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第一章
混浴の泉
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第六話 混浴の泉
「シュンリ?」
木々の隙間から漏れる太陽の光が照らす眩しさで、ユファは目を覚ました。そこかしこから、小鳥が鳴き交わす歌声が響いている。
昨夜は交替で睡眠を摂るはずだったのに、ユファは結局、駿里に一度も起こされる事はなかった。小さく伸びをして上半身を起こすと、ユファは周囲を見回して駿里を探した。
「シュンリ!」
――しかし、名前を呼んでも返事は返ってこない。辺りは焚き火の残骸とヴィントの骨が転がっているだけで、閑散としていた。
(まさか、居なくなっちゃった?)
慌てて駿里を探そうとしたユファだが、ふと我に返った。
駿里とユファには、一緒にいる明確な理由がなかった。アイスベルグ城を脱出する際は危機的状況だったので、瀬に腹は変えられず行動を共にしていただけ。もとはと言えば、駿里はアイスベルグの人間で、ユファは双翼の民。本来なら相容れるべき存在ではない。
人間と双翼の民との間の確執がいかに根深かいものなのか。ユファはハメルの里を失い、自分自身が牢に投獄されて身をもって理解したばかりだった。
心に微かな寂しさを抱えながら、ユファは間近の泉へと近づいていく。泥だらけの体をさっぱり水で流してから、森を出発しようと決心したのだ。
破けて見る影のなくなった衣の腰紐を解き、耳の上よりやや高い位置で一本に結わえた髪の組紐も解く。ユファが無防備な姿で気を緩めていた、次の瞬間だった。
「ぷっ、はあああああああああーー!朝の水浴びは最高やなあーーー!!」
……早朝の森の、美しい泉の中から、得体の知れない魔物が奇声と共に飛び出してきたのは。
「きゃあああっ!?」
唐突に水面登場した駿里を見たユファは、悲鳴を上げると同時に全身に大量の水しぶきを受けて起動停止した。
ユファが石像と化したのを良いことに、駿里は泉から岸へ上がって来ようとしている。
……この状況で鉢合わせるのは(あらゆる意味で)絶体絶命だ。
追い詰められて錯乱状態になったユファは、ついに脳内爆発を引き起こした。
「こっち来ないでっ、このヘンターーーーーーーーーイっ!!」
畳んで置いた衣服で体を覆い隠すと、傍に落ちていた棒切れを掴み取り、眼前まで迫る裸体の駿里の脳天を力いっぱいに殴りつけた。
えげつないクリティカルヒットを喰らった駿里は、低いうめき声を上げながら再び泉へとダイブする。
「はぁ……しんっじられない……っ」
「……ぶっは!何晒すんじゃっ己はッ!?死んでまうやないかい!」
「あなたは殺しても死にません!あんな大怪我して元気に生きてるんだから!……っていうか、何してるのよ!?服はどうしたの!?」
自分でも筋の通らない発言をした自覚はあるが、複雑な乙女心を前に、矛盾はこの際一切無視だ。
ユファは頬を紅潮させながら、震える手で衣服を抱きしめている。
「あー。服なら洗って干しとった。血まみれのままやと気分上がらへんやろ?」
水面に半身を沈めたまま、駿里は泉の対岸の岩場を指で指し示した。そこは木々の隙間から日光が零れており、平たい岩の上に黒い服が伸ばしてあるのが、遠目から確認できた。
「お前も水浴びしたいんやろ?はよ入りや!」
「えっ?」
衣で体を隠しつつ駿里と距離を空けたユファだったが、この状態では埒があかない。
服をもう一度着るには手を動かさないといけないし、泉に入るにしても、水中で駿里が待ち構えているのだ。
「わ、わたしはいい。茂みの奥で着替えてくるから……!」
幸いにも、ここは森の中。身を隠して着替える場所なら困らない。ユファは、駿里の視線から逃れようと、前を隠したまま少しずつ森の茂みへ向かい後ずさりして行った。
ユファの滑稽な動きをジロジロ観察した駿里は、意地悪そうに目を吊り上げて笑う。
「ふーん。茂みん中入るんはええけど、無防備になっとる背中目掛けて、獣が襲い掛かってきよったらどないするんかなー?」
「そっ、それは……」
「ほんなら、俺が先に上がって見張っといたるけど?」
「見張るって、“わたしを”じゃないわよね?」
「……お前、髪下ろしとるほうが、可愛ええで!」
「~~~~っ、分かりやすく話逸らすのは止めてくれない!?」
極限状態に堪えかねたユファは、大声で叫び出したい衝動に駆られた。ああ言えばこう言う。話を明後日に持っていく達人とは、まさに駿里の様な男を指すのだろう。
「任せえや!しっかりお前を見守ったるからな!!」
――そして、案の定。駿里の目的は、生着替え覗きと判明した。
「もういいっ。分かった、分かりました!あっち向いてて!絶っ対にあっち向いてて!泉に入るから、死ぬまであっち向いててっ!」
「なんやー。つまらんわあ。入ってまえばどっち向いてようが同じやんかー」
(もうっ。こうなった以上、とっとと水に浸かって泥流して、すぐ出ちゃおう!)
