月下美人は甘露に濡れる

禎祥

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22 嘘と偽善と偏見と(カーク視点)

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 族長が昔読み聞かせてくれた本によれば、ここ、ネイティアはもともと精霊が治める水上国家だったらしい。光と水が織りなす光景はどんな芸術品より美しい、と評されるほど。
 人間が治めるようになってからも、精霊の子孫が多くいるのだと聞いていた。
 なるほど、確かに瘴気が消え去った今、街の景観は綺麗に見える。
 あちこちに水路が走り、小舟が荷物や人を運んでいるのも、島では決して見られなかった光景だ。
 道幅や庭面積が少ないからか、軒下に植木鉢を吊るす建物も多く、瘴気で枯れてさえいなければ、色とりどりの花が目を楽しませたことだろう。

 だが、話に聞くのと実際に見るのとでは別物だ。
 精霊の子孫、つまり亜人が多いはずだが人間しか見当たらず、獣人である俺に向けてくる目は冷たい。
 汚らわしいとか、魔物混じりとか、サクヤには聞かれたくない言葉があちこちで囁かれる。

「素材の買取を頼む」

 素材を売りにギルドへ来たのには理由がある。
 冒険者は亜人が多い。その冒険者に仕事を斡旋するギルドには、亜人のための情報も多く集まると、族長に教えられていたからだ。
 件の亜人を狙った誘拐犯たちが、これから向かう北の旧街道に出るのか確認しておきたかった。
 とはいえ、受付が人間という時点であまり期待はできそうにない。

「これは……ウッドベアーと、プーズーの毛皮ですね。状態は悪くはありませんが……今は需要がないんですよねぇ。全部合わせて500ロピーってところでしょうか」

 丁寧な口調ではあったが、目の前の男からはこちらを値踏みする嫌な視線を感じる。
 さも親切そうに対応してはいるが、嘘を吐いているか、隠し事をしている気がする。
 ならば、無理に売る必要はない。
 族長が用意してくれた鞄は、族長の空間スキルによって時間経過もなければ重量も感じさせないからだ。
 他の冒険者ギルドに寄った時に売ればいい。
 とはいえ、保存食など旅に必要な物を購入するのに資金が必要なのもまた事実。

「ねぇ、どうせ最初の1年は何か受けないといけないのなら、これは?」
「郵便配達……配達先は、ブルム? 凄い、サクヤ。よく見つけたな」
「えへへ」

 腕の中ではにかむように笑うサクヤが可愛い。
 フードで顔が半分隠れていても、可愛いさを隠しきれないなんて。

「あ、でも、この依頼じゃ旅の資金は作れないね……。他にも何か受ける?」
「そうだな……ただ、あまり危険なものは避けたい。……となると、このあたりか?」

 依頼を達成してからでないと報酬は貰えない。
 資金を作るなら、ここで達成できるものを受けないと。
 とはいえ、動けないサクヤを連れてできることは少ない。
 幸い、島でも見かける薬草や木の実の採取依頼があった。
 特徴を知っている分、見つけるのもそう時間はかからないだろう。

「そいつを置いていけ」

 依頼を受け、さっそく森に向かおうとしたら絡まれた。
 しかも、サクヤが佳人だとバレている。
 いったいなぜ。
 まさか、クロエが?

 いや、それはないか。
 クロエが俺たちを売ったのなら、宿に引き留めているはずだ。
 むしろ、早く逃げろと言ってくれた。
 恐らくは見慣れない奴だから、カマをかけられたのだろう。

「そこをどけぇえ!!!」

 サクヤのローブへ伸びてきた手を払い、威嚇する。
 周囲を取り囲む男たちが武器を構えた。
 俺を殺してサクヤを奪う? させるものか。

 下半身を獣化させ、全力で床を蹴った。
 頭上にあったランプを掴み、反動を利用して人垣を越える。
 何か所か武器に当たったが、かすり傷だ。

 獣化からラーナに飛び乗り駆けだすまで、わずか数秒。
 にも関わらず、連中はしっかりついてきている。
 これが冒険者としての経験の差か。
 狩人として鍛えてきたし、足の速さにも自信があったが、振り切れない。

