7 / 11
7、嘘だろう? (side:守)
しおりを挟む
強烈な腰の痛みに力が抜けそうになりながらも、何とか着替えて外に出る。
幸い、家の近くのホテルだったようだ。
よろめきながら家まで辿り着くことができた。
「よし、休もう」
こんな調子じゃ仕事にならない。
よぼよぼ歩いている私など私ではない。
「よし、じゃないですよ」
「な、あ、阿倍野くん?!」
もう迎えにくる時間だったか、と驚いた私は、再び固まることになった。
阿倍野くんが大変身していたからだ。
長かった髪はベリーショートになり、整った顔をより際立たせている。
普段はスカートなのに今日はパンツスーツで、中性的な美しさがある。
「ちょっと、思うところがありまして。自分で切ったんですが、おかしいですか?」
「……あ、いや、よく似合っているよ」
口をぽかっと開けて呆けてしまっていたからか、阿倍野くんが頬を染めながら自分の毛先を摘まんだ。
似合うと言った私の言葉に嬉しそうに微笑んでいる。
このところ目尻を釣り上げた表情ばかり見ていたからか、まるで別人がそこにいるかのように感じた。
「さぁ、行きましょう。今日も天使のために頑張ってくださいね」
「あ、いや、そのことなんだが……」
しどろもどろに言いかける私を、問答無用と言わんばかりに車に押し込む阿倍野くん。
やはり別人ではなく、阿倍野くんは阿倍野くんだった。
車中で、調子が悪いから休むと言いかけて思いとどまる。
言ったら、きっとどのように調子が悪いかまで説明しなくてはならなくなる。
言えるわけがない。誰かに犯されたのだなどと。
その相手のことすら覚えていない。
この私をやり捨てにするなど……だんだん腹が立ってきた。
「それで、さっきは何て言いかけたんです?」
「あ、いや、何でもない。それにしても、大変身したね阿倍野くん。既婚者じゃなければ口説いていたところだよ」
「またまた、ご冗談を」
一言文句を言ってやらねば気が済まない。
内心では怒り心頭なのを隠しつつ、普段どうりを装う。
私の軽口に気を良くしたらしい阿倍野くんは、一日中にこにこしていた。
いつもこうならいいのに、もったいない。……あ、怒らせているのは私か。
「おや、社長、今日は律いませんよ? というか辞めてしまったんです」
「すまない、私のせいだよな。彼を愛するあまり少々強引が過ぎた」
仕事帰り、連日通っていたバーに足が向いてしまったのはここ1か月ほどの習慣からだろう。
店に入ってから律くんのことを思い出してしまってバツが悪かったから、いないことに少しほっとした。
カウンターに座ると、マスターは私を責めるでもなくカルヴァドスを出してくれる。
リンゴの香りと蒸留酒の甘みが心にまで染みるようだ。
「まぁ、律が嫌がっていたことに気付いていたのに対応させていた私も同罪ですよ」
「う……やはり、嫌がっていたのか……」
それなのに、私はなんということを……。
自己嫌悪と罪悪感、失恋の痛みでホロリと涙が出てくる。早くも酒が回っているのだろうか。
すると、隣に座っていた青年がハンカチを差し出してくれた。
「悪いな、聞こえちまって。マスター、彼にスコッチを」
すぐにグラスが目の前に出される。
「まぁ、飲めよ。失恋は飲んで忘れるに限る」
「すまない」
私がグラスを持つと、乾杯のつもりなのか青年は私のグラスに自分のグラスを軽く当てた。
短く刈り込んだ髪を立てるようにセットした青年は、私の眼を見つめながら薄く笑っている。
タンクトップにネックレスと、実に若者らしい格好だ。
「二人の失恋に」
「きみも、失恋を?」
青年はグラスを一息に呷ると、「ああ」と短く答えた。
失恋したという割には、あまり悲痛な感じがしない。
そんなことを思っていると、青年は自分でボトルからグラスに酒を注ぎながら言った。
「正直、羨ましいよ。そんな風に泣けるほど人を好きになれるあんたが」
「そんな……私なんて、振られてばかりで……みっともないだけだ」
「みっともなくなんてないさ。本気だったんだろ? 羨ましいよ、あんたに惚れられる奴が」
そうだろうか、と思いながらグラスを空けると、青年はすぐに酒を注いだ。
これはブランデーだろうか。
琥珀色の液体に、少しだけ小さくなった球状の氷が浮き上がる。
「なあ、あんた名前は? 俺は上野文孝。ブンタカでいいぜ。みんなそう呼ぶ」
「守だ。神戸守」
「守、俺たち付き合わねぇ?」
「え……?」
身体をこちらに近づけたと思ったら、そんなことを言い出した。
いつの間にか手を握られている。
ゴツゴツした大きな、男の手だ。
何かスポーツをやっているのか、その腕は筋肉で私の倍くらいの太さになっている。
男臭くて、とてもじゃないが私の好みではない。
「すまないが、今はそんな気分にはなれそうもない」
