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2 月来香は満月に (カーク視点)
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「おっと、そろそろ帰らないと」
赤みを帯びた空に気付き、森の奥へと向けていた足を集落の方へと変える。
体力的にはまだまだ余裕があるから、日が傾きかけていたのに気づけなかった。
近頃は日が落ちるのが早くなった。集落へと戻る頃にはすっかり夜だろう。
――よいか、カーク。決して、満月の夜に出歩いてはならぬぞ。
空を染める太陽とは反対側に上り始めた大きく一際明るい月を見て、族長のそんな言葉を思い出す。
折しも今日は満月。世界が魔力に満ちる日だ。
魔物が力を増し、周囲に瘴気を撒き散らす。瘴気は草木を涸らし、水を腐らせ、生き物を魔へと堕とす猛毒だ。
「急がないと」
集落一の狩人で、魔物狩りで生計を立てている自分であっても満月の魔物は手に負えない。
一度自分の実力を過信して挑んで、酷い目にあった。
だが、族長が満月の夜出歩くなというのはそれだけが理由ではない。
「……! この匂いは……」
森を駆けていると、ふわり、と風に乗って甘ったるい花の香りがした。
こんな強烈な香りを放つ花など、この辺りにあったか?
なかったはずだと思うと同時に、耳にタコができるほど聞かされた言葉が頭をよぎる。
――満月の夜には、佳人が現れる。
佳人。それは、満月の夜にこの世界へと落ちてくる異界の存在。
そこにいるだけで瘴気を浄化できることから、この世界の自浄作用で招かれるのではないかと言われている。
しかし、魔力に満ちるこの世界の空気が合わないのか、佳人は朝を待つことなく死んでしまうという。
この世界の住民から愛を注がれた佳人だけが、朝日を見ることができる。
愛されなければ、一夜にして枯れてしまう儚い花。
――佳人には、決して関わってはならん。
子供心に、世界の自浄作用で知らない世界に招かれ、そのせいで死んでしまう佳人を可哀そうだと思った。
それには族長も同意はしてくれたが、それでも佳人を助けようと思うなと言った。
愛を注がれなければ死んでしまうからか、佳人は総じて顔立ちがよく、濃厚な甘い香りを放っているらしい。
らしい、というのは、族長もまた決して佳人と関わってはならないと言いつけられ、実際の佳人を知らないからだ。
佳人は瘴気を浄化できるだけではなく、手に入れた者に強大な力と権力を与えるとされている。
それは、佳人がそのような力を持っているというよりは、佳人の力を利用して成り上がったということなのだろう、と族長が言っていた。
族長は佳人を見たことはないが、佳人を手に入れ、失った者なら知っていた。
その人物は佳人を手に入れようとした者たちと殺し合い、そして佳人は連れ去られたそうだ。
佳人を一度は手に入れたのだというその男は、手足を失いはしたが生き延びた。
しかし、佳人の香りを求め正気を失ってしまった、と族長は悲し気に首を振った。
――佳人は瘴気を祓いはするが、同時に人を狂わせる。だから、決して関わってはいかん。
佳人は争いを呼ぶ。佳人は禍の先触れだと思え。
そう教え込まれてきたからこそ、集落では佳人と出逢わなくて済むよう、満月の夜に出歩くことが禁止されていた。
佳人が現れたのがたとえ集落の中だとしても、助けてはならぬと。
魔物に殺されるか、弱って死ぬか。いずれにせよ朝になる前に佳人は死ぬ。
それが集落にとっては最善なのだと。
「……やっぱり、佳人……!」
香りを辿った先に、見慣れない服装の小柄な青年が倒れていた。
線が細く、やたらと顔が整っているから女にも見えなくはないが、男だ。
男を狂わせるなんて話だったから、佳人はみな女なのだろうと思っていた俺は驚いた。
だが、甘い香りは彼から漂っている。彼が佳人で間違いないだろう。
顔色が非常に悪く、呼吸も苦しそうだ。
酷く汗をかいているのに、体は震えている。
まだ月は昇り始めたばかりだというのに、今にも死んでしまいそうに見える。
「……あぁ、族長。助けないなんて、無理だ……」
思えば、あの香りを嗅いだ時点で手遅れだったのだろう。
