慟哭のシヴリングス

ろんれん

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姦邪Ⅰ -ルィリア編-

第54話 癒えない傷のカクシゴト

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 すぐ治る体質である俺の傷がまだ癒えきっていないという事で、ルィリアとシャーロットの判断でもう1日安静にすることになった。
 久遠も抱きついた拍子に傷を抉った事で今日だけは一緒にいるのを諦め、今この部屋には俺とカナンしかいない。
 同じ屋根の下で男女2人きり、何も起こらない訳はなく……なんて展開は当然なく、お互い無言のまま夜を迎えた。

「……なぁシン」

 急に、カナンが俺に声をかけてきた。
 心なしか、その声は元気が無さそうであった。

「なんだ?」
「……やはり私は、居ない方が良いのだろうか」
「どうしてそう思ったんだ」
「ルィリア殿の考え方を否定する訳では無いのだが……私は賛同できない」
「……」
「被害は最小限に抑えられた……そういえば聞こえは良いが、それでも命が亡くなっている事に変わりはない。人は誰かにとっての大切な存在だ……失った悲しみ、救われなかった怒りは常に均等なんだ」
「そうだな」
「ルィリア殿は良い結果しか見ていない。小さな犠牲が見えていない……!」
「それは違うと思うぞ」
「何……?」
「ルィリアだってきっとわかってるはずだ……小さな犠牲が、やがて大きな憎しみとなる事くらい。ただまずは良い結果を残せた事を喜ぼうって事だと思う」
「っ……」
「後悔する事と反省する事はいつだって出来る。でも喜ぶ事は中々出来ない。だから今この瞬間だから出来る事を優先してるだけなんだよ」
「この瞬間だから、出来る事……」
「例えば海に行ったら、海ならではの遊びをするだろ。足場が悪かったら、足場が悪いのを利用した立ち回りをするだろ。それと同じだ」
「……ルィリア殿はただ能天気なだけだと思っていたが、そういう事なのか」
「まぁ本当に能天気なトコあるけどなルィリアは」
「ふっ……かもしれないな」

 俺の言葉に、カナンは笑いながら頷いた。
 本音を言うと、俺もどちらかと言えばカナンと同じ側の意見の人間ではある。少なからず犠牲が出ていて、それを見て見ぬふりはできない。
 でも俺がもっと強ければ救えたかと言えば、そんな事はない。仕方のない犠牲だったとは言わないが、人間1人に出来ることには限界がある。それに……どれだけ悔いても、死んだ人間は戻ってこない。なら小さな犠牲があった事は受け止めつつ、自分が何かを成し遂げられた事をまず喜んだ方がいいと感じたのだ。
 この考えが正しいとは思わないし、諦めだと言われてしまったら何も言い返せないのだが。

「ちょっとお手洗い行ってくる」
「道はわかるか? 私が同行しようか?」
「大丈夫。普通に動けはするんだ、道に迷っても平気」

 俺はそう言ってベッドから降りると、部屋から出て怪我をしているとは思えない程普通に歩いてトイレへと向かった。
 ……当然、トイレが何処なのかわからない訳だが。というかそもそも俺が運ばれた部屋ってルィリア邸の何処に位置する場所なんだ?

「まぁ……道なりに歩いてりゃ着くだろ」

 俺は独り言を呟きながら、広くて長くて暗い廊下をひたすら歩く。
 こうして暗い廊下を歩いていると、暗殺者と初めて対峙した時のことを思い出して、また見覚えのない甲冑があるのではないかと注意深く辺りを見渡してしまう。まぁ当然、何もない訳だが。

「ウチが教えたろか?」
「うわぁびっくりした……! 急に出てくるなよ」

 暗闇の中から当然ネフィラが姿を現し、俺は驚いて少しよろめいてしまった。そんな俺の反応を見て、ネフィラはニヤニヤと笑っていた。

「フフッ、かわやに行きたいんやろ? こっちや、着いてきて」
「か、厠って……」

 俺はそう呟きながら、ニヤニヤと笑うネフィラについていく事にした。

「……ん、ちょっと待ってくれ」

 道中、リビングを通りかかって俺は足を止めた。リビングには電気が付いており、何やら話し声が聞こえてきた。俺は何となく忍び足でリビングに近寄り、耳を澄ませた。

「……こんな言い方はアレですが、この一件でワタクシに対する世間の評価が変わると良いんですけどね」
「きっと変わると思いますよルィリア様」

 リビングで話をしているのは、どうやらルィリアとシャーロットのようだった。
 というのは言わずもがな、昨日の即位式で起こったアーシュの反逆と悪魔教の襲撃……もはや災害と言っても過言ではないあの出来事だろう。俺がアーシュと対峙している際、ルィリアは怪我人を完全治療クーア・アスクレピオスで治していたのだそうだ。

「あーあ、久々にあんなに魔力を消費しました……まぁ全然平気ですが!」
「……一つ疑問がございます」
「なんでしょう?」
「何故シン様とカナン様にだけ完全治療クーア・アスクレピオスを施さなかったのですか? 傷の治りが早い特殊体質のシン様ならまだしも、カナン様は瀕死……拙はおろか、素人の目から見ても深刻でした。あの状態を見て、何故完全治療クーア・アスクレピオスを使わないという判断をなさったのですか?」

 シャーロットの言ったルィリアに対する疑問。
 何とも思っていなかったが、確かに考えてみれば何故ルィリアはカナンに完全治療クーア・アスクレピオスを使わなかったんだ?

