上 下
1 / 2

平凡な高校生のはずが

しおりを挟む
 


 稲垣真斗はごく普通の高校生だ。
 彼の学校や家での立ち位置は、ゲームの世界で表すとするならモブ、といったところだろうか。別に顔立ちが悪いわけでも、勉強ができないわけでも、運動神経が悪いわけでもなかったのだが、天才的に頭の良い兄と可愛らしい妹に挟まれた真ん中の子である彼は、幼い頃から得に注目を浴びてこなかった。
 そのせいか、自然と主張しない性格を身につけてしまった。悪く言えば無気力、よく言ってマイペースといったところだろうか。あまり努力はせず、かといって欲張ることもない。別に注目を浴びたいわけではないし、ひっそり生きられるというのは悪い生き方ではないと思ってきた。学校でいじめられる事もなし。まあまあな成績さえ取っていれば親に叱られる事もなし。彼は自分の生活にそれなりに満足していた。
 大学は少しぐらい頑張って中堅には入り、就職して、まあ結婚もできればしてもいい。このまま穏やかな人生を送っていこう、などと15歳にして年寄りくさい事を考えていた。

 
 そんな彼だが、何故か今大変な目に遭っている。


 事の起こりは、真斗が今朝いつもより早く家を出たことから始まる。
通学路を歩いていて、通りがかった公園にふと入ってみようと思い立った。普段ならしないことだが、今日は時間があったし、何故か美しい朝の風景を楽しみたい気分だったのだ。
 季節は秋に差し掛かったばかりで、涼しい風の中にまだ夏の名残が香っている。
ざわざわとなる木の音に誘われるように真斗は公園へ足を踏み入れた。
朝の日差しが差し込む公園は全体が柔らかな光に包まれているようだった。
真斗はうっとりと目を細めて、清々しい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。しばらく辺りを歩き回った後、ベンチに座ろうと広場を突っ切って行こうとしたところまでは覚えているのだが、その先の記憶が曖昧になっている。確か、噴水のあたりの空気が不自然に歪んでいたのを不思議に思って近づいて行ったはずだ。

(え…いや………ここってどこだ……?)
 気がついたら変な空間にいた。
 どこもかしこも霧がかかった様にぼんやりとして、少しも見通しが効かない。
だが、ただの霧ではない様だ。淡い乳白色のそれは所々虹色に変化したり戻ったりと薄っすら光を放っている。恐る恐る見下ろした地面も同じ色をしている。驚きのあまりこれが現実なのかさえよく判らない。ぼーっとしたまま辺りを見渡す。
(いったいなにが起きたんだろう?)
 息は苦しくなかったし、足元も以外としっかりしていた。
 試しに声を上げてみた。一瞬やけにうわんと響いたその声は、すぐに霧の壁に吸い込まれていった。自分の声が消えていった途端、あたりは再びしんと静まりかえり、急に恐ろしいほどの孤独感が足元から這い上ってきた。
「誰か、誰かいないの?」
 震える声で呼ぶが答えはない。膝から力が抜け落ち、すとんと地面に座り込んでしまう。自分以外この得体の知れぬ空間には誰もいないのだろうか。
 歩いていけばどこかにたどり着くのかもしれないが、今ここから離れてしまえば多分もう二度と元の場所へは戻ってこられなくなってしまう。どこもかしこも同じ色合いのこの世界で、迷わない自信などない。いや、むしろ迷わない方がおかしいだろう。その危険を考えると、どうしてもこの場を離れる気にはならなかった。
しかし、このまま何も起きなかったらここで死ぬということなのだろうか。でも、今の真斗には自分が生きていることさえ定かではないのだ。
(どうしよう……)
何もかも訳がわからない。どうして自分がこんな所にいるのかも、どうやって来たのかも何も分からない。どれくらいそうしていただろう。いつまでも変化のない乳白色の世界で、どれくらい時間が経っているのか段々感覚が鈍ってくる。
(今、何時なんだろう。)
ふと腕時計の存在を思い出し、慌てて確認する。文字盤を見た真斗は思わず息を飲んだ。時計の針は止まっていた。体が震えだし、涙が後から後から頬を伝う。
(いやだ、帰りたい。こわい……) 
なんで僕なんだろう。ここはどこだろう。どうやったら帰れるんだろう。
 ぐるぐると答えのない問答を繰り返し、恐怖と寂しさに怯えて泣いていた真斗は、不意に不思議な眠気を覚え始めた。
 
