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1巻
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「な……何を言って」
あけすけな言い草に、シメオンだけではなく、傍観している人たちも驚きで目を見開いた。
まさか、あのグリエット家にたてつくなんて。
皆の表情は、そう強く語っている。
「お前、自分が何を言ってるのかわかってるのか! あぁ、そうか。引くに引けなくなってるんだな。そうか、そうか。そういうことなら、僕も譲歩してやらんでもない。ほら、そこではいつくばって靴を舐めろ。そうしたら許してやっても――」
「……屑以下のど畜生」
シメオンの言葉を遮り、ローズは冷たい視線を向けながら呟く。
当然、その言葉はシメオンも聞いていた。侮辱された怒りからか、彼は無表情になっている。
そして、腰にさしてある細剣をおもむろに抜き、その切っ先をローズに向けた。
「温厚な僕でもさすがに我慢ならん。もういい。あとでどうにでも誤魔化せる。だから……だからな。お前はここで死ね」
ゆっくりと近づいてくるシメオン。
彼は、抜いた剣を振りかぶると、ローズめがけて振り下ろす。
だが、彼女が引くことはない。じっと、シメオンの目を見つめていた。
「ダメぇ‼」
シメオンに絡まれていた少女が叫ぶ。
それに呼応して、会場全体が騒然とした。その時――
「シメオン! 馬鹿な真似はよせ‼」
ローズの前に躍り出た一人の少年が、叫びながらシメオンの剣を自らの剣で受け止めていた。
「くっ、邪魔をするな、アルフォンス」
「罪もない女性を斬るなど、グリエット家でもただでは済ませないぞ!」
「うるさい‼」
ローズを放っておいて、シメオンと、アルフォンスと呼ばれた少年が言い争っている。
しかし、そんなことはローズには関係ない。
彼女はアルフォンスの横をそっと通り過ぎ、すれ違いざまに声をかけた。
「助かった」
「え?」
まさか、ここでローズが前に出るなど思っていなかったのだろう。呆気にとられたような表情のアルフォンスを後目に、ローズはシメオンに近づいていく。
一方、シメオンは近づいてくるローズを見て歪んだ笑みを浮かべる。
「はは! そんなに僕に殺されたいか⁉」
「黙ってな。舌、噛むよ」
「は、はぁ?」
その物言いに困惑するシメオンは、ぽきぽきという音を鳴らしながら近づいてくるローズに訝しげな声を上げた。
「いい加減、その汚い口を閉じろ! 何度も言うが、僕は公爵家の嫡男! シメオン・グリエッ――ぐぇぇぇぇ!」
口上が悲鳴に変わる。
ローズはシメオンの言葉など聞かず、その股座を蹴り上げていた。
その場にいた男性は皆、シメオンと同様に股のあたりを押さえて悶絶し、女性たちは恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「女は守るものだろう? それを、親の立場と力で無理やり言うこと聞かせようなんて、屑以下だ」
「ぐぅ、き、きさまは――はがぁぁぁぁ!」
ローズはスカートをたくし上げると、その細い足でシメオンの顔面に蹴りを入れた。
「私の前でその汚ない口、開くんじゃない」
彼の意識を刈りとったローズは小さく息を吐くと、絡まれていた少女に声をかける。彼女はいつの間にか床に座り込んでいた。
「大丈夫か?」
「は……はぃ」
「あなたも気を付けて。それだけ可愛いんだから。ああいう男だって寄ってくる、っと……違うな。寄ってきます。気を付けてください」
「か、可愛いだなんて……」
ローズは振り返り、アルフォンスにも声をかける。
「あなたのお陰で怪我しないで済みました。ありがとう」
「い、いや……そんなこと、紳士として当然のこと――」
「では、失礼」
ローズはそう言って去っていく。
シメオンを蹴り飛ばした勢いのまま、素の口調が出てしまったことには気付いていない。
彼女の母親に聞かれていたらきっとこっぴどく叱られていただろうが、今はそんな些事は誰も気にしていなかった。ただただ、衝撃的な光景を生み出した少女の背中を見送ることしかできない。
残されたのは、床に倒れ込んだ馬鹿と、床に座り込んだままの少女と、抜いた剣の納めどころに悩んでいる少年と野次馬たち。
少女と少年は、顔を赤らめて茫然とローズの立ち去る姿を見つめた。
「か、かっこいい……」
「……美しい」
自覚なしに、よくわからないフラグを立てて去ったローズ。
学園への入学は間もなくだ。
◆
ローズが立ち去った夜会会場。
そこに取り残されたステファニーは、困惑しながらも先ほどの出来事の余韻に酔いしれていた。
「え、嘘……だって。どうして?」
一番に訪れたのは困惑だ。
ステファニーはあの男――シメオン・グリエットが今日、この場で自分に絡んでくるのを知っていた。
それは決まっていたことなのだ。
あの場で、必死になって嫌がっていれば、助けてくれるはずだった。
そう。同い年のこの国の王太子――アルフォンス・ブリエが、だ。
困っていたステファニーを見るに見かねて、彼がシメオンの手から守ってくれるはずだった。