「……」
「今回だけではありません。リヒト様……暗殺者の一件の時もそうです。何故騎士団の団員にも使わなかったのですか? もし使っていれば、その親族がカナン様に悲しみと怒りをぶつける事も無かったでしょうに」
「…………」

 シャーロットの問いに、ルィリアは疾しい事でもあるのか答える事なく黙るだけであった。
 ……思い返してみれば、久遠の目を治してくれと俺が頼んだ時も、施すことをどこか避けているような仕草を見せていた。使う使わないの基準は一体何なのだろうか?

「黙っていても解決しませんよ、ルィリア様。拙に何を隠しているのですか?」
「シャーロットこそ、ワタクシに何を隠してるんですか……!」
「何を仰っているのか、よくわからないのですが」
「とぼけないでください……ワタクシは貴女に一度も本名を教えた事はありません。なのに何故シオンという名前を知っていたのですか!」
「それは……」
「ほうら、話せないでしょう? 誰にだって言えない事はあるんですよ。だから……」
「……単に、ルィリア様が小さい頃に何度か顔を合わせた事がある……というだけですよ」
「そんな記憶は……あれっ……?」
「……おっと。ルィリア様に乗せられ、危うく策に引っ掛かってしまうところでした。さて……」
「うっ……く、ぁあっ……」
「ルィリア様……? どうかなさいましたか……?!」
「あぁあああああッ、ああああああッッッ!!?!」

 突然、ルィリアの叫び出す。それと同時にドタバタと暴れ回るような音や落とす音、割れる音が聞こえてきた。俺は思わずリビングに駆け込んでいった。いつの間にか、ネフィラは姿を消していた。

「ルィリアッ!? 一体どうしたんだよ!?」
「し、シン様……!? いったいいつから……」
「そんな事はどうでもいいだろ! ルィリアに何があったんだ!?」
「っ……とにかく、鎮静剤を投与して落ち着かせます……っ!」

 そう言うと狂ったように暴れるルィリアを慣れた動きで押さえつけ、首筋に注射器を刺して鎮静剤を注入した。即効性なのか、狂気に染まったルィリアの表情が力が緩んできたのか段々と動かなくなっていき、やがて何事も無かったかのようにスヤスヤと眠り始めた。

「ルィリア……」
「はぁ……やはり拙の感情というものは、常に障害でしかありませんね」
「何があったんだ? 話だけは聞いてたが」
「まさか、ルィリア様の記憶が……」
「記憶? ルィリアが知らなくて、シャーロットが知っている……ルィリアの小さい頃の記憶って事か?」
「…………」

 俺の問いに対して、シャーロットは先程のルィリアと同じように黙り込んだ。
 ルィリアの言う通り、人には誰だって他人に言えない事は存在する。だから他人を深掘りするのは野暮であるし、それを知った所で俺に何の損も得もない。聞かないでおくのが無難なのだが、立ち会ってしまった以上、聞かない訳にはいかない。

「それが、シャーロットがルィリアの本名を知っている事に繋がるのか?」
「……はい」
「俺達に言えない事なのか」
「イエス、と答えればそれで気が済みますか?」
「……いや」
「ふふ、正直ですね。まぁ教えても構いませんが……一つ確認を。シン様は、どんな内容であろうと、ルィリア様の過去を知り、それを受け止める覚悟は出来ておりますか」
「……ああ」
「いいでしょう。あれは拙がまだ18の頃でしたので……19年前ですね。拙は当時、魔術研究所に勤めていました」
「……」

 魔術研究所。なんか新しい単語が出てきたし、そもそもシャーロットは魔術を使えない筈……たった一文で様々な疑問が浮かんだが、ひとまず話を聞く事に専念する事にした。
 ……てかシャーロットって37歳だったんだ。全然見えない、綺麗だしもっと若いと思ってた。

「ある日、研究所の近くの町が突如として火の海となり崩壊するという事件が起こりました。拙達は近くにいた事もありすぐ駆けつけ、救助活動や消化活動していました。そこで我々は……一人の生存者を保護したのです」
「その生存者ってのが……」
「——はい。当時まだ7歳……今のシン様と同い歳だった、シオン様だったのです」
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