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第一章

逢引(前編)

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第五話 逢引(前編)

――なぜ、こんなことになったのだろう。

 凛にはさっぱり分からなかった。真剣まつるぎは『逢引』などと軽口を叩いてりんを市から連れ出した後、ずっと無言だった。
真剣の足がどこを目指しているかは、手を引かれて歩いているだけの凛には皆目見当がつかない。
大通りの喧騒の中でも堂々と振る舞う真剣は、とても懸賞金のかかったお尋ね物には見えないほどだ。周囲の人々が真剣に気づいてリアクションを取る様子もない。
ただ、男性にしては珍しい背の真ん中くらいまである長髪に、皮製のブーツを履いている真剣のハイカラな格好に注目する者がいるぐらいだった。
「あの、真剣さんって、賞金首――……」
「しーっ。それは、ゆうてはいけないお約束っちゅうヤツぜよ」
「え?」
「都ではすでに手配書は殆ど貼り出されて居らんし、町民はわしを知らんもんも多い。が、昔の戦に出たもんや、役人、賞金稼ぎなんぞは、未だにわしを目の敵にしちゅう。そういう輩に知られたら、面倒やお?」
「はあ……」
 そういえば、凛も真剣の噂は以前にチラッと耳にした事があるくらいだ。三年前、桜藤山おうとうざんの戦の最中、自軍を置いて逃亡を図った脱走兵の一人だと。
姿や外見の特徴はお触書の似顔絵とは似ても似つかなかったし、初めて都で真剣に遭遇した際にも、凛は真剣が賞金首とは気がつかなかったほどだ。
「ああ、そうじゃった。凛さん、茜音あかねではわしのことは『裏通りの助うらどおりのすけ』とでも呼きくれ」
「ええっ?なんですか、それは?」
「はっはっは!ほがな顔しやーせき。ただの偽名ぜよ」
「はあ……?」
 悪戯っぽく偽名などどいう真剣だが、どこまで本気でどこまで冗談なのか、凛には判断が出来かねる。
真剣を知れば知るほど、話を聞けば聞くほど、謎は深まっていくばかりだった。
「もしかして、『真剣新助』って言う名前も、偽名なんですか?」
 凛は恐る恐る訊ねたが、その問いかけに、真剣は答えなかった。
その代わり、握りしめる手にそっと力をこめ、首だけ彼女の方へ向けてにんまりと微笑んだ。無邪気で子どもっぽい猫目が細められるのを眺め、凛は『この人の本当の名前は誰も知らないんだろうな』と、なんとなく感じていた。