だが、実際に助けてくれたのはローズだ。
――信じられない。あのローズが。
主人公の一番の障害となり、最大の事件を巻き起こすあのローズ・シャレットが自分を助けてくれるなんて、ありえないはずだった。
なぜ、ステファニーが未来に起こることを理解しているのか。
それは、彼女も転生者であり、この世界によく似たゲームを前世で知っていたからだ。
『こんなにイケメンだらけじゃ帰れない! 恋と戦の迷宮』。どうしてここまでセンスのない名前をつけたんだと突っ込まざるをえないタイトルでいて、ゲームバランスが素晴らしくグラフィックも綺麗なそのゲームは、パラメーターシステムやスキルなどのRPG要素もあり、かなりの高評価だった。
ステファニーも前世でプレイしており、転生後、自分がそのゲームの主人公になっていることに気付いて大喜びだったのだ。
主人公は、パラメーターの鍛え方次第で習得する能力――スキルが変わる。他の登場人物のスキルは固定だが、主人公だけはある程度選ぶことができるのだ。どんなスキルがいいだろうと、毎晩悩むのも楽しかった。
ステファニーは、この夜会で中身も外見も完璧なアルフォンスと出会い、学園に入ってからも様々なイケメンに出会い、ドキドキハラハラな恋愛冒険劇を繰り広げるはずだった。
男爵家の令嬢でありながら、王太子と相思相愛になり王太子妃の座へと駆け上がっていくシンデレラストーリー。
そんな物語の主人公になったものだから、彼女は有頂天だった。
むしろ、嬉々としてシメオンに絡まれていたのだ。
だが、助けてくれたのはアルフォンスではなかった。ローズだ。
彼女は、『怪力』というスキルを持った、このゲームのラスボス令嬢。
王太子に想いを募らせ、歪んだ愛情を膨らませていった果てに彼女がたどり着いたのは、王太子を殺して自分のものにしてしまおうという仄暗い計画。その目的のためには、この国を破滅に導こうと構わないという危険な思想を持っていた。
それを阻止すべく、主人公であるステファニーが中ボス悪役令嬢との闘いで得たスキルを駆使して、ローズと対決するのがゲームのクライマックスだ。
「一体どういうこと? ローズってもっと暗い性格で人に話しかける場面とかなかったし、あんなに凛々しく綺麗じゃなかったはずだけど……かっこよかったなぁ」
ピンチの時に助けられるというのは、非常に乙女心をくすぐる展開だ。
現に、ステファニーの胸も早鐘を打ち、頭の中はローズでいっぱいになっている。
――え? 私、恋をしているの?
こんな疑問を持つくらいには、ローズのことが頭から離れない。
「君……大丈夫かい?」
立ち去っていくローズの背中をぼんやりと眺めているステファニーへ話しかけてきたのは、アルフォンスその人だ。
とても美しく、まるで彫像のような顔立ちは、どんな女性だって心を動かされるに違いない。
しかし。
ステファニーは、アルフォンスの手を借りて立ち上がるも、彼とは目を合わせない。
すでにいなくなったローズの後を追うみたいに、一点を見つめていた。
ふと、アルフォンスが呟く。
「美しい……」
その言葉は、本当ならゲームの中でステファニーにかけられる言葉だ。
ここから、彼女と王太子、果ては多くの男性を巻き込む恋愛劇が始まるのだが……
彼の目も、ステファニーと同じ方向へ向けられていた。
「君も、そう思わないか?」
紅色に染まった顔を向けるアルフォンス。
普通なら、攻略対象が自分以外の人物に恋い焦がれている表情を見せられては気分を害するのかもしれない。
けれど、ステファニーは即座に頷いた。
自分と同じ思いを共有してくれる、同志に出会った気がしたからだ。
「えぇ、私もそう思います」
「そうか……君とは気が合いそうだ……あぁ、失礼。私はアルフォンス・ブリエだ。君の名は?」
「私はステファニー・アヴリーヌです、殿下」
「いや、そんなかしこまらなくていい。近々、同じ学び舎で学ぶ仲間になるのだから」
穏やかな笑みを浮かべてそう言ってくれるアルフォンス。
このほほ笑みに、何人の女性が虜にされてきたのだろう。
けれど、今のステファニーにはあまり関心が湧かなかった。
「彼女との学園生活はとても楽しみですね」
「ああ、そうだな」
そう言い合うと、ステファニーたちはローズが出ていった扉を再び見つめる。
今も心に残る、彼女の凛とした背中を追うように。
第一章
夜会から一週間後。
見上げれば雲一つない晴天。頬を撫でる風は柔らかく、思わず表情が緩む。
そんな、誰もが心躍らせる陽気のその日。学園の入学式が行われていた。
「……であるからして、君たちの学園での生活が素晴らしいものになるよう、祈っている」
髪の毛の薄い校長が祝辞を述べる。
その輝かしい頭皮に目を細めながら、ローズは大きくため息を吐いた。
ローズが通う学園は王立であり、国のすべての貴族と一部の平民が通う場所だ。
互いに関わり合う場を設けることで、より広い視野で物事を見ることができるようになることを目的としている。
ローズたちは、そこで一年間という時間を学びに費やし、王国の中心を担う人材へと成長していく。
