月下美人は甘露に濡れる

禎祥

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6 嵐の如き激情 (カーク視点)

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 どうあっても自分が佳人だと認めないサクヤと口論になってしまった。
 いきなり異世界に来てしまって不安だろうから、もっと寄り添ってやりたいのに。
 けれど、頑なに抱かれることを拒むサクヤに、無理やりにでも抱くと最低な言い方をしてしまった。
 だって、そうしなければサクヤが死んでしまう。

 俺はサクヤに死んでほしくないだけなんだ。
 その気持ちまで拒まれたようで、苛立ってしまった。
 もっとサクヤについて、佳人について知らなければ。

「カーク! 何があった!? ずぶ濡れじゃないか!」
「族長、佳人について教えてくれ」

 集落の手前で、目的の人物を見つけた。
 佳人の移り香を消すために川へ入ったのだが、「こんな時期に水浴びなんて」と叱られてしまった。
 確かに最近は冷え込んできているが、まだ水を浴びたくらいで風邪をひくほどじゃない。

 そんなことより。
 一人残してきた彼が心配だった。
 こうして朝を迎えることはできたが、起き上がるのも辛そうだった。
 愛を注ぐという行為は、あれで間違えていないはずだが、戻る前に死んでしまったらと思うと不安で仕方がない。

「お前、まさか……」
「あぁ。佳人を助けた。掟を破った俺は集落を出るよ」
「ならん! 佳人のために生活を棄てるなど! 集落の外は、亜人にとって地獄だ!」

 開口一番に佳人について聞いたからか、族長は俺が佳人と会ったことに気付いたようだ。
 だけど、怒っているのは俺が掟を破ったことではなく、集落を出ていくことらしい。
 族長は俺にとって父親のような存在だ。俺だって別れるのは辛い。
 親を亡くして幼い弟妹と途方に暮れていた俺が狩人になれるよう指導してくれた族長とは、恐らく集落の誰よりも長く共に過ごした。

 それでも、これだけは譲れない。
 今ここで俺がサクヤを見捨てれば、サクヤは生きてはいけないだろう。
 この集落では佳人と関わるのは禁忌だから、俺以外でサクヤを助けようとする奴はきっといない。
 サクヤには俺しかいないんだ。

「それでも、俺はサクヤを見捨てるなんてできない」
「……いつか、こんな日が来ると思っていたよ。お前が、佳人を憐れんだ時からな」

 族長は諦めたような声色で呟くと、長い溜息を吐いた。
 俺が意見を曲げる気はないと察してくれたのだろう。
 いつだって厳格で大きく見えた族長が、何故か弱々しく見えた。

「それで? その佳人はどこに?」
「小屋で休ませている」
「小屋だと?!」

 普段声を荒げたことのない族長が、尾を膨らませ目を見開く。
 その尋常じゃない様子に、嫌な予感がして踵を返す。
 全力で走る俺に、全盛期を過ぎたとはいえかつて狩人をしていた族長はピタリとついてきた。

「帰ってこないお前を探しに、カイルたちが小屋に向かった」
「! カウラは!? 一緒か?」
「いや……急ごう」

 カイルとカウラは俺のすぐ下の双子の弟妹だ。
 カイルは体格に恵まれた分、力も強い。気に入らないことを力づくでどうにかしようとするところがある。それを言葉巧みに宥め制御しているのがカウラだった。
 カウラがいなければ、カイルはとっくに集落から追放されていただろう。
 カイルの足りない部分をカウラが、カウラの及ばない部分をカイルが補っている。
 当人同士は組まされるのは不本意そうだが、良いコンビだと俺は思う。

 止め役カウラがいないという情報に、彼の身に今起きているであろうことが容易に想像できて唇を噛む。
 集落で謂れのない非難を浴びるよりは、と置いてきたのが仇となってしまった。
 こんなことなら、背負ってでも連れてくるんだった。

