嘘つきは露出狂のはじまり

柳月ほたる

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運命の人は案外近くに

1 エイプリルフールは忙しい

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 大手総合商社の人事部人材開発室で働く浅川葉月はイベントごとが大好きだ。
 お正月は毎年着物姿で初詣に行っているし、有名神社の節分祭で芸能人が豆まきをすると聞けばついつい誰か誘って参加してしまう。それから七段飾りを実家に設置するひな祭りはもちろん、七夕、十五夜、クリスマスなどなど。
 家族や友人の誕生日はもちろん忘れずお祝いするし、SNSでその日が誰かの誕生日だと通知がくれば、必ず一言お祝いメッセージを送る。
 ここ数年で急に盛り上がりを見せ始めたハロウィンだって、去年はがっつり魔女の仮装をして学生時代の友人と歩行者天国に繰り出した。
 そうやって友達とばかり遊んでいるせいで彼氏いない歴がそろそろ5年を突破するが、楽しいのだから仕方がない。
 27歳ともなるとだんだん同級生からの結婚の報告も増え始めた頃だが、まだ私はいいかな? などと現実から目を逸らしているところだ。

 が、そんな葉月にもひとつだけ参加できないイベントがあった。
 エイプリルフールだ。

「浅川さん、入社式に出席予定だった溝口専務だが、急遽欠席になったそうだから」
 その日、慌ただしく駆け回っていた葉月は電話を受けたばかりの人材開発室長に呼び止められて足を止めた。
 専務が急遽欠席、と聞いて、やらなければならないことを絞り出す。
「では席次と進行表の訂正をして共有しておきますね。それから役員席の専務のネームプレートも回収が必要ですね」
「頼んだよ。ついでにこっちの件についても確認したいんだが……」
「なんでしょう?」
 今日は4月1日。
 年度始めというだけでも何かと忙しいのに、株主総会に次ぐ大イベント・入社式の日なのである。

「じゃあ、総務への連絡も頼めるかな。なんでも任せてしまって悪いんだが」
「いえいえ、これも仕事ですから」
 申し訳なさそうな室長の言葉に首を振って、葉月はにっこりと微笑んだ。
 手元のメモのやることリストがまたひとつ殴り書きが追加されて、もはや書き込んだ葉月本人しか解読できなくなっている。
「去年のように音響装置がいきなり壊れて、直前まで修理業者さんと走り回っていたのに比べたらマシですよ」
「ははは、君も頼もしくなったな」
「ありがとうございます」
 紳士然として大人の貫禄溢れる室長に褒められても、いつもみたいにこっそりときめく余裕もなかった。
 人事部と総務部は数日前から猫の手も借りたいくらいの忙しさで、とてもではないがエイプリルフールだからと嘘をつける空気ではないのだ。
 それから室長に頼まれていた総務に電話を掛けた直後、息を吐く暇もなく内線が鳴った。

「お疲れ様です。人事部人材開発室の浅川です」
『お疲れ様です。1階受付ですが、本日の懇親会の担当業者さんがいらっしゃいました。どちらにお通ししますか?』
「あー……っとそれは12階大ホールなんですが……私が案内するので、今から迎えに行きますね」
「分かりました。では少々お待ちいただくようお伝えします」
「よろしくお願いします」

 必要な書類と共にエレベーターへと駆け出しつつ、はあああ……と葉月は大きく肩を落とす。
 今年もまた、たったひとつの嘘をつく時間も余裕もなさそうだ。
 本当は今日限定の特設サイトだってゆっくり見たいし、SNSでのユーモア溢れるつぶやきだってチェックしたい。ちょっとした嘘で誰かを驚かせたいのに。
 年に一度のエイプリルフールがこんなに忙しいとは、なんてついてないんだろう。
 毎年のこととはいえ、この日だけは違う部署に異動したいと少し思ってしまう葉月だった。

 ◆

 そんなこんなで無事に入社式を終え、続く懇親会にオリエンテーションに総勢200人の新入社員の入社誓約書回収に残務処理にと全てを終えたのは、定時を大幅に過ぎてからだった。
 4月1日も残り数時間。
 結局また、今年も嘘をつかずにエイプリルフールが終わってしまいそうだ。

「あーもう! 誰か私に嘘をつかせて! ほんとくだらないことでいいから!」
 もはや意地のようだったが、気軽に嘘をつけそうな同僚や後輩はすでに退社して社内にいない。
 まさか他部署に押しかけて嘘をつく訳にもいかないし、かといってジェントルマンな室長(54)を相手にする訳にもいかず。
 結局一人で帰途に着くことになった。

 そして嘘をつきたい欲求を持て余したまま、悶々と駅に向かっていた途中のことだった。
「あ、このお店……」
 いつも何気なく通り過ぎているカフェバーの前で、葉月はふと足を止めた。
 特に何か変わったことがあった訳ではない。
 虫の知らせとでもいうのだろうか、なんとなく興味を引かれて立ち止まったのだ。

 現在葉月が立っている位置から見えるのは、使い込まれたレトロな看板と、ドア横の黒いアンティークランプ。
 半地下になっている入り口はとても狭いが、一歩店内に入ればシックで落ち着いた空間がゆったりと広がっていることを葉月はすでに知っている。そしてアルコール類の品揃えが素晴らしく、料理が文句なく美味しいということも。
 いつもは通り過ぎるだけの店だが、実は一度だけ来店したことがあるのだ。
 あれはそう、ちょうど5年前の今日。葉月自身が新入社員として入社式に参加した日のことだった。

「久しぶりに入ってみよっかな」
 そんな気分になったのは単なる気まぐれだった。
 今日1日がんばった自分への労(ねぎら)いとして、美味しいご飯と美味しいお酒でちょっとした贅沢をしてもいいだろうと思いついたのだ。
 週末には程遠いから、呑むのは1杯か2杯に抑えるとして。
 それくらいなら明日に響かないだろう。

「……こんばんは」
 分厚いドアを押し、年季の入ったドアベルの音を耳にしながら店内に足を踏み入れた。
 久しぶりの来店はアウェイ感満載で、妙な気まずさから誰にも聞こえないような小声で挨拶をしてしまう。
 店内は5年前と変わらない黒と赤を基調にしたインテリアで、それを温かみのあるランプの光が照らしていた。
 大人な雰囲気の空間に、当時は社会人になったという実感をひしひしと感じたことを思い出す。

 ちょっとした感傷に浸っていると、穏やかな笑みを浮かべた老年のバーテンダーが近づいてくる。
「いらっしゃいませ。お一人ですか」
「ええ。……大丈夫ですか?」
「もちろんですとも」
 特に美人のお客様は大歓迎ですよ、と茶目っ気たっぷりに付け加えたバーテンダーに、カウンターの奥まった席へと案内される。
 目の前にずらりと並ぶ酒瓶は圧巻だ。
 5年前はオリエンテーションで同じグループだった数人で来店したためテーブル席を利用した。
 カウンターにぽつぽつと並ぶ先客たちの後ろ姿を眺めながら、「やっぱり、『あちらのお客様からです』なんてやったりするのかな?!」とどうでもいい話をしたものだ。
 学生時代にバーでバイトをしていたという一人から、「現実にはそんなのないから」とバッサリ切られてしまったが。

 葉月が案内された席の2つ隣には先客がいた。
 サラリーマンと思しきスーツ姿の男性がカウンターに突っ伏している。
 ちらっと見て、やだ、酔っ払いの隣なの? と眉をひそめた直後、葉月は思わず二度見する。
「え……け、圭吾?」
 なんとそこにいたのは思いっきり知り合いだったのだ。
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