もちろん楽しいことだけではなく、授業によっては命の危険さえあることもある。しかし、この学園を卒業することは貴族としては必須事項であり、平民にとっては名誉である。
そのような格式高い場所であるのだが、彼女はどうにも喜べない。
「また学校に通うとか最悪だ……けど、あのままお母様のもとにいるのもかなりきつかった」
こうして入学するのがいいのか悪いのか。
両面の思いで板挟みのローズは、浮かない顔をしていた。
あの日、夜会が終わって家に帰ると、母親が根掘り葉掘り聞いてきた。
それほど力を持っていない子爵家であるシャレット家は、娘のローズの立ち回りで今後が決まると言っても言いすぎではない。
だからこそ、「グリエット家の嫡男をぶっ飛ばした」というローズの言葉に、母親が卒倒したのは当然のことだろう。
グリエット家に早馬で謝罪をしに行った父と母は、特に処分なしということに胸を撫で下ろしつつも、ローズに対する扱きをすさまじくした。
朝から晩まで、淑女とは貴族とは、という話を延々とされていたローズは、その生活から抜け出せたことにほっとする一方――
――退屈だ。
そんなことを考えていた。
というのも、母親の話だと、この学園は色々なことを学ぶ場であると同時に、様々な出会いの場でもあるらしい。
男女の出会い。そして、友人との出会い。
だが、ローズは人付き合いが得意なほうではない。
それに女性特有のドロドロした感じが苦手で、前世ではレディースの仲間といる時を除いて一匹狼だった。
男たちも、自分の行動に恐れをなして逃げていく。
だから、仲間はレディースの皆だけだった。
彼女たちは、いつも自分についてきてくれたのだ。
入学した今。ローズのもとには誰もいない。
もちろん話しかけてくるものはいたが、彼女の家名を聞くとすぐにどこかに行ってしまう。
『スキルを制御できない怪力女』というレッテルを、いまだ剥がすことができていないのだ。
やがて、退屈な退屈な入学式が終わる。
今日からこの学園の生徒たちは寮生活を送ることになっていた。
なら、とりあえず部屋に行って荷物を整理しよう。
そう思って立ち上がると、少女が視界に入る。
「ごきげんよう」
「……ごきげんよう」
ローズの目の前には一人の令嬢が立っていた。
満面の笑みで優雅なお辞儀をする彼女の名を、ローズは知らない。
「はじめまして。ステファニー・アヴリーヌと申します。先日は、危ないところをありがとうございました」
「危ないところ?」
記憶をたどると、微かに覚えがある。夜会で助けた少女だった。
「ああ、あの時の」
「ええ! あの時はローズ様のお陰で助かりました! 公爵家の嫡男が相手でしたから皆が遠巻きにして誰も助けてくれない中、ローズ様だけが手を差し伸べてくださり、本当に嬉しかったのです!」
「当然のことです。別に気にしないでいいですよ」
普段のローズの口調は、母親の矯正の成果でそれなりのものになっていた。だが、ここに母親はいない。少しばかりぶっきらぼうな言い方になってしまうのは、しょうがないことなのだろう。一応、それなりに気を付けようと思っているが、気を抜くと崩れるのだ。
「そのようなわけにはいきません! ぜひお礼を! そうですね、まずはお部屋で二人っきりで話しませんか⁉ そう! 二人っきりで!」
「いえ、今から部屋の片づけをしようかと」
「まぁ! 奇遇ですね! 私もです! でしたらぜひローズ様のお部屋の片づけをお手伝いしましょう!」
「えっと……一人でできるけど」
「遠慮なさらず! このステファニー、ローズ様のためならどこまでもお供いたしますよ! そう! 受けた恩を返すまでは、決して離れません!」
数センチ、という近さでけたたましく言葉を重ねるステファニー。
なんだこいつは、と思いつつも、ローズは顔をしかめるくらいで手は出さない。悪いことはしていないのだ。手を出す理由がなかった。
「……ちょっと、下がってもらっていいですか?」
「あ! すみません! 気付きませんでした!」
ステファニーが可愛らしい仕草で一歩引き、顔を赤らめて恥じ入る。
男が寄っていくのも理解できる可愛さだ。
二人が話していたその時、唐突に割り込んでくる声があった。
「取り込み中、ちょっといいかな?」
その人物は、綺麗な顔立ちの王子様然とした男だ。
サラサラと光る金髪に、さわやかな笑顔は前世で見たアイドルのよう。
彼にも見覚えがあったのは気のせいではないだろう。そういえば、あの夜会にいたはずだ。
ローズが顔をやや顰めたせいか、目の前の男は少しばかり苦笑いをして言葉を続ける。
「はじめまして、と言ったほうがいいかな? 先日の夜会で、ステファニー嬢を助けていた君におせっかいを焼いた男さ。アルフォンス・ブリエという。勇敢な女性なのだね、あなたは」
そう言うと、誰もが見惚れるような笑みを浮かべる。
――あぁ、屑野郎の剣を受け止めてくれた――
ローズはぼんやりと彼の顔を眺めながら言葉を返す。
「あの時の……」
「思い出してくれたかい?」
「えぇ。ですが、ただあの男が気に入らなかっただけですから。勇敢というわけでは」
「それでもさ! あの瞬間から、私は君のことを一時も忘れたことはない。私は君を一目見た時から、とても……美しいと思っていた」
