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2巻
2-2
しおりを挟む夕食の後、私は屋敷のテラスで夜空を見上げていた。いつもそばに誰かが控えていた公爵令嬢の頃と比べると考えられないが、一人でぼんやりしているのだ。
この屋敷は、近くの村とも距離があるから、夜道を歩いてくる人はほとんどいない。何より、ただの平民の私を襲う利点などないのだから、心配は要らない。
そんな訳で、この屋敷の近辺では一人での行動が許されている。
エードルンド郊外の夜空は、まるで宝石をちりばめたかのよう。美しい夜空をぼんやりと眺めるのが、私の最近の日課だった。
アレンフラールに置いてきた家族も、同じ夜空を見上げていると思うと、少しだけ心が慰められる気がする。そんな気持ちになるのも、さっきまでみんなからもらった手紙を読んでいたからかもしれない。
「どうした? 浮かない顔だな」
いつのまにテラスに来ていたのか、背後からクロードの声が聞こえた。
私は視線を空に向けたまま、その声に応える。
「ちょっと、手紙に気になることが書かれていてね」
「気になること?」
「うん……アンナ様からの手紙の内容が、少し」
「ふむ」
アンナ様――アンナ・マケール。彼女は、アレンフラールで蔓延したペストを収束させるために、一緒に尽力してくれた令嬢だ。
彼女は私と同じく前世の記憶を持っていた。彼女曰く、この世界は前世でやっていた乙女ゲームに酷似しているらしい。彼女はゲームのヒロインポジションなのだそう。ちなみに、私レティシア・シャリエールは悪役令嬢ポジションだとか。
それはさておき、アンナ様からの手紙は、私を憂鬱にさせた。
手紙には、ここエードルンドが乙女ゲームの続篇の舞台だと書かれていたのだ。
そして続篇にももちろんヒロインがいて、彼女はこの世界では珍しく黒髪、黒と水色のオッドアイの瞳を持つらしい。彼女はその容姿から目立ってしまい、様々なトラブルに巻き込まれるのだという。アンナ様はその続篇ヒロインのことを懸念しているということだった。
私は今のところそんな子に心当たりはないが、続篇ヒロインの周りがトラブルだらけというのは気がかりだ。せっかく平穏が訪れたのに、それを脅かされるなんてまっぴらごめん。
しかし私とアンナ様に前世の記憶があることは秘密なので、クロードにこの話はできない。悩みこんでいると、ふっと肩に重みを感じた。
見ると、そこには少し無骨だけど綺麗な手が置かれている。クロードの手だ。
「何かあっても大丈夫だ。俺がなんとかしてやる」
「あら? 王子様じゃなくなったのに、大丈夫なの?」
少しのからかいを込めて思ってもないことを尋ねる。クロードを見上げたら、彼は不敵な笑みを浮かべていた。
「俺のすべてをかければ、大丈夫に決まってるだろ」
「ふふ、そうね」
「それに、ほら、見てみろ」
クロードが左手を差し出してくる。特に何の変哲もない左手だったが、少しずつ甲に紋章が浮かび上がってきた。それは、とても見慣れたもの。
「クロード、これって――」
「ああ、王家の紋章さ。今じゃこんなの、飾りみたいなものだが、いざとなれば、はったりくらいには使えるさ」
「何よ、それ」
私は笑みを浮かべながら、じんわりと伝わる熱を確かめるように、クロードの紋章の上にそっと自分の手を重ねた。
次の日、私はいつものように仕事の準備を整えていた。
通常、三つの村を一日おきに回り、それ以外の日は屋敷で患者を待つことにしている。今日は屋敷で待っている日であり、屋敷の一室を使った治療院で資料の整理などをしていた。
そんな折、唐突に屋敷の入口あたりが騒がしくなる。気になって様子を見に行くと、ぐったりとした黒髪の少女が、近くの村に住む男性に抱えられて運び込まれたところだった。
「急患!? 大丈夫ですか!?」
私は慌てて、床に寝かされた女の子に駆け寄り、声をかける。無反応だが、大きな怪我や出血をしている様子はない。それに呼吸と脈はあり、救命措置が必要なほどの緊急性はなさそうだ。
私は、静かに呼吸をしている女の子を眺める。年は十代後半くらいで、このあたりでは見かけない顔だった。着ている服は上等で、貴族の令嬢のような雰囲気が漂っている。
私は不思議に思って、彼女を運んできてくれた村人に声をかけた。
「この子は?」
