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運命の人は案外近くに
2 片想い5周年記念日
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葉月は改めて酔っ払いを上から下まで見下ろした。
見覚えのある黒髪に、隙間から見えるシャープな横顔。そして窮屈そうに折りたたまれた長い足。
彼の腕にはまっているのは、よく見知った某高級ブランドの腕時計だ。
完全受注生産の限定モデルで、就職祝いとして祖父からもらったのだと、5年前、まさにこの店で聞いた覚えがある。
葉月の知っている限り、この時計の持ち主は同期の五十嵐圭吾しかいない。
「おや、お知り合いですか」
「会社の同期なんです。ちょっと圭吾、なんでこんなとこで寝てんのよ」
面白そうに目を細めたバーテンダーに、一も二もなく頷く。
知り合いどころかかなり親しい間柄だ。
新入社員研修で同じグループだった彼とは入社時から妙にウマが合って、同期であると同時に大切な友人でもあった。
とりあえずジントニックを、と注文して、容赦なく酔っ払いを揺さぶる。
建設機械部門で若手のホープと名高い彼は真面目で硬派なタイプで、とてもバーで酔いつぶれているようなキャラではないのだが。
一体何事かと少し心配になってしまう。
「圭吾、大丈夫? 何かあったの?」
「……うーーーー」
「ねぇ、家まで送って行こうか? 確かこの近くに住んでるんだったよね?」
彼の実家は手広く不動産業を営んでいるそうで、たまたま会社から徒歩圏内の物件を所有していたからそこに住んでいるのだと聞いたことがある。
その場にいた全員で、「このボンボンが!」と突っ込みながら、葉月は彼からにじみ出る育ちの良さのようなものの正体が分かった気がしたものだ。
「圭吾、ねぇっ」
しっかりと筋肉のついた肩のあたりをべしべしと叩くと、やがて彼はわずかに頭を持ち上げた。
彫りが深く、いつもはキリリとした目元がほんのりと赤いのはお酒のせいだろうか。
それからうろうろと視線を彷徨わせて、こちらを向いた瞬間にぴたりと動きを止める。
「………………は、づき?」
「そうだよ。立てる?」
「………………やばい、会いたいと思ってたらとうとう幻覚が出てきた……」
「はぁ?」
思いの外深く酔っているらしく、何やら訳の分からないことを呟く彼に呆れ声が漏れる。
相当重症なようだ。
「ちょっと、幻覚じゃないんだけど。酔いすぎじゃない?」
「マジか……なんか……すごいリアルだな……」
相変わらずこちらの話を聞いていない圭吾は、これは夢か、だったら正夢になったらいいのに、などとブツブツ言っている。
もう夢か幻覚ということにしておこうか。
ちょうどジントニックを差し出されたため、それを持って彼の隣の席に移動する。
もともとあった彼のグラスには、氷の溶けかけた琥珀色の液体が入っていた。
「分かった。もう幻覚でいいから。そんなに酔いつぶれてるなんて何かあったの? 仕事関係? よかったら話聞くけど」
日頃冷静沈着な圭吾がこんなに酔い潰れているなんてよほどのことだろう。
取引先相手に理不尽な目に遭ったとか、仕事中にとんでもないミスをしてしまったとか。
明日も仕事だとはいえ、5年来の付き合いである仲良しの同期が落ち込んでいるなら放っておけないのは至極当然だ。このまま朝まで付き合うコースを想定する。
「圭吾?」
「…………あぁ」
彼はは少々充血した目でこちらを見て、一気にグラスの残りを煽った。
そしてトン、と置いたグラスをしばらく見つめ、やけくそのように口を開く。
「実は俺さ、今日が片想い5周年記念日なんだよね」
「……はい?」
告げられたのは予想と180度違う言葉。
唐突に語られた内容に、葉月は思わず聞き返してしまう。
片思い5周年……って全然仕事の悩みじゃなかった。
