箱庭のエデン

だいきち

文字の大きさ
上 下
16 / 42

ホオバリ

しおりを挟む
 どうやら人はありえないものが浮かんでいると、一度思考があらぬところへと飛ぶらしい。二人が正常な思考に戻るまで、おおよそ三十秒程度かかった。
 そして由比都がたっぷりと熟考している間、先に答えを導き出したのは、夜見であった。
 
「あ、あれもしかして怪異⁉︎ アドバルーンじゃなく⁉︎」
「だから私は、そのアドバルーンがなんだかはわからないんだが」
「まだゴミ箱も確認してないのに‼︎」
「まずは怪異かどうかを確認するのが先だろうな」
 
 夜見の動揺をいなすように、由比都が淡々と答える。由比都からすれば、二人にしか見えていないのなら、夜見の反応こそが周りからは異質だろう。周囲はすでに、一人で不自然に騒ぐ夜見の気配に気がついているらしい。人混みの隙間から、「何あの人」と遠巻きに囁く声すら聞こえた。

「夜見、とにかくここを離れるべきだ。こんなところで影送りをしたら」
「え、あっと、飛んでった」
「は?」
「ごめん由比都、文句は後で聞くから‼︎」

 なんの話だ。という言葉は引っ込んだ。夜見に引き寄せられたかと思うと、途端に足が地べたから離れる。慌てて夜見の服を掴んだ瞬間、由比都の体は大きく揺れた。
 
「何あれ、男が男抱え上げてる」
「お姫様だっこだ、酔っ払ってるのかな?」
(ーーーーっ)
 
 風が頬を撫でるのに、顔の熱は一向に引かない。由比都の頭の中には、夜見に対するありとあらゆる罵倒が忙しなく行き交っていた。体をしっかりと掴まれて、悔しいぐらいに安定している。夜見が入れ歯と言った時に、さっさと我にかえっておけばよかった。由比都は羽織っていたジャケットの胸ポケットから蜂型の折り紙を取り出すと、力を込めた指先で放った。
 
「追え!」
「うおっ、今何出したの⁉︎」
「式だ! 夜見が私を抱えて走るよりも早い、ぅわあっ」
 
 由比都の放った蜂を追いかけるように、夜見はあっという間に積み上げられた空き箱に足をかけて、身長ほどの高さの塀に上がった。外野のどよめきが、嘲笑から興味に変わる。履き潰されたスニーカーが狭い塀の上を器用にかけていく。それも、由比都が放った式を見上げながらだ。
 夜見の赤茶色に瞳が、真っ直ぐに怪異を捉える。異形が多い怪異の中でも一際に異質なそれは、クルクルと回転しながら先を進んでいた。何かに引き寄せられているのだろうか。それとも、怪異自らの意思で移動しているのだろうか。影送りをすることができれば、どちらが正解なのかもわかる。しかし、夜見を揶揄うかのように時折止まり、近づけばまた回転しながら距離を取る。そんな怪異を前に、移動しながらの影送りは無理だ。
 
「今どうなってる⁉︎」
「煽られてる気がする。知能があると見て、いいだろうね、っと」
「いっつ」
「ごめん、ちょっと今屋根の上だから口閉じてて」
「屋根の上⁉︎」
 
 平たい石が重なって騒ぐような音が、足元から聞こえる。地上では聞かない音だ。由比都の顔は分かりやすく青ざめる。
 
「しゃちょおおおおおおおお‼︎」
 
 背後から聞き慣れた声が飛んできた。どうやら、騒ぎの中心を聞きつけてきたらしい。叫ぶように夜見を呼んだ藻武の声はわずかに苛立っているようにも聞こえる。
 
「何やってんですかあああ‼︎ なんかの撮影だと思われてっから、って入れ歯⁉︎」
「まて、おま、お前ら……っひ、膝が爆発する……っと、とまれ」
「廿六木さん‼︎ ねえ怪異見えるよね⁉︎ あれどこにいくと思う⁉︎」
「このまま真っ直ぐいくと、ヤグラの設営会場だあ‼︎」
「てことは広い場所か……由比都、ごめん式かして」
「っ、貸すから胸を弄るな!」
 
 不躾に胸元に差し込まれた手を、由比都が慌てて引き剥がす。何か考えがあるに違いないだろうが、それにしたって言葉にしてほしい。由比都が持っている分の式を取り出すと、ばら撒くようにして空に放った。
 
「今は夜見の指示を聞け」
「入れ歯の進行方向に回って!」
「ああ、追い込み漁にしたって五匹じゃ心許ないだろーー‼︎」
「大丈夫‼︎ 閉じ込めることが目的だから‼︎」
 