アルフォンスが何やら話しているが、最後のほうはごにょごにょと声が小さくなり、よく聞こえない。
「よく聞こえませんでしたが……」
なぜか顔を真っ赤にしているアルフォンスは、やや挙動不審だ。
「い、いや、いいんだ! 私は、急に何を言っているんだろうか、本当に気にしないでくれ――ぇ」
聞きとろうと顔を近づけたローズに、アルフォンスは驚いて後ずさった。
彼の足元には丸い筒が落ちている。
それを踏んだ彼が、転ばないようにもがいた結果――
「え――」
そのままローズに覆いかぶさるように傾き、彼女と共に地面に倒れ込む。
「ローズ様!」
ステファニーの悲鳴が響いた。
しかし、転んだだけの二人は、特に怪我もない様子だ。それを見てほっと息を吐いたステファニーだったが、二人の体勢を理解して表情を凍らせた。
「な、なななな」
絶望を張り付けたような顔の彼女は、言葉にならない声を発している。
「いや! 違うんだ! これは――」
アルフォンスの倒れた先。
そこには当然ローズがいて、咄嗟に手をついたらしき彼は、下敷きになった彼女に覆いかぶさっている。
それはまあ仕方のないことだ。
その手が、ローズの胸を鷲掴みにしていたことを除いては。
むんず、と自分の胸を掴むアルフォンスに、ローズの顔色は瞬時に真っ赤に染まり、驚きで目を見開いた。
「ち、ちちち、違うんだ! ローズ嬢‼」
両手をローズに突き出して、尻もちをつきながら後ずさるアルフォンス。
彼を見下ろすローズの表情は、非常に恐ろしいものだった。
「ぁ………あにすんだ! この野郎‼」
ブチ切れたローズが罵声を浴びせかけつつアルフォンスを殴りつけたのも、当然の結果だ。
アルフォンスは、その場に倒れ気を失う。
王太子相手にはありえない態度に、周囲の生徒たちは目をぱちくりさせていたが、ローズはそんなこと関係ないとばかりに怒鳴り散らす。
「なんなんだ、この野郎! 一体どういうつもり!」
「ローズ様。このような男、殺してしまえばいいんです。そうです、今すぐ殺しましょう」
不穏なことを真顔で言うステファニーに、ローズはやや引いて冷静になった。
「あなた……いや、ステファニー様は怖い人ですね」
「いえいえ、そのようなことはありませんのよ、オホホ。それより、男っぽい口調も素敵です、ローズ様」
つい口調が荒くなってしまったローズはすぐ修正したが、ステファニーにはしっかり聞こえていたようだ。少々反省しつつも、先ほどの男を思い出すと怒りが再び湧き、険しい表情になる。
その雰囲気を察したのだろうか。ステファニーは腕を組み、アルフォンスを見下ろしながら口を開く。
「ですが、当然ではありませんか? この男は、ローズ様の胸を揉みしだいたのですよ⁉ 可憐で! 美しく! 柔らかそうな! その胸を!」
「な、ななな、何を言ってるんですか、ステファニー様! 胸とか揉みしだくとか……そんなこと、言うもんじゃ……」
「いいえ! ローズ様のお胸は崇高なもの! いくら王太子とはいえ、軽はずみに触っていいものではありません! むしろ私が触りたい‼」
「わけわかんない!!」
ステファニーが胸、胸と連呼している最中、ローズの顔は真っ赤だった。
周囲の人もつられてローズの胸元に視線を向けてくるので、恥ずかしくなって胸元を両手で隠してしまう。
「えっと、ローズ様?」
「胸とかあんまり言うなよ……恥ずかしいじゃん」
「ローズ様、何そのギャップ――ぐふぅ‼」
頬を染めて恥ずかしがるローズを見て、ステファニーは鼻血を出しながら後ろに倒れたのだった。
倒れたアルフォンスとステファニーを、ローズは保健室に連れていった。
そこにいた医師に二人を任せると、彼女は寮に向かう。
この学園の学生は、一部の例外を除いて寮に入るのだ。
身分とは関係なく、二人部屋。
ローズは同じ部屋になるのは誰か特に気にしていなかったけれど、さっきの疲れる出来事を考えると、静かな人がいいなと思っていた。
それほど多くない荷物を整理し始めたが、同室者はまだ訪れない。
このまま誰も来ずに一人部屋でもいいかもしれない。
そんなことを思っていると、何やら外が騒がしい。誰かが言い争うような声が廊下に響いている。
「その部屋は私の――」
「そこをなんとか! どうか、どうかぁ――」
「でも! 寮長が認めないと――」
「寮長ですね! でしたら、すぐにその寮長を脅して、言うことを聞かせます――」
ローズは、聞き覚えのある声に顔をしかめながら、とりあえず落ち着こうと水を飲んだ。
何やら前世の記憶を思い出してから、瞬く間に、そしてやかましく時間が過ぎていく気がする。
今日だって、入学式の後、変な女と最低男がやって来てけたたましく喚き散らしていた。
あんな風に体を触られたのは初めてだ。前世でも、今のローズの人生でも。
あんな恥ずかしい思いは二度としたくない。
再び一口水を含むと、少し落ち着いてきた。
大きく深呼吸をしていると、あの失礼な破廉恥男の顔がぼんやりと浮かんだ。
するとなぜだろう。
どこか懐かしい感覚が、ローズを包み込んだ。
記憶を掘り返そうと目をつぶるが、明確に何かを思い出すことはない。
「もっと昔にも見覚えがある気がするんだけど……」
