箱庭のエデン

だいきち

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たったひとつの

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 ホオバリの体は、じわじわと溶け始めていた。消滅するのも時間の問題だろう。由比都はそれでも、素直に逝かせてやるつもりはなかった。
 
「一つ聞く。お前は田原健斗を襲った怪異で間違いはないな」
「……面白いことを言う。そんなもの、私が死ねばすぐにわかると言うのに」
「いいから答えろ。お前は敷浪区にも出現した怪異と同じものか。一体、何が目的で京浜地区へ手を出した」
「質問の答えを口にする前にどんどんと……、お前、尋問が下手だねえ」
 
 白い皮膚を揺らしながら、ホオバリは愉快そうに笑った。厚みのある唇を青色の体液で濡らしたまま、ゆっくりと由比都へと顔を向ける。口を引き結ぶように黙りこくるホオバリは、何かを逡巡しているかのように思えた。
 
「私は、お前を追いかけてきた。白南風由比都」
「何……?」
「何も驚くことはないだろう。私がお前の前に現れるのは必然だ。いくら隠しても、うちに秘める澱みを私たち怪異は見逃さない」
 
 愉悦の滲む言葉だ。ホオバリの声が、重なった音声のように聞こえる。人を唆すことに長けた声色が、真っ直ぐに由比都へと向けられる。
 
「今、幸せかい白南風由比都」
「お前に幸福を心配される筋合いはない」
「おやつれないことを言う。私はもう少しで消滅する。だから最後にお前に愛してもらいたかったのだがなあ」

 口端を歪めるように宣う。ホオバリの意図を由比都は理解できなかった。しかし、足元から這い上がってくる嫌悪感だけは明確に由比都の心を締め付ける。過去にも味わったことのある、息苦しさにも似た感覚。今まで、怪異に対して抱かなかった胸の痛みは当然悲しみなんかではない。
 
「慈愛を持って、私を呼んでくれよ。……私は、お前の心の澱みが産み落とした怪異なのだから」

 分厚い唇がぐにゃりと笑みを描く。由比都は何を言われたのか理解ができなかった。

「な、……に、……言って……っ」
「私は、お前に会いたくて京浜地区まできた……由比都、私のいとけない母親よ」
「っ……‼︎」
 
 柔らかな声色で、ホオバリが宣った。その瞬間、由比都の脳内で記憶が音を立てて弾けた。まるで、眉間を撃ち抜かれたかのような衝撃が意識に走る。由比都の体は唐突にのけぞった。ぐるんと目玉が上を向き、膝が落ちるように崩れる。夜見が咄嗟に支えると、由比都の体から漏れ出る力に目を見開いた。
 ホオバリの力は、確かに由比都の力と馴染みつつあった。白い光のような幾つもの力の糸が、ぐるぐると由比都の体へと取り巻いていたのだ。
 夜見の手が振り払おうとしても、まとわりつくそれは手はすり抜けるだけであった。
 何が起こっている。嫌な音を立てて、夜見の心臓が大きく跳ね上がる。鋭い色を宿した赤茶色の瞳が、ホオバリをとらえた。
 
「私は確かにヒトデナシさ。だが生まれは由比都の心の闇。わかるかい夜見、私が死ぬと、由比都がどうなるか」
「……繋がりを解けホオバリ。死ぬなら一人で死ね」
「見た目以上に随分と敏い男だ。しかしそれはできない。私は由比都が向き合わねばならない自我だもの」
 
 敷浪区で生まれ、由比都へ向けられた嫉みや憐憫を喰らいながらここまで成長したのだ。通常、ヒトデナシは宿主の精神を食らう。しかしそれを行わなかったのは、由比都への愛着だと言うのなら。
 
「愛されたい、認められたい。口にできぬ由比都の思いを、私が愛さず誰が愛すのか。愛してるから、共に死ぬ。私は由比都から生まれた怪異なのだから、その権利だって無論あるはずさ」
「社長、何やって……っ」
「こいつを倒したら、由比都が死ぬ」
「ど、どうしろってんだよこんな、っ起きろ由比都、お前の弱みにお前が負けていいのかよ‼︎」
 
 夜見の額に汗が滲む。じわじわとホオバリの体が消え始めている。もし口にした言葉の数々が真実なら、人格を喰らわれず、怪異によって生かされてきた由比都が引き摺られて死ぬのは間違いがないだろう。一つの体に、二つの意思は宿らない。ホオバリは由比都に取り憑くことはせず、独り歩きをした噂を辿ってここまできた。
 由比都よりも先に京浜地区へと訪れた理由。それは、由比都の噂を知っていた夜見達が招き入れたと言っても過言ではない。
 伝播型のヒトデナシほど厄介なものはない。なによりもホオバリに自由を許したのは、膨大な由比都自身の力だろう。
 だとしたら、夜見が取るべき行動は一つだけであった。
 
「由比都の式にする」
「怪異を……⁉︎」
「藻武が怪異を具現化できるんだからいけるだろう。……俺は、クソほど嫌だけどそれしかない」
 
 夜見の言葉に、ホオバリの唇がぐにゃりと吊り上がった。夜見の手が由比都の手首を持ち上げる。そこに唇を寄せると、由比都の薄い皮膚に歯をたてた。ぶつりと音がして、赤黒い血がゆっくりと由比都の腕を伝う。戸惑う藻武が夜見に手渡したのは、清めた式札であった。
 
「ホオバリを縛る。お前の望みを叶えるんだ。由比都を殺したら火にくべて燃やしてやる」
「いいだろう。お前の選択肢を私は嬉しく思う。強欲な夜見よ」
 
 式札に由比都の血を染み込ませる。指先で挟んだ人型のそれをホオバリへと向ければ、分厚い舌が舐め上げるように式札を飲み込んだ。由比都の手首から溢れた血が、糸状に変化してホオバリへを縛り付ける。白い巨躯はあっという間に粒子状に変わると、旋風を起こすようにして式札へとおさまった。

「こ、これが最善だって⁉︎ こんなの、由比都が知ったら……っ」
「黙れ藻武。夜見がどんな気持ちでこの選択をしたと思う」
「廿六木、だってこんな……せっかく由比都が心開いてくれたのによお‼︎」
「じゃあ死ねって言うのか⁉︎」
 
 声を荒げたのは夜見だ。赤茶色の瞳に鋭さを宿して、藻武を睨みつける。普段は温厚な夜見からは想像もつかない目つきに、藻武は足元から這い上がってくるかのような悪寒を覚える。
 夜見の手が、そっと由比都の手首に唇をよせた。垂れた血に唇を寄せる姿には、歪な執着心を感じた。
 由比都を気に入っていたことは知っていた。相変わらずの人懐っこさで、犬のようにまとわりつく。いつもの夜見の姿だったはずだった。きっと、新しいものに目がない夜見の、ただの興味の対象。ただそれだけだと思っていたのだ。
 
「社長、……あんたのその、由比都に対する執着はなんなんだ……」

 由比都の体を抱き上げて立ち上がる。夜見は静かに息を詰める藻武を見据えて口を開いた。
 
「俺はただ、由比都から褒めてもらいたいだけだよ」
 
 緩く微笑んで、宣った。いつもの夜見の口調なら、相変わらずで一蹴できる言葉でもあった。しかし、それができなかったのは。夜見の中に感じる確かな澱みが、藻武の目には見えていたからかもしれない。
 
 
 
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