月下美人は甘露に濡れる

禎祥

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16 夜の都に死者は蠢く

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「ほら、聖水だよ。お飲み。咽喉以外におかしなところはないかい?」
「いや……この街は、いつもこうなのか?」
「まさか! いつもは、お日様が出てる間はここまで酷くないさ。あんたたち、ギルドに行くんだっけ? 今日はもうやめておきな。夜はもっと酷くなるから。咽喉が痛くなる程度じゃ済まないよ」

 女性が水差しから注いだ水を受け取り口に含むと、咽喉の痛みが消える。
 神殿で祈りを込められた水は聖水と言って、軽度な瘴気やられを治す効果があるんだって。
 それがこうして水差しに用意してあるって、瘴気が日常になっているってことだよね?

「それよりそっちの、ずっとフードを被ってるけど、まさかお尋ね者じゃないだろうね? うちは獣人でも歓迎する宿だけど、犯罪者だけはごめんだよ」
「あっ!」
「な、あんた、その髪……バカ、早くフードを被りな! 誰かに見られたらどうする!」

 女性がいきなり僕のフードを取り、そしてまた慌てて戻す。
 誰かに見られてはいないかと辺りを見回した女性は、宿に面した道路や水路に誰もいないのを確認し、ふぅ、と大きな溜息を吐いた。
 カークさんが、フードを取ったのはあんただろ、とツッコミを入れているけど、気にした様子はない。

「この宿は獣人も泊めるから、普通の客は嫌がってね。今はあんたたちしかいないから安心おし。けれど、外から見える場所ではフードを取らないようにね」
「はい……」
「黒髪が怖くないのか?」

 どうやら、僕の髪については見なかったとこにしてくれるらしい。
 女性は、カークさんの問いに少しだけ驚いたような表情をしてから、笑った。

「この街はティタンとも交易をしているからね。あそこは黒髪や黒い肌の奴が多いから、多少は慣れてるよ。ただ、その分街中で魔人化しちまう奴もけっこういてね。黒髪を警戒する傾向は強めかな。だが、あんたのは黒っていうより、星空だね。そんなキラキラ光を反射するような綺麗な髪、初めて見たよ」
「星空……」

 何故かカークさんが嬉しそうに頷いている。
 魔人や魔物の象徴である黒は、そこにある物を吞み込んでしまいそうな、光を反射しない黒なんだって。
 黒髪が多い国なら、僕やカークさんもそんな目立たないんじゃないかな?

「ああ、今はティタンに向かうのはお勧めしないよ。ティタンに向かう街道で、何度も商隊が襲われていてね。荷物と亜人を寄越せば命までは取らないなんて言われて引き渡したってバカが何人もいるんだ。だから、街を出る時に声を掛けてくる奴は相手にしない方がいい。襲われた時のお守り代わりに、なんて連れ去られても知らないよ」
「……忠告感謝する」

 僕の考えを見透かしたのか、女性に注意されてしまった。
 あれ? そういえば、同じような話をどこかで聞いたような……?
 まぁ、何にしろ、声を掛けてくる人に気をつけろってことだよね。

「あぁ、長々と説教じみた話をごめんよ。泊まっていくなら、二人で3000ロピー、食事もするなら1食500ロピーだよ」
「じゃあ、今晩と明日の朝食付きで頼む」
「毎度! 改めて、ようこそ、百花亭へ。私は女将のクロエってんだ。よろしくね」
「ああ」
「はい、よろしくお願いします」

 クロエさんは、瘴気が出ているからラーナも中でいいと言ってくれた。
 部屋は2階で、庭に面しているからフードを取っていても大丈夫だというクロエさんの心遣いが嬉しい。
 夜の間は瘴気で窓を開けられないけれど、日中は開けられるそうだ。
 夕食は部屋に持ってきてくれるという。

「いくら他に客がいないとはいえ、食堂は外から見えるからね。そしたら、そっちの子はローブを脱いで寛げないだろう?」
「ありがとうございます」

 夕食もすぐに用意するから、それまで部屋を出ないでくれ、と言われた。
 しばらく部屋で待っていると、クロエさんに呼ばれた。

「本当は食事前に見せるもんじゃないだろうけれど、きちんと話しておかないと、外に行っちまいそうで心配だからね」
「「?」」
「こっち、音を立てないよう、そっと外を見てごらん。驚いても、声は出さないようにね」

 クロエさんに手招きされて入ったのは、僕たちが泊まっている部屋とは向かいの部屋。
 閉じられていた木窓をクロエさんがそっと持ち上げると、瘴気が少し入ってくる。
 僕は咳き込まないように口を手で覆いながら、隙間からそっと外を覗く。
 見えたのは、僕たちがさっき歩いてきた通り。
 周辺の建物はどこも木窓が閉じられ、明かりは見えない。
 まだ早い時間だとは思うけれど、お店らしき建物も閉ざされている。

「……ぅぅぅ……」
「……ぅぁぁぁぁ……」

 かすかに、誰かの苦しそうな呻き声が聞こえた。
 瘴気を吸って苦しんでいるのかも。
 慌ててカークさんを見ると、物凄く顔を顰めて鼻を抑えている。
 呻き声がカークさんにも聞こえているようで、耳はそちらの方にピクピクと向いていた。

「見えたかい?」
「ああ。動く死体ゾンビだな」
「ひっ」

 そっと木窓を閉じてから聞いてきたクロエさんに、カークさんが頷く。
 クロエさんが言うには腐乱死体が夜な夜な徘徊しては、生きている人を襲うのだそうだ。
 僕ははっきり見えなかったけど、見えなくてよかった。
 ゾンビなんて、映画でも遠慮願いたい。

「奴らが出るのは戦場や遺跡くらいだ。何故こんな街中に?」
「領主のせいだよ。新しい領主になってからというもの、この街は死者の街になっちまった」

 きちんと弔われた死体であれば、たとえ土葬でも魔物化することはないのだという。
 それはこの街では一般常識で、それでも親しい人の亡骸を魔物に利用されたくはないと、この街では火葬して灰を海に還すらしい。
 けれど、誰かがそれを怠った……つまり、死体をその辺に打ち棄てた。
 最初のゾンビが目撃されたのが、ちょうど新しい領主が王都からやってきた時期だから、犯人は領主だと街の人々は言っているらしい。

「領主が怪しいってのは、それだけが理由じゃないんだ」

 ゾンビが出るようになったせいで、街の中でも瘴気が漂うようになってしまった。
 そこで、領主と冒険者ギルドの連名で佳人の派遣を王都へ要請したらしい。
 けれど、領主館に入った佳人は誰一人出ては来なかった。
 そして、街の瘴気が消えることもなく。

「領主は佳人だけではなく、侍女を募集するという名目で街中の若い女も集めていてね」

 領主が佳人を集めている、という話でビクリと反応してしまったけれど、クロエさんは気づかなかったようだ。
 面接に行き、戻ってこない娘を探すとゾンビになっていたと話し続けている。
 早くこの街から出た方が良さそうだ。
 カークさんも同じことを考えたようで、目が合うと小さく頷いた。


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