箱庭のエデン

だいきち

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本当の自分

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 夜見は、今にも消えてしまいそうな由比都の存在を確かめるかのように、キツく抱きしめていた。由比都の啜り泣く声を聞きながら、己の不誠実をひどく呪うかのように。
 由比都のすすり泣く声は、静かに夜見の部屋を満たしていった。一粒の涙の中に、一体どれほどの苦しみが溶け込んでいるのだろう。
 いくら涙を拭っても、きっとそれは取り払うことはできないだろう。夜見の手には迷いがあった。己の不誠実さを、今更呪った汚い指先。
 顔色を失った夜見の手が、由比都に触れようとして静かに握り込まれた。
 
「お、……俺……は、っ」

 夜見の様子を目にしたら、きっと嫌悪を示されているのだと勘違いしてもおかしくはないだろう。
 それほどまでに、夜見の浮かべる表情には後悔がありありと浮かんでいた。
 
 目が見えないから、その心配なんて不必要なはずなのに。夜見の頭に浮かぶ嫌われないための逃げ道は、どれも由比都の存在を犠牲にするものばかりであった。
 
「か……かい、いは……っ私、は……く、食われてない……っなんで、なんで生きてる……?」
「俺が、死んでほしくなかった、から」
「どうやって、……だ、だって、生かされるわけがない……っヒトデナシになった怪異は、体を奪うだろう……っ」
「あ、るんだよ……、条件は限られるけど、生き残る方法が……」
 
 それは、祓うべき怪異であるはずのホオバリから教えてもらったことだった。
 人にはない力を宿していることが条件で、怪異は宿主との間に深い繋がりを持つことができる。怪異が消えれば、宿主も死ぬ。だからこそ、異能を持つものの中に生まれた怪異のほとんどは離れることを拒むのだ。
 由比都の震える手が、夜見の肩に添えられた。弱々しい力で押し返されるままに体を離すと、由比都は光のない目で夜見を見つめた。
 
「な、にした……」
「由比都、俺は……っ」

 それ以上、夜見の言葉は続かなかった。由比都が求める答えを、夜見は持っていない。むしろ、由比都が向き合うには重すぎる真実しか夜見は差し出すことができないのだ。
 華奢な手が、夜見の胸ぐらを掴む。赤くなった目元を歪ませて、由比都は喘ぐように口にした。
 
「私の中に、気配がする……私の、中にいるホオバリが、答えなのか……?」
「……っお、俺は」
「いっそ、……っ、いっそ放っておいてくれたら、よかったのに。私は、私は憎むべき怪異を、生み出してしまった、のに……っ」
 
 苦しげな由比都の表情は、夜見の身勝手がもたらしたものだ。握り込んだ夜見の拳には、血管が浮かび上がっていた。
 今の由比都に手を伸ばす資格を、夜見は持たない。
 
「ホオバリは、私の弱さそのものだ……う、受け入れることが向きあうことになるのなら……、私は、弱さを認めなければいけない」

 一体、どんな罪の名がつくのだろう。怪異を生みだした由比都には。
 そして、由比都の望まぬ未来を作り出してしまった夜見の罪は。
 贖罪だなんて言葉で、どうにかなるものではないことだけが確かだ。

「俺は、命を奪われないために仕方なくやっただなんて言う資格はない……。俺は……っ‼︎」
「お前は、目が見えるからわからないんだ」

 由比都の言葉が、明確な境界線となった。
 夜見は、由比都がどんなに望んでも叶わなかった視覚を持っている。どこまで世界が広がっているのかを、知っている。声や、匂い。感覚は研ぎ澄ますことができても、真実を見極められない。
 目が見えないから、人を疑う。向けられた言葉の真意を、額面通りに素直に受け止める心を由比都は持たない。
 
「どんな表情で、口にしている? 今お前は、どんな目で私を見てるんだ。夜見、お前は、お前には私はどう映る」
 
 きちんと人の形を取れていないから、由比都は嫌われるのだと思った。幼い頃からの無意識の自己暗示。普通じゃないから。人とは違うから。そんな、由比都から可能性を奪う柔らかで優しい言葉たちが、由比都から酸素を奪っていった。いつしか、己は怪異なんじゃないかと思うほど、由比都は少しずつ追い詰められていった。
 己がどんな姿をしているかも、わからないのだから。苦しくて、怖くて、だから祓屋の力があると知った時は嬉しかったのに。
 
「私が、ホオバリを生み出した……それは、変えられないよ、夜見」
「お、俺が、俺が死んでほしくなかったのは……っ」
「お前は私に幻想を抱きすぎている……、お前の優しさは、苦しいんだ」

 夜見の言葉を疑いたくはない。それでも、由比都には理由が見えなかった。
 見えない理由が怖い。由比都の狭い世界を埋め尽くすのは、いつだって輪郭すら掴めない事実ばかり。
 
 肺が熱い。止めたいのに、涙を止めることができなかった。きっと、潮時なのだ。起こりうる閉幕を想像してきたが、こんな結末になるとは思わなかった。
 
「私は、辞める……もう、こんな体で仕事なんか、できない」
「何言って」
「私は、私に戻る。この目で確かめられないから、周りの評価を気にして生きていた。……それが、私を形作った。だから、だから、もう力は使わない」
 
 これ以上使ったら、人間でいられなくなる。祓うべき怪異の親が、由比都だったなんて。これ以上この男の手を煩わせてはいけないと思ったのだ。
 
「あ、……明日、」
 
 ひどく掠れた声で、夜見が呟いた。
 
「明日、まで待って……俺、今その話、まともに答えられない……」
「わかった」
「でもこれだけ、聞いていい」
「なんだ」
 
 由比都の手が熱い手のひらに包まれる。いつもとは違って、その力は緩かった。爪先に雫が当たって、共に泣いていることを知った。縋り付くように手を握りしめられる。そっと持ち上げられて、祈るかのように指先に額が触れた。
 
「お、俺といて……、くれないの? も、もう、もう一緒に、いてくれない、の」
「……いても、役立たずだ」
「由比都は俺が、っ……俺が守るから、だから……どっかいくとか、い、いわな、っ」
 
 さっきみたいに、力強く抱きしめて縋り付けばいいのに。それなのに、夜見は由比都が自らの意思で突き放せるようにすがっている。不器用で、なんて愚かな男だろう。痛いほどの思いが、体温を通してじわじわと伝わってくる。どんな顔で泣いているんだろう。今、夜見は。どんな酷い顔で泣いているんだろう。
 この男だけは、素直に気持ちをぶつけてきた。由比都にとっての酸素。由比都にとっての、初めて触れた世界の輪郭。
 
「ごめん、夜見」
「由比都……っ」
「だって私が、選べるものは……最初から決まっている」
 
 己の生み出した怪異に、夜見は傷つけられたのだ。夜見の守るべき世界を傷つけたのだ。無意識だった、でも、無意識は罪だ。
 
「祓屋でも、怪異を生み出すんだな。こんなことが人間である証明になるだなんて」
 
 夜見の手を一度だけ握りしめて、ゆっくりと離した。なんてこの世は残酷で優しいのだろうと思った。





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