慟哭のシヴリングス

ろんれん

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黎明F -審判編-

第9話 偽装

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「……要するに、あの時に実はクリムは死んでいた。それで生き残ったメリモアがクリムを蘇らせる為に契約を交わした、ってことか」

 アヴァリスの口から語られた、メリモアが交わした契約の真相を俺は要約した。
 何よりあの時に助けた人達の中にクリム達が居たとは。あの時は俺も急いでいたし、人を助けたという記憶はあっても顔は覚えていなかった。
 ——確かにあの時のクリムは瓦礫に埋もれていたはずなのにやたらと無傷だったのが不思議に思っていたが……まさかその理由が契約によって蘇っていたからだったとは。

「そういう事。この事実がどんな意味を齎すか、貴方にはわかるわよね」
「……」

 俺は現実から目を逸らすかのように、目を瞑って視界を塞いだ。

 実は、悪魔の契約を破棄して無かった事にする手段がある。それは、。しかし普通の人間に悪魔を倒す事は不可能な為、有って無いようなものではある。
 しかし俺なら、悪魔を倒す事が出来る。だからアヴァリスを倒せばメリモアの呪いは解け、全ては丸く収まる……と思っていた。
 だが過去にアヴァリスが契約した相手がメリモア自身であり、その願いがクリムの蘇りであるのならば……アヴァリスを倒せば、メリモアの呪いは解けるがクリムは死体に戻る。しかし倒さなければメリモアは死に、クリムだけが残る。

「……さて、どうするのかしら。兄を殺すか、妹を見殺しにするか。あぁ、でもメリモアの容態が急変したんだったわね? 早く決断しないとメリモアが死んでしまうわよ?」

 両方を救う手段など無い。だから片方を犠牲にしなければならない。
 突如、何の前触れもなく雨が降る。妹を失うかもしれないクリムの悲しみ、一度兄の死を目の当たりにしたメリモアの絶望……それらを表すかのような、強く強く打ちつける雨。
 ——覚悟を決めて目を開けてゆっくりと短刀を鞘から引き抜いた途端、雷が轟いて、雨はより一層強さを増した。

「……そう。兄の犠牲が貴方の答えなのね」
「犠牲、違うな。ただあるべき姿に戻るだけだ」
「冷酷ね。それでも国を救った英雄さまかしら」
「俺は英雄でもヒーローでもない……ただの汚れ役だ」

 そう告げると、俺は刃をアヴァリスに向けた。
 当然メリモアは自分が生きる事など望んではいないだろうし、兄を死人に戻すのも望んではいない。だから俺の選択は……メリモアにとって残酷なものだろう。
 両親を失って、友人も失って……そんな中でずっと二人きりで過ごしてきた時間を、俺はこれから無碍にするのだ。

「そもそも貴方、この私を倒せるのかしら?」

 突然アヴァリスは指をパチンと鳴らすと、まるで舞台上で演技をする役者のように大袈裟にそう言った。

「やれるやれないじゃない、やるんだよ」
「実力を心配している訳ではないわよ。シンは幾度も悪魔を葬ってきた……神の力をも得たグラトニーすら倒してみせたんだから」
「何が言いたい?」
「——本気で戦うのなら、
「っ!」
「気付いていないとでも思ってたのかしら? 残念ながら私には隠しても無駄。何故なら……
「……」
「やるなら本気で戦いましょう? だからほら……本当の貴方を晒しなさい」
「……これが俺の本来の姿だ」
「そう? なら貴方に付与されている魔術を払ってみましょう!」

 アヴァリスはニヤリと悪い笑みを浮かべると、再び指をパチンと鳴らした。
 途端、俺の周りを囲うように魔法陣が浮かび上がる。俺はその場から離れようとアヴァリスに向かって走り出したが、その瞬間に何処からともなく鎖が飛んできて、俺の手足を拘束した。

「ぐっ!!」
「さぁ……数多くの人間を騙してきた、その可憐ではしたない姿を晒しなさいッッ!」

 アヴァリスは興奮しているのか高々と叫ぶ。直後、視界がぐらりと揺らぎ、猛烈な脱力感に襲われた。しかし明らかな危機的状況であり、俺自身も焦りを隠せないにも関わらず何故か身体が火照ってくる。まるで身体の内に隠されたものが膨らんで、今にも飛び出してきそうな感覚だ。

「うっ、ぅぁあっ……あぁああっ!」
「あら……魔力を抜かれて快感なのかしら?」
「ち、ちがっ……ぁ」
「口ではそう言っても、身体は正直なようね? ほら……もうお胸がふっくらしてきた」
「っ!?」
「ほらほら髪も伸びて、くびれも出来て……まるで女の子」
「そんなっ……えっ……あぁ……!」

 俺は自分の声が女のように高くなっていた。自分の身体が徐々に女になって……いや、戻っていく感覚は絶望でしかなかった。身体の内部構造が男性から女性の作りに変わっていく感覚は不快だった。
 髪は伸び、声は高くなり、身体は女性的なスタイルに戻ると、手足の拘束は解かれた。しかし殆どの魔力を抜き取られたからかそのままその場に倒れ込んでしまった。