* * *

「真剣さん」
「凛さん。わしは、裏通りの助ぜよ」
「裏通りの助さん」
「どうした?」
「……ここって」
 凛が真剣に従って、同行した場所。
そこは、人通りの多い大通りから一本道を外れた、路地へ入ったところ。
正しく『裏通り』にあたる、歓楽街地区だった。
「法令では、歓楽街には十八歳未満の未成年は入ってはいけないんですよ」
表通りとは明らかに空気と雰囲気が違う、俗に言う【成人男性御用達】の歓楽街は、遊郭や賭博場は勿論、出合茶屋も軒を連ねている。
男女が密会をするのに良く利用される場所でもあった。まだ十六歳の凛は勿論、このような大人の遊び場に足を踏み入れたことは当然ながらない。おまけに出合茶屋は、表向き大通りや都の中にあるような風情ある料亭を装っているが、世間では知られてはならない間柄の男女が密会するのにも頻繁に利用される。妻子ある男性が城の女中と逢引したり、未亡人などが国の役人と密通していたりという噂もある。
 この場合、凛は真剣と不倫しているわけでもないのだが、未成年である以上店に入る事自体禁じられている。
「逢引の醍醐味ちゅうもんじゃ」
「こんなお店に入るなんて、ぜったいっ!!駄目です!!」
 凛は、命の危険とはまた種類の違う意味の危険を感じ、楽しげに出合茶屋の看板前に歩き出した真剣の手の甲を、つかまれていない反対の手で思いっきり抓って抵抗を示した。
「あいひゃーーーーー!?」
意気揚々としていたところに、肉を引き千切らんばかりのえげつない攻撃を受けた真剣は、甲高い悲鳴を上げてその場に立ちどまった。
凛はその隙を突き、真剣の手をぱしっと振り払った。
「私は、真剣さんに父のことを訊くためについてきたんです!こんな如何わしいところに行くためじゃあ有りませんっ」
「まっこと、つれない娘やき」
いくら真剣がおふざけ半分だったとしても、こればかりは笑って許せる問題ではない
真っ赤になった手の甲をふーふーしつつ、真剣は憤る凛に向き直った。
「紀一のことを知りたいんなら、まずこの都全体を見ておかなければいかん。こっから何が見えるか?」
「何がって……?」
 凛は、まだ半信半疑ながらも、真剣の言葉のままに周囲を見回してみた。
賑やかな客引きの女たちの声や、遊郭から歩いて出てくる男女の連れの睦言。
艶やかな着物を見に纏った太夫達がふかす煙管の煙と、おしろいと紅のむせ返るような匂い。眺めているだけでくらくらして、頭が痛くなりそうだ。
歓楽街の中に、一体何があるのかと凛が嘆息した時。
「……あれは」
――彼女の眼前を、とある男女が通り過ぎて行った。
男性は羽織りを纏わず着流し姿で腰に刀を差しており、連れの女性の肩を親しげに抱いている。
相手の女性は金の艶やかな髪の毛を束ね、頭の高い位置で一本に結わえていた。深紅の生地に金糸の刺繍が施された着物は人目を惹きつけるのに十分だが、着物の胸元は大きく開いており、扇情的で妖艶そのもの。
道行く男衆が、華やかなその女性を無意識に目で追っているのが凛にも分かった。
 美しい白磁のような肌と金の髪を見れば、脳裏にリアムのことが思い浮かばれる。異民族の女性と客らしき男性は寄り添い歩きながら、遊郭の建物の中へと消えていった。
「あれは、異民族の娘らがつかまっとる、遊郭ぜよ」
「……捕まってる?」
茜音あかねでは、異民族が暮らしていける場所は他にゃ無い。男は奴隷になり各地方に売られたが、女子供は此処へ連れてこられて、歓楽街の中で生活しちゅうよ」
「そんな。じゃあ、彼女たちは一生ここで働いて、暮らしていくしかないんですか?」
 リアムも言っていた。
『お母さんとお父さんは、牢の中で出会った』と。
では、リアムの母がもし、リアムの父親に出逢えていなかったら、他の異民族女性達と同じように、歓楽街で一生働く羽目になっていたのだろうか。
「自分の行きたいところにも行けず、やりたい仕事にもつけず、死ぬまで……?」
「凛さんは、ほきもあいと女たちの未来を、視る必要があると思うかね?」
 真剣の言葉に、凛は返す言葉が無かった。
未来記録レコーディングなど、未来を覆せない人達の前にしたら、何の意味も無いのかもしれない。
明日も明後日もその先も生きる場所はここにしかなく、不変の未来だけがそこで待ち構えているのだとしたら。未来を知りたいと渇望するはずがないから。
「国の未来をしょうまっこと変えるには、中身を変えないといかんちや」
「……そう、ですね」
「紀一は、それをよう知っちょったが……」
「え?」
 何事かぽそりと呟く真剣に聞き返そうとしたが、真剣はニッとはにかんだ後、再び凛の右手を握りしめるだけだった。
「それほんなら、次の場所へ行こう」
「ちょ……っ、次って?うっ、裏通りの、助さん!?」
 もう用は済んだと言わんばかりに、真剣は別の場所へ向かうつもりのようだ。凛は引っ張られるようにしながら、小走りで後をついて行くしかなかった。
(それにしても、『裏通りの助』なんて、言いにくいし、長い名前だな)
そもそも大通りに出てからも『裏通りの助』と呼ばなければならないのが、若干ややこしかったりもする。
「はっはっは。助さんでええよ」
文句たらたらの表情で膨れる凛の思考回路は、真剣にはお見通しだったようだ。
当たり前のように繋がれ合った手が、凛の緊張と恥ずかしさを煽っていた。
「こっ、恋仲でもない男性を、名で呼ぶなんて出来ないです!」
 思わず俯く凛だったが、真剣は『今日は逢引ながやき、ええんじゃ』と笑うだけだった。
(やっぱり、変な人)