ローズが呟いた瞬間、唐突に部屋のドアが開いた。
あけすけな言い草に、シメオンだけではなく、傍観している人たちも驚きで目を見開いた。
まさか、あのグリエット家にたてつくなんて。
皆の表情は、そう強く語っている。
「お前、自分が何を言ってるのかわかってるのか! あぁ、そうか。引くに引けなくなってるんだな。そうか、そうか。そういうことなら、僕も譲歩してやらんでもない。ほら、そこではいつくばって靴を舐めろ。そうしたら許してやっても――」
「……屑以下のど畜生」
シメオンの言葉を遮り、ローズは冷たい視線を向けながら呟く。
当然、その言葉はシメオンも聞いていた。侮辱された怒りからか、彼は無表情になっている。
そして、腰にさしてある細剣をおもむろに抜き、その切っ先をローズに向けた。
「温厚な僕でもさすがに我慢ならん。もういい。あとでどうにでも誤魔化せる。だから……だからな。お前はここで死ね」
ゆっくりと近づいてくるシメオン。
彼は、抜いた剣を振りかぶると、ローズめがけて振り下ろす。
だが、彼女が引くことはない。じっと、シメオンの目を見つめていた。
「ダメぇ‼」
シメオンに絡まれていた少女が叫ぶ。
それに呼応して、会場全体が騒然とした。その時――
「シメオン! 馬鹿な真似はよせ‼」
ローズの前に躍り出た一人の少年が、叫びながらシメオンの剣を自らの剣で受け止めていた。
「くっ、邪魔をするな、アルフォンス」
「罪もない女性を斬るなど、グリエット家でもただでは済ませないぞ!」
「うるさい‼」
ローズを放っておいて、シメオンと、アルフォンスと呼ばれた少年が言い争っている。
しかし、そんなことはローズには関係ない。
彼女はアルフォンスの横をそっと通り過ぎ、すれ違いざまに声をかけた。
「助かった」
「え?」
まさか、ここでローズが前に出るなど思っていなかったのだろう。呆気にとられたような表情のアルフォンスを後目に、ローズはシメオンに近づいていく。
一方、シメオンは近づいてくるローズを見て歪んだ笑みを浮かべる。
「はは! そんなに僕に殺されたいか⁉」
「黙ってな。舌、噛むよ」
「は、はぁ?」
その物言いに困惑するシメオンは、ぽきぽきという音を鳴らしながら近づいてくるローズに訝しげな声を上げた。
「いい加減、その汚い口を閉じろ! 何度も言うが、僕は公爵家の嫡男! シメオン・グリエッ――ぐぇぇぇぇ!」
口上が悲鳴に変わる。
ローズはシメオンの言葉など聞かず、その股座を蹴り上げていた。
その場にいた男性は皆、シメオンと同様に股のあたりを押さえて悶絶し、女性たちは恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「女は守るものだろう? それを、親の立場と力で無理やり言うこと聞かせようなんて、屑以下だ」
「ぐぅ、き、きさまは――はがぁぁぁぁ!」
ローズはスカートをたくし上げると、その細い足でシメオンの顔面に蹴りを入れた。
「私の前でその汚ない口、開くんじゃない」
彼の意識を刈りとったローズは小さく息を吐くと、絡まれていた少女に声をかける。彼女はいつの間にか床に座り込んでいた。
「大丈夫か?」
「は……はぃ」
「あなたも気を付けて。それだけ可愛いんだから。ああいう男だって寄ってくる、っと……違うな。寄ってきます。気を付けてください」
「か、可愛いだなんて……」
ローズは振り返り、アルフォンスにも声をかける。
「あなたのお陰で怪我しないで済みました。ありがとう」
「い、いや……そんなこと、紳士として当然のこと――」
「では、失礼」
ローズはそう言って去っていく。
シメオンを蹴り飛ばした勢いのまま、素の口調が出てしまったことには気付いていない。
彼女の母親に聞かれていたらきっとこっぴどく叱られていただろうが、今はそんな些事は誰も気にしていなかった。ただただ、衝撃的な光景を生み出した少女の背中を見送ることしかできない。
残されたのは、床に倒れ込んだ馬鹿と、床に座り込んだままの少女と、抜いた剣の納めどころに悩んでいる少年と野次馬たち。
少女と少年は、顔を赤らめて茫然とローズの立ち去る姿を見つめた。
「か、かっこいい……」
「……美しい」
自覚なしに、よくわからないフラグを立てて去ったローズ。
学園への入学は間もなくだ。
◆
ローズが立ち去った夜会会場。
そこに取り残されたステファニーは、困惑しながらも先ほどの出来事の余韻に酔いしれていた。
「え、嘘……だって。どうして?」
一番に訪れたのは困惑だ。
ステファニーはあの男――シメオン・グリエットが今日、この場で自分に絡んでくるのを知っていた。
それは決まっていたことなのだ。
あの場で、必死になって嫌がっていれば、助けてくれるはずだった。
そう。同い年のこの国の王太子――アルフォンス・ブリエが、だ。
困っていたステファニーを見るに見かねて、彼がシメオンの手から守ってくれるはずだった。
だが、実際に助けてくれたのはローズだ。
――信じられない。あのローズが。
主人公の一番の障害となり、最大の事件を巻き起こすあのローズ・シャレットが自分を助けてくれるなんて、ありえないはずだった。
