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第一章 聖域

31、懺悔

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 甘い香りでユキは目を覚ます。日はまだ高いようで、葉を透かして森の中を照らしている。
 神樹の根元で、猫の姿のスコットに抱きしめられて寝ていたようだ。
 全身を包み込むふわふわした感触は、毎回ユキを幸せな気分にさせてくれる。

「あ、起きたねユキ。お腹が空いたでしょう」

 まだユキが倒れてからいくらも経っていないと告げながら、スコットは桃のような大きな果実をユキに差し出した。
 甘い香りはその実からだった。
 口の中に唾が溜まり、ゴクリと飲み込んでその実を受け取る。

「神樹の実だよ。ユキの頑張りに、神樹が応えてくれたんだ」

 祝福の実と呼ばれるこの果物は、ここ数百年実ることが無かったのだそうだ。
 ユキが神樹の根を修復した後、急速に成長し結実したと興奮気味にスコットが教えてくれる。

「祝福の、実?」
「うん。神樹の実は、膨大な霊素が凝縮されていてね。わかりやすく言うと食べると強くなれる。まだ魔物が出始めたばかりの頃は、この実を食べて多くの魔物を倒せるようになった英雄が誕生したものさ」

 下位精霊が食べれば上位精霊になれるなど、人間だけでなく精霊にも強大な恩恵をもたらすこの実は神の祝福そのものとされ、それ故に祝福の実と呼ばれるらしい。
 根が魔素に冒され、枯れ始めてからは結実することがなかったらしい。

「それなら、スコットが食べて?」
「何言ってるの! ユキが実らせたんだから、ユキが食べなきゃ!」

 これを食べればスコットが生き永らえることができるかも、と思っての言葉だったが、スコットに拒否されてしまった。
 半分こ、という提案も却下された。半分だけでは効果がないらしい。
 機嫌を損ねたのか、スコットの尻尾がパシパシと地面を叩いている。
 ユキは仕方なくその実を口に運んだ。

「んぅっ!」

 果肉を咀嚼するごとに甘い果汁が口いっぱいに溢れてくる。
 嚥下すると、ブワッと力の奔流が体中を駆け巡るのを感じた。
 もっと、と渇望する感情に支配されるように一心不乱にかぶりつき、あっと言う間に食べきった。

「ふぅ……」

 最後の一口を飲み込むと周囲も見えなくなるほどの飢餓感は消え、満たされた気分に包まれる。
 そこでようやく、スコットに分けてあげようと思っていたのに食べきってしまったことに気付き、ユキは恥ずかしい気持ちになった。

「ね、半分じゃたりなかったでしょう?」

 実を完食したユキに、満足そうに微笑みながらスコットが言う。
 ユキは無言で頷いた。
 そして、自分の両手を眺める。
 凝縮されたエネルギーが自分を作り変えたような気がしたが、見た目には何も変化はなかった。

「動けるようなら、このまま神殿に向かう?」
「うん。大丈夫。行こう」

 疲れはない。いつも訓練の後に訪れる異常なほどの空腹も。
 全身に力が漲り、今なら何でもできる気がするとユキは感じていた。
 2号が驚くほどの速度で起伏のある森の中をズンズンと進む。
 森が薄闇に包まれる頃、ユキはこの世界に来て初めて人工の建築物と遭遇した。

「うわぁ……」

 ユキの口から感嘆の声が漏れる。
 一体如何ほどの間そこにあったのだろうか。屋根は崩れ落ち、ガラスは割れて散乱し、全体が草に覆われている。
 風化し、触れれば崩れてしまいそうな煉瓦造りの柱と壁だけが、そこがかつて建物であったと主張していた。
 自然と一体化しつつある廃墟であったが、厳かで神聖な場所という印象をユキは抱いた。

「神殿って言ってたが、祭壇とかはないんだな」
「ここはね、かつてリアが住んでいたんだよ」

 砕けたガラスの破片を踏まないよう気を付けながら、2号が神殿跡をウロウロと見て歩く。
 スコットは当時の光景を思い浮かべているのか、どこか遠くを見ながら話し始めた。
 ここはかつて、女神が精霊達に囲まれて暮らしていたのだと。当時は人間達もたくさん訪れる賑やかな場所だったそうだ。

「あぁ、だから祭壇も神像もないのか。本人を直接崇められるもんな」

 スコットの言葉に2号が納得している。
 ユキは、スコットが思い浮かべている光景を共有したいと、必死にスコットの思い出話に耳を傾け、想像しようとする。
 しかし、朽ち果ててしまった神殿からは当時の姿を知ることは難しかった。

「リアはいつもここを訪れる人の願いを叶えていた。だけど、そのせいであまり世界全体に目が行かなくなってしまっていたんだね。だから、ここから遠く離れた場所に魔素を生み出す装置が隠され、魔物が溢れるまで事態に気付けなかった」

 それはここで女神の世話をしていたスコットも同じだそうだ。
 異変に気が付いた頃には、既に崩壊が進んでいた。
 罪の意識で潰れそうな彼女を、常に彼女に厳しく接していたフェンリルに託して逃したのだそうだ。女神さえいればまた一からやり直せると、まだ崩壊が始まっていない大陸をベースに世界を分けたのだと言う。

「その時のボクの行動は、その時できる最善だったけれど、正解じゃなかった」
「どういうこと?」

 苦いものを噛み潰した時のようにスコットの顔が歪む。

「装置と魔物を創り出したビッグ・イヤーの双子に、出し抜かれたんだ」

 フェンリルが女神や精霊達を連れ異界へ渡る間、元凶である双子をスコットがこちらの世界に足止めするはずだった。
 双子をあちらの世界に行かせてはいけない。それがスコットとフェンリルの共通意見だった。
 しかし、双子は自分達の偽物を用意し、たくさんの魔物と共に逆にスコットを足止めした。
 気づいたのは、方舟であるあちらの世界を閉じた時だったという。

「そんな……そんなの、スコットのせいじゃないよ」

 全力を尽くしてもどうにもならないことがあると、ユキは痛いほど身に染みて知っている。
 悪いのはその双子であってスコットではないのに、何故スコットだけが今も罪の意識を抱いて犠牲にならなければいけないのかと、ユキは行き場のない怒りを覚える。
 スコットは悲し気に笑って、ありがとう、と小さな声で言った。

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