「うちの村の前で倒れててよ。声をかけても起きないもんだから、連れてきたんだ。……大丈夫かい? この子は」
私は彼女の肩を揺すり、再び声をかける。彼女はくぐもった声を出すものの、目を覚ます様子はない。
「倒れていた時、この子に変な様子はなかった?」
「いや……なかったと思うが……」
「そう……。しばらくうちで様子を見ようかしら。ありがとう、連れてきてくれて」
私の屋敷と彼の村はそれなりの距離がある。行き倒れた少女のためにここまで来てくれた彼を労うと、そのまま彼女を引き取った。
そして、クリストフを呼んで少女を客間のベッドに運んでもらう。
改めて診察をしたいのだけど、その前に彼女が全身土で汚れていることが気になった。
「シュザンヌ。お湯と布を持ってきてくれる? 倒れていたからか、少し汚れているのよ」
「はい、すぐに」
走り去るシュザンヌの背中を見送ると、私はもう一度意識レベルを確認するために少女の肩に触れて、声をかける。
「もしもし、大丈夫ですか?」
変わらず反応はない。次に刺激を与えるべく手の爪を圧迫すると、彼女は顔をしかめ、手を引っ込めた。
とりあえず反応が見られて、私はほっと胸を撫で下ろす。
続けて呼吸と脈拍を診ると先ほど同様異状がないので、瞳孔の確認に移る。
私は彼女の瞼を指で押し開けて、瞳を覗き込んだ。すると、片目の瞳は真っ黒で、もう片方は透き通るような水色だった。
「珍しい……」
オッドアイを見たのは、前世でもこの世界でも初めてだ。驚きつつ、その二つの瞳の中に小さな瞳孔を確認する。こちらも問題はない。
その後は外傷がないか診たけれど、あったのは転んだ拍子にできるくらいの小さな擦過傷のみ。
とりあえず、様子を見ていればいいか――そう思った瞬間、私はふと引っかかりを覚えた。
「……黒と水色のオッドアイ?」
アレンフラールでもエードルンドでも、瞳の色は茶色系が多く、私の緑色の瞳も少ない方だ。オッドアイが珍しいのはもちろんだが、漆黒の瞳も水色の瞳も、この世界では稀なはず。
「それに……よく考えれば、髪の毛も黒いし」
黒髪もこの世界では見かけない。
それほど希少な、黒髪に黒と水色のオッドアイという特徴的な人物に、私は心当たりがあった。
そんな人物の話を教えてくれたのは、アンナ様。一昨日届いた彼女の手紙に書かれていたのだ。
私は手紙の内容を詳細に思い出す。
『……言い忘れておりましたが、前世のゲームには続篇がございました。その続篇はエードルンドが舞台となっており、当然、私と同じようにヒロインがおります。そのヒロインは十七歳で黒髪で――』
「まあ、年齢はそれくらいかしら? しかも黒髪で」
『目は大きく、鼻や口は小さく、いわゆる美少女顔で――』
「たしかに美少女っぽいわね……」
『瞳の色は黒と水色。左右で色が違う、オッドアイです』
「うん、その通り……」
よくよく見ると、アンナ様の手紙に書かれていたヒロインとこの少女は、外見の特徴がまったく一緒だ。つまり彼女が、ゲームの続篇で出てくるヒロインなのだろうか。
「えっと、ここまで来てトラブルとか……起きないよね?」
私は不安に苛まれながら、神様に確かめるかのようにつぶやいたのだった。
屋敷に運ばれてきた少女は、翌朝、幸いにも目を覚ました。
私が客間を訪ねると、彼女は長い黒髪を揺らしながら、深く頭を下げる。
「ありがとうございました!」
もう意識がはっきりしており、彼女はステファニー・モーリアと名乗った。
事情を聞くと、彼女は村近くの丘で花を摘んでいたところ、誤って崖から落ちてしまったのだという。そのせいで、きっと脳震盪を起こしたのだろうが、後遺症は見られなかった。
彼女の体にはやはり擦り傷しか外傷はなく、意識障害も認められないため、とりあえず治療の必要はない。
「大事に至らなくてよかったわ。それでも傷は痛むでしょう? 大丈夫?」
「はい。治療していただいたおかげで、元気いっぱいです!」
彼女を見ているうちに、私は確信した。やっぱりヒロインだわ、この子。
よく笑い、笑顔が可愛らしくて、素直。とにかく可愛いとしか言いようがない。
その可愛さにほだされてか、シュザンヌも彼女と雑談を交わしながら笑みを浮かべている。
その雑談の中に気になる話があったので、私は口を開く。
