月下美人は甘露に濡れる

禎祥

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20 呪われし英雄と堕ちてゆく姫巫女②(カーライル視点)

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「こんな扱い、あんまりですわ」
「そんなことを言うものではないよ、リゼ。みんなこの呪いが怖いだけなんだ」

 世界各地に結界を張り人々を魔物の脅威から取り除いた伝説の聖女に匹敵する、とまで言われていた妹ですら解けなかった呪い。
 これまで見下し虐げてきた獣人へと変貌するなど、どれだけの恐怖を貴族たちにもたらしただろう。

 王都から遠く離れた土地で屋敷を与えられたものの、使用人は誰一人つけてもらえなかった。
 自分たちのことはすべて自分でやらなければならない。
 騎士として野営の経験もある私はともかく、生粋の姫であるリゼにはどれだけ大変なことだろう。
 助けてやろうにも、私は鎖で繋がれ、この部屋から出ることすらできないのだ。
 しかし、呪いを受けてしまった以上これは仕方のないことなのだと、受け入れていた。……つもりだった。

「いいえ、兄さま。彼らは国を支え民衆を守ってきた兄さまへの恩義も忘れ、裏切ったのですわ」

 固い牢で閉ざされているのは私の部屋だけらしい。
 リゼは時折屋敷を抜け出し、街中で獣人として行動するようになった。
 しかし、黒髪の獣人となったリゼに対する世間の態度は、王都ほどではないものの差別が酷いらしい。私の部屋で怨嗟の言葉を吐くことが多くなった。

「許せませんわ。兄さまを裏切った者も、わたくしに無礼な態度を取るこの街の住民も。みんなみんな、死ねばいいのよ」

 獣化の影響だろうか。
 だんだんと、黒い感情が湧き上がるようになった。
 何故このような目に遭わねばならぬのかと。
 それは日増しに強くなり。
 猜疑は恨みに、恨みは破壊衝動に変じていく。

『兄さま、あぁ、可哀そうな兄さま。わたくしたちを裏切った王都の連中に、いつか思い知らせてやりましょう』

 獣化が進み、やがて人の形を成さなくなると、感情までもが獣になったようだった。
 獣としての私が囁く。
 殺せと。壊せと。奪い、犯し、蹂躙せよと。
 黒い感情に呑まれていく中、リゼの声だけが甘美に響く。

『兄さま、兄さま。いつか、わたくしたちを裏切った王都の愚かな民衆を、王族を皆殺しにしてやりましょうね。そうして、兄さまが王様になるの。あの玉座は兄さまこそがふさわしい』
「ソウダ、王トナルノハ、コノ私ダ――」
「えぇ、えぇそうよ、兄さま。そして、今度こそ、わたくしたちを裏切ることのない者だけを国民として迎えるの。あぁ、なんて素敵なんでしょう」

 リゼの望みを叶えることが、今の私の望み。
 もっと壊して。もっと殺して。リゼの望みを叶えるのだ。

「王都へ還りましょう兄さま。『兄さまこそが王にふさわしいのです。玉座を汚す者どもを排除し、取り返すのです』」
「王都へ……玉座ヲ、取リ返ス……」

 リゼの口から繰り返し紡がれる言葉。
 王となるのは私だと、私以外に相応しい者などいないのだと、リゼの言葉で染められていく思考。
 復讐という、甘美な響き。

 いつからか、リゼは私の衝動を治めるため女をあてがうようになった。
 一晩につき、一人。薬でも嗅がせたのか無抵抗の状態で私の前に転がされる女性たち。
 私はそれを、欲望のままに犯し、壊した。


「もういいんだ、リゼ。私を殺してくれ……」
「いいえ、いいえ兄さま。苦しみを知った兄さまは、誰よりも優しい王になれますわ」

 どういうわけか獣化が解けた。
 正気に戻った今となっては、その罪の重さに耐えられそうにない。

『この苦しみをあの裏切り者どもに思い知らせる前に、死んではなりませんわ』

 リゼの声に合わせて、耳鳴りがする。
 湧き上がるのは、リゼの言葉に従いたくなる気持ち。
 私の中の獣が吠える。復讐を。殺戮を。

「離れろ、リゼ。呪いが暴走する……私は再び獣になる……いイカ、殺セ。こレ以上、私ガ罪ヲ犯す前に……ぐっ、う、ああああああ」
「いいえ。そんなこと、させませんわ兄さま」

 意識が遠のく。
 目の前の少女は誰だ。
 誰でもいい。壊したい。

「兄さま、佳人がおりますわ」

 少女が近寄ってくる。
 そうだ。来い。もっとこちらへ。

『大人しくしていらして、兄さま』

 あと少しで、壊せる。
 爪を伸ばし、切り裂こうとして、けれど、突然体の自由が奪われる。
 どういうわけか、爪の先すら動かすことができなくなった。
 眼前でぴたりと止まった爪に、少女が触れる。

「遠くからでもわたくしたちの呪いを緩めたほどの佳人なら。兄さまと交われば、きっと呪いは完全に解けますわ」

 何故動けない。
 少女が胸の毛に顔を埋める。
 ふふ、と楽し気な笑い声。

「不思議そうなお顔ね、兄さま。わたくし、もともと人を操るスキルがありましたの。兄さまの呪いがうつってから、その力が強くなりましたわ。ねぇ兄さま。兄さまも使い方がわからないスキルがあると仰っていましたわね。今なら、その力を使えるのではなくて?」
「……チカラ、ダト……?」
「確か、未来視と言いましたかしら? ねえ、兄さま『佳人は今日の夕刻、どこにいるかしら?』」
「……窓カラ海ガ見エル建物」

 口が勝手に動く。
 少女の問いかけに、脳裏に柔らかそうな子供の姿が浮かぶ。
 美味そうな獣の背に乗り、男に手を引かれている。

「……この街に該当する建物が何軒あると……ああ、いえ、これはわたくしの聞き方が悪かったのですわ。兄さま、『佳人が冒険者ギルドを訪れることはあるかしら』?」
「……アル」
『それはいつ?』
「……今日ダ」
「そう。ふふふふ。それなら、すぐにギルドへ人を遣りましょう。待っていらして、兄さま。きっとその佳人を、兄さまのもとへ連れて参りますわ」

 笑いながら部屋を出ていく少女。
 爪が、腕が虚空を裂く。
 後を追おうとした足を、鎖に止められた。
 全力を以てしても千切ることができない。
 忌々しい鎖だ。

「スベテ殺シ、王ニ――」

 ……何のために?
 王とは何だったか?
 ああ、どうでもいい。
 目に入るものを破壊し尽せれば、それでいい。

 脳裏に浮かんだ少年が消えない。
 あれが己を解放する存在であると本能が訴える。
 あの白い肌には、赤い血がさぞ似合うことだろう。
 ああ、早く壊したい。


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