「すみません! 同じものもう一杯ください!」
「え、まだ呑むの?」
すでに相当深酒をしているようなのに、葉月の制止を振り切っておかわりを注文した彼は完全に目が据わっているようだ。
その様子を見たバーテンダーがこっそりと、次は薄めにしておきます、と耳打ちしてくれた。
「それにしても片想い5周年記念って……」
長い。
しかも付き合って5周年なら分かるが、片想い記念日なんて初めて聞いた。
そういえば彼は浮いた噂がひとつもなく、今まで恋人がいるという話も聞いたことがなかったと思い出す。
実際彼は友人である葉月から見てもイケメンで、さらに大手商社勤務の高身長独身だ。
その上性格も良いとなればそれなりにモテるはずだが、ずっと独り身なのは長きに渡る片想い中だったからなのかと納得してしまう。
「圭吾は一途なんだねぇ。私なんて、かなり前に元彼と別れてから恋もしてないな」
はははと笑って、葉月もジントニックに口をつける。
純粋に恋をしているらしい彼と違って、自分がいかに枯れていることか。
大学時代には恋人がいたが、就職してからすれ違いが多くなってあっさり別れてしまった。
もともと向こうから告白されて、特に断る理由もないからと付き合っていた相手だ。今思えば本当に恋をしていたのかもあやしい。
あれ以来、職場ではこれと言った出会いもないし、たまに世話焼きな友人から誘われる合コンものらりくらりと躱し続けている。
今は友達と遊んでいるだけで楽しくて、積極的にパートナーを探さないまま。
27歳の女がこれでいいのかとたまには思ったりするが、結局現状維持のままだ。
そんな内容を自虐的に語ると、圭吾はものすごい勢いで食いついてきた。
「は?! お前別れてたのかよ?! だって、入社式の日にさりげなく探りを入れたら彼氏いるって……!」
「あれ、あの後すぐ自然消滅したって言ってなかったっけ? 多分7月くらいかな」
「言ってないッ!!」
「え、ご、ごめん……」
なんかものすごく怒られた。
そういえば葉月が元彼と別れた頃、圭吾は配属早々に大きなプロジェクトのメンバーに抜擢されたとかで忙しく、同期の飲み会にも全く顔を出していなかった記憶がある。
彼にだけ伝え忘れ、そのままになっていたらしい。
「いや、でも私より圭吾のことだよ。そんなに一途なら、いつか想いが実るといいね。応援してる」
なんとか励まそうとしたのに、彼は絶望したような表情でこちらを見て、そしてバタッと突っ伏した。
「駄目だ……色々駄目だ……。しかも4年半も無駄にしてたなんて立ち直れない……」
「うそ、ちょっとがんばってってば」
さらに落ち込ませてしまったようで、葉月は少し慌てる。
自分だけ知らなかったことがそんなにショックだったのだろうか。
なんとかリカバリーできないかと悩む葉月の目の前で、彼はすごい勢いでグラスを空けて、またおかわりと叫んでいた。
注文を受けたバーテンダーが再び目配せしてくれる。
「はああああ……いいよ、もう。俺なんてまるっきり眼中にないらしいから。どうせ俺は一生独りで朽ちていくんだ……」
「そんなことないって。圭吾はかっこいいし、意外と両想いかもしれないじゃん」
これは偽ることない本心だ。
友人である葉月から見ても彼はかなりイケメンだと思う。
芸能人のような派手さはないが、誰にでも好印象を与える凛とした顔つき。それにスタイルがいいからスーツがよく似合う。
気配り上手でムードメーカーな圭吾の周りには自然と人が集まり、いつも輪の中心にいるタイプだ。
本人が気付いていないだけで、案外両想いだったりするんじゃないだろうかと本当に思う。
しかし葉月の“かっこいい”という言葉にも、彼は絶望的な顔をしてうな垂れた。
「じゃあとりあえず聞くけど。お前今好きな奴いる?」
「え、なにちょっと、いきなり私のこと? それは……まぁ、いないけど」
「ほらなあああああ」
「???」