「……佳人は争いを、悲劇を招くと言ったであろうが」
「……まだ、とは決まっていない」
「カイルを殺しそうな顔をしおって」

 速度を上げた俺の横に並んで走りながら、族長が溜息混じりに言う。
 無事であって欲しいという俺の願いは恐らく叶わない。
 族長も同じことを予想しているから、俺についてくるのだろう。

「……彼は、俺の運命だ」
「彼? 佳人に男がいるなど……」

 博識な族長でも聞いたことがないらしい。
 佳人の特性故に、存在していても男の佳人では夜明けを迎えられた例がないのかもしれない。

「族長、佳人が幸せに生きる方法はないのか?」

 生きるためとはいえ、男の性欲処理に使われたり争いに巻き込まれたりするのはあんまりだ。
 普通の人と同じ喜びを、平穏な生活をサクヤに与えてやりたい。
 俺が幸せにしてやる、と内心思っていても、ずっと傍にいられるわけではない。
 そのたびにサクヤが誰かに襲われるのかと思うと、穏やかではいられない。
 俺からサクヤを奪おうとする輩も、サクヤに触れる男も許せない。

 自分の中に眠っていた他人への執着心に自分で驚いているうちに、小屋が見えてきた。
 中からカイルたちの声が聞こえる。
 族長と顔を見合わせて頷いた時、聞こえてきた会話にゾワリと全身の毛が逆立った。

「チッ、こいつ、動かなくなっちまったぜ」
「なんだ、つまんねぇな」
「まぁ、ガバガバになるまで楽しませてもらったんだ。予定どおり売っちまおうぜ」

 乱暴に開けた扉の向こう、驚いた顔でこっちを見る全裸のカイルたち。
 他の3人も見覚えがある。カイルとつるんで集落で悪さばかりしている連中だ。
 その足元には、顔を腫らし、力なく横たわるサクヤの姿。
 一糸も纏わぬその全身は白濁で汚れ、内股を流れる液体には血も混ざっていた。
 そこからは、よく覚えていない。








「もうよせ、カーク! 死んでしまう!」

 族長に力尽くで止められ、我に返った。
 カイルたち4人は足元で震えながら嗚咽を漏らしている。
 顔は原型を留めていないほど腫れあがり、尻尾を見なければ見分けがつかないほどだ。
 部屋に充満する精液の匂いと血の匂いに、再び怒りがこみ上げてくる。

「カーク、これでわかっただろう。佳人は人を狂わせる」
「俺が狂ったとでも?」
「実の弟とその友人を殺しかけておいて、正気と言い張るか」

 足元で転がる4人の血がべったりついた拳に、呆然としてしまう。
 そんな俺の目の前に、族長が未だ意識のないサクヤを連れてきた。
 俺が暴れている間に手当をしてくれたらしい。
 サクヤから香る花のような匂いは弱まっていたが、族長はそれでも理性を失わないためか布で自分の顔を覆っていた。

「ここを出ていけ、カーク」

 重々しい口調。
 俺が自分で言うのと、族長が命ずるのでは意味が違ってくる。
 それは、この集落からの追放。二度と帰ることは許されない。
 佳人であるサクヤはそもそもこの集落に置いておけないし、俺が残ればカイルが復讐を考えかねない。
 集落の平和を維持するためだという族長の考えは、ずっと一緒にいた俺には説明されずとも解った。

「……明日までは、ここでの滞在を許そう。だが、集落に入ることはできない」
「わかってる」
「いずれは、この集落の長をお前に託そうと思っていただけに、残念だ。息子よ……」
「……育てていただいた恩を仇で返すようなことになってしまい、申し訳ありません。父さん」

 族長と俺の間に、血の繋がりなどない。
 けれど、実の親子のように慈しみ育ててくれた。たくさんの知識を、技術を与えてくれた。
 ずっと、父さんと呼びたかった。息子と呼んで欲しかった。
 最初で最後になるだろうがそれが叶って、目から静かに雫が零れた。



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