集落に向かわずに、香りの発生源を探し求めてしまったのだから。
そうして、横たわる彼を見つけた。
目を引いたのは、夜を映したような艶やかな黒髪。
幼さの残る顔立ちに浮かぶ露から、ふわりとあの香りが漂う。
揺り起こそうとしても、反応はない。
とにかく魔物が来ない場所へ移動しよう、と抱き上げると、あまりの軽さに驚く。
成人前の弟よりも小さく細い、未成熟な体だ。
「まだ死ぬなよ。すぐ助けるからな」
幼い頃にはわからなかったが、大人になった今なら「愛を注ぐ」というのがどのような行為なのかわかる。
それを、まだ少年と言ってもいい体格の彼にするのは気が引ける。
けれど、そうしなければ彼はこのまま死んでしまうのだ。
佳人である彼を集落には連れて帰れない。
集落と反対側、森を抜けたところにある小屋へと向かった。
森の中で数日集中して狩りをする時に利用している場所で、ここ数年は俺しか使っていない。
「……ハッ、まったく。佳人は人を狂わせるって話、本当かもな」
運んでいる間にも甘い香りはどんどんと強くなっていた。
呼吸と共にその香りを吸い込むたびに、抱えている彼に貪り付きたいという欲求が高まっていく。
ひと呼吸ごとに体が熱を帯び、呼吸が浅くなる。そしてまた甘い香りを吸ってしまう。
なるべく彼を見ないよう、まっすぐ小屋を目指して走った。
理性が保てているギリギリのところで小屋に辿り着き、魔物避けの粉を撒くのももどかしく袋ごとぶちまける。
彼の体をベッドに横たえると、そのまま唇を重ねた。
彼を助けたいという気持ちなど吹き飛んでいた。
「甘い」
砂糖菓子とも違う、花の蜜を何十倍にも濃縮したような甘さ。
欲望のままに唇を舐め、甘噛みし、その味を楽しむ。
空気を求めて薄っすらと開いたその口に舌を潜り込ませると、彼の舌はまた違った味わいがした。
甘い菓子は本来それほど好んでいなかったが、彼の舌はいつまでも味わっていたいと思える。
「ん、……はっ、ぁ……」
どれほど長い時間唾液を絡ませ合っていただろうか。
彼の吐息に小鳥のような可愛らしい声が混ざり始めた。
その声に理性を取り戻し、自分の欲望を幼い体にぶつけようとしていたことに気付く。
少しだけ、彼の放つ香りが薄まっている気がした。
ふと口を放し、彼の様子を見る。
青かった顔は血色を取り戻し、淡い朱に染まっている。
まだ愛を注いだわけではないが、どうやら少し持ち直したようだ。
華奢な体は月明りに照らされ、その白い肌に浮かぶ汗は朝露の如く輝いている。
艶やかな黒髪は彼を神聖なものにも見せ、これからする行為に背徳的な興奮を覚える。
族長の話によれば香りは愛を注ぐ相手を求めるためのもの。
それが薄まったということは、自分がその相手に認められたということか。
少しだけ冷静になった頭でそう判断する。
「なるべく痛くしないようにするからな」
未だ意識が戻らない彼に声をかけ、そっと頭を撫でる。
これは、彼の命を救うための行為だ。
先ほどのように自分の欲望をただぶつけるのは、愛を注ぐ行為ではない。
最初からやり直すつもりで、再び唇を重ねていく。
キスを落としながら、そっと彼の服を脱がす。
胸の突起を優しく愛撫すると、応えるようにピクリと彼の体が震えた。
赤みを帯びた空に気付き、森の奥へと向けていた足を集落の方へと変える。
体力的にはまだまだ余裕があるから、日が傾きかけていたのに気づけなかった。
近頃は日が落ちるのが早くなった。集落へと戻る頃にはすっかり夜だろう。
――よいか、カーク。決して、満月の夜に出歩いてはならぬぞ。
空を染める太陽とは反対側に上り始めた大きく一際明るい月を見て、族長のそんな言葉を思い出す。
折しも今日は満月。世界が魔力に満ちる日だ。
魔物が力を増し、周囲に瘴気を撒き散らす。瘴気は草木を涸らし、水を腐らせ、生き物を魔へと堕とす猛毒だ。
「急がないと」
集落一の狩人で、魔物狩りで生計を立てている自分であっても満月の魔物は手に負えない。
一度自分の実力を過信して挑んで、酷い目にあった。
だが、族長が満月の夜出歩くなというのはそれだけが理由ではない。
「……! この匂いは……」
森を駆けていると、ふわり、と風に乗って甘ったるい花の香りがした。
こんな強烈な香りを放つ花など、この辺りにあったか?