なぜ、ステファニーが未来に起こることを理解しているのか。
それは、彼女も転生者であり、この世界によく似たゲームを前世で知っていたからだ。
『こんなにイケメンだらけじゃ帰れない! 恋と戦の迷宮』。どうしてここまでセンスのない名前をつけたんだと突っ込まざるをえないタイトルでいて、ゲームバランスが素晴らしくグラフィックも綺麗なそのゲームは、パラメーターシステムやスキルなどのRPG要素もあり、かなりの高評価だった。
ステファニーも前世でプレイしており、転生後、自分がそのゲームの主人公になっていることに気付いて大喜びだったのだ。
主人公は、パラメーターの鍛え方次第で習得する能力――スキルが変わる。他の登場人物のスキルは固定だが、主人公だけはある程度選ぶことができるのだ。どんなスキルがいいだろうと、毎晩悩むのも楽しかった。
ステファニーは、この夜会で中身も外見も完璧なアルフォンスと出会い、学園に入ってからも様々なイケメンに出会い、ドキドキハラハラな恋愛冒険劇を繰り広げるはずだった。
男爵家の令嬢でありながら、王太子と相思相愛になり王太子妃の座へと駆け上がっていくシンデレラストーリー。
そんな物語の主人公になったものだから、彼女は有頂天だった。
むしろ、嬉々としてシメオンに絡まれていたのだ。
だが、助けてくれたのはアルフォンスではなかった。ローズだ。
彼女は、『怪力』というスキルを持った、このゲームのラスボス令嬢。
王太子に想いを募らせ、歪んだ愛情を膨らませていった果てに彼女がたどり着いたのは、王太子を殺して自分のものにしてしまおうという仄暗い計画。その目的のためには、この国を破滅に導こうと構わないという危険な思想を持っていた。
それを阻止すべく、主人公であるステファニーが中ボス悪役令嬢との闘いで得たスキルを駆使して、ローズと対決するのがゲームのクライマックスだ。
「一体どういうこと? ローズってもっと暗い性格で人に話しかける場面とかなかったし、あんなに凛々しく綺麗じゃなかったはずだけど……かっこよかったなぁ」
ピンチの時に助けられるというのは、非常に乙女心をくすぐる展開だ。
現に、ステファニーの胸も早鐘を打ち、頭の中はローズでいっぱいになっている。
――え? 私、恋をしているの?
こんな疑問を持つくらいには、ローズのことが頭から離れない。
「君……大丈夫かい?」
立ち去っていくローズの背中をぼんやりと眺めているステファニーへ話しかけてきたのは、アルフォンスその人だ。
とても美しく、まるで彫像のような顔立ちは、どんな女性だって心を動かされるに違いない。
しかし。
ステファニーは、アルフォンスの手を借りて立ち上がるも、彼とは目を合わせない。
すでにいなくなったローズの後を追うみたいに、一点を見つめていた。
ふと、アルフォンスが呟く。
「美しい……」
その言葉は、本当ならゲームの中でステファニーにかけられる言葉だ。
ここから、彼女と王太子、果ては多くの男性を巻き込む恋愛劇が始まるのだが……
彼の目も、ステファニーと同じ方向へ向けられていた。
「君も、そう思わないか?」
紅色に染まった顔を向けるアルフォンス。
普通なら、攻略対象が自分以外の人物に恋い焦がれている表情を見せられては気分を害するのかもしれない。
けれど、ステファニーは即座に頷いた。
自分と同じ思いを共有してくれる、同志に出会った気がしたからだ。
「えぇ、私もそう思います」
「そうか……君とは気が合いそうだ……あぁ、失礼。私はアルフォンス・ブリエだ。君の名は?」
「私はステファニー・アヴリーヌです、殿下」
「いや、そんなかしこまらなくていい。近々、同じ学び舎で学ぶ仲間になるのだから」
穏やかな笑みを浮かべてそう言ってくれるアルフォンス。
このほほ笑みに、何人の女性が虜にされてきたのだろう。
けれど、今のステファニーにはあまり関心が湧かなかった。
「彼女との学園生活はとても楽しみですね」
「ああ、そうだな」
そう言い合うと、ステファニーたちはローズが出ていった扉を再び見つめる。
今も心に残る、彼女の凛とした背中を追うように。
第一章
夜会から一週間後。
見上げれば雲一つない晴天。頬を撫でる風は柔らかく、思わず表情が緩む。
そんな、誰もが心躍らせる陽気のその日。学園の入学式が行われていた。
「……であるからして、君たちの学園での生活が素晴らしいものになるよう、祈っている」
髪の毛の薄い校長が祝辞を述べる。
その輝かしい頭皮に目を細めながら、ローズは大きくため息を吐いた。
ローズが通う学園は王立であり、国のすべての貴族と一部の平民が通う場所だ。
互いに関わり合う場を設けることで、より広い視野で物事を見ることができるようになることを目的としている。
ローズたちは、そこで一年間という時間を学びに費やし、王国の中心を担う人材へと成長していく。
もちろん楽しいことだけではなく、授業によっては命の危険さえあることもある。しかし、この学園を卒業することは貴族としては必須事項であり、平民にとっては名誉である。
そのような格式高い場所であるのだが、彼女はどうにも喜べない。
