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7 花の傷は猫を
しおりを挟む薄暗闇の中、目を覚ます。ひんやりした空気が肺に入り、意識が一気に覚醒する。
仄暗くてもわかる、ログハウスのような建物の中。
……起きたら全部夢だった、っていうのを期待したんだけど。
異世界に来てしまったというのも、猫耳の生えた青年たちに乱暴されたのも、夢のような、現実。
「……はぁ」
「起きたか」
「!」
深い溜息を吐いたら、声をかけられた。
ビクリ、と身体が跳ねて、その衝撃であちこちが悲鳴を上げる。
声がした方に顔を向けると、カークさんが尾を揺らしながらゆっくりと近寄ってきた。
悲しげにも、困ったようにも見える表情は、僕が明らかに怯えてしまったからだろうか。
「体は平気か? 食欲は? あ、何か飲むか?」
「え、あの……じゃぁ、いただきます……」
僕が返事をすると、嬉しそうに微笑み、起き上がるのを助けようとしてくれる。
けれど。
手が僕に向かってきたのを見た瞬間、ぞわり、と全身に鳥肌が立つ。
思わず、カークさんの手を払ってしまっていた。
「あっ……あの、これは、その、違うんです……」
「サクヤ」
カークさんは彼らとは違う。
頭ではわかっているのに、震えが止まらない。
カークさんの耳がペショ、と下を向く。
傷つけてしまった?
「違うんです……ごめ、ごめんなさい……」
「サクヤ、大丈夫。落ち着いて。近づかないから」
ガタガタと震える体に気付いたのか、カークさんは部屋を出て行ってしまった。
しばらくして戻ってきたカークさんの両手には、湯気の立つカップ。
それを一度椅子に置くと、テーブルをベッドの淵まで寄せてきた。
必然的に傍に来たカークさんに、またビクリと身体が反応してしまう。
「起きれるか? ゆっくりでいい。話がしたい」
「は、はい……」
カークさんの顔からは、何の感情も読み取れない。
怒らせてしまっただろうか。
親切にしてくれたのに、こんなに怖がるなんて。
失礼だと解っていても、身体は言うことを聞いてくれない。
カークさんは僕に届くようテーブルの端にカップを置くと、くるりと背を向けた。
その視線の先にあるのは……本棚?
そこから、折り畳まれた紙のようなものを引き抜いた。
カークさんがそれを広げると、テーブル一面に絵が広がる。
「これは、この世界の地図だ」
痛みをこらえながら、上体を起こす。
テーブル分距離があるからか、震えは少し治まってくれた。
カークさんの話に集中することを意識して、地図を眺める。
等高線はおろか、経線も緯線もないし、縮尺さえわからない。
平面的な大地に、奥行きなど無視したように山や森が描いてある。
所々に、「徒歩3日」「魔獣多し」「検問あり」など書き込みがある。
「今、この小屋があるのはここ」
カークさんが示したのは、そんな地図の一番左端にある小さな島。
カークさんの長い指が地図の上を、上向きの緩やかな弧を描きながら右へと動いていく。
指は地図の右端にある丸印で止まる。周囲のたくさんの木の絵は、樹海、かな?
木の中にブルムと書いてあるのは、この樹海の名前だろうか。
「このルートで、ここまでサクヤを連れていく。ここ、東の亜人地区に佳人の研究者がいたらしい」
「亜人地区……?」
「俺みたいな、ニンゲン以外の人種を保護という名目で閉じ込めている集落だ。その中でも、東の亜人地区はかつて森乙女が支配する土地だったからか、森人が多い」
森人……エルフとかかな?
異世界に来てすぐの僕だったらきっと興奮したのだろうけれど。
今は浮かれる気分にはなれない。
それに、カークさんの言葉や表情から、亜人が差別されていることが窺える。カークさんが、人間を良く思っていないことも。
「佳人の研究者なら、サクヤを元の世界に帰す方法を知っているかもしれない。或いは、精液を摂取しなくても生き長らえる方法とか」
「え……っ」
「それがダメでも、植物の精霊を祖先とする亜人ばかりだから、サクヤが少しでも普通に過ごせるんじゃないかって思う。ブルムでは佳人を花人と呼んで、仲間として扱っているそうだから」
すぐにでも出られるよう旅の準備までしてあるらしい。
カークさんが僕をそこに連れていくというのなら、ついていくしかないのかな。
それに、もしここに残ってまたあの人たちが来たらと思うと、怖い。
不安を落ち着かせようと、カップに口をつける。
ほんのり甘い香りのするお茶だ。
湯気を散らすように幾度か深く息を吐き、ひと口。
身体に染みていく温かさに、鳥肌も治まっていく。
「本当は、サクヤの怪我が治るまで待ってやりたいんだが……。族長から、明日中に発つよう言われてしまってね」
「……いえ、大丈夫です。それに、僕も、ここにいるのは怖いので」
あ、カークさんの表情が変わった。
何で、貴方がそんな顔するの……?
本当に辛そうで、泣くのを堪えているような顔。
すまない、なんて。貴方が悪いわけではないのに。
「ここを出たら、ブルムに着くまでサクヤはきっと嫌な思いをしてしまう」
「……亜人差別、ですか?」
「それもあるが……サクヤ、俺はサクヤの髪も目も、本当に美しいと思う」
「へっ?」
急に褒められて、変な声が出てしまう。
カークさんは、大きなフードのついたマントをどこからか取り出した。
それを、僕に寄越そうとして、けれどすぐに手を引き、テーブルの上に置く。
「この世界には、魔物という化け物がいる。食べるためではなく、殺すために見境なく他の生物を襲う。更に、奴らの吐く息は土地も空気も汚染する猛毒だ。……その、魔物がみんな黒色の体躯のため、黒は魔物の色だと忌避されているんだ」
カークさんが酷く言いにくそうに教えてくれる。
だから髪や顔を見られないようにしろと。
けれど、カークさんの髪だって、光の加減によっては黒に見える焦げ茶だ。
「俺は良いんだ。慣れてるから」
僕の視線に気づいたのか、カークさんが微笑む。
でも、それは凄く悲しいことだと思う。
慣れるほど、酷いことを言われたりされてきたってことでしょう?
けれど、異世界から来た僕が何を言っても綺麗ごとでしかないんじゃないかって思ったら、かける言葉が見つからなくなってしまった。
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