「不思議ね、ステファニー様は家名を持つのに貴族じゃないなんて。アレンフラールでは、家名があるのは貴族だけだったのよ。ねぇ、シュザンヌ?」
「エードルンドは変わった王政を敷いておりますから。貴族という身分制度は存在せず、その代わり商家が力を持っているのですよ。国の大部分は商家が治めているのだとか」
シュザンヌの説明に、ステファニー様が補足する。
「商家の中でも、国王陛下から認められた七つの商家は、家名を持つことを認められております。その七大商家が、国の政治にも関わっているのです。我がモーリア家はその一つですわ」
単純に、アレンフラールでいうところの貴族が、エードルンドでは商家と呼ばれているという話ではないようだ。
エードルンドが貿易国である以上、商いに関する力はこの国ではとても重要なのだろう。商人が国の政治に関わるということは、国の方針として利益優先の考え方なのかもしれない。
私は「ふーん」と相槌を打ち、話を変える。
「そういえば、ステファニー様はどうしてこんな郊外に一人でいらっしゃったの? 大きな商家の方ということは、街にお住まいなのでしょう? わざわざ採りに来なくても、お花を手に入れられたはずでは」
「ああ、それは……」
ステファニー様はどこか恥ずかしそうに俯く。その愛らしい仕草に、私はくらっとした。
「このあたりはとても景色が美しいと聞きまして、どうしても見てみたかったのです。その道中に綺麗なお花を見つけまして、つい欲しくなって……。もう一つの目的は、このあたりにある大きな空き屋敷だったのですが……それはレティー様に先を越されてしまったみたいですね」
「もしかして、この屋敷――」
「景色の素敵な場所に空き屋敷があると首都で聞いて、購入したいと思い、下見に来たのですが……情報が古かったようです。残念ですけど、レティー様との得難い出会いがありましたから、無駄ではなかったのかもしれません」
「まぁ!」
あぁ、なんて素敵な子なんだろう。お目当ての屋敷がすでに私達の手に渡っていたというのに、そんなことを言ってくれるだなんて!
ヒロインが現れたらトラブルに巻き込まれるのではと疑っていたが、そんな自分が恥ずかしくなるほどいい子だ。
「ステファニー様はとても素敵な方なのですね。私達に横取りされたような気分になっても、おかしくありませんのに」
「そんなことは……私も七大商家の娘ですから。正式な手続きを踏んだ上で先を越されたのなら、仕方ないでしょう。レティー様には何の落ち度もありません」
「そう言っていただけると嬉しいです」
そう言って笑い合う。なんだか、とてもほっこりできる時間だった。
ひとまず私の気持ちも落ち着いたところで、そろそろいいだろうか。
「でしたら、もうよろしいでしょうか、ステファニー様」
「はい、えっと、何がでしょうか?」
「シュザンヌ、そろそろ頃合いよね?」
「ええ。いい時間かと思います」
「じゃあ、さっそく――」
私は言葉を切って、立ち上がる。ステファニー様を見下ろす形になったが、許してほしい。
ステファニー様は私の雰囲気が変わったのを感じたのか、表情がやや硬くなる。そんな顔まで可愛いとは……反則級だよ、ヒロイン様。
「朝ご飯を食べましょう」
私は笑顔のまま客間を出ると、ステファニー様を置き去りにして脇目も振らず食堂に向かう。
もういい加減限界だ。朝はしっかり食べる派の私のお腹の虫は、ぐーぐーとすさまじい音を立てていた。
そのまま食堂に向かい、シュザンヌと一緒に朝食の準備を始めた。それを脇から興味深げに眺めているステファニー様と時おり言葉を交わしながら、あっという間に作り終える。
ちょうどその時、クロードと訓練を終えたクリストフが食堂にやってきた。
「お、うまそうな匂いだな」
「今日はいつもより早いのだな。手伝えなくてすまない」
「昨日うちに来た女の子が目を覚ましたの。体調はもうすっかりいいみたい。ステファニー・モーリア様よ。ほら、早く食べましょう? もうお腹ぺこぺこなのよ」
私はステファニー様に着席を促すと、そのまま「いただきます」と言って食事を始めた。
しかし、彼女はどこかぼんやりとした様子でクロードとクリストフを見つめていた。心なしか、頬が紅色に染まっているようにも見える。
「あの……ステファニー様?」
返事はない。ただの可憐なヒロインのようだ。
……あれ、大丈夫? 体調が悪い訳じゃないよね?