捨て鉢になったようにナッツを掴んでボリボリと噛み砕く圭吾の隣で、葉月も生タコのカルパッチョをつまむ。
バルサミコ酢にブラックペッパーがきいてすごく美味しかった。
見覚えのある黒髪に、隙間から見えるシャープな横顔。そして窮屈そうに折りたたまれた長い足。
彼の腕にはまっているのは、よく見知った某高級ブランドの腕時計だ。
完全受注生産の限定モデルで、就職祝いとして祖父からもらったのだと、5年前、まさにこの店で聞いた覚えがある。
葉月の知っている限り、この時計の持ち主は同期の五十嵐圭吾しかいない。
「おや、お知り合いですか」
「会社の同期なんです。ちょっと圭吾、なんでこんなとこで寝てんのよ」
面白そうに目を細めたバーテンダーに、一も二もなく頷く。
知り合いどころかかなり親しい間柄だ。
新入社員研修で同じグループだった彼とは入社時から妙にウマが合って、同期であると同時に大切な友人でもあった。
とりあえずジントニックを、と注文して、容赦なく酔っ払いを揺さぶる。
建設機械部門で若手のホープと名高い彼は真面目で硬派なタイプで、とてもバーで酔いつぶれているようなキャラではないのだが。
一体何事かと少し心配になってしまう。
「圭吾、大丈夫? 何かあったの?」
「……うーーーー」
「ねぇ、家まで送って行こうか? 確かこの近くに住んでるんだったよね?」
彼の実家は手広く不動産業を営んでいるそうで、たまたま会社から徒歩圏内の物件を所有していたからそこに住んでいるのだと聞いたことがある。
その場にいた全員で、「このボンボンが!」と突っ込みながら、葉月は彼からにじみ出る育ちの良さのようなものの正体が分かった気がしたものだ。
「圭吾、ねぇっ」
しっかりと筋肉のついた肩のあたりをべしべしと叩くと、やがて彼はわずかに頭を持ち上げた。
彫りが深く、いつもはキリリとした目元がほんのりと赤いのはお酒のせいだろうか。
それからうろうろと視線を彷徨わせて、こちらを向いた瞬間にぴたりと動きを止める。
「………………は、づき?」
「そうだよ。立てる?」
「………………やばい、会いたいと思ってたらとうとう幻覚が出てきた……」
「はぁ?」
思いの外深く酔っているらしく、何やら訳の分からないことを呟く彼に呆れ声が漏れる。
相当重症なようだ。
「ちょっと、幻覚じゃないんだけど。酔いすぎじゃない?」
「マジか……なんか……すごいリアルだな……」
相変わらずこちらの話を聞いていない圭吾は、これは夢か、だったら正夢になったらいいのに、などとブツブツ言っている。
もう夢か幻覚ということにしておこうか。
ちょうどジントニックを差し出されたため、それを持って彼の隣の席に移動する。
もともとあった彼のグラスには、氷の溶けかけた琥珀色の液体が入っていた。
「分かった。もう幻覚でいいから。そんなに酔いつぶれてるなんて何かあったの? 仕事関係? よかったら話聞くけど」
日頃冷静沈着な圭吾がこんなに酔い潰れているなんてよほどのことだろう。
取引先相手に理不尽な目に遭ったとか、仕事中にとんでもないミスをしてしまったとか。
明日も仕事だとはいえ、5年来の付き合いである仲良しの同期が落ち込んでいるなら放っておけないのは至極当然だ。このまま朝まで付き合うコースを想定する。
「圭吾?」
「…………あぁ」
彼はは少々充血した目でこちらを見て、一気にグラスの残りを煽った。
そしてトン、と置いたグラスをしばらく見つめ、やけくそのように口を開く。
「実は俺さ、今日が片想い5周年記念日なんだよね」
「……はい?」
告げられたのは予想と180度違う言葉。
唐突に語られた内容に、葉月は思わず聞き返してしまう。
片思い5周年……って全然仕事の悩みじゃなかった。
「すみません! 同じものもう一杯ください!」
「え、まだ呑むの?」
すでに相当深酒をしているようなのに、葉月の制止を振り切っておかわりを注文した彼は完全に目が据わっているようだ。
