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複雑な乙女心
しおりを挟む「あら」
と、口を開いたのは、たおやかな雰囲気を漂わせた女性である。マーメイドドレスのような形状の、闇色の衣服を身に纏う彼女は、自身の傍らにいる女性に視線を移し、ねえ、アリア、と呼びかけた。
「ほら、あのヒトはどうかしら?」
訊ねる口調もやわらかく穏やかで、どこか一点を指し示す人差し指すら品がある。腰まで届くほどの長い紫の髪は、まるで大海原に立つ波のごとく、また彼女の気質を表したかのようにゆるやかにうねり、品よく風に靡いている。
対して、問いかけられたほう――アリアと呼ばれた女性も、同じく腰まで及ぶほどの長い髪を持っていたが、彼女のそれは燃え盛る焔色をしており、肩口でゆるく二つに結ばれていて、活動的な印象を受ける。
アリアは指さされた先を見て、勝気そうに吊り上がった目尻を細めた。彼女らの視線の先には、大学構内を歩いている一人の大学生がいる。
「う~ん……」
アリアは少し太めの眉を顰め、難しい顔をしてその学生を見つめる。慣れた足取りで食堂へと向かう大学生の、頭頂部から靴先に至るまでをしげしげと観察した後、瞼を伏せ、
「却下」
と言って首を振った。二つの髪束が、彼女の動きに合わせてふるふると揺れた。
提案を却下された方の女性は、気を悪くした風もなく、「あら、残念ね」とおっとりとした調子で言った。
「じゃあ、あそこの……、ベンチに座ってる三人組。の、真ん中」
次いで訊ねたのは紫紺の髪の少年だった。顔立ちは甘く、髪は項のあたりで丁寧に切り揃えられており、さながら良家の子息のごとくである。しかしその風貌に反して口調は気だるげで、面倒くさいなあ、という本音が声から漏れ出ている。
「んんん~……」
そして先ほどと同じように、アリアは唸りながらベンチに座っている三人組の真ん中にいる好青年を眺める。その視線はまるで宝物の真贋を鑑定するかのようだ。たおやかな女性と少年とは固唾を呑み、次に発せられる彼女の判定を待った。
数秒の間があってから、やはり、
「……駄目ね」
と、色よくない答えが返ってきた。溜息まじりの返事に、少年はいよいよたまりかねたように、あのさあ、と声を荒げる。
「アリア姉さん、いい加減にしなよ! 全部駄目じゃないか? せっかく僕とセレナ姉さんが手伝ってやってるのに、我儘ばっかり言うな!」
「我儘じゃない! 意思が強いの!」
「良いふうに言うな!」
ぎゃあぎゃあと口論を始めた二人を見て、セレナと呼ばれた女性は「まあまあ」と宥める。
「アリアも、キャロルも。落ち着いて頂戴。言い争ってる場合じゃないでしょう」
まさしく鶴の一声、長姉の声はどこまでも穏やかで、聞く者の心を和らげ、落ち着ける。
「でも、セレナ姉さん。こんな調子じゃ日が暮れるよ」
「でも、半端な相手じゃ絶対にイヤ……」
でも、でも、と子どものように頑是ない二人に、長姉もまた困ったように眉尻を下げた。
セレナ、アリア、キャロル。三人は今、とある国のとある大学――の、はるか上空を、背に生やした黒翼でもって浮遊していた。
「ともかく、話している場合じゃないわ。早く見つけないと」
セレナの一声で、上空の三人は再び大地に目を遣り、地を歩く人間の一人一人をつぶさに観察する。しかし、やはりというべきか、長姉と弟が「あれは?」「あの人はどう?」と目星をつけた人間を指し示しても、アリアは「駄目」「違う」と否定の返事ばかりを返した。
半ば予想していた答えにセレナとキャロルは呆れながらも、それでも次女のために再度地面を見下ろした。二人に世話を焼かれている当のアリアは、「ああいうのじゃなくて、もっとこう……」と言葉に言い表せない感情をどうにか表現しようと、身振り手振りを使って説明している。
彼女の両肩は健康的な肌を二の腕の半ばまで剥き出しにしていて、その先は手首までを夜空色の上質な布地が覆っている。カーネーションの萼のごとくに広がった袖口には紅色のフリルがふんだんにあしらわれ、彼女の動きに合わせてふわりふわりと踊っていた。
「もっとこう、一目見てこの人! って人がいいの!」
アリアは大仰に腕を振るだけでは飽き足らず、その白い両脚をもばたつかせた。足も肩と同じく、太ももから足首までを大胆に露出している。しかし彼女の外見で最も目を引くのはそのしなやかな腹部だろう。彼女の身に付けている衣服はかなり布面積の少ないつくりになっていて、胸元から鎖骨、そして喉にかけてしか隠れていなかった。つまり、胸から下は健康的な肌が丸見えで、腹、へそ、腰までを惜しげもなく晒しているのだった。かろうじて隠れている胸元だって、強い風でも吹こうものならたちまちひらりと捲れ上がり、そのふくらみを露わにしてしまいそうなほど、心許ないものである。
「一目惚れってことかしら。アリア、下界の創作物が大好きだものね」
困ったふうに微笑むセレナは妹と違い、上品な、しかし色気のある黒いレースで白い脚を包んでいる。このような布面積の少ない露出過多の衣装、はたまた身体の線を強調するような衣装は、決して彼女の家が貧困にあえいでいるからでも、露出狂の痴女だからでもない。
彼女らの足元に地面はないが、まるで地団太を踏むような仕草をするアリアをキャロルは嫌そうに見て、
「子どもじゃあるまいし、じたばたするなよ! まったく、少しは慎みを持てばいいのに。セレナ姉さんみたいにさ」
と鋭く釘を刺した。
「慎みって! 私が?」
しかし弟の発する棘も意に介さず、アリアは自らの胸元に五指を当てて一笑に付す。
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「強気なのか卑屈なのかどっちなんだ……」
「唯一なんて言わないで。あなたはとっても魅力的。自慢の妹よ」
呆れ返る弟、微笑みを絶やさない長女、手でハートマークを形作る次女。彼女らの背中で、蝙蝠のような飛膜でできた黒翼が風に揺れる。
三人は三人とも、自らの肉体が最も魅力的に映る姿かたちを熟知していた。彼女らがヒトの情欲を刺激するような恰好をしているのは、彼女が、彼女ら三人が、いわゆる「淫魔」と呼ばれる生き物であるからに他ならない。
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