「クソッ」

 地の利がない俺はとうとう追い詰められてしまった。
 噴水のある広場には、ギルド内にいた人間の数倍もの追っ手が集まっていた。
 柄の長い得物を持つ奴を大勢集め距離を詰めてくるのは、上を飛び越えさせないためだろう。

 ここまでか……。
 俺は殺されるだろうが、せめて一人でも多く道連れにしてやろう。
 そう覚悟を決めた時だった。

「!!」

 突然、両足首を掴まれ、引っ張られた。
 噴水に誰かが潜んでいたらしい。
 そこまで意識がいっていなかった俺は、あっさりと噴水に落ちる。

 サクヤを抱えたまま、あっという間に水の中に引きずり込まれた。
 ぐいぐいと引っ張り続ける奴を振りほどこうと、必死に足をばたつかせる。
 落ちたばかりだというのに、既に水面は見えない。

(いつの間にこんな深く……いや待て、街中の噴水がこんな深いわけ……)
《落ち着きなさい。亜人の隠れ家へ案内するだけです》

 混乱しつつ抵抗していると、誰かが話しかけてきた。
 水の中だというのに、はっきりと声が聞こえる。
 声の主、つまり、俺を引っ張る奴を見ると、顔の横に魚のようなヒレを生やした男だった。
 両足の代わりに長く大きな尾が左右に揺れている。

 族長と同じか、もう少し年上だろうか。
 魔物かと一瞬焦ったが、話しかけてくるだけの理性があるということは亜人だ。
 魚人の男が示す方に、光が広がっていた。
 水面ではなく、水中にだ。

 魚人は、光の向こうは空気があると言う。
 ここで魚人を振り切ったところで、噴水の周囲は追っ手に囲まれている。
 戻れば俺は殺され、サクヤを奪われる。
 了承の代わりに抵抗をやめると、恐るべき速さで魚人は俺達を光の下へ運んだ。





「……ゲホッ、ゲホッ……! サクヤ、おい、サクヤ!」
「……」

 数秒後、光の中に飛び込むとそこは建物の中だった。
 どういう仕組みかは知らないが、水中だというのに新鮮な空気があり、細長い棒状のランプが煌々と光っている。
 透明な壁の外側では大小さまざまな魚が集まり、光を反射しキラキラと輝いている。

 出入口は深い水の中。
 なるほど、ここなら魚人の案内が無ければ入っては来られないだろう。
 息を整えながら安全を確認していたが、腕の中のサクヤがぐったりとしたまま動かないことに気付く。

 呼びかけ、呼吸を確かめ、ホッとした。
 気を失っているだけのようだ。

「お部屋に御案内します」

 俺たちをここに連れてきた魚人が、恭しく一礼した。
 いつの間にか尾は人間の足に変わっている。
 魚人についていくと、魚の特性を身体のどこかに持つ人々が建物内から集まってきた。
 警戒するが、頬を染めて見つめてくるだけで、襲ってくる気配はない。

「御子様だ」
「御子様が花人を連れてきてくださった」
「預言のとおりだ」

 喜色に満ちた声があちこちから上がる。
 みこ、というのは俺のことか?
 1人が胸の前で腕を組んだのを皮切りに、次々と魚人たちが祈るような姿勢を取る。

 どうやらただ助けられただけでなく、何か思惑があって連れてこられたようだ。
 湿り気を帯びた通路と違い、案内された部屋は暖かく整えられていた。
 まるで干したてのようなふかふかのベッドにサクヤを寝かせる。

「入用な物がございましたら、そちらの呼び鈴でお呼びください」

 いつの間に用意したのか。
 扉にほど近い場所にあるソファには二人分のタオルとローブ。テーブルの上には湯気の立つ紅茶と軽食。その横には、細い持ち手の鈴が立ててあった。
 魚人はまた一礼すると姿を消した。

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