その様子を見たバーテンダーがこっそりと、次は薄めにしておきます、と耳打ちしてくれた。
「それにしても片想い5周年記念って……」
長い。
しかも付き合って5周年なら分かるが、片想い記念日なんて初めて聞いた。
そういえば彼は浮いた噂がひとつもなく、今まで恋人がいるという話も聞いたことがなかったと思い出す。
実際彼は友人である葉月から見てもイケメンで、さらに大手商社勤務の高身長独身だ。
その上性格も良いとなればそれなりにモテるはずだが、ずっと独り身なのは長きに渡る片想い中だったからなのかと納得してしまう。
「圭吾は一途なんだねぇ。私なんて、かなり前に元彼と別れてから恋もしてないな」
はははと笑って、葉月もジントニックに口をつける。
純粋に恋をしているらしい彼と違って、自分がいかに枯れていることか。
大学時代には恋人がいたが、就職してからすれ違いが多くなってあっさり別れてしまった。
もともと向こうから告白されて、特に断る理由もないからと付き合っていた相手だ。今思えば本当に恋をしていたのかもあやしい。
あれ以来、職場ではこれと言った出会いもないし、たまに世話焼きな友人から誘われる合コンものらりくらりと躱し続けている。
今は友達と遊んでいるだけで楽しくて、積極的にパートナーを探さないまま。
27歳の女がこれでいいのかとたまには思ったりするが、結局現状維持のままだ。
そんな内容を自虐的に語ると、圭吾はものすごい勢いで食いついてきた。
「は?! お前別れてたのかよ?! だって、入社式の日にさりげなく探りを入れたら彼氏いるって……!」
「あれ、あの後すぐ自然消滅したって言ってなかったっけ? 多分7月くらいかな」
「言ってないッ!!」
「え、ご、ごめん……」
なんかものすごく怒られた。
そういえば葉月が元彼と別れた頃、圭吾は配属早々に大きなプロジェクトのメンバーに抜擢されたとかで忙しく、同期の飲み会にも全く顔を出していなかった記憶がある。
彼にだけ伝え忘れ、そのままになっていたらしい。
「いや、でも私より圭吾のことだよ。そんなに一途なら、いつか想いが実るといいね。応援してる」
なんとか励まそうとしたのに、彼は絶望したような表情でこちらを見て、そしてバタッと突っ伏した。
「駄目だ……色々駄目だ……。しかも4年半も無駄にしてたなんて立ち直れない……」
「うそ、ちょっとがんばってってば」
さらに落ち込ませてしまったようで、葉月は少し慌てる。
自分だけ知らなかったことがそんなにショックだったのだろうか。
なんとかリカバリーできないかと悩む葉月の目の前で、彼はすごい勢いでグラスを空けて、またおかわりと叫んでいた。
注文を受けたバーテンダーが再び目配せしてくれる。
「はああああ……いいよ、もう。俺なんてまるっきり眼中にないらしいから。どうせ俺は一生独りで朽ちていくんだ……」
「そんなことないって。圭吾はかっこいいし、意外と両想いかもしれないじゃん」
これは偽ることない本心だ。
友人である葉月から見ても彼はかなりイケメンだと思う。
芸能人のような派手さはないが、誰にでも好印象を与える凛とした顔つき。それにスタイルがいいからスーツがよく似合う。
気配り上手でムードメーカーな圭吾の周りには自然と人が集まり、いつも輪の中心にいるタイプだ。
本人が気付いていないだけで、案外両想いだったりするんじゃないだろうかと本当に思う。
しかし葉月の“かっこいい”という言葉にも、彼は絶望的な顔をしてうな垂れた。
「じゃあとりあえず聞くけど。お前今好きな奴いる?」
「え、なにちょっと、いきなり私のこと? それは……まぁ、いないけど」
「ほらなあああああ」
「???」
捨て鉢になったようにナッツを掴んでボリボリと噛み砕く圭吾の隣で、葉月も生タコのカルパッチョをつまむ。
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