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4、気になる人 (side:律)
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「いらっしゃい、律」
「村岡さん、こんにちは」
僕は学校帰りに村岡さんの喫茶店へと来た。
昨日初めて入った時と同じように、僕の他には誰もいない。
カウンター席に座った僕に、村岡さんが冷えた水を出してくれた。
「今日も来てくれたんだね。そうだ、デザートの試作があるんだけど、また試食してくれないかな?」
「いいけど、気の利いたことは言えないよ?」
「良いんだよ。美味しいか不味いかだけでも。コーヒーで良いかい?」
「じゃあ、それで」
村岡さんが火を入れると、サイフォンからコポコポと音が鳴り始め、ガラス管を水が移動し始める。
豆の焙煎に真剣な眼差しを向ける村岡さん。
この店内だけ時間がゆっくり流れているかのような、穏やかな空間。
「ねぇ、ここで宿題やってもいい?」
「どうぞー。ゆっくりしていって」
短いやりとりの他は、村岡さんは黙ったままで。
今日ここに足が向いたのはたまたまだったけれど、必要以上に干渉されないこの空間がとても安心できるものだと僕は本能的に感じていたのかもしれない。
昨日も散々触られたり口説かれたりして、他人と距離を取りたいと思っていた。
それなら家にいればいいのに、何故かそんな気分にもならなかったんだ。
ここにいれば電気代を節約できる。そんな言い訳を誰にするでもなく考えたりして。
「どうぞ」
しばらく宿題に集中していたら、広げたノートの左側にケーキとコーヒーが置かれた。
レモン色の平たい円形の土台に、一口大にカットされたオレンジとハーブが乗っている。
真夏だけど、冷房が効いているから温かいコーヒーも美味しく飲める。
「ん。美味しい」
「そう。良かった」
ケーキを一口入れると、ジュワッと溶けていった。
ほんのり甘酸っぱいグレープフルーツ味のムースだ。甘いのに、くどくなくて無意識に美味しいと言っていた。
そんな僕に、村岡さんは満足そうな笑みを向けた。
僕が宿題をしているからか、村岡さんはほとんど話しかけてこない。
村岡さんは村岡さんで、何か料理を作っていた。
その動きが綺麗で、つい見惚れてしまう。
村岡さんは僕の視線に気付いたのか、手を止めた。
「今日も、夕飯食べていくかい?」
「いいの?」
「他にお客さんもいないしね。食べて行ってくれると、俺が寂しくなくて嬉しい」
食費が浮くし、ありがたい申し出だ。何より、村岡さんの料理は美味しい。
相手があの社長さんだったら絶対に断るんだけど、村岡さんだし。
あれ? 何で村岡さんなら大丈夫なんだろ?
「今日もこれからバイト?」
「そう。生活するのにお金必要で」
食事をしながら、村岡さんの質問に素直に答えていた。
話しやすいからか、気づけばバイトの、特にあの社長さんの愚痴ばかり話していた。
「律、大丈夫? 店長さんは止めてくれないの?」
「社長さんくると、お客さん増えて売り上げもいいから」
首を横に振ると、村岡さんが溜息を吐いた。
少しだけ険しい顔。
「そもそも、高校生って22時までしか働けないはずなのに、日付変わるまでって」
「あ、それは、僕が19歳って言ってるから」
「え?」
「だって、22時までじゃいくらも稼げないし。店長に、親の借金肩代わりしてもらってるから、早く返したいんだ」
大元の借金は店長が全額払ってくれた。おかげで、利子が膨らむこともなく、少しずつ返せばいいって言ってくれてる。
毎月給料の7割を店長に返しているから、結構ギリギリの生活なんだけど。やっていけないほどじゃない。
「……わかった。じゃあ、律、明日から毎日ここで夕飯食べていきなさい」
「良いの?」
両親がいなくて、一人暮らしで、借金もあって。
そんな話をしたから同情してくれたんだろうか。
ここで食べれば食費がその分浮くでしょ、と村岡さんは言ってくれた。
「律、最近付き合い悪いよなー」
「毎日どこ行ってるんだ?」
「うん? 喫茶店だよ?」
放課後、友人たちの誘いを断ったら問い詰められた。
付き合い悪いも何も、普段は彼らの方が恋人を優先しているのに。
「毎日通うとか……女か! 可愛い店員がいるんだな?!」
「おぉ、律にもついに春が!」
「そんなんじゃないよ。でも……なんかね、顔を見ると安心するの」
おおー、と友人たちが騒ぐ。
他には? と聞かれ、僕は微妙に話がかみ合ってないと感じつつも思いつくまま挙げてみる。
「えっと、料理を作る手が綺麗だったり、笑顔が素敵でね。仕事している姿がかっこいい」
「それで?」
「うんと、バイト先が最近ストレスだからか、その人に会いたくなってね。会うとホッとする。なんでだろ?」
「そりゃお前、恋だろ」「だな」
僕の疑問に、友人たちは即答する。
これが、恋?
