慟哭のシヴリングス

ろんれん

文字の大きさ
上 下
48 / 61
黎明F -審判編-

第10話 正義

しおりを挟む
 夢を、見た。

 雨の中、家出した時のこと。

 妹はただ着いてきて。

 何時間、何日、何週間と歩いた。

 腹は減り、喉は渇き、体力も擦り減って。

 もう終わりだと思った時、俺達は出会った。

 後に義母となった、心優しいひとに。

 ああ……願う事なら、もう一度あいたいよ。

 ごめんなさい。ごめんなさい。





「……………!」
「……………」

 俺は突如聞こえてきた誰かの話し声によって、夢から現実に引き戻された。
 湿った目をゆっくりと開くと、そこは見覚えのある天井だった。何処の天井かは思い出せないが、どうやら俺は室内のベッドで寝ていたらしい。

「流石にやばいですって……こんな事がバレたら!」
「病院の前で倒れてるヤツを見殺しにしろと?」

 リーヴァルの声だ、という事はここは病院か。
 俺はゆっくりと体を起こし、魔力が回復しているか確かめるために手を広げて風属性魔術を発動してドライヤー程度の風を起こそうとするが、何も出来なかった。どうやら回復したのは、身体の気怠さだけのようだ。

「やっぱりダメか……魔術抜きでアヴァリスと戦うなんて」

 俺はまだアヴァリスがどんな能力を持っているのかを具体的に知らない。魂を抜き取ったり魔術を吸い取ったりする事から大体推測できるが、というくらいだし、やはり相手から奪う能力が主だろう。

「おっ、起きたみたいだな。どうだ調子は?」

 そんなタイミングで病室の扉が開かれ、リーヴァルが俺に向けてそう告げた。だがその目には心配なんて無く、寧ろ“どうせ平気だろ”みたいな意思すら伝わってくる。

「まぁ……な。そんな事よりグリーバル、メリモアの容態は?」
「……は? 何でおまえがアタシの名前とメリモアの事を?」
「いや何でって、俺は……あ」

 グリーバルは俺がメリモアのことについて話していたのを知っているはず……と思ったが、今の自分は色欲の悪魔であり、加えてグリーバルはそこまで真面目ではない故に名札をしていない。だから初対面で彼女の名前を知る事は不可能である。
 つまり、今のグリーバルの目には俺が“シン・トレギアス”ではなく、数多くいる患者の内の一人にしか見えていないのだ。

「ん?」
「……いや、なんでもない。シンからアンタの名前を聞いたんだ」

 俺は咄嗟の判断でそう言った。とりあえずという事にしておいた。

「ほんっと、アイツは女の知り合いが多いな……じゃあメリモアの事もシンから?」
「あ、ああ……」
「んー、珍しいな。おまえ、まさかシンの彼女?」
「なんでそうなる!?」
「だってアイツ、物事を他人に任せたり頼ったりせず、何もかも自分一人でなんとかしようとするヤツだし」
「あ、あはは……そう、かもな」
「でもそんなヤツがお前にメリモアの事を話したりアタシの事話したって事は、シンにとっておまえはそれだけ貴重な存在って訳。そうなりゃ、彼女しかないだろ?」
「この恋愛脳。単に信頼出来る仲間かもしれないだろ」
「もしそうなら悲しいな。じゃあアタシは信頼出来る仲間じゃないってか」
「違う違うそういう訳じゃない!」
「……何でおまえが否定してんだ?」
「あっ、いや……それは……」
「——あ、まさかおまえ……」

 グリーバルは深刻そうな表情を浮かべ、何かを察したような雰囲気を漂わせた。
 まさか、俺がだと気付いたのだろうか? もしそうだとしたら、嬉しいような……そうでもないような。

「っ……」
「——シンの事が好き過ぎてシンそのものになろうとしてるやべータイプのイカれ女だな!?」

 グリーバルは勝ち誇ったような満面の笑みを浮かべ、まるで名探偵が犯人に向けるかのようにこちらを指さしてそう告げた。

「……ぇ?」

 俺は素っ頓狂過ぎて暫くそのまま唖然していた。
 でも考えてみれば、身を隠す魔術は存在するが、何者かに変装する魔術は存在しないし、ましてや性転換する魔術も存在しない(悪魔は除く)。だからこの世界の住人はまずそういった考えに至らないのだろう。
 第一そんな魔術が普及していれば、この世界は冤罪だらけだろうし。