着替えようとすれば覗かれ、泉に入っても(恐らく)覗かれる。
八方ふさがりのユファは、ヤケクソの決断を下した。駿里と距離を空けた岸から、余った布切れで体を覆いつつ、泉へ足を浸していく。
水は想像よりも生温く、お湯みたいな温度だった。駿里が長々浸かっていられたのは水温のおかげだろう。ゆっくり肩まで水中に沈めると、ユファは思い切り両腕を伸ばしてみた。たまっていた疲労と汚れがじんわり落ちていく感覚が、気持ち良かった。
「絶っ対に、こっち見ないでよ?見たら、また棒で叩きますからね!」
「へいへーい」
けだるそうな返事をした駿里は、ユファに背を向けると大人しく泉に浸かった。
ユファは、生まれて初めて人間の男の背中を見た。昨日までハリネズミのように逆立っていた駿里の髪は、彼の首筋から肩のラインに沿って纏わりついている。昨日とどことなく雰囲気が違って見えたのは、髪の毛のせいだったようだ。
ユファ達双翼の民一族は肩甲骨の辺りに翼を出し入れする痣のような跡があるが、駿里の背中には当然痣はなかった。その代わり、ところどころ刃物で切ったような傷が刻まれており、ユファの目には痛々しく映る。
(昨日みたいな怪我も、もしかして日常茶飯事だったのかな……)
――ふとそんな事を思った後、ユファは慌てて駿里の背から目を逸らした。
状況が状況だけに、不意に気恥ずかしさが襲って来てしまったのだ。意識しないように努めても、一度高まった動揺はなかなか鎮まりそうにない。
「もう、そっち向いてええか?」
「……駄目!!死ぬまで見ないでって言ったでしょっ!?」
きらきらした笑みを浮かべつつ、邪心たっぷりで振り向こうとする駿里に向けて、ユファは間髪入れずつかんだ石ころを投げつけてやった。
「……がはぁっ……」
「まったく!!」
油断もすきもありゃしない。ユファは怒りを通り越し、呆れが込み上げてきた。
背中合わせで暫く泉に浸かってみたものの、二人を包む静寂が返って気まずさと羞恥を増幅させてしまう。
居たたまれなくなったユファが言葉を探している内に、駿里の方が先に話しかけてきた。
「お前は、これから故郷に帰るんか?」
「う、うん。そのつもりだけど、あなたも?」
ユファは駿里の目的を知りたいと思っているが、聞き出す勇気が持てず戸惑っているのが本心だった。これ以上、深く関わってはいけない。駿里は人間なのだから、と。
「俺は、あそこへは二度と帰られへんのや」
「……?」
駿里が呟いた答えは、実に曖昧なものだった。「アイスベルグに帰るつもりはない」、そういう意味にも取れるが、駿里の故郷はそもそもアイスベルグではないのかもしれない。
「なあ、ユファ。輪廻転生ちゅう話、信じるか?」
「え?」
ユファがぐるぐる思考を巡らせていると、駿里からまた質問が投げかけられた。しかも、今度は何の脈絡も無い意味深な謎かけだった。
転生とは、人間や生物が死後長い年月を経て、再びこの世に生を受けるという言い伝えのことだろうか。
「生まれ変わりのこと?……どうかしたの、急に」
「いや。やっぱ、なんでもない。こっちの話や」
質問の意図がさっぱりわからず、駿里に確認しようとしたユファだったが、駿里からはそれ以上返答がない。
再度沈黙が舞い降り、ユファはふと、背中に冷気を感じた気がした。風が吹きぬけ、水面がざわざわ波立っている。水が揺れ動く振動が伝わって、ユファは一瞬、ぴくっと身を強張らせた。
「……シュンリ?」
風が止むと木立ちの騒めきは静まり、水面も穏やかさを取り戻している。ユファは弾かれたように後ろを振り向いてみたが、視界の先にはすでに、駿里の姿はなくなっていた。
「シュンリ?」
木々の隙間から漏れる太陽の光が照らす眩しさで、ユファは目を覚ました。そこかしこから、小鳥が鳴き交わす歌声が響いている。
昨夜は交替で睡眠を摂るはずだったのに、ユファは結局、駿里に一度も起こされる事はなかった。小さく伸びをして上半身を起こすと、ユファは周囲を見回して駿里を探した。
「シュンリ!」
――しかし、名前を呼んでも返事は返ってこない。辺りは焚き火の残骸とヴィントの骨が転がっているだけで、閑散としていた。
(まさか、居なくなっちゃった?)