「いいか、律。会いたくなったり、今何しているのかなぁって気になったり、ずっと一緒にいたくなったり。それが恋だ」
「わからなければ、いっそその人とエロいことする想像してみるのもアリだな。反応すれば恋、萎えれば気のせいだ」
結局はそこか、と笑い合う友人たち。
真剣に聞いていた僕がバカみたいだ。
むくれて見せると、DVDを1枚渡された。
裸の女の人がベッドの上でポーズを取っている。
「ちょ、これ!」
「おう、兄貴の所から借りてきたとっておきだ。これ見て、そのお姉さまとのこと想像してみろ」
「律がついにお子様を卒業かぁ」
良かった良かった、と勝手に盛り上がる友人たち。
返そうとする僕の手にDVDを押し付け、「後で感想聞かせろよ」「俺も彼女に会いたくなってきたー」などと言いながら駆け足で行ってしまった。
「村岡さん、こんにちは」
僕は学校帰りに村岡さんの喫茶店へと来た。
昨日初めて入った時と同じように、僕の他には誰もいない。
カウンター席に座った僕に、村岡さんが冷えた水を出してくれた。
「今日も来てくれたんだね。そうだ、デザートの試作があるんだけど、また試食してくれないかな?」
「いいけど、気の利いたことは言えないよ?」
「良いんだよ。美味しいか不味いかだけでも。コーヒーで良いかい?」
「じゃあ、それで」
村岡さんが火を入れると、サイフォンからコポコポと音が鳴り始め、ガラス管を水が移動し始める。
豆の焙煎に真剣な眼差しを向ける村岡さん。
この店内だけ時間がゆっくり流れているかのような、穏やかな空間。
「ねぇ、ここで宿題やってもいい?」
「どうぞー。ゆっくりしていって」
短いやりとりの他は、村岡さんは黙ったままで。
今日ここに足が向いたのはたまたまだったけれど、必要以上に干渉されないこの空間がとても安心できるものだと僕は本能的に感じていたのかもしれない。
昨日も散々触られたり口説かれたりして、他人と距離を取りたいと思っていた。
それなら家にいればいいのに、何故かそんな気分にもならなかったんだ。
ここにいれば電気代を節約できる。そんな言い訳を誰にするでもなく考えたりして。
「どうぞ」
しばらく宿題に集中していたら、広げたノートの左側にケーキとコーヒーが置かれた。
レモン色の平たい円形の土台に、一口大にカットされたオレンジとハーブが乗っている。
真夏だけど、冷房が効いているから温かいコーヒーも美味しく飲める。
「ん。美味しい」
「そう。良かった」
ケーキを一口入れると、ジュワッと溶けていった。
ほんのり甘酸っぱいグレープフルーツ味のムースだ。甘いのに、くどくなくて無意識に美味しいと言っていた。
そんな僕に、村岡さんは満足そうな笑みを向けた。
僕が宿題をしているからか、村岡さんはほとんど話しかけてこない。
村岡さんは村岡さんで、何か料理を作っていた。
その動きが綺麗で、つい見惚れてしまう。
村岡さんは僕の視線に気付いたのか、手を止めた。
「今日も、夕飯食べていくかい?」
「いいの?」
「他にお客さんもいないしね。食べて行ってくれると、俺が寂しくなくて嬉しい」
食費が浮くし、ありがたい申し出だ。何より、村岡さんの料理は美味しい。
相手があの社長さんだったら絶対に断るんだけど、村岡さんだし。
あれ? 何で村岡さんなら大丈夫なんだろ?