「ウフフッ、まるでレイプされた後みたいな姿ね、シン……いいや、?」

 雨に濡れ、泥で汚れ、魔力を失った哀れな女……俺をまるでペットでも見つめるような目で見下ろしながら、アヴァリスは興奮で顔を歪めて……俺の本当の名を告げた。そして再び、指をパチンと鳴らす。

 ——そう、この世にシン・トレギアスは……フェリノートの兄はもう存在しないのだ。

 色欲の悪魔の姿へ戻ってしまっただけでなく、体内の魔力を殆ど抜き取られてしまい、俺は何も出来ずその場に倒れ込むしかなかった。拳を突き出せば顔面にパンチ出来るほどの距離なのに、それすら出来なかった。

「ああ……国を救った気高き英雄さまが、女になって泥塗れ……無様で可愛いわね。私も魅了されちゃったのかしら? まぁ、そんな訳ないけれど」

 アヴァリスは睨みつける事しかできない俺を煽る。
 悪魔を倒せるのは悪魔と……ごく一部の選ばれし人間だけ。俺が悪魔を倒せていたのは、俺自身が悪魔だからである。
 しかし色欲の悪魔は戦闘用の魔術を殆ど持ち得ておらず、人を惑わす……それこそ、デバフ魔術しか持ち得ていない。しかもその魔術は戦闘には一切応用出来ず、人間相手にしか通用しない。何故なら、色欲の悪魔の魔力源は人間の精力……だから人を魅了して騙して、精力を吸い取って生きていかなければならない。
 故に最も最弱で異質な存在である為、悪魔の中ではもはや人間扱いされているのだ。
 ——即ち、色欲の悪魔は

「……ふぅ、たまにはこう言うのもいいわね」
「お前の、目的は……何だ……」
「なぁに? よく聞こえないわ……ねッ!!」

 アヴァリスは、力無く倒れ、掠れた声で言う俺を勢いよく踏みつける。

「がはぁッ!」
「私の目的? それは……再びを起こす事よ」
「ラ……ラグナ、ロク……?」
「簡単に言えば……定められた生贄の魂を捧げ、全人類を下級悪魔に変貌させる儀式。要は人類滅亡ね」
「その為に魂を……!?」
「その通り。ついでにメリモアの命も削り始め、クリムが妹の病を治そうとするのを利用して、彼に魂の選定や回収を手伝ってもらっていたの……契約の前払い、なんて嘘をついて」

 アヴァリスはラグナロクという恐ろしい儀式を起こす為に魂を集めていた。どういう基準かはまだ不明だが、被害者の女性達はみんな生贄の条件に該当していたのだろう。
 そしてクリムが魂を集めるのを手伝っていたのは、それがメリモアの病(※実際は呪い)を治す代償だと告げられていたから。つまりクリムは本人がそう思い込んでいるだけで、そもそもアヴァリスと契約なんてしていなかったんだ。

「何故……そんな事を……!?」
「妹を救う為に多くの犠牲を払ったのにそれでも治らなかった、でも人を実質死に至らせたのは自分自身、更に悪魔と契約した事で重罪人扱いだなんて……最高の不幸だとは思わない?」
「そんなことの、為に……!」
「それだけじゃないわ——貴方を絶望させる為でもあるのよ、色欲の悪魔」
「なっ……?」
「悪魔のくせに、人間に媚び売って縋って生きているのが見ていて不快なの……人間を騙し、共存しなければ生きていけない貴方が、私達と同格の悪魔として存在している事が気に食わない……!!」

 アヴァリスはギリギリと歯軋りしながら俺のお腹を強く踏みつける。色欲の悪魔に対する怒りが痛みを通じてじわじわと伝わってくる。俺を睨みつけるその目も、不快な物を見つめる時のそれだった。
 アヴァリスは自分が悪魔であるという事に誇りを持っているのだろう……にも関わらず俺は何故だか、怒りとはまた違う……言ってしまえば、のような感情も感じ取った。

「アヴァ、リス……アンタ……」
「……ふぅ、取り乱したわ。でももうすぐ貴方の、今よりももっと無様で絶望的な姿を拝めるのだから……ふふっ、うふふ……アハハハハハハッ!!」
「ま、待て……!!」

 高らかに笑いながら隙だらけの背中を向けて去っていくアヴァリスに、俺は手を伸ばしながら願うようにそう言った。しかし当然アヴァリスは待ってはくれず、ただ背中が遠ざかって……やがて霧の中へ消えていった。
 雨はなお降り続ける。雷も轟いている。そんな中で俺は、立ち上がる気力すら無くただ倒れている事しか出来なかった。

「くっ……うぁあっ……ぁあああああ……!!」

 ——俺は掠れた声で嘆いた後、気を失ってしまった。
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