慟哭のシヴリングス

ろんれん

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黎明F -審判編-

第3話 対峙

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 重い足取りで王宮へと向かう。エアトベル王国は様々な種族が行き交う国であるが、今回は通り魔事件の影響でやはりすれ違う者すら居ない。
 ただ賑わってないだけにも関わらず、風の音と足音しか聞こえないエアトベル王国はまるで別世界のようだった。

「ァ……ア……」

 突如、普段であれば聞き逃すであろう掠れた弱い女の声が聞こえ、俺とフェリノートは足を止める。

「い、今のって……もしかして」
「ああ……人が出歩かなくなったことで、白昼堂々出てきたのかもな」

 俺はそう告げ、いつ襲われても反撃出来るように腰の短刀に手を掛けて警戒する。その直後、ボロボロの服を着た女がおぼつかない足取りで路地裏から姿を現した。
 しかしどうやら襲われたから服がボロボロになっている訳では無さそうだ……という事は。

「ア……アァ……だず、げ……」

 ボロボロの女は、俺達を見るとこちらに救いを求めるように手を伸ばして歩み寄ったが、その手が俺達に届く前に力尽きてしまった。
 倒れた拍子に女の体の至る所から汚い液体が外に流れ出てきたが、明らかに液体とは違う……例えるなら、半透明な風船のような何かがすう、と浮き上がってきた。

「——まったく、貴方は私が居ないとダメな子ね……危うく貴重な魂を取り損ねていた。次からは気をつけて」

 すると今度はカツカツというヒールの足音が聞こえ、路地裏から変わった服装の女が姿を現す。ソイツはボロボロな女の体から出た半透明の風船……魂を優しく丁寧に掴むと、それを吟味するように低い声で言った。

「オレは魔術なんて大層なモン教わるほど恵まれた環境で育ってねぇんだよ……ケホッ、ケホッ」

 すると今度は大きな鎌を持った黒ずくめの男が魂を吟味する女に咳き込みながら返答して路地裏から出てくる。……そこの路地裏は、舞台のバックヤードか何かなのか?

「アンタらが例の通り魔か……!」
「あら、こんにちはシン。まさかこの国を救った有名人に会えるとは思っていなかったわ」
「し、シンだと……!? あぁ……くそッ」

 女は馴れ馴れしく歩み寄る。しかし男はため息を吐きながら頭を抱えている。
 俺の考察が正しければ、このどちらかが……悪魔。両方悪魔という可能性は低いだろう。悪魔は同業者を嫌うゆえ、手を取り合うという事もない。

「ああ、自己紹介が遅れたわね。私は強欲の悪魔“アヴァリス”」
「強欲……やはり悪魔が絡んでたか!」

 女はそれが礼儀だと言わんばかりに一度立ち止まって、自分の素性を明かした。

 ——強欲の悪魔、アヴァリス。

 悪魔は全部で7種類存在し、傲慢、嫉妬、憤怒、強欲 、怠惰、暴食、色欲があり、これらを総括してと呼ばれている。厨二病を経験した者なら一度は耳にした事がある筈だ。

「そして、彼はクリム・クレキュリオス」
「おい、何でオレの名前言っちまうんだよ」
「私の単なるイタズラ心。……と言えば、信じる?」
「……なんだっていい」
「女の魂を集めて、何が目的だ!?」
「あら、これ以上は教えてあげない。でもすぐにわかるはずよ……シンならね」
「何……?」
「では失礼するわね。後は時が来れば良いだけだし、ゆっくり休ませてもらうわ」

 アヴァリスは勝ち誇ったような表情を浮かべると、そんな捨て台詞を言って姿を消した。辺りには、鴉の羽根のようなものが舞った。

「待てッ!! ああ、話なんか聞かずさっさと斬れば良かった……!」

 俺は鴉の羽根に怒りをぶつけるように強く踏みつけ、腰の刀から手を離す……が、目の前にはまだクリムの姿があった。どうやらアヴァリスはクリムを置いていったようだった。

「アイツ……毎回オレを置いて……ケホッ、ケホ」
「逃すと思うか?」

 そそくさと情けなく逃げようとするクリムに対して俺は即座に距離を詰めて、少しでも動けば血が噴き出るという位置に刀を押し当てる。

「いいのか? 人を殺す所を、血を妹に見せて」
「ッ……」
「少しでも動けば、お前はオレを殺してしまう。妹の目の前で、殺人者になれるのかよ。血に塗れた自分を見せれんのかよ……?」
「……くそっ」

 俺は刀を下ろすと、代わりにクリムを蹴り飛ばした。何もせず逃すのも、それでクリムの思い通りになるのも癪だったからだ。
 しかし蹴り飛ばされたクリムは俺に野次を飛ばす訳でも無く、好機と言わんばかりにそそくさと逃げていった。その背中は、実に情けなかった。