慌てて駿里を探そうとしたユファだが、ふと我に返った。
駿里とユファには、一緒にいる明確な理由がなかった。アイスベルグ城を脱出する際は危機的状況だったので、瀬に腹は変えられず行動を共にしていただけ。もとはと言えば、駿里はアイスベルグの人間で、ユファは双翼の民。本来なら相容れるべき存在ではない。
人間と双翼の民との間の確執がいかに根深かいものなのか。ユファはハメルの里を失い、自分自身が牢に投獄されて身をもって理解したばかりだった。
心に微かな寂しさを抱えながら、ユファは間近の泉へと近づいていく。泥だらけの体をさっぱり水で流してから、森を出発しようと決心したのだ。
破けて見る影のなくなった衣の腰紐を解き、耳の上よりやや高い位置で一本に結わえた髪の組紐も解く。ユファが無防備な姿で気を緩めていた、次の瞬間だった。
「ぷっ、はあああああああああーー!朝の水浴びは最高やなあーーー!!」
……早朝の森の、美しい泉の中から、得体の知れない魔物が奇声と共に飛び出してきたのは。
「きゃあああっ!?」
唐突に水面登場した駿里を見たユファは、悲鳴を上げると同時に全身に大量の水しぶきを受けて起動停止した。
ユファが石像と化したのを良いことに、駿里は泉から岸へ上がって来ようとしている。
……この状況で鉢合わせるのは(あらゆる意味で)絶体絶命だ。
追い詰められて錯乱状態になったユファは、ついに脳内爆発を引き起こした。
「こっち来ないでっ、このヘンターーーーーーーーーイっ!!」
畳んで置いた衣服で体を覆い隠すと、傍に落ちていた棒切れを掴み取り、眼前まで迫る裸体の駿里の脳天を力いっぱいに殴りつけた。
えげつないクリティカルヒットを喰らった駿里は、低いうめき声を上げながら再び泉へとダイブする。
「はぁ……しんっじられない……っ」
「……ぶっは!何晒すんじゃっ己はッ!?死んでまうやないかい!」
「あなたは殺しても死にません!あんな大怪我して元気に生きてるんだから!……っていうか、何してるのよ!?服はどうしたの!?」
自分でも筋の通らない発言をした自覚はあるが、複雑な乙女心を前に、矛盾はこの際一切無視だ。
ユファは頬を紅潮させながら、震える手で衣服を抱きしめている。
「あー。服なら洗って干しとった。血まみれのままやと気分上がらへんやろ?」
水面に半身を沈めたまま、駿里は泉の対岸の岩場を指で指し示した。そこは木々の隙間から日光が零れており、平たい岩の上に黒い服が伸ばしてあるのが、遠目から確認できた。
「お前も水浴びしたいんやろ?はよ入りや!」
「えっ?」
衣で体を隠しつつ駿里と距離を空けたユファだったが、この状態では埒があかない。
服をもう一度着るには手を動かさないといけないし、泉に入るにしても、水中で駿里が待ち構えているのだ。
「わ、わたしはいい。茂みの奥で着替えてくるから……!」
幸いにも、ここは森の中。身を隠して着替える場所なら困らない。ユファは、駿里の視線から逃れようと、前を隠したまま少しずつ森の茂みへ向かい後ずさりして行った。
ユファの滑稽な動きをジロジロ観察した駿里は、意地悪そうに目を吊り上げて笑う。
「ふーん。茂みん中入るんはええけど、無防備になっとる背中目掛けて、獣が襲い掛かってきよったらどないするんかなー?」
「そっ、それは……」
「ほんなら、俺が先に上がって見張っといたるけど?」
「見張るって、“わたしを”じゃないわよね?」
「……お前、髪下ろしとるほうが、可愛ええで!」
「~~~~っ、分かりやすく話逸らすのは止めてくれない!?」
極限状態に堪えかねたユファは、大声で叫び出したい衝動に駆られた。ああ言えばこう言う。話を明後日に持っていく達人とは、まさに駿里の様な男を指すのだろう。
「任せえや!しっかりお前を見守ったるからな!!」
――そして、案の定。駿里の目的は、生着替え覗きと判明した。
「もういいっ。分かった、分かりました!あっち向いてて!絶っ対にあっち向いてて!泉に入るから、死ぬまであっち向いててっ!」
「なんやー。つまらんわあ。入ってまえばどっち向いてようが同じやんかー」
(もうっ。こうなった以上、とっとと水に浸かって泥流して、すぐ出ちゃおう!)