「いやー納得納得。道理でシンと同じ服着てて、口調もそっくりな訳だ」
「あ、うん……」
「てか疑問なんだけど、その服何処で買ったんだ? そんな服売ってるとこ見た事無くてさ」
「これは……作ってもらったんだ」
「へぇ、オーダーメイドなんだ? 金持ってるね」
「そんな事よりっ! メリモアの容態は!?」

 俺は話を切り替え、グリーバルを急かすように問う。もしメリモアが死んでしまっていたら、アヴァリスを倒しても無意味になってしまう。

「あ、ああ……そうだな。とりあえず一命は取り留めた。けどいつ死んでもおかしくない、だから看護師が付きっきりになってる状況。でもこのままだと……」
「……急がないと」
「バカ言うな! おまえ、今自分がどんな状態かわかってんのか!?」

 俺はベッドから降りてそのまま病院を出ようとするが、グリーバルに止められてしまった。

「それでも……やらなきゃ」
「——おまえの趣味は否定しない。だがシンのそういうトコまで真似るのはやめろ」
「っ……」

 何度も、自分の正体を明かしてやろうと思った。
 自分が悪魔だと知れば、流石の強気なリーヴァルも尻尾巻いて逃げるだろう。そして同時にシンはもうこの世に存在しないと言えば……きっとリーヴァルは気が済むまで俺を殴るだろう。
 でも俺はもうシン・トレギアスとは名乗れない。今まではシンの姿を借りて数年間国民の中に溶け込んでいたが、再び変装をする程の魔力は残っていない。
 ——こんな事なら、シンのフリをして騎士団の協力要請なんて無視して山奥でのんびり過ごしていればよかった。

「どちらにせよ外は雷雨だ。1秒でも出てたら風邪引くぞ」
「馬鹿は風邪引かないって言うだろ」
「ああ……おまえは確かに馬鹿だな。今外がどんな状況か知らない訳だし」
「外が……なんだよ? 雷雨ってだけならどうって事……」
「——英雄であるシンになりすまして、人々を騙していた悪魔だって国民全員にバレてんぞ、おまえ」
「……は?」

 一瞬、リーヴァルの言っている事が理解出来なかった。
 ——シンになりすます? 人を騙した悪魔? 確かにそうだが、それを何故国民全員が知っている?

「アタシも患者も……多分この国にいる全員、突然頭の中に映像が流れてきたのさ。そこには雨の中、病院の前でよくわからない女に剣を向けてたシンがいた」
「それって……」
「その後シンが拘束されて、徐々に身体が女に……おまえになった。いや、戻ったって言うべきか?」

 グリーバルは淡々と頭の中に流れてきたらしい映像について説明した。
 考えてみれば、アヴァリスは突然演技臭い喋り方をし始めていた。恐らくその直前にした指パッチンが、あの場を国民全員に見せる合図だったのだろう。という事は、アヴァリスは一度にかなりの多くの物を奪う事ができるという事になる。今回で言えば……“視界”、もしくは“脳信号”だろうか。しかもそれを一回の指パッチンで。
 ……もう何でもありじゃないか。下手すれば命だって奪えるって事じゃないか。

「……知ってて、何で助けた」
「アタシは看護師長だからな。どんな命も重さは均一、だから助けた」
「やっぱ優しいんだな。でもアンタみたいな人ほど、人に良いように利用されて、痛い目見るんだ」
「その通りなのがなんとも。だが残念ながらこの優しさは純粋な善意じゃない、おまえへ借りを作るためさ」
「……借り?」
「要求はただ一つ。おまえはシンになりすましていた……じゃあ、
「っ……」

 グリーバルの問いに、俺は言葉を詰まらせた。
 確かに俺はシンが得た栄光を浴びて、結果的に人を騙してきた悪い悪魔だ。今更嘘の一つや二つ付いたところで造作も無い。
 だがシンが生きているとも、存在しないとも言えなかった。本音を言うと、もうという名前を聞きたくなかった。シン・トレギアスという存在が、どれだけ人々にとって大きなものだったのかを思い知らされるから。