 夜見の言葉を理解したのは、由比都だけであった。蜂の式は、影送りを遠隔で行うことができる。式のうちの一体が怪異を捉えたその瞬間に、空間を切り離せということか。
 由比都ごと飛び上がった夜見が、式によって進行を阻まれた怪異の目の前へと降り立った。
 力を宿した式のうちの一つが、怪異へと張り付いた。その瞬間、由比都はすぐさま式へと指示を出した。
 
「由比都」
「影送りを始めます!」
 
 由比都の声と共に、怪異の目の前で、張り付いた式が燃え上がった。空間は瞬く間に、地べたから伸びた影によって隔絶されていく。黒が這い上がるように木々を、そして鳥居を飲み込んでいく。その背後には、大きな櫓が聳え立っていた。
 
「だああ俺も⁉︎ 俺もなのか⁉︎」
「すんませんここに非戦闘員二名混ざってんですけどおおおお‼︎」
「そこはシンプルにごめん」
 
 夜見によって、由比都はそっと地面に下ろされる。見えないから、影送りを展開する範囲を間違えたのではない。隔絶する空間の大きさは、その分怪異の力の大きさに比例する。夜見を追いかけていたのは確かだが、由比都の式は二人が到底追いつかない速さで距離を稼ぎ、怪異に張り付いた。それなのに影送りに巻き込まれたということは、実に由々しき事態というわけだ。
 
「由比都、前に使ってた鶴出せる」
「一度きりの防衛膜だってことを忘れないで」
「大丈夫、藻武がいれば廿六木さんは無事だよ」
 
 夜見の言葉を信じることができるかは別の話だ。廿六木は普通の一般人だし、藻武には戦闘スキルはないと認識している。それでも夜見が自信を持って口にしたのなら、とっておきの切り札があるに違いない。確か、戦闘スキルがないわけではないと藻武が言っていたことを思い出す。
 懐から取り出した鶴に力を込める。白い光と共に解き放たれた大きな一羽が由比都の手を離れると、守るように二人の前へと舞い降りた。
 
「一度きりだけ即死は免れます。彼女の羽の内側にいて、できるだけ遠くに行ってください」
「あれ雌なん?」
「それは今関係ないことでしょう」
 
 目の見えない由比都でも、肌で感じることはできる。入れ歯がどんなものかは知らないが、隔絶されたことで膨れ上がる怪異の存在感は総じて面倒な敵であることには変わりはない。何より、怪異独特の臭気のようなものがホオバリからは感じないのだ。
 由比都の表情が曇る。輪郭を強める違和感を前に、怪異は由比都の警戒心を嘲笑うかのように歯を打ち鳴らして笑っていた。

(相手の出方がわからない以上、先手は打つべきじゃないだろうな……)

 臭気がしないというのも、由比都が手を出しあぐねる原因の一つでもあった。目が見えないからこそ、怪異に対して研ぎ澄まされた感覚の一つが無効なのだ。状況判断は夜見に頼るしかないだろう。小さな喉仏が、緊張を飲み込むように上下した。
 由比都の隣に立つ夜見から、苦いものを飲み込んだような吐息が漏れる。由比都が望むように状況は好転しないことを、示すかのように。
 
「ああ……まずいなあ」
「聞きたくないけど、一応聞いておく」
「この神社、最初にうちにいた神様が降り立った場所なんだよね」
「でも、今はいないんだろう?」
「今はね。だけど、本尊が宿ってた鏡が祀られている」
 
 全てを映し出す鏡。そして、それは神の元へと続く通り道でもある。
 一つは、夜見の会社の神棚に飾ってある。神社に納められた鏡は、夜見の会社の神棚と一直線上になるように配置されているのだ。鏡の中に入られて仕舞えば、夜見達の守る本当の神域に干渉されるということだ。






しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!

梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!? 【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】 ▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。 ▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。 ▼毎日18時投稿予定

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

守護霊は吸血鬼❤

凪子
BL
ごく普通の男子高校生・楠木聖(くすのき・ひじり)は、紅い月の夜に不思議な声に導かれ、祠(ほこら)の封印を解いてしまう。 目の前に現れた青年は、驚く聖にこう告げた。「自分は吸血鬼だ」――と。 冷酷な美貌の吸血鬼はヴァンと名乗り、二百年前の「血の契約」に基づき、いかなるときも好きなだけ聖の血を吸うことができると宣言した。 憑りつかれたままでは、殺されてしまう……!何とかして、この恐ろしい吸血鬼を祓ってしまわないと。 クラスメイトの笹倉由宇(ささくら・ゆう)、除霊師の月代遥(つきしろ・はるか)の協力を得て、聖はヴァンを追い払おうとするが……? ツンデレ男子高校生と、ドS吸血鬼の物語。

【完結】別れ……ますよね?

325号室の住人
BL
☆全3話、完結済 僕の恋人は、テレビドラマに数多く出演する俳優を生業としている。 ある朝、テレビから流れてきたニュースに、僕は恋人との別れを決意した。

処理中です...