着替えようとすれば覗かれ、泉に入っても(恐らく)覗かれる。
八方ふさがりのユファは、ヤケクソの決断を下した。駿里と距離を空けた岸から、余った布切れで体を覆いつつ、泉へ足を浸していく。
水は想像よりも生温く、お湯みたいな温度だった。駿里が長々浸かっていられたのは水温のおかげだろう。ゆっくり肩まで水中に沈めると、ユファは思い切り両腕を伸ばしてみた。たまっていた疲労と汚れがじんわり落ちていく感覚が、気持ち良かった。
「絶っ対に、こっち見ないでよ?見たら、また棒で叩きますからね!」
「へいへーい」
けだるそうな返事をした駿里は、ユファに背を向けると大人しく泉に浸かった。
ユファは、生まれて初めて人間の男の背中を見た。昨日までハリネズミのように逆立っていた駿里の髪は、彼の首筋から肩のラインに沿って纏わりついている。昨日とどことなく雰囲気が違って見えたのは、髪の毛のせいだったようだ。
ユファ達双翼の民一族は肩甲骨の辺りに翼を出し入れする痣のような跡があるが、駿里の背中には当然痣はなかった。その代わり、ところどころ刃物で切ったような傷が刻まれており、ユファの目には痛々しく映る。
(昨日みたいな怪我も、もしかして日常茶飯事だったのかな……)
――ふとそんな事を思った後、ユファは慌てて駿里の背から目を逸らした。
状況が状況だけに、不意に気恥ずかしさが襲って来てしまったのだ。意識しないように努めても、一度高まった動揺はなかなか鎮まりそうにない。
「もう、そっち向いてええか?」
「……駄目!!死ぬまで見ないでって言ったでしょっ!?」
きらきらした笑みを浮かべつつ、邪心たっぷりで振り向こうとする駿里に向けて、ユファは間髪入れずつかんだ石ころを投げつけてやった。
「……がはぁっ……」
「まったく!!」
油断もすきもありゃしない。ユファは怒りを通り越し、呆れが込み上げてきた。
背中合わせで暫く泉に浸かってみたものの、二人を包む静寂が返って気まずさと羞恥を増幅させてしまう。
居たたまれなくなったユファが言葉を探している内に、駿里の方が先に話しかけてきた。
「お前は、これから故郷に帰るんか?」
「う、うん。そのつもりだけど、あなたも?」
ユファは駿里の目的を知りたいと思っているが、聞き出す勇気が持てず戸惑っているのが本心だった。これ以上、深く関わってはいけない。駿里は人間なのだから、と。
「俺は、あそこへは二度と帰られへんのや」
「……?」
駿里が呟いた答えは、実に曖昧なものだった。「アイスベルグに帰るつもりはない」、そういう意味にも取れるが、駿里の故郷はそもそもアイスベルグではないのかもしれない。
「なあ、ユファ。輪廻転生ちゅう話、信じるか?」
「え?」
ユファがぐるぐる思考を巡らせていると、駿里からまた質問が投げかけられた。しかも、今度は何の脈絡も無い意味深な謎かけだった。
転生とは、人間や生物が死後長い年月を経て、再びこの世に生を受けるという言い伝えのことだろうか。
「生まれ変わりのこと?……どうかしたの、急に」
「いや。やっぱ、なんでもない。こっちの話や」
質問の意図がさっぱりわからず、駿里に確認しようとしたユファだったが、駿里からはそれ以上返答がない。
再度沈黙が舞い降り、ユファはふと、背中に冷気を感じた気がした。風が吹きぬけ、水面がざわざわ波立っている。水が揺れ動く振動が伝わって、ユファは一瞬、ぴくっと身を強張らせた。
「……シュンリ?」
風が止むと木立ちの騒めきは静まり、水面も穏やかさを取り戻している。ユファは弾かれたように後ろを振り向いてみたが、視界の先にはすでに、駿里の姿はなくなっていた。
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