「まぁ、そう言わず。失恋には次の恋って言うだろ? お試しでもいいからさ。俺が忘れさせてやるって」
力ではとても敵いそうにないから穏便に断ろうとしたのだが、ブンタカと名乗る男は聞く耳を持たない。
抵抗も空しく抱き寄せられると、耳元に音を立てて口をつけられる。
ぞわり、と背中を嫌悪感が駆け上がった。
私に迫られていた富永くんや律くんもこんな気持ちだったのだろうか。本当に申し訳ないことをした。
「なあ、ホテル行こうぜ。これでもテクには自信があるんだ」
ブンタカが耳元で囁きながら私の尾骨の辺りを撫で回す。
おかしい。
気持ちが悪いのに、ゾクゾクする。
身体に力が入らない。
まだそんなに飲んでないはずなのに。
「おっと、酔っちまったか? 送っていくよ」
ブンタカが私を抱えたまま立たせようとする。
まずい。まずいまずいまずい。このままじゃ……。
誰か、助けてくれ――。
「触るな」
怒気を孕んだ低い声が聞こえたかと思うと、ぐい、と強い力でブンタカから引き離された。
声の主は左腕で私の肩を抱き、右手でブンタカの顔を掴んでいる。
「この人は俺のだ。握り潰されたくなかったら、別の相手を探すんだな」
「痛っ、わ、分かった! 分かったから放してくれ!」
「フン、二度とこの人に近づくなよ」
ブンタカは声の主の手を引き剥がせないのか、焦った声で言った。
解放されたブンタカの顔には、くっきりと手の痕が朱く浮かんでいる。
様子を窺っていたらしい他の客がクスクスと笑う中、ブンタカは逃げるように去っていった。
「さて、行きましょうか」
「え? あ、阿倍野くん……?」
この時になってようやく声の主を見た私は驚いた。
普段の女性らしさは全くないし、声も低いが、その顔は間違いなく阿倍野くんだった。
私を支えながら立たせた阿倍野くんは、私の腰を抱きながらニヤリと嗤った。
幸い、家の近くのホテルだったようだ。
よろめきながら家まで辿り着くことができた。
「よし、休もう」
こんな調子じゃ仕事にならない。
よぼよぼ歩いている私など私ではない。
「よし、じゃないですよ」
「な、あ、阿倍野くん?!」
もう迎えにくる時間だったか、と驚いた私は、再び固まることになった。
阿倍野くんが大変身していたからだ。
長かった髪はベリーショートになり、整った顔をより際立たせている。
普段はスカートなのに今日はパンツスーツで、中性的な美しさがある。
「ちょっと、思うところがありまして。自分で切ったんですが、おかしいですか?」
「……あ、いや、よく似合っているよ」
口をぽかっと開けて呆けてしまっていたからか、阿倍野くんが頬を染めながら自分の毛先を摘まんだ。
似合うと言った私の言葉に嬉しそうに微笑んでいる。
このところ目尻を釣り上げた表情ばかり見ていたからか、まるで別人がそこにいるかのように感じた。
「さぁ、行きましょう。今日も天使のために頑張ってくださいね」
「あ、いや、そのことなんだが……」
しどろもどろに言いかける私を、問答無用と言わんばかりに車に押し込む阿倍野くん。
やはり別人ではなく、阿倍野くんは阿倍野くんだった。
車中で、調子が悪いから休むと言いかけて思いとどまる。
言ったら、きっとどのように調子が悪いかまで説明しなくてはならなくなる。
言えるわけがない。誰かに犯されたのだなどと。
その相手のことすら覚えていない。
この私をやり捨てにするなど……だんだん腹が立ってきた。
「それで、さっきは何て言いかけたんです?」
「あ、いや、何でもない。それにしても、大変身したね阿倍野くん。既婚者じゃなければ口説いていたところだよ」
「またまた、ご冗談を」
一言文句を言ってやらねば気が済まない。
内心では怒り心頭なのを隠しつつ、普段どうりを装う。
私の軽口に気を良くしたらしい阿倍野くんは、一日中にこにこしていた。
いつもこうならいいのに、もったいない。……あ、怒らせているのは私か。
「おや、社長、今日は律いませんよ? というか辞めてしまったんです」
「すまない、私のせいだよな。彼を愛するあまり少々強引が過ぎた」
仕事帰り、連日通っていたバーに足が向いてしまったのはここ1か月ほどの習慣からだろう。
店に入ってから律くんのことを思い出してしまってバツが悪かったから、いないことに少しほっとした。
カウンターに座ると、マスターは私を責めるでもなくカルヴァドスを出してくれる。
リンゴの香りと蒸留酒の甘みが心にまで染みるようだ。
「まぁ、律が嫌がっていたことに気付いていたのに対応させていた私も同罪ですよ」
「う……やはり、嫌がっていたのか……」
それなのに、私はなんということを……。
自己嫌悪と罪悪感、失恋の痛みでホロリと涙が出てくる。早くも酒が回っているのだろうか。
