎、次点で犬なのだから珍しい物であることは間違いないだろう。そこまで考えてオユキは疑問を口にする。

「そういえば、これまで口にしたことはありましたか。」
「先の氾濫の時くらいですか。」

トモエに言われて、そう言えばとオユキは思い出す。
しかし上げられるのがそれだけというのなら、他に出ていたことは無かったのだろう。味覚は以前よりも鋭敏になっているおは思うのだが、やはりオユキは変わらず食事の執着が薄い。

「こうも周りにいれば、食卓に上りそうなものですが。」

始まりの町では確かに氾濫の時以外では森から出てこないにしても、領都や王都であれば、もう少し一般的になりそうなものだ。鹿肉のジャーキーといった物もあったはずなのだから。

「あのね。だからその勘違いを正しなさい。」

アイリスにそう言われれば、言われていることも分かるのだが。

「いえ、流石に王都であれば周辺は騎士団の方がいるわけですし。加えて狩猟者の方もそれなりの方もいましたから。」
「騎士団は、そのまま腹に消える。狩猟者の方は、やはりそこまでまとまった量にはならないからな。」
「騎士、大変そうですね。」
「行軍の時は野営ばかりだからな。保存食も相応に備蓄がいる。」
「現実的ですね。」
「現実だからな。」

そう語るアベルのため息は重い。そもそも重装鎧を着こんで動き回るわけだ、当然補給も相応の物が求められる。

「鹿肉のジャーキー、美味しいですよね。ワインにもよく合いますし。」

何処か疲れ切ったものが持つ色がアベルの瞳に浮かび始めたので、オユキも話題を変える。

「歯ごたえもあって、良い物よね。」
「あー、干し肉か。ま、外で食べるにも、つまみにしてもいいもんだよな。」

さて、少々オユキは選択肢を間違えたがアベルが修正を行ってはくれた。

「こちら、チーズの燻製は見ましたが、肉や他の物は。」
「異邦の話で残っちゃいるが、町中で煙が上がるのはな。」
「ああ。」
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