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0、転生

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 ふわふわと澄んだ風が顔を撫で、猫妖精ケット・シーのスコットは微睡みから目を覚ます。
 ここはいつだって日差しが温かく、空気は清浄で。段々と崩壊していく中でただここだけが聖域と呼べるだろう。
 そんな清廉な場であっても病魔は確実にスコットを侵す。痛みに悲鳴を上げる身体を宥めるように横たえ、スコットはただ静かに召される日を待っていた。
 濃い灰と白の縞々模様がお洒落ねと褒めてくれた主はもういない。優しく漉いてくれる手もなくなった今、その長い体毛は絡まりボロボロだった。


 もう一度眠ろうとしたスコットは、慌てたような気配がすぐ傍に出現したのに気付いてそのスカイブルーの瞳で気配を探る。
 こんな風に唐突に現れる存在をスコットは知っていた。

 ある日偶然知り合った自分と同じく空間を渡る能力を持った不思議な人間。異界の女神に寵愛され、種族を超越した力を持った男。その名は木下楓カエデ・キノシタ


 いつも飄々として掴み所がない友人の珍しく慌てている様子に目を細めたスコットは、その抱えている物を見て今度は目を見開いた。
 楓が抱えているのは、全身を血で染めた少女だったのだ。

「頼む、スコット! この子を助けてくれ!」

 楓の悲痛な叫びにスコットは静かに首を横に振る。

「楓、その子はもう死んでる」

 どう見ても生きてはいない、ただの肉塊だった。
 横一文字に切り裂かれた首は重力に従い大きく反り骨を覗かせている。
 変色具合からまだそれほど時間は経っていないようだが、その傷口からは血が滴り落ちることもなくなっていた。

「知ってるよ。ルナにも諦めろって言われた。でもスコットなら」

 楓は早口で捲し立てる。
 楓を伴侶として選んだその異界の女神は、蘇生はできなくとも転生をさせることはできたはずだ。
 その女神ルナが無理と言うということは、少女自身が生を望んでいないのだ。

「楓」
「創生の神の力を持つお前なら、この子を生き返らせることができるだろ?」

 断ろうと口を開いたスコットの言葉を、楓は遮り頭を下げる。
 スコットのためにこの子の命を使っても構わないからと。

「この子に生きる喜びを。愛を教えてやってくれ。再び生きたいと思えるように導いてくれ。頼む!」

 楓は尚も渋るスコットに涙を流しながら懇願する。

「わかってるよ、これは俺のエゴだって。この子は生き返ることなんて望んでいない。それを無理に生き返らせて、その命を使っていいなんて矛盾した勝手なことまで言ってる。それでも」

 楓は少女に視線を落とす。スコットもつられるように少女の顔を見る。
 細すぎる体と腫れた痣だらけの顔。血の気を失い青白くなったその顔は、どこか満足そうにも見えた。

「それでも、俺はこの子を助けたい。このまま、世界を拒絶したまま逝って欲しくないんだ」
「……その子は?」

 楓に子供がいるとは今まで聞いたことがなかった。

「俺の学校の生徒だよ。でも俺の教え子じゃない。俺はこの子に何もしてあげられなかった」

 楓の頬から滴る涙が少女の頬を伝って落ちる。
 まるで少女が涙を流しているかのようだった。

「苦しんでいることを知っていたのに。助けてやれなかった。色々なしがらみが邪魔をして動けなかった」

 楓が声を震わせる。
 それは怒りの感情だった。だが、それが何に向けられたものかまではスコットにはわからなかった。

「俺はこの子が声を、笑顔を失い、歩けなくなり、心を閉ざす所をただ見ていることしかできなかったんだ。だから……」

 楓が顔を上げる。
 涙でぐしゃぐしゃになった顔で真っ直ぐにスコットを見る。

「この子を救ってやって欲しい。頼む」
「……この子を生き返らせるには、ボクの命を分けてあげる必要がある」

 スコットは溜め息を吐いた。
 楓は言い出したら諦めないことを思い出したのだ。
 それに、恐らくこれで最後になるであろう頼みを叶えてやりたいという気持ちもあった。


「それは、この子にボクと同じ、この世界の人柱になれということだよ」

 スコットはこの世界の神の一柱であり人柱でもあった。
 世界の崩壊が始まったとき、スコットは自身の魂と世界を構築するエネルギーとを融合させることで世界を維持しようとしたのだ。
 しかし崩壊は止まらず、スコットは世界と命運を共にする日が刻々と近付くのを諦観の念で過ごしていた。

「それにボクの命を分け与えるということは、この世界の崩壊が一気に進むということ。蘇生したところでその瞬間にこの世界が消滅するかもしれない」

 そうなれば、結局はこの子は助からない。
 楓は射抜くような強い眼でスコットを見ていた。それは覚悟を決めた者と同じ瞳だった。

「それでも、だ。頼むスコット」

 スコットは悟る。
 楓は全てを知り、その上で言っているのだ。使と。
 この子の魂を呼び戻しこの世界と融合させれば、万が一スコットが消えてもこの世界は残る可能性が確かにある。

「……わかったよ。でも、念のため楓は自分の世界に避難しておいてね。この子はボクが責任を持って面倒見るから」
「ありがとう、スコット。ユキを頼む」

 やっと笑顔を見せた楓が元の世界に帰ったのを確認して、スコットは少女の亡骸と向き合った。

「さて、と」

 スコットはまず少女の新しい器となる肉体を創り上げた。スコットの力は創造であって再生ではないため、壊れた骸は器になり得ないからだ。
 遠くでまた世界が崩れるのを感じる。
 まだ大丈夫そうだ、とスコットは目を細めた。

 スコットは更に保険をかける。自分のスペアたる人柱ユキが簡単に死んでしまわないように。
 傷付かず病や毒に負けない強い体を。万物を理解する深い知識とそれを活かせる知恵を。
 この世界を蝕む病魔を退ける神力を。崩壊した世界を繕う再生の神力を。


 そうして骸の中で消滅を待っていた少女の魂を新たな器に移し、その額にそっと前足を当てた。
 足りない生命エネルギーを補うため自分の命を、世界のエネルギーを注いで繋ぎ合わせる。

「これでよし、と」

 どうやら消滅せずに済んだようだ。
 これでユキがいる限り世界は細々と未来を紡ぐだろう。

「さぁ、準備はできたよ。ようこそボクの世界へ」

 それは、新たな人柱の誕生だった。
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