慟哭のシヴリングス

ろんれん

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姦邪Ⅰ -ルィリア編-

第17話 ようこそルィリアの家へ

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 周囲がまるで地震が起きているかのように、ガタガタと揺れる。右には久遠、左にはルィリアが座っている。
 ……俺達は今、馬車に乗っているのだ。久遠は俺の手をぎゅっと握りながら、窓の外の変わり映えのない森の風景を眺めている。一方、ルィリアは体調悪そうに俯いていた。

「大丈夫か、ルィリア?」
「ううっ……もう2度と馬車になんて乗りません……気持ち悪いぃ……うぷ」
「……」

 乗り物酔いをしているルィリアに、俺は呆れるようにため息を吐いた。
 ここは当然異世界なので自動車なんて存在せず、この世界での移動手段は馬車しかない。だが馬車はどちらかというと高い身分の人がお忍びで観光する際に乗るもの、という認識らしい。故に移動速度は正直、早歩きと同じくらいだ。
 その割に運賃は異常に高いらしく、この馬車を利用している者は8割が貴族、2割が見栄を張る金持ちなのだそうだ。

 ——そもそも、何故俺達が馬車に乗っているかというと……それは数十分ほど前に遡る。





 ルィリアの養子になる事になり、俺は今後の日々に胸を馳せていた。ルィリアが何処かへ行った後、俺はふと久遠の表情が暗いまま俯いている事に気付いた。

「……どうした久遠、ルィリアの養子になるの嫌だったのか?」
「ううん……零にぃちゃんの決めた事なら何でも受け入れるよ。でも、でもね……その……」

 久遠は今まで見た事ないくらいにソワソワしているようだった。でもそれは期待や喜びによるものではなく、不安からきているものだと察した。

「ん?」
「一個聞いて良い……?」
「いいよ」
「……私の目が見えるようになったからって、私の側から離れないでいてくれる……?」
「当たり前だろ」
「本当……?!」
「まさかそんな事でソワソワしてたのか?」
「うん……零にぃちゃんの手は、目が見えなかった私にとっては世界そのものだった。だから目が見えるようになった時、実はちょっと怖かったの。“もう一人で歩けるだろ”って……もう零にぃちゃんが私の手を握ってエスコートしてくれないんじゃないかって」
「そんな心配する事じゃないよ。何があろうと、俺は久遠とずっと一緒だ」
「えへへ……ありがとう」

 俺の言葉に、久遠は安堵するように笑みを浮かべた。
 さっきから様子がおかしかったのは、目が見えるようになった事で俺が居なくなる事を危惧していて、その不安からだったのか。
 ……俺、愛されているんだな。

「あぁっ……尊いですねぇっ……良い!」
「いつの間に戻ってきてたのか」
「その“戻ってこなくていいのに”みたいな顔するのやめてくださいよ、ワタクシは混ざらずに眺めてますから」
「見せ物じゃないぞ、俺達は」
「ううん……見せていこうよ零にぃちゃん。零にぃちゃんは私のものって知らしめるの」
「何を言ってるんだ久遠?」
「いやー、まさか生きてる内に本物の兄妹愛を見れるとは……君達には感謝しかないですね。目の保養になります」
「だから俺達は見せ物じゃ……まぁ何でもいい。というかアンタ、天才で受賞したって割には随分ボロボロな家に住んでるんだな?」

 俺は些細な疑問をルィリアに問う事にした。
 名誉ある賞を受賞した人は多額の賞金が贈られると思うのだが、此処はそんな人物が住んでいる家にしてはあまりにもボロボロ過ぎる。新しく家を建てる事は出来る筈だし、家自体に思い入れがあるのなら修繕とかも出来る筈だ。何ならさっき“メイド”という単語まで出てきたが……それらしき人物の姿は一切見えない。まぁ、確かにオムライスは美味しかったが。

「この天才であるワタクシがこんな王都から離れた森の中のボロ家に住んでる訳ないじゃないですか。まぁグリモワール・レヴォル賞を受賞するまでは、確かにここに住んでましたけど」
「そうなのか……じゃあ本当の家の方にメイドとかがいるって訳か」
「その通り。あ、良ければ今のワタクシの家に招待しましょうか?」
「良いのか? かなり距離があるんじゃ」
「心配ご無用! 王都にある家からこの家までを行き来する為の馬車を手配してありますから……凄いでしょう? 馬車になんて普通の人生を歩んでいたら中々乗れませんからねぇ、まぁのんびりと移動しながらワタクシの話でもしますよ」

 ルィリアは終始ドヤ顔で喋り続けた。
 そんなこんなで俺達は準備をして……と言っても、俺達の手荷物は長髪の男から譲り受けたあの刀のみなので、この家を出て馬車に乗って、王都にあるルィリアの家に向かって出発するまで、そんなに時間は掛からなかった。

