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第一章 聖域
2、ずっとやりたかったこと
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「あたし……走りたい」
「走る?」
「そう! 走るの!」
言うが早いか、ユキは駆け出した。
裸足であることなどまるで気にせず、石をジャンプし、倒木をよじ登り、ひたすらまっすぐ。
走り方など知らないかのようにでたらめに手足を動かしているのに、まるで猿のように見る見る遠ざかっていく。
予想外の行動に面食らっていたスコットも、慌てて二足立ちをやめて追いかける。
尻尾に掴まった2号の存在もすっかり忘れ、ユキに追いつこうとスコットは速度を上げた。
「動く! 足が動く! あたし、走れてる!」
本当にこんなことがしたかったことなのか、と尋ねようと少し前に出て振り返ったスコットが見たのは、嬉しそうなユキの笑顔。
その表情に、2号も思わずおぉ、と嬉しそうな声を出した。
「きゃっ」
「ユキ!」
動かし慣れていないからなのだろう。ユキは足をもつれさせて前に倒れた。
柔らかな新芽と苔の生い茂った大地をコロコロと転がると、仰向けで大の字になり呼吸を整える。
スコットはその横に寝そべり、心配そうにユキの顔を覗き込んだ。
「……ハッ……ハァッ……ハァ……フゥ……」
「大丈夫かい?」
尋ねると、ユキは頷いた。依然笑顔のままである。
2号が「笑えたんだな」と言うと途端に無表情に戻ってしまったのでスコットは余計なことを、と思い2号を踏み潰した。
「すまん、他意はないんだ。ユキが笑ってくれて俺も嬉しい」
「笑った方が可愛いよ。もっと笑って?」
肉球の間から無理やり頭を出して謝る2号の言葉に、スコットも同意する。
楓からはユキについて詳しく聞いていない。けど、歩けなかったと言っていた。
歩けないのは肉体を新しく用意したことでクリアしていた。話せないのも、笑顔を見せないのも、精神的なものだったのだろう。
ここが夢だと思い込んでいたユキは、普通の子供と何ら変わりなく笑い、話していた。
少なくとも、走れることを嬉しそうに笑うユキは年相応の少女だった。
「大丈夫。笑いたかったら、笑って良いんだ。ここはユキの世界なんだもの。何だってユキの望むままに」
「そうだぞユキ。笑ったって文句いう奴なんてここにはいないんだ。もっと自由になれ」
頑なに無表情を貫こうとするユキに、もう一度笑って欲しいと感じたスコットの口からはそんな言葉が飛び出した。
2号からの援護射撃に、ようやくユキの頭を撫で続けるスコットにユキが目線を合わせた。
笑顔を作ろうとしたのか、ぎこちなく口の端を持ち上げる。
「笑うと、気持ち悪いって言われたの」
笑う度にそれを見た人間が皆吐く真似をしたんだと。だから笑わなくなったのだと、ユキはポツリと打ち明けた。
その言葉に、スコットは怒りを覚える。
少なくとも、美醜で言えばユキは決して醜くはない。
楓が運んできたユキの遺骸は痣だらけで鼻も骨格も歪んでしまっていたが、それを修復するイメージで創り上げた新しい肉体では筋の通った小さい鼻、透き通った肌にパッチリとした大きな二重で。特別美人ではないがどちらかというと可愛らしい印象の少女だ。
誰かが歪めたのだ。骨格が変わるほど殴り、心を抉り、言葉と笑顔を奪い続けた。スコットはそんなユキの世界が許せなかった。
滅びゆくのを待つだけのこの世界にさえ、そこまで悪逆な人間はいない。皆生き延びるのに必死だからだ。
他者への悪意は全て、自分が生き延びるために仕方なく発生するもの。スコットの知る人間の悪意とはその程度だった。
ユキに向けられた悪意は、まるでこの世界崩壊のきっかけを作ったあの邪神のそれではないか。
2号を踏みつける前足に知らずに力が籠ってしまっていたようだ。にゅるん、と形を歪めた2号が無理矢理脱出してきて、凍り付きそうな空気を変えるべく声を上げた。
「それで、走ってみてどうだった? やりたいこと、叶ったんだろ?」
2号の言葉に、ユキがふにゃり、と顔を歪める。
「あのね……凄い。……あたし、今、やっと生きてるって気がする。……おかしいよね? あたしもう死んでるのに」
ユキの目から涙が溢れる。
スコットと2号はそんなユキの頭をそっと撫でた。
「良いんだよ」
「大丈夫。おかしくないよ。だって、ずっと走りたかったんだろう?」
2号の言葉に目を瞠ったユキは、小さく頷いた。
大地に寝転がったまま、涙を隠すように顔を覆う。
「ずっと痛くて。自分の足なのに自分の思うように動かなくて。それがずっと嫌だったの」
「……願い、叶っちゃったね」
「これからどうしようか?」
「これから……?」
ユキの言葉に、スコットと2号はこれからの事を優しく聞いてくれる。
きっとユキが何を言っても、この不思議な猫とキノコは自分を肯定してくれるのだろう。
まだ出逢っていくらも経っていないのに、ユキはそう感じていた。
「何をしたって良いのさ。ここはユキの世界なんだもの」
「次は、何をしたい?」
(あぁ、この二人は、やっぱりちゃんと話しを聞いてくれる)
ユキはただそれだけで満足で。
それだけでもうここが「ユキの世界」だと信じるに値する奇跡で。
自ら幕を引くまでの十二年間、ユキはずっと息を殺して生きてきた。言いたいことも、やりたいことも我慢して。
きっとスコット達はユキが何を言っても怒らない。怒鳴らない。殴らない。現実世界の人達と違って。