「答えろ。言っておくが“死んだ”は通用しない。幾らおまえが男を惑わす色欲の悪魔だとしても、グラトニーを倒したシンが負けるとは思えないし」
「……それは、俺と契約を交わすと判断していいのか」
「チッ……そう来たか……」

 グリーバルは舌打ちをして、悔しそうにそう呟いた。
 実際俺は人の不幸なんて興味は無いし寧ろこっちから願い下げなので、契約する気なんて毛頭無いのだが。

「悪いが俺は行かなきゃならない。時間が無いんだ」
「あの女のところか」
「ヤツはアヴァリス。強欲の悪魔だ」
「何故悪魔同士が戦ってる?」
「そもそも悪魔は互いを忌み嫌ってる。だから衝突なんてよくある事だよ」
「……そういう感じに見えないのは、気のせいか?」
「——それ以上は、契約案件だ」
「ふぅん……」

 俺の言葉に、リーヴァルは不満そうにも何かを察したようにも聞こえる微妙な声色で唸った。
 そんなリーヴァルを無視して、俺はハンガーに掛かっているシンの服を羽織ると何も言わずに病室を出た……が。

「きゃぁああっ!!」

 病室を出た途端、俺の姿を見た看護師がいきなり悲鳴を上げた。
 その悲鳴を聞きつけたのか、患者や診療に来ていた人、単に雨宿りで病院内に居た人達が集まってきた。

「アイツ、頭ん中に出てきた……!」
「シンになりすまして俺達を騙したクソ悪魔だ!」
「シンの栄光はお前のものじゃない!!」
「悪魔め……人間様を見下しやがって!!」
「俺達はテメェら悪魔の玩具じゃねぇ!!」

 ここに居る誰もが俺を睨みつけていた。人は裏切られると、内に秘めたる悪意が一気に膨張して関係ない事まで含めた怒りや恨みを……誰から見ても悪いヤツに向ける。

「……こうなるのがわかってたからおまえを外に出したくなかったんだ」

 背後から、リーヴァルの小声が聞こえてきた。
 道理で、やたら俺を引き留めていた訳だ。本当に、優しいヤツだ。

「失せろクソ女がッ!!」

 すると、ガヤの一人が近くに置いてあったガラス製の尖ったデザインのインテリアを俺の顔を目掛けて投げてきた。それは俺の横を掠っていき、不幸にも尖った部分が俺の頬に触れ、切り傷を残していった。

っ……」

 人間の攻撃は悪魔には通用しない筈だが、悪魔の中で色欲の悪魔は人間扱いな為か、どうやら傷は付くし痛みも伴うようだ。

「おい! 病院のもん投げんなッ!!」
「み、見て……! 傷が治っていくわ……!」

 俺は頬の切り傷から垂れる血を拭おうとするが、指には何も付着しないどころか傷跡の感触すら無かった。

「こ、このバケモノが!!」
「……」

 罵詈雑言を浴びせられながら、俺は聞こえないフリをしてそのまま病院の外へ出ようと足を一歩踏み出す。すると人々は俺を恐れているのか距離を置こうと離れていく。お陰で道が出来て歩き易かった……が、何者かが足を引っ掛けてきて、俺はその場に情けなく転んでしまった。

「今だ、シンの無念を晴らせ!!」

 途端、倒れた状態の俺に、人々は一斉に飛び掛かってきた。踏みつけられ、殴られ、髪を引っ張られ、唾を吐き掛けられた。中には服を破って胸や尻を物凄い力と勢いで直に揉んできたり、腋を舐めてきたり股に無理やり指を入れようとしてくる者までいた。
 今ほど、人間の悪意と卑劣さを体感した瞬間は無かっただろう。暴力だけでは飽き足らず、どさくさ紛れにセクハラなんて……晴らそうとしているのはシンの無念じゃなくて、自分の中の鬱憤と性欲じゃないか。俺のような無抵抗の悪人を生きたサンドバッグか何かだとでも思い込んでいるのだろうか?

 ——数分間くらい、俺はされるがままだった。
しおりを挟む

処理中です...