「また学校に通うとか最悪だ……けど、あのままお母様のもとにいるのもかなりきつかった」
こうして入学するのがいいのか悪いのか。
両面の思いで板挟みのローズは、浮かない顔をしていた。
あの日、夜会が終わって家に帰ると、母親が根掘り葉掘り聞いてきた。
それほど力を持っていない子爵家であるシャレット家は、娘のローズの立ち回りで今後が決まると言っても言いすぎではない。
だからこそ、「グリエット家の嫡男をぶっ飛ばした」というローズの言葉に、母親が卒倒したのは当然のことだろう。
グリエット家に早馬で謝罪をしに行った父と母は、特に処分なしということに胸を撫で下ろしつつも、ローズに対する扱きをすさまじくした。
朝から晩まで、淑女とは貴族とは、という話を延々とされていたローズは、その生活から抜け出せたことにほっとする一方――
――退屈だ。
そんなことを考えていた。
というのも、母親の話だと、この学園は色々なことを学ぶ場であると同時に、様々な出会いの場でもあるらしい。
男女の出会い。そして、友人との出会い。
だが、ローズは人付き合いが得意なほうではない。
それに女性特有のドロドロした感じが苦手で、前世ではレディースの仲間といる時を除いて一匹狼だった。
男たちも、自分の行動に恐れをなして逃げていく。
だから、仲間はレディースの皆だけだった。
彼女たちは、いつも自分についてきてくれたのだ。
入学した今。ローズのもとには誰もいない。
もちろん話しかけてくるものはいたが、彼女の家名を聞くとすぐにどこかに行ってしまう。
『スキルを制御できない怪力女』というレッテルを、いまだ剥がすことができていないのだ。
やがて、退屈な退屈な入学式が終わる。
今日からこの学園の生徒たちは寮生活を送ることになっていた。
なら、とりあえず部屋に行って荷物を整理しよう。
そう思って立ち上がると、少女が視界に入る。
「ごきげんよう」
「……ごきげんよう」
ローズの目の前には一人の令嬢が立っていた。
満面の笑みで優雅なお辞儀をする彼女の名を、ローズは知らない。
「はじめまして。ステファニー・アヴリーヌと申します。先日は、危ないところをありがとうございました」
「危ないところ?」
記憶をたどると、微かに覚えがある。夜会で助けた少女だった。
「ああ、あの時の」
「ええ! あの時はローズ様のお陰で助かりました! 公爵家の嫡男が相手でしたから皆が遠巻きにして誰も助けてくれない中、ローズ様だけが手を差し伸べてくださり、本当に嬉しかったのです!」
「当然のことです。別に気にしないでいいですよ」
普段のローズの口調は、母親の矯正の成果でそれなりのものになっていた。だが、ここに母親はいない。少しばかりぶっきらぼうな言い方になってしまうのは、しょうがないことなのだろう。一応、それなりに気を付けようと思っているが、気を抜くと崩れるのだ。
「そのようなわけにはいきません! ぜひお礼を! そうですね、まずはお部屋で二人っきりで話しませんか⁉ そう! 二人っきりで!」
「いえ、今から部屋の片づけをしようかと」
「まぁ! 奇遇ですね! 私もです! でしたらぜひローズ様のお部屋の片づけをお手伝いしましょう!」
「えっと……一人でできるけど」
「遠慮なさらず! このステファニー、ローズ様のためならどこまでもお供いたしますよ! そう! 受けた恩を返すまでは、決して離れません!」
数センチ、という近さでけたたましく言葉を重ねるステファニー。
なんだこいつは、と思いつつも、ローズは顔をしかめるくらいで手は出さない。悪いことはしていないのだ。手を出す理由がなかった。
「……ちょっと、下がってもらっていいですか?」
「あ! すみません! 気付きませんでした!」
ステファニーが可愛らしい仕草で一歩引き、顔を赤らめて恥じ入る。
男が寄っていくのも理解できる可愛さだ。
二人が話していたその時、唐突に割り込んでくる声があった。
「取り込み中、ちょっといいかな?」
その人物は、綺麗な顔立ちの王子様然とした男だ。
サラサラと光る金髪に、さわやかな笑顔は前世で見たアイドルのよう。
彼にも見覚えがあったのは気のせいではないだろう。そういえば、あの夜会にいたはずだ。
ローズが顔をやや顰めたせいか、目の前の男は少しばかり苦笑いをして言葉を続ける。
「はじめまして、と言ったほうがいいかな? 先日の夜会で、ステファニー嬢を助けていた君におせっかいを焼いた男さ。アルフォンス・ブリエという。勇敢な女性なのだね、あなたは」
そう言うと、誰もが見惚れるような笑みを浮かべる。
――あぁ、屑野郎の剣を受け止めてくれた――
ローズはぼんやりと彼の顔を眺めながら言葉を返す。
「あの時の……」
「思い出してくれたかい?」
「えぇ。ですが、ただあの男が気に入らなかっただけですから。勇敢というわけでは」
「それでもさ! あの瞬間から、私は君のことを一時も忘れたことはない。私は君を一目見た時から、とても……美しいと思っていた」
アルフォンスが何やら話しているが、最後のほうはごにょごにょと声が小さくなり、よく聞こえない。
「よく聞こえませんでしたが……」
なぜか顔を真っ赤にしているアルフォンスは、やや挙動不審だ。