「――あの、ね」
意を決して、ユキは次の「やりたいこと」を口にした。
「走る?」
「そう! 走るの!」
言うが早いか、ユキは駆け出した。
裸足であることなどまるで気にせず、石をジャンプし、倒木をよじ登り、ひたすらまっすぐ。
走り方など知らないかのようにでたらめに手足を動かしているのに、まるで猿のように見る見る遠ざかっていく。
予想外の行動に面食らっていたスコットも、慌てて二足立ちをやめて追いかける。
尻尾に掴まった2号の存在もすっかり忘れ、ユキに追いつこうとスコットは速度を上げた。
「動く! 足が動く! あたし、走れてる!」
本当にこんなことがしたかったことなのか、と尋ねようと少し前に出て振り返ったスコットが見たのは、嬉しそうなユキの笑顔。
その表情に、2号も思わずおぉ、と嬉しそうな声を出した。
「きゃっ」
「ユキ!」
動かし慣れていないからなのだろう。ユキは足をもつれさせて前に倒れた。
柔らかな新芽と苔の生い茂った大地をコロコロと転がると、仰向けで大の字になり呼吸を整える。
スコットはその横に寝そべり、心配そうにユキの顔を覗き込んだ。
「……ハッ……ハァッ……ハァ……フゥ……」
「大丈夫かい?」
尋ねると、ユキは頷いた。依然笑顔のままである。
2号が「笑えたんだな」と言うと途端に無表情に戻ってしまったのでスコットは余計なことを、と思い2号を踏み潰した。
「すまん、他意はないんだ。ユキが笑ってくれて俺も嬉しい」
「笑った方が可愛いよ。もっと笑って?」
肉球の間から無理やり頭を出して謝る2号の言葉に、スコットも同意する。
楓からはユキについて詳しく聞いていない。けど、歩けなかったと言っていた。
歩けないのは肉体を新しく用意したことでクリアしていた。話せないのも、笑顔を見せないのも、精神的なものだったのだろう。
ここが夢だと思い込んでいたユキは、普通の子供と何ら変わりなく笑い、話していた。
少なくとも、走れることを嬉しそうに笑うユキは年相応の少女だった。
「大丈夫。笑いたかったら、笑って良いんだ。ここはユキの世界なんだもの。何だってユキの望むままに」
「そうだぞユキ。笑ったって文句いう奴なんてここにはいないんだ。もっと自由になれ」
頑なに無表情を貫こうとするユキに、もう一度笑って欲しいと感じたスコットの口からはそんな言葉が飛び出した。
2号からの援護射撃に、ようやくユキの頭を撫で続けるスコットにユキが目線を合わせた。
笑顔を作ろうとしたのか、ぎこちなく口の端を持ち上げる。
「笑うと、気持ち悪いって言われたの」
笑う度にそれを見た人間が皆吐く真似をしたんだと。だから笑わなくなったのだと、ユキはポツリと打ち明けた。
その言葉に、スコットは怒りを覚える。
少なくとも、美醜で言えばユキは決して醜くはない。
楓が運んできたユキの遺骸は痣だらけで鼻も骨格も歪んでしまっていたが、それを修復するイメージで創り上げた新しい肉体では筋の通った小さい鼻、透き通った肌にパッチリとした大きな二重で。特別美人ではないがどちらかというと可愛らしい印象の少女だ。
誰かが歪めたのだ。骨格が変わるほど殴り、心を抉り、言葉と笑顔を奪い続けた。スコットはそんなユキの世界が許せなかった。
滅びゆくのを待つだけのこの世界にさえ、そこまで悪逆な人間はいない。皆生き延びるのに必死だからだ。
他者への悪意は全て、自分が生き延びるために仕方なく発生するもの。スコットの知る人間の悪意とはその程度だった。
ユキに向けられた悪意は、まるでこの世界崩壊のきっかけを作ったあの邪神のそれではないか。
2号を踏みつける前足に知らずに力が籠ってしまっていたようだ。にゅるん、と形を歪めた2号が無理矢理脱出してきて、凍り付きそうな空気を変えるべく声を上げた。
「それで、走ってみてどうだった? やりたいこと、叶ったんだろ?」
2号の言葉に、ユキがふにゃり、と顔を歪める。
「あのね……凄い。……あたし、今、やっと生きてるって気がする。……おかしいよね? あたしもう死んでるのに」
ユキの目から涙が溢れる。
スコットと2号はそんなユキの頭をそっと撫でた。
「良いんだよ」
「大丈夫。おかしくないよ。だって、ずっと走りたかったんだろう?」
2号の言葉に目を瞠ったユキは、小さく頷いた。
大地に寝転がったまま、涙を隠すように顔を覆う。
「ずっと痛くて。自分の足なのに自分の思うように動かなくて。それがずっと嫌だったの」
「……願い、叶っちゃったね」
「これからどうしようか?」
「これから……?」
ユキの言葉に、スコットと2号はこれからの事を優しく聞いてくれる。
きっとユキが何を言っても、この不思議な猫とキノコは自分を肯定してくれるのだろう。
まだ出逢っていくらも経っていないのに、ユキはそう感じていた。
「何をしたって良いのさ。ここはユキの世界なんだもの」
「次は、何をしたい?」
(あぁ、この二人は、やっぱりちゃんと話しを聞いてくれる)
ユキはただそれだけで満足で。
それだけでもうここが「ユキの世界」だと信じるに値する奇跡で。
自ら幕を引くまでの十二年間、ユキはずっと息を殺して生きてきた。言いたいことも、やりたいことも我慢して。
きっとスコット達はユキが何を言っても怒らない。怒鳴らない。殴らない。現実世界の人達と違って。
「――あの、ね」
意を決して、ユキは次の「やりたいこと」を口にした。
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