なかったはずだと思うと同時に、耳にタコができるほど聞かされた言葉が頭をよぎる。
――満月の夜には、佳人が現れる。
佳人。それは、満月の夜にこの世界へと落ちてくる異界の存在。
そこにいるだけで瘴気を浄化できることから、この世界の自浄作用で招かれるのではないかと言われている。
しかし、魔力に満ちるこの世界の空気が合わないのか、佳人は朝を待つことなく死んでしまうという。
この世界の住民から愛を注がれた佳人だけが、朝日を見ることができる。
愛されなければ、一夜にして枯れてしまう儚い花。
――佳人には、決して関わってはならん。
子供心に、世界の自浄作用で知らない世界に招かれ、そのせいで死んでしまう佳人を可哀そうだと思った。
それには族長も同意はしてくれたが、それでも佳人を助けようと思うなと言った。
愛を注がれなければ死んでしまうからか、佳人は総じて顔立ちがよく、濃厚な甘い香りを放っているらしい。
らしい、というのは、族長もまた決して佳人と関わってはならないと言いつけられ、実際の佳人を知らないからだ。
佳人は瘴気を浄化できるだけではなく、手に入れた者に強大な力と権力を与えるとされている。
それは、佳人がそのような力を持っているというよりは、佳人の力を利用して成り上がったということなのだろう、と族長が言っていた。
族長は佳人を見たことはないが、佳人を手に入れ、失った者なら知っていた。
その人物は佳人を手に入れようとした者たちと殺し合い、そして佳人は連れ去られたそうだ。
佳人を一度は手に入れたのだというその男は、手足を失いはしたが生き延びた。
しかし、佳人の香りを求め正気を失ってしまった、と族長は悲し気に首を振った。
――佳人は瘴気を祓いはするが、同時に人を狂わせる。だから、決して関わってはいかん。
佳人は争いを呼ぶ。佳人は禍の先触れだと思え。
そう教え込まれてきたからこそ、集落では佳人と出逢わなくて済むよう、満月の夜に出歩くことが禁止されていた。
佳人が現れたのがたとえ集落の中だとしても、助けてはならぬと。
魔物に殺されるか、弱って死ぬか。いずれにせよ朝になる前に佳人は死ぬ。
それが集落にとっては最善なのだと。
「……やっぱり、佳人……!」
香りを辿った先に、見慣れない服装の小柄な青年が倒れていた。
線が細く、やたらと顔が整っているから女にも見えなくはないが、男だ。
男を狂わせるなんて話だったから、佳人はみな女なのだろうと思っていた俺は驚いた。
だが、甘い香りは彼から漂っている。彼が佳人で間違いないだろう。
顔色が非常に悪く、呼吸も苦しそうだ。
酷く汗をかいているのに、体は震えている。
まだ月は昇り始めたばかりだというのに、今にも死んでしまいそうに見える。
「……あぁ、族長。助けないなんて、無理だ……」
思えば、あの香りを嗅いだ時点で手遅れだったのだろう。
集落に向かわずに、香りの発生源を探し求めてしまったのだから。
そうして、横たわる彼を見つけた。
目を引いたのは、夜を映したような艶やかな黒髪。
幼さの残る顔立ちに浮かぶ露から、ふわりとあの香りが漂う。
揺り起こそうとしても、反応はない。
とにかく魔物が来ない場所へ移動しよう、と抱き上げると、あまりの軽さに驚く。
成人前の弟よりも小さく細い、未成熟な体だ。
「まだ死ぬなよ。すぐ助けるからな」
幼い頃にはわからなかったが、大人になった今なら「愛を注ぐ」というのがどのような行為なのかわかる。
それを、まだ少年と言ってもいい体格の彼にするのは気が引ける。
けれど、そうしなければ彼はこのまま死んでしまうのだ。
佳人である彼を集落には連れて帰れない。
集落と反対側、森を抜けたところにある小屋へと向かった。
森の中で数日集中して狩りをする時に利用している場所で、ここ数年は俺しか使っていない。
「……ハッ、まったく。佳人は人を狂わせるって話、本当かもな」
運んでいる間にも甘い香りはどんどんと強くなっていた。
呼吸と共にその香りを吸い込むたびに、抱えている彼に貪り付きたいという欲求が高まっていく。
ひと呼吸ごとに体が熱を帯び、呼吸が浅くなる。そしてまた甘い香りを吸ってしまう。
なるべく彼を見ないよう、まっすぐ小屋を目指して走った。
理性が保てているギリギリのところで小屋に辿り着き、魔物避けの粉を撒くのももどかしく袋ごとぶちまける。
彼の体をベッドに横たえると、そのまま唇を重ねた。
彼を助けたいという気持ちなど吹き飛んでいた。
「甘い」
砂糖菓子とも違う、花の蜜を何十倍にも濃縮したような甘さ。
欲望のままに唇を舐め、甘噛みし、その味を楽しむ。
空気を求めて薄っすらと開いたその口に舌を潜り込ませると、彼の舌はまた違った味わいがした。
甘い菓子は本来それほど好んでいなかったが、彼の舌はいつまでも味わっていたいと思える。
「ん、……はっ、ぁ……」
どれほど長い時間唾液を絡ませ合っていただろうか。
彼の吐息に小鳥のような可愛らしい声が混ざり始めた。
その声に理性を取り戻し、自分の欲望を幼い体にぶつけようとしていたことに気付く。
少しだけ、彼の放つ香りが薄まっている気がした。
ふと口を放し、彼の様子を見る。
青かった顔は血色を取り戻し、淡い朱に染まっている。
まだ愛を注いだわけではないが、どうやら少し持ち直したようだ。
華奢な体は月明りに照らされ、その白い肌に浮かぶ汗は朝露の如く輝いている。
艶やかな黒髪は彼を神聖なものにも見せ、これからする行為に背徳的な興奮を覚える。
族長の話によれば香りは愛を注ぐ相手を求めるためのもの。
それが薄まったということは、自分がその相手に認められたということか。
少しだけ冷静になった頭でそう判断する。
「なるべく痛くしないようにするからな」
未だ意識が戻らない彼に声をかけ、そっと頭を撫でる。
これは、彼の命を救うための行為だ。
先ほどのように自分の欲望をただぶつけるのは、愛を注ぐ行為ではない。
最初からやり直すつもりで、再び唇を重ねていく。
キスを落としながら、そっと彼の服を脱がす。
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