上 下
2 / 11
魔女に呪いをかけられた話

2、呪いのせいで失ったもの

しおりを挟む
「っ!」

 ガバ、と身を起こす。
 濡れた何かが額に思い切りぶつかり、視線をやると顔馴染みの中年巡査が驚いた顔をしていた。
 濡れたものの正体はタオル。どうやら僕は気を失っていたらしい。
 鼻につく鉄錆の匂いが、それがいつもの悪夢ではなく現実に起きたことだと示していた。

「今救急車を呼んだから、まだ起きない方が良い。家の人にも連絡をしたから……」

 バクバクと激しく跳ねる心臓を押さえる僕に、巡査が声をかけてくる。
 心音と呼吸がうるさくて何を言われているのかよくわからない。
 気を失っていくらも経っていないのか、地面はまだ赤く湿っていた。
 視界には動物たちだったものが転がっている。原型を留めておらず、ぐちゃぐちゃに混ざり合って……。

「これ、何本かわかる? 名前は言える? 一体何があった?」
「……っ! ……っ、……っ!」

 目の前で指を立てて、巡査が矢継ぎ早に質問攻めしてくる。
 先ほど起きたことを説明しようとしたけれど、声が出なかった。
 思い出すだけでも怖気が立つ。
 喋れないのが恐怖のせいか、呪いのせいかはわからない。
 けれど、巡査はそれを恐怖のせいだと思ったらしい。

「もう良いよ、無理しなくて良いから」
朔羅さくらさん、大丈夫ですか!? 一体何があったんです?」

 巡査の言葉を聞き慣れた声が遮った。
 村木さんだ。
 巡査に連絡をもらって慌てて来てくれたらしい。

「……っ!」
「さ、朔羅さん?!」

 血が付くのも構わずに駆け寄ってきてくれた村木さんの浅黄色のはかまにギュッとしがみついた。
 悪夢が現実になってしまった。みんな殺されてしまった。僕のせいで。
 みんなは僕を庇おうとしてくれたのに、僕は何もできなかった。
 震えているのは、涙が出てくるのは、きっと恐怖からだけじゃない。

 声を出せなくなっていた僕は、村木さんと共に到着した救急車で病院へ。
 簡単な検査を受けたが、声帯に異常は見られないという結果だった。
 ホッとする僕を、村木さんは自分の家へと連れ帰ってくれた。

「神社では血をけがれとしておりまして、そのまま朔羅さんをお連れするわけにはいきませんから」
「……」

 申し訳なさそうに泊っていくよう言う村木さんに、首を横に振って気にしないでと伝える。
 お風呂で温まり、汚れを流した僕は村木さんの大きすぎるシャツをパジャマ代わりに借りている。胸の大きく開いたワンピースを着ているみたいでちょっと恥ずかしい。
 同時に、年齢がほとんど変わらない村木さんとの体格差に劣等感を思い出させられる。

「……そ、それにしても、今日は色々おかしかったですね」

 落ち込んだ様子の僕に気まずくなったのか、村木さんが話を振ってきた。
 公園を出た僕は、魔女の呪いが本当であると実感させられた。
 救急車が道を間違えることから始まり、病院での機材のエラー、帰宅時の看板の落下などなど。
 初めはこんなこともあるか、くらいのことだったけど、さすがに「これはおかしい」となった。

 ――その呪いは、やがてあなたやあなたの大切な者の命を蝕むことでしょう。

 魔女の言葉を思い出してゾッとした。
 今でさえこれなのだ。いずれ、そう遠くないうちに誰かがまた死んでしまうかもしれない。
 死ぬのは怖い。けど、自分の巻き添えで誰かが傷つく方がよほど怖かった。

(早く、呪いを解かなくちゃ……)


 翌日、出勤する村木さんに連れられて僕は自宅である神社へと向かう。
 道中でもやはり呪いは襲い掛かってきた。
 水を被ったり。転んだ人に巻き込まれたり。信号無視の車がすぐ目の前を横切ったり。
 やはり頻度も危険度も上がってきている。
 それに、動物たちが怯えた様子で僕から遠ざかっていく。

「おかしいですね、朔羅さんが動物に囲まれないなんて」

 村木さんもいつもと様子が違うことを感じ取ったようだ。
 特に大きな怪我もなく神社には辿り付けた。しかし、中に入ることはできなかった。
 鳥居を通ろうとした時、バチ、と静電気を強くしたような衝撃を感じたのだ。
 何度入ろうとしても、痛みが走る。

「おはようございます、朔羅様」

 呆然としていると、長瀬さんが声をかけて来た。
 声を出せない僕は会釈で返す。

清瀬命きよせのみことよりの御言葉をお伝えいたします。『穢れの塊となった其方そなたを神域に入れることあたわず』と仰せでした」

 え……? 神域って、何?
 家に、入れないってこと?
 確かに家にはいづらかったけど、追い出されるとなると話は別だ。
 お金もない。仕事もない。そんな状況で住む場所を追われてどう生きていけと言うのか。

「こちらを。清瀬命きよせのみことはこの鈴を頼りに、異界へ奪われた清瀬命の樹を取り戻せば穢れを祓うとも仰せでした」

 差し出されたのは、ピンポン玉くらいの大きさの白い鈴。
 長瀬さんは明らかに僕に触れないようにしながら、鈴を僕の手のひらに乗せた。
 鈴のおびがんは金色で、吊り金具には赤と白でこよられた紐が結ばれている。
 綺麗だけれど、音は鳴らない。

「以上でございます。即刻この場よりご退去願います」
「……っ!」

 突き放すような言葉を放ち、長瀬さんはきびすを返す。
 引き留めたくても、僕は声も出せないし鳥居より中へは手を伸ばすこともできない。
 村木さんも長瀬さんへ促され、戸惑いながらも中へと入っていく。
 絶望に呑まれそうになっていると、透き通るような女性の声が二人の足を止めさせた。

「なら、この子は私が預かるわ」

 いつから背後にいたのだろうか。
 絶世の美女という言葉が浮かぶ女性に肩を抱かれた。
 日本人離れしたスタイルと顔立ちに、腰まであるゆるやかな金色の髪と空色の瞳。
 見上げて戸惑っている僕に気付き、女性はニコリと微笑んだ。

「……わざわざ穢れを拾うとは、月読命つくよみのみことも物好きな」
「あら、私を締め出しておいて神格と認めるの? 不遜な人間もいたものね。それに、ルナと呼んでと何度も言ったのに。そんなに物覚えが悪くてよく宮司が務まるわね」
「フン。その穢れ共々消え失せるが良い」

 長瀬さんの言葉が気に障ったのか、女性が嫌味を言う。笑顔だけれど、ちょっと怖い。
 そんな彼女の言葉も気にせずに、長瀬さんは今度こそ立ち去ってしまった。
 呆然とする僕に、女性は向き直り今度は優しい笑顔になる。

「負け惜しみね。気にしなくて良いわ。私はルナ。悪いようにはしないから、うちにいらっしゃい」

 先ほどのやり取りを信じるなら彼女は神様の一柱であるはずなのに、穢れと言われ締め出された僕の手を躊躇ちゅうちょなく握る。
 そして、連れられていったのはごく普通の一軒家だった。


しおりを挟む

処理中です...