月下美人は甘露に濡れる

禎祥

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8 花は猫の本心に触れ

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 翌朝、目覚めるとすぐに出発になった。
 朝といっても、日はもう高い。
 身体の痛みはだいぶマシにはなっていたけれど、歩けるかと言われると不安が残るレベルだ。

「今日は港町まで行って、そこで一泊する。辛くなったらすぐ言ってくれ」
「はい」

 僕は全身をすっぽりと覆う長いマントを着せられて、大きなヤギに似た生き物の背に横向きで乗せられている。
 ヤギの2倍はある体高で、角は大きく後ろに湾曲し、胴体の毛はモップのようだ。
 プーラという生き物らしい。
 体の両側と背中に大きな荷物を括り付けられている。

「カークさんも、疲れる前に休憩してくださいね」
「大丈夫だ。サクヤは優しいな」

 プーラはカークさんの集落では農耕や荷物の運搬に使われているそうだ。労働力として重宝されているため、1匹しか連れ出せなかったそうだ。
 力持ちで、こんなに荷物を載せられているのに大人二人は余裕で乗れるらしい。
 けれど、カークさんはプーラには乗らず、手綱を握って横を歩いている。
 プーラに乗るのに抱え上げられた時、僕がパニックを起こしてしまったせいだ。

「そういえば、この子、名前はあるんですか?」
「ラーナだ。飼っているプーラの中で一番温厚な性格で、美味い乳をたくさん出す」
「えっ、じゃあ、ラーナは子供を産んだばかりなんじゃ?」
「大丈夫だ。プーラは集団で子育てをする。ラーナがいなくても、ラーナの仔は育つ」
「そっか、それなら……」

 良かった、と息を吐く。
 そんな僕に、カークさんが「サクヤは優しいな」と眩い笑顔を見せる。

「……優しいのは、カークさんの方です」
「ん? 何か言ったか?」
「えっ? い、いえ、何でもないです」

 ラーナに乗る時にカークさんを拒絶してしまったこと、そのせいでずっと歩くことになってしまったこと。
 僕を責めることも、嫌な顔を見せることもない。
 もっと気まずい雰囲気の旅路になるかと思っていたから、こうして会話が続くことにホッとする。
 けれど改まってそれを言うのも、カークさんを拒絶してしまったことを蒸し返すようでできなかった。


「……そう言えば、やっぱり僕は佳人じゃないですよ」
「いや、サクヤは佳人だ」
「だって、僕、昨夜はその……してないですよ?」

 戻ったら抱く、と宣言していたのに、カークさんは僕を抱かなかった。
 佳人は夜ごと誰かに精を注がれなければ生きられないって言ったのはカークさんだ。
 けれど、今僕はこうして生きているし。
 そう思って口にしたのだけれど、カークさんが一気に機嫌悪そうな顔になってしまった。

「……忘れたのか? カイルたちに乱暴されたこと」
「えっ? あれカウントされるの?」
「不本意だが、行為そのものに意味があったらしい。昨夜はずっと様子を見ていて、サクヤの体調が悪化するようなら無理にでも抱くつもりだった」

 けれど、僕はずっと眠ったままで、呼吸が乱れることもなかったらしい。
 ん? あれ? じゃぁ、カークさん、一晩寝てないんじゃ?

「カークさん! 休みましょう! 寝なくちゃダメです!」
「このくらい大丈夫だ。狩りをしていた頃は三日寝ないことだってある」

 猫なのに!?
 よほど変な顔をしていたのか、カークさんがふっ、と笑う。
 その笑顔に、何故かドキッとしてしまった。

「そんなことより、サクヤは自分の心配をしろ」
「そんなことって」
「今夜までに、俺に触れられることに慣れないと」
「!」

 そうだった。その問題があった。
 会話はできているけれど、一緒にプーラに乗ることもできない。
 カークさんが近づくだけで、ダメなのだ。
 乱暴されることはないと、あの4人とは違うと、頭では解っていても体が拒絶してしまう。
 けれど、今夜カークさんに抱かれなければ、僕は死んでしまう。

「死ぬ直前まで、我慢?」
「アホか。それで死んでしまったらどうする」
「だ、だって」
「それに、サクヤが苦しむ姿を見ていたくない」

 カークさんのその言葉に、真剣な眼差しに、ドキドキする。
 この人は、そういう行為がしたいわけじゃなく、本当に僕のことが心配なだけなんだ。
 大切にされているって、改めて感じて胸の奥がジンと温かくなるのを感じた。

「だから、ほら」
「ヒッ! ……あ、ご、ごめんなさい」
「いや、謝らなくていい」

 カークさんが、手を差し伸べてくる。
 それにまたビクリと肩が跳ねてしまって、本当に申し訳ない。
 けれど、カークさんは手を引っ込めない。

「怖くなくなるまで、握って」
「は、はい……」

 恐る恐る、手を重ねる。
 そっと触れた手を、ぎゅ、っと握り返されてまたビクリと身体が跳ねる。
 けれど、カークさんが握った手を離すことはなかった。

「あの、何で、僕にこんな親切にしてくれるんですか?」
「え?」
「だって、その、面倒でしょう? 僕。この世界の常識なんてないし、1人で生きることもできないし……」

 僕を東の亜人地区に連れていくために、集落を出ることになってしまったカークさん。
 あの地図の縮尺がどれほどかわからないけれど、一日や二日で帰ってこられるような距離ではないはずだ。
 しかも、カークさんはたぶん亜人差別に遭い、人間を嫌っている。
 集落を出るってことは、きっとまた嫌な思いをさせてしまう。

「サクヤが佳人だってことは、香りですぐわかったよ。獣人は鼻が利くんだ」
「それなら……」
「でも、助けないなんて選択肢、俺にはなかったよ。サクヤを見た時、なんて綺麗なんだって目を奪われた」

 カークさんの繋いだ手から、ジワリと熱が伝わる。
 左手で手綱を、右手で僕の手を握っているから、とても歩きにくいだろうに、カークさんはどちらも放そうとしない。
 魔物避けの香袋を提げているから大丈夫だ、なんて、それと歩きにくさは関係ないのに。
 伝わる熱が、今はとても安心する。

「綺麗……? 僕が?」
「サクヤが佳人だからとか、香りにやられたとかじゃない。俺は、サクヤを一目見て運命を感じた。ずっと傍にいたいし、サクヤを誰にも渡したくはない」

 綺麗だなんて、元の世界じゃ言われたことがない。
 僕はチビだし童顔で、ただの一人も恋人を作ることができなかった。
 カークさんが、真剣な顔で言う。

「サクヤを、愛している。だから、サクヤが元の世界に戻る手助けをしたい」
「……元の世界に帰したいんですか?」
「あぁ。サクヤが安全に、幸せに暮らせるのが一番だからな」
「……そう……」

 真剣な眼差しに、本心なのだと解った。
 元の世界に帰れれば嬉しいはずなのに、何でこんなに心が痛いんだろう。
 フードを引き下げて、唇を噛む。
 何故だか、無性に泣きたい気分になって、僕は会話を続けられなくなってしまった。


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