「ステファニー様! 大丈夫ですか?」
「はっ、はわわ! すみません、レティー様!」
ちょっと強めに声をかけると、ステファニー様はハッとする。そして慌てて食事を始めた。だが、彼女の視線はクロード達から離れない。
ステファニー様は、私にそっと耳打ちをしてくる。
「お二人のお名前はなんとおっしゃるのでしょうか? もしかして、レティー様とお付き合いをされているとか?」
「クロードとクリストフ? そんな仲じゃないわよ。クリストフは私の騎士で、クロードは私への恩返しのためにそばにいるだけだから」
「そうなんですね……クロード様とクリストフ様……」
ステファニー様は頬だけでなく目も潤んで、ほのかに色っぽくなっている。そんな彼女に、クロードがほほ笑みかける。
「ステファニー嬢といったか。もう体調はいいのか?」
「はっ、はい! はじめまして! ステファニーと申します! もうすっかり元気です! ご心配をおかけしました!」
「そうか。まあ、昨日倒れたばかりだからな。少しここで休んでいくといい」
クロードに続き、クリストフが温和な笑みを浮かべてステファニー様に話しかける。
「それはそうと、家の者が心配しているのではないか? 連絡を取る手段はあるのか?」
「えっと、それなのですが、お手紙を出せるといいなと思っているのですが……」
「ふむ。それでは、後ほど手紙を書くといい。近くの街まで持って行ってやろう」
「は、はい! ありがとうございます!」
そんな他愛のない話から、三人は雑談に興じていく。
すっかり蚊帳の外にいる私とシュザンヌは、三人の様子を見ながら小さく言葉を交わした。
「これって……そういうことかな?」
「そうでしょうね。明らかに、恋する乙女の視線です」
目の前で恋に落ちた女の子を見て、私もどきどきする。
クロードもクリストフもイケメンだから、無理もない。
スタイルがよく色気のある美形のクロードと、穏やかながらもたくましさを感じさせるクリストフ。どちらも女性受けがいいこと間違いない。
こうして美男美女が並んでいる様子は目の保養になりそうだから、よしとしよう。うん。
私はそんなことを思いながら、食事を再開する。
けれど、いつもみたいに食事に集中することができず、つい三人をちらちら見てしまう。そのたびに、なぜだか胸が少し痛んだ。思わず胸に手を当てて、顔を歪めてしまう。
「……大丈夫ですか? お嬢様」
「ん? ええ、大丈夫よ。ほら、シュザンヌも食べて?」
私はとっさにその痛みに蓋をして、笑顔を作った。
視線を戻すと、やっぱりステファニー様がクロードやクリストフと話をしながら、楽しそうにころころと表情を変えている。クロードの表情は柔らかいし、クリストフも心なしが饒舌だ。
そんな三人から意識を逸らすように、私は目の前のパンを小さくちぎり、口の中に放り込んだ。
翌日の早朝、日が昇りはじめた頃。自室のベッドで寝ていると、シュザンヌがやってきた。
「お嬢様。レティーお嬢様」
シュザンヌの様子が普段と違う。
こんな朝早くに何か起こったのだろうか。私はベッドの上で体を起こすと、一度大きく深呼吸をする。そして、背筋を伸ばし、シュザンヌを見つめた。
「何かあった? シュザンヌ」
「はい。ちょうど今、近くの村の者が食材を持ってきてくれまして。交換できるものがないので、お金を支払おうとしたのですが……貯えていた金銭がなくなっておりました」
「――どういうこと?」
「私にもわからないのです。昨日、買い物に行く時にはその分のお金を持って行きましたが、帰ってからすぐに私の部屋に仕舞いました。そのはずなのに、お金がないのです」
まだ寝起きの頭は、シュザンヌの言葉についていけない。
えっと、どういうこと? この屋敷にあるお金がすべてなくなったってこと?