「い、いや、いいんだ! 私は、急に何を言っているんだろうか、本当に気にしないでくれ――ぇ」
聞きとろうと顔を近づけたローズに、アルフォンスは驚いて後ずさった。
彼の足元には丸い筒が落ちている。
それを踏んだ彼が、転ばないようにもがいた結果――
「え――」
そのままローズに覆いかぶさるように傾き、彼女と共に地面に倒れ込む。
「ローズ様!」
ステファニーの悲鳴が響いた。
しかし、転んだだけの二人は、特に怪我もない様子だ。それを見てほっと息を吐いたステファニーだったが、二人の体勢を理解して表情を凍らせた。
「な、なななな」
絶望を張り付けたような顔の彼女は、言葉にならない声を発している。
「いや! 違うんだ! これは――」
アルフォンスの倒れた先。
そこには当然ローズがいて、咄嗟に手をついたらしき彼は、下敷きになった彼女に覆いかぶさっている。
それはまあ仕方のないことだ。
その手が、ローズの胸を鷲掴みにしていたことを除いては。
むんず、と自分の胸を掴むアルフォンスに、ローズの顔色は瞬時に真っ赤に染まり、驚きで目を見開いた。
「ち、ちちち、違うんだ! ローズ嬢‼」
両手をローズに突き出して、尻もちをつきながら後ずさるアルフォンス。
彼を見下ろすローズの表情は、非常に恐ろしいものだった。
「ぁ………あにすんだ! この野郎‼」
ブチ切れたローズが罵声を浴びせかけつつアルフォンスを殴りつけたのも、当然の結果だ。
アルフォンスは、その場に倒れ気を失う。
王太子相手にはありえない態度に、周囲の生徒たちは目をぱちくりさせていたが、ローズはそんなこと関係ないとばかりに怒鳴り散らす。
「なんなんだ、この野郎! 一体どういうつもり!」
「ローズ様。このような男、殺してしまえばいいんです。そうです、今すぐ殺しましょう」
不穏なことを真顔で言うステファニーに、ローズはやや引いて冷静になった。
「あなた……いや、ステファニー様は怖い人ですね」
「いえいえ、そのようなことはありませんのよ、オホホ。それより、男っぽい口調も素敵です、ローズ様」
つい口調が荒くなってしまったローズはすぐ修正したが、ステファニーにはしっかり聞こえていたようだ。少々反省しつつも、先ほどの男を思い出すと怒りが再び湧き、険しい表情になる。
その雰囲気を察したのだろうか。ステファニーは腕を組み、アルフォンスを見下ろしながら口を開く。
「ですが、当然ではありませんか? この男は、ローズ様の胸を揉みしだいたのですよ⁉ 可憐で! 美しく! 柔らかそうな! その胸を!」
「な、ななな、何を言ってるんですか、ステファニー様! 胸とか揉みしだくとか……そんなこと、言うもんじゃ……」
「いいえ! ローズ様のお胸は崇高なもの! いくら王太子とはいえ、軽はずみに触っていいものではありません! むしろ私が触りたい‼」
「わけわかんない!!」
ステファニーが胸、胸と連呼している最中、ローズの顔は真っ赤だった。
周囲の人もつられてローズの胸元に視線を向けてくるので、恥ずかしくなって胸元を両手で隠してしまう。
「えっと、ローズ様?」
「胸とかあんまり言うなよ……恥ずかしいじゃん」
「ローズ様、何そのギャップ――ぐふぅ‼」
頬を染めて恥ずかしがるローズを見て、ステファニーは鼻血を出しながら後ろに倒れたのだった。
倒れたアルフォンスとステファニーを、ローズは保健室に連れていった。
そこにいた医師に二人を任せると、彼女は寮に向かう。
この学園の学生は、一部の例外を除いて寮に入るのだ。
身分とは関係なく、二人部屋。
ローズは同じ部屋になるのは誰か特に気にしていなかったけれど、さっきの疲れる出来事を考えると、静かな人がいいなと思っていた。
それほど多くない荷物を整理し始めたが、同室者はまだ訪れない。
このまま誰も来ずに一人部屋でもいいかもしれない。
そんなことを思っていると、何やら外が騒がしい。誰かが言い争うような声が廊下に響いている。
「その部屋は私の――」
「そこをなんとか! どうか、どうかぁ――」
「でも! 寮長が認めないと――」
「寮長ですね! でしたら、すぐにその寮長を脅して、言うことを聞かせます――」
ローズは、聞き覚えのある声に顔をしかめながら、とりあえず落ち着こうと水を飲んだ。
何やら前世の記憶を思い出してから、瞬く間に、そしてやかましく時間が過ぎていく気がする。
今日だって、入学式の後、変な女と最低男がやって来てけたたましく喚き散らしていた。
あんな風に体を触られたのは初めてだ。前世でも、今のローズの人生でも。
あんな恥ずかしい思いは二度としたくない。
再び一口水を含むと、少し落ち着いてきた。
大きく深呼吸をしていると、あの失礼な破廉恥男の顔がぼんやりと浮かんだ。
するとなぜだろう。
どこか懐かしい感覚が、ローズを包み込んだ。
記憶を掘り返そうと目をつぶるが、明確に何かを思い出すことはない。
「もっと昔にも見覚えがある気がするんだけど……」
ローズが呟いた瞬間、唐突に部屋のドアが開いた。
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