* * *


「ここ……!?」
「そう。占い横丁ぜよ」
 続いて、真剣に導かれるまま辿り着いたその場所は、茜音ではおなじみの、あの占い横丁だった。
通り一帯に軒を連ねる全ての店が占い屋(公認・非公認店含め)である通りは、連日占いを求めてやってくる町人や貴族たちでにぎわっている。
人ごみに押され、凛は真剣の背中にくっついてしまった。
「私はここは余り、好きじゃないんです」
「ほう。何故?おんしも『国家公認呪術師こっかこうにんソルシエ』になって、ここに店を出すがやないかね?」
「……それは」
真剣の赤味がかった桧皮色の髪の毛が、凛の鼻先に掠める。凛はとっさに反論の言葉が思いつかないまま、真剣の着物の背中にしがみ付いていた。――懐かしい匂いがする。
真剣が、着物に炊き染めている香の香りだろうか。
(これ、どこかで昔、嗅いだ事があったような?)
「大胆やきー。おんしがその気ならわしも……」
凛が記憶をサルベージしている最中、真剣の究極のプラス思考が働いた。
背中に妙齢の娘が貼りついている状況に気を良くし、くるりと凛に向き直ると力任せにぎゅっと抱きついてきたのだ。
「きゃーっ!?ちがいますっ!私は好きでくっついてるんじゃありませんっ!」
すっぽり胸に抱き締められた状態で、凛は全体重をかけ、真剣のブーツのつま先を踏みつけた。……下駄の、かかとの方を使って。
「ぐっはぁっ……!?」
「もうっ。わたしは、占い横丁は好きじゃないって言ってるじゃないですか。早く出ましょう」
皮ブーツとはいえ、悪意を持ってしての攻撃(しかもつま先一点集中)は、相当痛かったようだ。さすがの真剣も怯み、凛を腕から解放した。目じりには薄っすらと涙を浮かべ、叱られた後の子供の様な顔で凛を睨んでいる。
「……まっこと、はちきんじゃのー……」
「そんな顔しても、許さないですからね。もうっ」
「おんし、嫁の貰い手が無くなるがでよ」
「なっ……?」
その一言で一気に頬を真っ赤に染め上げた凛が反論しようとしたとき、周囲からひそひそと囁く声や、からかうような笑い声が聞こえてきた。占いの順番待ちの客や野次馬の町人に、凛と真剣が往来で痴話喧嘩していると勘違いされているようだ。
「あんたら、新婚かい?こっちで相性占いしてやろうか?」
「結構です!」
 その上、路上で出店を開いている占い師にまで冷かされる始末だ。凛に声をかけた占い師は建物を構えておらず(地べたに直接風呂敷のような布を引いて、その上に数珠玉や算木、方位盤やらの占い道具を置いている)、非公認で店を出しているのは一目瞭然だ。
「ああいうインチキがいっぱい居るから、占い横丁は嫌なんです!」
(しかも、新婚ってなに!?わたしはまだ、恋人も許婚も居ないって言うのに!)
凛はインチキ占い師を騙る男よりも、男の『新婚』発言に対して憤慨していた。
「はっはっはっ。嫁になら、わしが貰ってやるぜよ」
「そういうことじゃありません、結構です!」
調子よく肩を抱いてくる真剣を跳ね除けると、またしても彼のブーツのつま先を踏んでやった。
「ごふっ!?おんし、またぶっちゅうところにっ?」
度重なる激痛に堪え切れず、真剣はブーツのつま先を手でつかみ、屈みこんでしまった。
二回も同じ箇所を集中攻撃されたのだから、身体的(ついでに精神的)なダメージは甚大だ。
「真剣さ――裏通りの助さんは、どうしてここにわたしを連れてきたんです?」
「助さんでええって。占いと未来記録の違いはなんだと思うかや?」
「な、なんですか、急に?」
「良いから、答えや」
先ほどとは打って変わって冷静な口調で詰問する真剣に、凛はわずかにたじろいだが『占い師』と『未来記述師』の違いなど、凛が一番よく心得ていることだ。
一度大きく息を吸い込んだ凛は、毅然と真剣に向かって告げた。
「占いとは、結果が必ず的中するわけじゃないんです。生年月日、血液型、手相、人相。どの方法であったとしても、その人に起きる未来の出来事を、百パーセント予期する事はできません。未来記記録士レコーディストは――……」