「今日もこれからバイト?」
「そう。生活するのにお金必要で」
食事をしながら、村岡さんの質問に素直に答えていた。
話しやすいからか、気づけばバイトの、特にあの社長さんの愚痴ばかり話していた。
「律、大丈夫? 店長さんは止めてくれないの?」
「社長さんくると、お客さん増えて売り上げもいいから」
首を横に振ると、村岡さんが溜息を吐いた。
少しだけ険しい顔。
「そもそも、高校生って22時までしか働けないはずなのに、日付変わるまでって」
「あ、それは、僕が19歳って言ってるから」
「え?」
「だって、22時までじゃいくらも稼げないし。店長に、親の借金肩代わりしてもらってるから、早く返したいんだ」
大元の借金は店長が全額払ってくれた。おかげで、利子が膨らむこともなく、少しずつ返せばいいって言ってくれてる。
毎月給料の7割を店長に返しているから、結構ギリギリの生活なんだけど。やっていけないほどじゃない。
「……わかった。じゃあ、律、明日から毎日ここで夕飯食べていきなさい」
「良いの?」
両親がいなくて、一人暮らしで、借金もあって。
そんな話をしたから同情してくれたんだろうか。
ここで食べれば食費がその分浮くでしょ、と村岡さんは言ってくれた。
「律、最近付き合い悪いよなー」
「毎日どこ行ってるんだ?」
「うん? 喫茶店だよ?」
放課後、友人たちの誘いを断ったら問い詰められた。
付き合い悪いも何も、普段は彼らの方が恋人を優先しているのに。
「毎日通うとか……女か! 可愛い店員がいるんだな?!」
「おぉ、律にもついに春が!」
「そんなんじゃないよ。でも……なんかね、顔を見ると安心するの」
おおー、と友人たちが騒ぐ。
他には? と聞かれ、僕は微妙に話がかみ合ってないと感じつつも思いつくまま挙げてみる。
「えっと、料理を作る手が綺麗だったり、笑顔が素敵でね。仕事している姿がかっこいい」
「それで?」
「うんと、バイト先が最近ストレスだからか、その人に会いたくなってね。会うとホッとする。なんでだろ?」
「そりゃお前、恋だろ」「だな」
僕の疑問に、友人たちは即答する。
これが、恋?
「いいか、律。会いたくなったり、今何しているのかなぁって気になったり、ずっと一緒にいたくなったり。それが恋だ」
「わからなければ、いっそその人とエロいことする想像してみるのもアリだな。反応すれば恋、萎えれば気のせいだ」
結局はそこか、と笑い合う友人たち。
真剣に聞いていた僕がバカみたいだ。
むくれて見せると、DVDを1枚渡された。
裸の女の人がベッドの上でポーズを取っている。
「ちょ、これ!」
「おう、兄貴の所から借りてきたとっておきだ。これ見て、そのお姉さまとのこと想像してみろ」
「律がついにお子様を卒業かぁ」
良かった良かった、と勝手に盛り上がる友人たち。
返そうとする僕の手にDVDを押し付け、「後で感想聞かせろよ」「俺も彼女に会いたくなってきたー」などと言いながら駆け足で行ってしまった。
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