月下美人は甘露に濡れる

禎祥

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15 水の都は虚飾の栄華と毒霧を纏う

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「番というのは、単純な夫婦関係を指すだけじゃなくて……魂で結ばれた者――己の半身だ」

 説明しにくそうに、カークさんが言う。
 家族や友人といて笑いあっていても、決して満たされることのない虚しさがあるのだそうだ。
 それは、魂が完全ではないから。対となる魂と出逢って、初めて完全になるんだって。
 足りない魂を補完し合う存在、それが『番』。
 それがカークさんたち獣人だけのものなのか、この世界の人種すべてに共通することなのかはわからないけれど。

「サクヤと出逢って、俺は、やっと自分の居場所を見つけたと感じた。サクヤが対の存在なんだって。だから、サクヤと番いたい。サクヤに俺を受け入れて欲しい」
「つまり、番って、単純に夫婦を指すわけじゃないんだ?」

 僕の確認に、カークさんが頷く。
 番になるというのは、通常の夫婦の契りとは違い、魂の一部を交換し混ざり合うのだという。
 何それ、ちょっと怖い。

「番になれば、どこにいても相手を感じられる。サクヤが危ない目に遭ったとしてもすぐにわかる。今度こそ、俺はサクヤを守りたい。ずっと傍にいたい。サクヤにも、俺の存在を感じて安心してもらいたいんだ」

 まっすぐな言葉に、頬が熱くなる。
 悲しくないのに、泣きそうになってしまう。

 ここまで、成り行きに任せて来てしまった。
 突然知らない世界にきて、乱暴されて、カークさんの集落には置いておけないって追い出されて。
 不安だったんだ、って今頃気付いた。でも、僕は独りじゃない。

 受け入れても、いいのかな。
 僕、おじさんだけど。
 この世界の人でもないけど。
 それでも、カークさんの番になって、いいのかな。

「突然こっちに来たみたいに、突然元の世界に帰っちゃうかもしれないよ?」
「サクヤにとってここは生きづらい世界だ。元の世界に帰れるなら、帰してやりたい。その手がかりを得るために、ブルムへ行くんだ」

 カークさんが、優しく微笑む。
 番になれば、世界を跨いだとしても、心はいつでも一緒だと。
 ずっと笑っていて欲しいんだと。離れていてもそれを感じられるのだと。

 僕は、カークさんの番になることに決めた。
 この世界に来てから、流されるままだった僕が、初めて自分で決めたことだった。
 番になるには神殿で儀式を受ける必要があるらしく、船が港に着いたら、宿と神殿を探すことになった。



 しばらくして、港が見えてくる。
 大小様々な船が停泊し、露天が並んでいるのが見える。
 なかなか賑わっているようだ。
 海風から守るためなのか、レンガ作りの高い建物も多く見える。

「ブルルルルルッ」
「あ、こら、暴れるな!」

 港が近づくに連れて、船内も一気に慌ただしくなる。
 帆をたたむ船員や、荷物を持って甲板に上がってくる乗客。
 騎獣に手綱や鞍を付けるために、柵の中も人が入ってくる。
 みんな浮足立っていて、僕らを気に掛ける人はいない。


「今日の宿はお決まりですか?」
「たくさんサービスしますよ!」
「1名様御案内!」

 港は、活気に溢れていた。
 船を降りる乗客を取り囲むように声をかける客引き達。
 けれど、荷下ろしのためのステップからラーナを連れて降りる僕たちに寄って来る人はいない。
 一瞥するなり、興味が失せたように顔を背ける人々。
 ヒソヒソと陰口も聞こえるし、やっぱり獣人は歓迎されていないのだと思い知らされる。

「さて、ラーナ、またサクヤを乗せてやってくれ」
「ムムゥ~」
「ありがとう、ラーナ」

 船が着く前の話し合いで、まずは冒険者ギルドに行くことになっていた。
 冒険者ギルドは亜人のための施設でもあるから、宿の情報があるだろうって。
 ついでに、受けられそうな依頼がないかも見ようって。
 けれど、肝心のその施設がどこにあるかはわからない。

「あんたたち、宿をお探しかい? うちは銀猫族大歓迎だよ」
「……えっ!?」
「というか、この街で亜人が泊まれるのはうちくらいだ。他は、金だけ毟り取られるからやめた方がいいね」

 他の乗客や客引きの人が少なくなり、周囲の施設が視認できるほど港が落ち着いてきた頃、突然妙齢の女性から声を掛けられた。
 まさか、僕たちに声を掛けているとは思わず、反応が遅れてしまった。
 カークさんは、女性を警戒しているのか、僕を隠すように女性の間に立つ。

「ほらほら、いつまでもこんな所にいたら迷惑だよ。ついておいで」
「いや、俺たちは冒険者ギルドに行こうと」
「そうかい? それならどっちにしろ、うちの前を通るね。案内するよ」

 女性は強引にラーナの手綱を取ると、引っ張って歩き出す。
 慌ててカークさんが手綱を取り返すと、女性は豪快に笑った。

「そうだね、そのくらい警戒した方がいいね。世の中には、あんたたちみたいな保護地区を出た亜人を捕まえて奴隷にしようって奴らがいるからね」
「あんたは違うと?」
「カーク、僕らをどうこうしようとする人は、警戒しろなんて言わないよ。ギルドにも案内してくれると言ってるし、ここはついて行ってみない? それに、何があっても守ってくれるんでしょう?」
「……サクヤがそう言うなら」
「いいね、あんたたち! ますます気に入ったよ! あぁ、そうそう。あんたたち、口を覆う物はあるかい? 街中は空気が悪いからね、直接吸わない方がいい」

 女性のアドバイスに従い、荷物から布を取り出すと三角折にして口を覆うように縛る。
 街の中の景観は、ヴェネツィアを彷彿とさせる水上都市。
 建物の間を縫うように水路が走り、ゴンドラが荷物や人を乗せて行き来している。
 陸路もあるけれど、船で見かけた巨熊のような大型騎獣が1匹通れるくらいの細さで、馬車が走るには向いていない。

「……ケホッ……本当に、空気悪いね……」

 建物で入り組んだ街の中は、空気が淀んでいた。
 なんとなく、街中が黒く煙って見える。布越しでも咽喉が焼かれるようだ。
 行き交う人のほとんどが、布や皮で口を覆っている。
 港の活気とは反対に、街中は薄暗く、人々の顔色も病的に悪い。

「サクヤ、あまり吸うな。瘴気だ」
「おや、わかるのかい?」
「瘴気って、街中に魔物が?」
「……じきにわかるよ。それより、早く宿へ」

 確か、瘴気は魔物が出すって話だった。
 あまり往来ではできない話なのかな。
 女性の案内で、足早に街中を通り抜ける。

 宿は、建物もまばらになった街外れにあった。
 赤い屋根の3階建ての建物に、小さな木製の看板。
 ベッドに猫が寝ている絵柄とともに書かれた文字は、『百花亭』。
 宿の前に来てもまだ黒煙が出ていて、女性に促されるまま、宿に避難することになった。
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