すると、隣に座っていた青年がハンカチを差し出してくれた。
「悪いな、聞こえちまって。マスター、彼にスコッチを」
すぐにグラスが目の前に出される。
「まぁ、飲めよ。失恋は飲んで忘れるに限る」
「すまない」
私がグラスを持つと、乾杯のつもりなのか青年は私のグラスに自分のグラスを軽く当てた。
短く刈り込んだ髪を立てるようにセットした青年は、私の眼を見つめながら薄く笑っている。
タンクトップにネックレスと、実に若者らしい格好だ。
「二人の失恋に」
「きみも、失恋を?」
青年はグラスを一息に呷ると、「ああ」と短く答えた。
失恋したという割には、あまり悲痛な感じがしない。
そんなことを思っていると、青年は自分でボトルからグラスに酒を注ぎながら言った。
「正直、羨ましいよ。そんな風に泣けるほど人を好きになれるあんたが」
「そんな……私なんて、振られてばかりで……みっともないだけだ」
「みっともなくなんてないさ。本気だったんだろ? 羨ましいよ、あんたに惚れられる奴が」
そうだろうか、と思いながらグラスを空けると、青年はすぐに酒を注いだ。
これはブランデーだろうか。
琥珀色の液体に、少しだけ小さくなった球状の氷が浮き上がる。
「なあ、あんた名前は? 俺は上野文孝。ブンタカでいいぜ。みんなそう呼ぶ」
「守だ。神戸守」
「守、俺たち付き合わねぇ?」
「え……?」
身体をこちらに近づけたと思ったら、そんなことを言い出した。
いつの間にか手を握られている。
ゴツゴツした大きな、男の手だ。
何かスポーツをやっているのか、その腕は筋肉で私の倍くらいの太さになっている。
男臭くて、とてもじゃないが私の好みではない。
「すまないが、今はそんな気分にはなれそうもない」
「まぁ、そう言わず。失恋には次の恋って言うだろ? お試しでもいいからさ。俺が忘れさせてやるって」
力ではとても敵いそうにないから穏便に断ろうとしたのだが、ブンタカと名乗る男は聞く耳を持たない。
抵抗も空しく抱き寄せられると、耳元に音を立てて口をつけられる。
ぞわり、と背中を嫌悪感が駆け上がった。
私に迫られていた富永くんや律くんもこんな気持ちだったのだろうか。本当に申し訳ないことをした。
「なあ、ホテル行こうぜ。これでもテクには自信があるんだ」
ブンタカが耳元で囁きながら私の尾骨の辺りを撫で回す。
おかしい。
気持ちが悪いのに、ゾクゾクする。
身体に力が入らない。
まだそんなに飲んでないはずなのに。
「おっと、酔っちまったか? 送っていくよ」
ブンタカが私を抱えたまま立たせようとする。
まずい。まずいまずいまずい。このままじゃ……。
誰か、助けてくれ――。
「触るな」
怒気を孕んだ低い声が聞こえたかと思うと、ぐい、と強い力でブンタカから引き離された。
声の主は左腕で私の肩を抱き、右手でブンタカの顔を掴んでいる。
「この人は俺のだ。握り潰されたくなかったら、別の相手を探すんだな」
「痛っ、わ、分かった! 分かったから放してくれ!」
「フン、二度とこの人に近づくなよ」
ブンタカは声の主の手を引き剥がせないのか、焦った声で言った。
解放されたブンタカの顔には、くっきりと手の痕が朱く浮かんでいる。
様子を窺っていたらしい他の客がクスクスと笑う中、ブンタカは逃げるように去っていった。
「さて、行きましょうか」
「え? あ、阿倍野くん……?」
この時になってようやく声の主を見た私は驚いた。
普段の女性らしさは全くないし、声も低いが、その顔は間違いなく阿倍野くんだった。
私を支えながら立たせた阿倍野くんは、私の腰を抱きながらニヤリと嗤った。
0
お気に入りに追加
28
あなたにおすすめの小説
執着攻めと平凡受けの短編集
松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。
疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。
基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。



王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?
名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。
そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________
※
・非王道気味
・固定カプ予定は無い
・悲しい過去🐜のたまにシリアス
・話の流れが遅い

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる