慟哭のシヴリングス

ろんれん

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黎明F -審判編-

第14話 孤独

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 俺は走り続けた。時に道端に置いてある荷物やらを申し訳ないと思いながら倒して追跡を邪魔したりして撒こうとするが、中々しぶとく追いかけてくる。
 仮に追いついて痛めつけたとしても、人間に俺を倒す事は出来ないというのに。まぁ余程消耗していて虫の息であれば可能性はあるかもだが。

 “シンさん……もうアヴァリスと戦うのをやめてください。どう転んでもアヴァリスの思う壺なんです……!”

 アリリの言葉が頭をぎる。
 全人類の命という責任とかそういうのを一切考えず、いっそこのまま一人で逃げて何処かでひっそり生きていった方が良いのだろうか。
 いや……俺に逃げ場所なんてない。今の俺は、天敵だらけの鳥籠に閉じ込められている状態なのだ。アリリに匿ってもらおうにも、この姿では騎士団本部に入っていけないし、そこら中に検問がいるので尚更だ。

「……おい」

 すると、まるで待ち伏せしていたかのように目の前に大きな鎌を持った同い年くらいの青年が姿を現した。

「クリム……!」
「アヴァリスから事情は聞いた……シンになりすまして栄光を横取りしてた色欲の悪魔だろ、お前」
「っ……」
「オレは、見返りも求めずに人を助けられる……そんなヒーローみたいなあの背中に、シンに憧れてたんだ」
「……そうか」
「だからシンと戦うかもしれないってなった時、凄ぇ嫌だったんだ……でもあの時には既になりすましてたんだよな」
「……」
「お前を倒せばメリモアは助かって、シンの栄光を取り戻せる……一石二鳥ってこったッ!」

 そう言うとクリムは殺意のこもった目で俺を睨みつけながら大鎌を大きく振りかぶってきた。
 俺は咄嗟に道の端にあった鍛冶屋に向かって走り、適当に置かれていた鞘付きの剣を手に取ると、鞘は抜かずに大鎌による攻撃を防いだ。

「クリムっ……アンタはアヴァリスに騙されているんだ!」
「人を騙してきたお前に言われてもなッ!」

 クリムはそう言うと防がれた状態のまま、人間とは思えないほどの力を入れてくる。俺は魔力枯渇によって弱体化しているのもあって押し負けてしまいよろけてしまった。
 その一瞬の隙を逃さずクリムは大鎌を地面に刺し、それを飛び越えた勢いで蹴りを繰り出す。蹴りは顔面に直撃してバランスを崩されると、更に俺のお腹に足を突き出して俺を地面に叩きつけた。

「っがぁッ!!」
「魔力切れしてんだっけか……人間に力負けするなんて、余程消耗してんだなお前」
「……悪魔の契約は……人の転落劇を愉しむ悪魔の娯楽……だから、代償が先払い制なのはおかしいんだ……!」
「それはっ……」
「アヴァリスが良かれと思って、善意でアンタ達兄妹に手を差し伸べたと思ってるのかッ!?」
「そんな訳ねぇのはわかってんだよッ!!」

 俺の言葉にクリムは怒りを露わにしてそう叫んで、大鎌の刃の先端を俺の胸に深々と突き刺した。

「ぅぁあああああああッッ……!!」
「悪魔は人の不幸を好む、悪趣味な奴らって事も!! 魂を奪われた人の親族から恨まれる事もわかってんだよ!! だがなぁっ……もうこれしかっ、方法はっ、ねぇんだよぉっ!!」
「あがッ! うぐッ……! おごッ……」

 クリムは言葉を発する度に、大鎌を抜いては刃の先端を腕、胸、お腹、首……身体の至る所に突き刺してくる。再生して血を吹き出しては刺され、再生して血を吹き出しては刺されを何度も何度も繰り返される。
 再生速度が異常に早いゆえ、次刺されるまでには肌が再生するので幾ら刺されて血を流そうが死ぬ事はないのだが、それでも痛みはあるのだ。