「その人間の『運命の気』を視ているから、未来の確実な『確率』が分かる。より正確な未来を予報できる、ちゅうことやお?」
「そうです。未来記録は占いではなくて、確率に基づいた予報なんです」
起こる可能性のある未来をビジョンで視て予報し、記録に残す。つまり、それは必ずその人に訪れる出来事であると言うこと。真剣は、未来記録士と占い師の違いを、初めから分かっているようだった。
それもそのはず。そもそも、最初に凛に「未来を記録してくれ」と頼んできたのは真剣だった。真剣は紀一とも面識がある。紀一から未来記録士の話を詳しく聞いていたとしても、なんらおかしく無い。
「でも、裏通りの助さんの、運命の気流は視えなかった……」
 凛が真剣を視た際は、凛の目に人が本来なら持っているはずの『運命の気流』が視えず、一瞬だけ火花の様な紅い閃光が散る光景が、ビジョンとして凛の脳裏に浮かんだだけだった。
(ほんとうに、真剣さんには『運命の気流』がないの?そんな話、お父さんからも聞いたことが無いのに……)
凛は、正面からじっとこちらを見つめる真剣の顔を見据え、瞼を閉じて心の内側の眼――心眼を開く準備をする。
あの時は状況が切迫していて、集中できていなかっただけかもしれない。今度こそ。凛はもう一度、真剣の気を読み取ろうとした。
「止めちょき。多分まだ、おまえさんではいかんぜよ」
「え?」
「一度目と、同じようになる」
が、真剣は、凛が心眼を開く前にきっぱりと宣言する。
「それはどういう……?きゃっ?」
戸惑う凛の手首を再び掴んで歩き始めた真剣は、占い横丁のただ中をすたすたと突っ切り始めた。
「ちょっと、助さん……今度はどこへ行く気ですっ?」
人ごみにもみくちゃにされながら、凛は真剣に引っ張られて歩いていくしかない。
通りすがりに、柄の悪そうな男たちの会話が聞こえてくる。
「また外れたって?」
「ああ。アイツ、とんだ詐欺師だよ。アイツの言うとおり丁に賭けたのにさあー。大損だ」
「ははっ。賭博に占いなんて通じねエンだよ。所詮、あんなもんに未来のさいころの面が分かるわけがねえ」
「くそっ」
(たとえ未来が視えるとしても、あんな風に悪用されてしまうのなら……)
賭け事や、悪事、その他もろもろの犯罪に『未来記録士の予報』を悪用する者が現れたら。依頼者が、犯罪行為に手を染めようとしたら。
(お父さん……)
――紀一は『迷える人達の灯台になれ』と、凛によく言っていた。そして、自分は国の未来をよき方向に導くたびに、都へ出立するのだと。
(未来記録士ってなんだろう……)
未来を記録する力を持って生まれたのは花加一族と、今も存続しているか定かではない、青藍に移り住んだ「一文字」家の一族。紀一が凛に語った情報は、ただそれだけだ。
凛は、父の言葉だけを頼りに能力を使うことが子どもの頃からの夢で目標だったが、果たしてそれが本当に世や人のために役立つものかと問われると、答えが出せないままだった。
「凛さん」
「へ?」
 思考の迷子になりつつあった凛を、真剣が呼ぶ。手のひらを力強く握られ前へ引っ張り出されたかと思うと、次の瞬間、真剣に顔を覗き込まれていた。
「ち、近いです!」
真剣に間近で見つめられた凛は、器用に首だけをカメの様にひっこめる形で(後ずさりならぬ)顔ずさりをした。
「おんし、器用じゃのー」
真剣のさらりとした横わけの前髪が風にそよぎ、悪戯な瞳が柔らかく細められる。
くすりと微笑む訳でもなく、声を上げて笑うようでもないのに――これはきっと、真剣が心から楽しんでいるときの表情だと、凛はなんとなく察した。
「ええ子じゃ。逢引の最後に、ちっくと来て欲しい場所があるぜよ」
「……」
真剣は、凛の頭に気安く手を置くと、凛の前髪を梳いた。
「こっちちや」
額に触れた真剣の指の感触や壊れ物に触れる様な仕草に、懐かしさを感じると同時、凛は羞恥から鼓動を早めていた。
動揺する自分を真剣に気付かれたくなくて顔を下に向けた凛は、足元だけ見つめながら、静かに後ろをついて行くしかできなかった。
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