 恐怖に冷えた体を優しく撫でられているようで、徐々に体の強張りが溶けてきた。
何か柔らかで暖かいものにくるまれるような感覚が体を包み込んでくる。さっきまであんなに怖くて寂しかったのが嘘みたいに消えて行き、かわりにゆったりとした安心感が心を満たして行く。なんでだろうと霞んでくる意識の中で思ったが、それよりも今は心地よくて、真斗はあっという間に眠りに落ちていった。



 不意にふわっと優しい風が頬に当たり、真斗は目が覚めた。
乳白色の霧の一部が虹色に光り、その向こうから人影が近づいてくるところだった。いや、正確には人影と言っていいのかわからないのだが。
 ふわふわと空中を漂う様にして近づいてくる影は、多分人と認識していいのだろう。
先ほど感じた安心感は胸の中に静かに根を張ったように消えず、人影が近づいてもまったく恐怖は感じなかった。
段々と距離が縮まってくる。よく見ると髪の長い女性のようだった。
妖精なのか天使なのかは定かではないが、間近で見ると息をのむほど美しい。肌は抜けるように白く、瞳は吸い込まれるほど深い蒼色をしている。歳は少女と大人の女性の中間あたりだろう。その浮世離れした美しさに見惚れて固まっている真斗の前まで来ると、女性はふわっと止まる。
「まあ、また迷子がいたわ。」
 囁くような優しい声が耳に心地よい。知らない言葉のはずだが、不思議と意味は伝わってくる。そっと手を伸ばしてきた女性が頬に触れてくる。
 するりと肌を滑り、涙の跡を拭う手に思わずぴくっと体を固くした。その手はひんやりとしていたが確かに体温を持っていて、これが夢ではないと実感させられる。
ようやく自分がこの空間にたった一人ではないと分かって、安堵のあまり涙が溢れてきた。
 真斗は勇気を振り絞って尋ねて口を開いた。
「あ、あの…ここはいったいどこなんですか?俺、気がついたらここにいて……。」
「ここは時間の狭間なの。ここを知る人はみんな《あわい》ってよんでいるわ。あなたが来てしまったのはだれのせいでもないの。たまにいるのよ、あなたみたいに時間の狭間に迷い込んでしまう子が。」
「あわい?」
 そう、と言いながら女性がくるりと空中で回った。薄紅色から桃色まで様々な色合いに光るその衣がふわりと広がり、それと同時に得も言われぬ香りが漂う。
「時間の軸でつながったいろんな世界への入り口がここの集まっているの。」
「いろんな……?」
「そうよ。でも今はその話は後にしなくては。私の名前はサユラ。ここの主さまに仕えている送り人よ。」
呆然としている真斗に、優しく微笑んだ彼女が手を差し伸べてくる。
「まずはあなたを主さまのところにお連れしなくてならないの。分からないことは主さまにお聞きすればばいいのよ。」
真斗は躊躇いながらも立ち上がる。
このままついていって良いのかは分からないが、少なくとも僅かな希望が見えてきたようだった。とにかくその主さまに会えばなにかわかるのだろう。
 得体の知れぬのはこのサユラという女性も主さまとやらも同じだが、この世界で今真斗ができることは彼女について行くことだけだ。
「さあ、行きましょう。」
サユラに手を引かれて、淡い虹色の光りの中に一歩足を踏み出した。
  




しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

王妃となったアンゼリカ

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:158,664pt お気に入り:8,559

配達屋はうまくいく!~何もしてないのに勘違いされて国の重要人物!?~

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:14pt お気に入り:36

【R18】赤ずきんは狼と狩人に食べられてしまいました

恋愛 / 完結 24h.ポイント:120pt お気に入り:108

猫になって拾われる~お腹吸うのやめれ【R18】

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:35pt お気に入り:30

そろそろ浮気夫に見切りをつけさせていただきます

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:61,389pt お気に入り:2,892

処理中です...