「……妹が死ぬのは……それで1人になんのは……嫌なんだ……もう家族を失いたくねぇんだよォオオオオオッ!!」
「はぁッ……あがァァあァぁあァアッッッ!!」

 クリムは俺のお腹に刃の先端を突き刺すと、そこから股にかけて大鎌を動かして臓器ごと切断した。ヒンヤリと冷たい鋭利な金属が体の中に入り込み、それが肉と中の物を斬っていく感覚に、俺はもはや痛みではなくそれを上回る“熱”に悲鳴を上げた。
 そして開かれた断面図に空から降る雨が当たり、傷口に針を突き刺されているような痛みとそれを上回る熱が襲う。断面図に雨が当たる度、俺は文字に起こすと全てに濁音が付くような汚い声で喘いだ。
 ようやく再生が始まると、開かれた断面図は徐々に塞がっていき、細胞が結合していく。その時の感覚は不快とまではいかないが、良い気分ではなかった。

「お、お前……バケモンかよ……」

 人間であれば確実に致命傷であろう傷を付けられても、瞬時に再生して傷痕すら残っていない状態にまで戻る悪魔の身体の一連の様を見せられたクリムは、驚愕するような表情を浮かべた。
 幾ら相手が悪魔とはいえ、鎌で身体を切断出来るアンタも大概だ……と言い返したい気持ちになりながら、俺は立ち上がった。

「家族を失いたくない気持ちは……俺にも十二分に理解出来る」
「人の心が無い悪魔に、何がわかるってんだッ!!」
「……自分では救えないという現実、でも何も出来ないからって見てるだけなのは嫌なんだよな。だから救えるかもしれない行動に死に物狂いで縋ってるんだよな」
「なっ……」

 クリムは図星だったのか、目を見開いて驚いているのと同時に困惑するような表情を見せた。しかしその後すぐに迷いを振り切る為なのか首を振って睨みつけてくる……が、襲い掛かっては来なかった。

「はっきり言ってやるクリム。アンタじゃ何も出来ない。メリモアを救う事も、俺を殺す事すらも」
「っ!!」
「——ええ、その通りよクリム」

 俺はクリムに残酷な事実を突き付けると、それを肯定する忌々しい声が聞こえてきた。

「アヴァリス……!」
「そこにいる色欲の悪魔の言う通り、貴方は何も成し遂げられないわ」
「お、おい……どういう事だアヴァリスッ! 4つの定められた魂と色欲の悪魔の命を奪えばメリモアは助かるって」
「——ねえ、どうしてメリモアは苦しんでいると思う?」

 アヴァリスはニヤリと悪い笑みを浮かべると、クリムの言葉に食い気味でそう問う。

「あ……? 何を言って」
「今の医療技術では治せない病にかかったから、よね。でもよく考えて……あり得る? 何の兆候も無しにそんな重い病気を患うなんて」
「そ、そういう新種の病だってお前がそう言ったんだろ」
「……んふっ、ふふっ、ふふふふ……」
「何がおかしい!?」
「いや、貴方って本当に純粋。穢れを知らない、透き通る水晶みたいに純粋……耳に入る言葉全てが真実だと思い込んでる」
「……ま、まさか」

 アヴァリスがこれから何を告げようとしているのかを理解したのか、クリムの表情が段々と青ざめて絶望に染まっていく。

 ——止めようか、正直悩んだ。

 今まで自分のしてきた事が全て自分にとって無意味な行動で、ただ都合の良いように利用されていただけだと気付いた時、途轍もない虚無感に襲われる。ましてやクリムの今の行動原理は“妹を救う事”である為、余計だ。
 だがこのまま続けると、クリムは無意味な罪を重ね続けてしまう。そして気が付けば、後戻りが出来なくなってしまう。

「——私と貴方は、契約なんてしていないわ。ただ勝手に貴方が、私の探し物のお手伝いをしてくれていただけなのよ」
「ぁ……」
「その顔とっても良いわね……今まで自分のしてきた事は何の意味も無く、ただ自分の手を汚しただけだというその絶望!! あぁああ……堪らないっ……!」

 アヴァリスは目の前のクリムの絶望に染まった表情をその目に焼き付けると、幸福そうな表情を浮かべ、興奮するように喘いだ。

「ぁ……あ……」
「貴方は私に良いものを見せてくれた。そのお礼に、何故メリモアが不治の病を患ったか教えてあげる」
「な……ぇ……?」
「——死んだ筈の貴方が生きているからよ、クリム」
「……………!?!?」