「部屋は探したの?」
「はい。普段仕舞っているところ以外の、ありとあらゆるところを」
「仕舞う場所を勘違いしているってことは?」
「実は、お金は数か所に分散させて仕舞っていたのですが、そのすべてから消え去っています」
「全部から?」
「はい」
苦々しい表情を浮かべるシュザンヌと向き合いながら、私は考え込む。
お金がなくなった。
これが事実だとしたら、たしかにあまりいい状況ではない。貯えがなくなるということは、収入源がほとんどない私達の生活が立ち行かなくなるということだ。
かなりの緊急事態だけど、ひとまず落ち着いて対処しなければ。
「なら、シュザンヌ。とりあえず、私の手持ちのお金を払って食材はもらいましょう? なくなったお金のことは、その後で相談することにして」
「……はい、わかりました」
私は仕舞ってあった個人資産からお金を出してシュザンヌに渡す。彼女はしかめっ面で部屋を出て行った。
私はそれを見送り、思考を再開する。
シュザンヌの話が本当だとしよう。
ちなみに、シュザンヌがお金の仕舞い場所を勘違いしていたということは、ありえない。
なんと言ってもシュザンヌは優秀だ。もちろんちょっとした勘違いをすることはあるだろうけど、何か所にも分散させていたお金すべての場所を間違えるということは、さすがに考えにくい。
ならば、何者かが盗んだということだ。
ここは自然が豊かで野生の動物がよく姿を見せるし、前に厨房の窓から鳥が侵入して果物を持ち去ったことはあった。しかし、食べられないもの、しかも数か所に分けて隠してあったお金を、野生動物が盗むというのは、現実的ではない。
となると、犯人は人間だろう。
昨日の日中は、私かシュザンヌが必ず家にいて、ステファニー様は一日中体を休めていた。泥棒が入るにしても、人がいる屋敷を狙うなんて、リスクが高いのではないだろうか。
もしくは、家の中にいても違和感のない人物が犯人だという可能性もある。この家に出入りをしているのは、私とシュザンヌを除けば、クロード、クリストフ。そして昨日からはステファニー様だ。
三人のうち誰かがお金を盗ったとは、考えたくない。
そうしているうちに、シュザンヌが戻ってきた。その表情はとても暗い。
「レティーお嬢様、申し訳ありません。お金をなくしてしまったのは私の責任でございます。罰は如何ようにも――」
「何を言ってるのよ。もしかして、見落としちゃったのかもしれないでしょ。まずは、一緒に探しましょう? 話はそれからよ」
数か所あるお金の隠し場所すべてで、見落とすなんてありえない。私もわかってはいるが、状況確認は必要だ。
シュザンヌはしばし黙り込んだが、小さく頭を下げて口を開いた。
「……はい。わかりました。それでは、お嬢様のお支度が整い次第、すぐに」
結局、屋敷からお金は見つからなかった。
起きてきたクロードやクリストフ、ステファニー様にも話をして、一緒に探してもらったけど、どこからも出てこなかった。
リビングに集まり、みんなでうなだれる。
「一体、どこに消えたんだ」
「これだけの人数で、屋敷を隅から隅まで探したのに見つからないなんて……」
クロードとクリストフは眉をひそめながらそんな会話を交わす。
私はシュザンヌに目線を送った。
「えっと……ステファニー様の部屋も、シュザンヌが見てくれたのよね?」
「ええ……失礼ながら、拝見させていただきましたが、どこにも」
「一応、私の身体検査もしていただいたのですが、何もありませんでした」
どこか申し訳なさそうにステファニー様が俯いた。
私は困り果てて視線を落とす。
「やっぱり、泥棒が入ったのかしら……」
私の呟きに、みんなは静まり返っていた。誰もが答えなど持っておらず、言葉が出ない。
お金がなくなったことは生活に響くが、だからといって生きていけなくなる訳ではない。それに私には、シュザンヌにも秘密のへそくりがあるので、当分の間はなんとかなるはずだ。
しかし、人が家にいながら誰もが気づかないうちにお金がなくなっていたという事実そのものが、衝撃だった。
今回はお金が目的だったからまだいい。しかし、その目的が誰かの命だったとしたら? そうなれば、誰も気づかないうちに殺されることもありえる。
命を狙われてこの国にやってきた私の立場を考えると、ぞっとする。
「とにかく、これからはもう少しお金の管理や防犯を意識したほうがいいのかしらね」
「そうだな。レティーの騎士としてまったく……情けない話だ」
悔しそうな表情を浮かべるクリストフは、強く拳を握っていた。
シュザンヌもクロードも、どこか釈然としない様子である。
「あの……」
そんな中、ステファニー様がそっと声を上げた。上目遣いで私達の様子をうかがっている。
「もしお困りでしたら、我がモーリア家が資金を援助いたしましょうか? 倒れているところを助けていただいた身。お礼の意味を込めて、何かさせてもらえるなら喜んでいたしますが」
「え!? そんな。いいのよ。ステファニー様が気に病むことじゃないわ。生きていくだけなら困らないし、大丈夫よ」
私がほほ笑みかけると、ステファニー様も同じようにほほ笑んでくれた。
しかしなぜか、その笑みが気にかかる。
違和感を覚え、私の心を揺さぶった。
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