「……お、お兄ちゃん?」

 ふと、ずっと怯えていたフェリノートがようやく声を出した。

「悪い、逃してしまった。ひとまず王宮に行こうか」
「……うん」

 何故だか気まずい空気のまま、俺達は王宮へと向かった。





「うわぁあっ、パパとママに会えるのいつぶりだろー!」

 厳格な空気漂う王宮を前に、フェリノートのはしゃぐ声が響き渡る。先程までの気まずい空気はどこへやら……まぁずっと重苦しいよりかはマシか。
 というかとか言ってるが、前回会ってからそこまで日数は経っていない筈だ。まぁ俺が極力会いたくないからそう感じるのかもしれないが。

「お嬢様、王宮前ではしゃぐのはおやめください」

 門番が厳つい表情一つ変えず、しかし声色は優しくしてフェリノートを注意する。

「あ、ごめんなさい……会えるのが嬉しくて」
「国王様と王妃はいつでもお嬢様を歓迎していますよ。もちろん、シン様の事も」
「……そうか」

 俺は気まずそうに言って門番に小さく一礼すると、まるで敵のアジトに潜入するかのように足音を立てず王宮の中へ入っていった。背後から“ちょっと待ってー”という声とドタバタという王宮に相応しくない足音が聞こえてくる。

「声が聞こえたのでもしやと思ったが……やっぱりフェリノートだったんだね!」

 すると、前から爽やかな声が聞こえてくる。
 髪色はフェリノートと同じく薄いオレンジ、緑色の瞳……同じ遺伝子をフェリノートは継いでいるんだと感じさせる容姿をした者——デリシオス・ヴァン・エアトベル国王が、嬉しそうな笑みを浮かべてこちらに歩いてきていた。
 その隣には、艶やかな黒髪が綺麗な女……イェレス・ヴァン・エアトベル王妃の姿もあった。

「パパー! ママー!」
「おかえり。シン君のと日々は充実しているかい?」
「うん!」
「それはよかった! いつもフェリノートを守ってくれてありがとう、シン君」
「……兄として当たり前の事をしてるだけだ」
「シン……やっぱりここで暮らす気は無いの?」

 ふと、イェレスが深刻そうな表情で俺にそんな事を問う。ここに来る度、いつもイェレスに……俺の母親に問われるのだ。しかし幾ら時間が経とうと俺の返答は変わらない。

「俺みたいな紛い物は、ここに住む権利なんて無い」
「紛い物……自分をそんな風に言わないでくれ、シン君」
「実際そうだろ!? 俺は……俺は……!」

 俺はデリシオスが国王として生きていられなくなるほどの秘密をいくつも抱えている。それを言ってしまえば、目の前の幸せそうな……忌々しく暖かい空気を破壊する事だって出来る。

「……ここには、相応しくないんだよ」

 ——言い掛けて、やはりやめた。
 この家族と居ると、俺の心の中ではずっとせめぎ合っているのだ……幸せは壊してはならないという思いと、その幸せが妬ましいという思いが。
 どんな事情があろうと、どんな思いがあろうと……やはり他人の幸せを壊す事などあってはならないのだ。過程がどうであれ“終わりよければすべてよし”という言葉の通り、幸せならOKなのだ。

「シン君……」
「……フェリノートを頼む。それじゃ」

 俺は突然そう告げると、目の前の家族に背を向けて王宮から去ろうとする。

「えっ!? ちょっと待ってお兄ちゃん、どういう事!?」
「シン君、どうして君はいつもそうなんだ」
「……悪い。情けない事を言うが、フェリノートを守り切れる自信がない」
「お兄ちゃん……」
「それはもしかして、巷で騒ぎになってる通り魔事件が関係しているのかい?」
「ああ。被害者はみんな女性、つまり……フェリノートも狙われるかもしれない。だから俺の近くに居ると危険だ、だから安全な場所に居させてあげたいんだ」
「……わかった。何があっても君の妹を、我が子を死守してみせよう」
「ち、ちょっとパパまでっ!? 確かに私は足手纏いかもしれないけど……これからはずっと一緒だって約束したじゃん!!」

 フェリノートは自分の意思とは反して、俺と離ればなれになるのを拒んで叫ぶ。その声は、王宮中に響き渡っていただろう。
 ……確かに約束はした。“片方を仲間外れにせず、どんな幸福も二人で共有し合い、不幸も肩代わりしよう”と。
 しかし悪魔という存在は俺から多くのものを奪っていった。それが俺の中で半ばトラウマになってしまっている。だから今回の騒動が悪魔絡みとなるとどうしても神経質になってしまう。
 俺は何も言わず、フェリノートとは目を合わせずに俯きながら、そのまま背を向けて王宮を出ていった。

「——ごめん。今だけは、約束破るのを許してくれ……俺は……もう……」
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