 ——同時にルィリアが乗り物酔いで体調悪そうに俯くのも、そんなに時間は掛からなかった。




 ……そんなこんなで、今に至るという訳だ。結局ルィリアから聞けた話は、馬車は高い身分の人の乗り物だという事だけだった。

「……あ、見て零にぃちゃん」

 ずっと窓の外の景色を眺めていた久遠が繋いでいる手を軽く振って俺の気を向けようとする。
 俺は窓の外を覗くと、そこには洞窟から出た時に遠くに見えていた建造物がこんなにも近くに見えた。敵から国を守る為の外壁で囲われ、内部まではここからじゃ見えなかったが、あんなに遠くにあった王国がすぐ近くにあるという事に俺は感動しかけた。

「止まれ」

 突然、外からそんな声が聞こえてきて、声に従うように馬車が止まった。すると出入り口を勝手に開けられ、鎧を着た兵士のような男が中を覗いてきた。

「なっ、何だアンタ……?!」
「ただの門番だ、そう警戒するな」
「……妹が怖がってるんだが」
「それは失礼。だが例え一見何も怪しくなさそうでも検査はしなくてはならないのでな……厳しい目で見させてもらうぞ」
「……」

 門番を名乗る兵士のような男は、中を覗きには来たものの中に入ってくる事は無く、あくまで目視での検査で済ませた。
 ……ふと、門番の男が俯くルィリアを見つめた。

「……お前の馬車だったのか。ふん」

 門番の男は最後に鼻で笑うと、出入り口の扉を閉めた。
 門番って名誉ある賞を受賞した人に対して鼻で笑えるほど偉い地位ではないと思うのだが。不思議と門番のあの態度が気になった……いや、流石に誰でも違和感を感じるか。
 ルィリアは、もしかすると単にグリモワールなんとか賞を受賞した天才というだけではないのかもしれない。
 そして再び馬車が動き出して、また数分間のガタガタ揺れ。道中の王都の光景は、とても平和そうに見えた。ガタイの良い男が商売に使う為の大きな荷物を運び、女がそれを自前のコミュニケーション能力で売って稼ぐ……どこもかしこも人で賑わっていた。
 やがて、ルィリアの家に着いたのか再び止まった。

「え、えと……はい、ここがわたしの……家でふ……はい」

 ルィリアはまだ乗り物酔いが後を引いているのか、今までのような自信を一切感じられない声色で出入り口の扉を開けて自身の家を披露した。

 目の前には、家というより高級旅館のような大きな建物があり、サッカーが出来るくらい大きな庭、そして大きなプールが設置されていた。そしてこの広大な土地の周りがレンガ調の高めの塀で囲われており、プライバシー保護もバッチリだ。
 思ってた以上の豪邸で普通なら盛り上がるところなのだが、この豪邸の主人であるルィリアがこんな状態なので、それよりも呆れが勝ってしまう。

「大丈夫か?」
「え、ええ……30分くらい休めば復活しますので」
「それこそ完全治療クーア・アスクレピオスやればいいんじゃないのか?」
「この魔術は……他人の為にしか使わないと……決めてるんです……」
「……そうか」

 それで自分が倒れたりしたら本末転倒なのでは……と内心思ったが、医者が自分自身の手術は出来ないのと同じようなものだろうと自己完結する事にした。
 すると高級旅館のような家の玄関が開かれ、メイド服を着た女性がこちらに向かって歩いてきた。

「——おかえりなさいませ、
「……シオン、様?」
「だーーっ!! なんでもありません、なんでもありませんから!! もう……体調悪いんですから大声出させないでください……」
「おっと、失礼致しました。可愛い客人がいるようですね」

 メイドは注意を受けると、俺達兄弟の方に目を向けて優しく微笑んでそう言った。
 赤茶色の髪に黒い瞳。キリッとした目つきだが、怖そうなイメージは感じられない。俺がまだ子供だからかとても身長が高く見える。

「客人ではありません……家族です……」
「遂に子供をご出産なされたのですね。夫の姿が見えませんが」
「違いますよ養子です!! 人付き合いが苦手なのに、交際……もとい性行為なんてワタクシに出来る訳ないじゃないですか」
「それもそうですね」
「……なんかその返しも釈然としませんけど」

 ルィリアとメイドによる冗談混じりの会話は、主従関係というより姉妹のように仲の良い先輩後輩という感じだった。まぁルィリアじゃ主人としての威厳なんて出せなそうだし……解釈一致といえばそうなのだが。

 ——しかし、さっきメイドが口を滑らせた“シオン”というのは、一体……?
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