 アヴァリスが真実を告げたその時、雷が轟く。
 クリムはこの一瞬で自身の信じてきたもの、プライド、存在意義を骨の髄まで破壊され、その場に両膝をついて崩れて……文字通り絶望してしまった。もはや、嘆く事も出来なくなってしまっていた。

「瓦礫からメリモアを庇ったあの日……貴方は死んだと思ったんじゃなくて、本当に死んでいたの。じゃあ何故貴方は蘇ったのかしら?」
「…………」
「貴方の妹メリモアが、私と契約したからよ! “兄を蘇らせて”とね」
「………………」
「つまり今メリモアが不治の病で苦しんでいるのは、新種の病を患った訳でもなく……兄である貴方を蘇らせた代償なのよ!!」
「………………………………」

 アヴァリスは嬉々として言葉を発しながら、まるで演劇のワンシーンのように大袈裟な仕草をする。一方、クリムは絶望のあまり両膝をついたまま動かず、ただ雨に打たれるだけだった。
 対照的な二人によって、この降り頻る雨すらそういう演出のように思える。

「……つまらないわね。もっと泣き叫ぶとか、怒り狂って私を殺そうと躍起になるとか無いのかしら」

 しかし絶望のあまり完全に意気消沈して何のリアクションもしないクリムを見て、アヴァリスの表情は徐々に不機嫌そうになっていった。

「…………………………………」
「あーあ。人間って難しいのね。適度に希望を与えないとダメって事?」
「——何が良いんだ、こんなの」

 クリムに衝撃の事実を告げられる一部始終を見ていた俺は、アヴァリスに向けて問う。
 俺は最低だ。最終的に真実を告げるのも、それでクリムを意気消沈させるのも……汚れ役を全部アヴァリスに押し付けて、こんな台詞を言うことで善人ぶっている。
 だが言い訳を許してもらえるのなら、仮に俺が真実を告げたとしても、クリムはきっと俺の言葉を信じてはくれなかっただろう。
 どちらにせよ、内心アヴァリスが現れてくれたと思ってしまっている自分が嫌だ。

「あら、本当は貴女もクリムの事を知っていたくせに。私に汚れ役を押し付けて善人ヅラかしら? 流石、人を惑わす卑劣な色欲の悪魔」
「……俺はシン・トレギアスとして色んな人と接してきた、結果的に騙したって事になったかもしれない。でも数少ない人の優しさに触れてきたのは紛れもない事実だ。だからこそわかるんだ……優しい人ほど、都合よく利用されて不幸な目に遭うって」
「優しい? ただ間抜けなだけでしょう」
「間抜け……そうだな。人の心なんて外からじゃ見えないのに、他人を信じて手を差し伸べて……確かに馬鹿だよ」
「っ……何が言いたいの」
「アヴァリスは……どうして人の不幸がそんなに面白いって思えるんだ」

 俺は、素直な疑問をアヴァリスに問う。
 人の不幸は蜜の味とは言うが……そのことわざを、俺は理解出来ないからだ。

「……理由なんて無い、楽しいからよ! 間抜けな人間どもが私の掌の上で転がって、絵に描いたような不幸を味わう……それが堪らないのよっ!!」

 アヴァリスは再び、舞台の演劇のように大袈裟に両腕を広げ、さながらミュージカルのように踊りながらそう告げた。途端、雷が轟く。雷の光に照らされたアヴァリスの表情は、狂気的なものだった。

「ラグナロクが起これば、人間を不幸にする事すら出来なくなるぞ」
「人間が生まれるまでは貴女が不幸だからノーカンよ……大体、弱い癖に強がって醜態晒す人間なんてさっさと滅んでしまえばいいのよ」
「それは、どういう……あっ」

 アヴァリスがふと呟いた一言に俺は疑問を感じて問おうとするが、その前にまた消えてしまった。

 ——まだよくわからないが、アヴァリスは色欲の悪魔だけでなく人間も恨んでいるのだろうか?
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