箱庭のエデン

だいきち

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己の不始末

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『お前……っ‼︎ わざとか……⁉︎』

 仲間だった男は、右腕から血を流しながら由比都を怒鳴りつけた。簡単な任務のはずだった。湧き出た怪異を、ただ祓うだけの仕事。かすかな怪異の匂いを頼りに術を行使する。
 由比都の力で作られた釘が、真っ直ぐに放たれる。しかし、敵の足止めを目的にした攻撃が、仲間であった男の腕を負傷させたのだ。

『っ、ち、ちが……』
『もういいっ、邪魔だ俺がやる……‼︎ 』

 強い力で突き飛ばされて、由比都の体は地べたへとしたたかに打ち付けられた。
 訳がわからなかった。確かに、怪異の匂いを嗅ぎ取って術を放ったはずだった。展開していた境界の中で、消滅の気配を感じた。仲間によって祓われたのだろう。地べたを手で探るように杖を掴むと、由比都はゆっくりと体を起こそうとした。
 怪我をさせたことを詫びなければと思ったのだ。しかし、砂利を強く踏みつけ歩み寄る仲間の気配に、謝罪の言葉が喉奥で止まった。

『お前、足手纏いなんだよ』
 
 胸ぐらを掴まれて、乱暴に立たされる。向けられた鋭い言葉は的確に由比都の喉元に突きつけられた。
 全身の血液が、凍ったかのような心地。煮え湯を浴びせられるかのような侮蔑の言葉と、周りからの白けた視線。
 言葉が出なかった。思考を埋め尽くすのは、なんでやどうしてばかり。見えていれば、結果は違ったというのか。 不毛な問いかけは実を結ばぬまま、由比都はあっけなく己の居場所を失った。 
 怪異を祓う力は、その土地で信仰する神へと祈りを捧げて得るものだ。居場所を失うということは、存在意義を否定されることと同義だ。
 居場所も、傅く神も失った。由比都は一人でどうにかする覚悟を持たなくてはいけなかった。意地汚く、まだ離された神へと祈りは捧げている。由比都の身に宿る祓う力は、皮肉にも信仰を奪われてなお行使することができた。
 この力が膨大だということを、居場所を失ってから知ったのだ。力加減が出来ぬ理由は、目が見えないからだけではない。誰も教えてくれなかった本当に、由比都はようやっと気づいた。
 だからこそ、誰かを傷つけるようなことはもうしたくはなかった。また、一人ぼっちになるくらいなら。最初から一人の方がよほどいい。
 どうせ過去は何も変えられない。変えられないから、今もこうして苦しんでいるというのに。


「嫌われたっていい。それはこれからも変わらないことだ」

 由比都の言葉は、力強く放たれた。その場しのぎのものではないことは、思い詰めた表情から容易く受け取れる。
 期待をするな。由比都の心の中で、警鐘が鳴り響く。威嚇をするような気迫を前に、藻武と夜見は息を詰めるように口にすることができずにいた。
 目元を隠すような、顔にかかる素直な由比都の黒髪が風にさらわれる。光のない夜の瞳で真っ直ぐに二人を射抜く姿は、言葉とは裏腹に助けを求めているかにも見えた。
 張り詰めた空気を肺に取り込むように、夜見の唇がわずかに開く。振り払われ、行き場を失った無骨な手のひらは、夜見が思考するよりも早く、そして勝手に動いた。

「……なんで、そうやって決めつけるの」
「社長」
「由比都。なんでそうやって、嫌われようとしてんの」
 
 掴んだ由比都の手首は、指が回ってしまうほどの細さだ。夜見の赤茶色の瞳の中の姿は、白杖を握りしめる手が微かに震えていた。
 いつになく、真面目な顔つきをした夜見の隣では、藻武が詰まりそうな息を宥めるかのように胃の辺りを撫でていた。
 砂利を踏む音がして、夜見と由比都の距離が縮まる。大きな手のひらが薄い肩を温めるように触れると、由比都の白杖が勢いよく振り上げられた。
 
「……っ‼︎」
「やめろ。それは、そうやって人を傷つけるものじゃない」
「由比都てめえいい加減にしろよ」
「帰るよ、藻武くん車出して。由比都は戻ったら話をしよう」
 
 怒気を孕む藻武の言葉を制す。夜見の手は、由比都がどんなに頑張っても振り解けそうになかった。同じ男だというのに、違いを見せつけられているようでひどく惨めだ。
 
「嫌いだ……っ」
「いいよ、今は嫌いでも」
 
 きた時と同じ車に乗せられる。落とし所の見つからぬ気持ちが体の奥で渦を巻いて、目の奥がカッと熱くなった。
 何もできない。由比都は、文句を言うことしかできないのだ。絶対に泣くものか。これ以上、可哀想と思われてたまるものか。歯を食いしばり、拳をきつく握りしめる。
 狭い車内の中、夜見は俯いたままの由比都を静かに見つめていた。胸ポケットからスマートフォンを取り出す。文字を打ち込んだそれを、無言で藻武に手渡した。
 
「……」
 
 夜見からの指示を受け取った藻武は、まじまじと画面を見つめたのち、正気を疑うように顔を上げた。スマートフォンのライトが藻武の顔を照らす。しかし、夜見の意思は変わらないらしい。ただ笑みを浮かべて頷くのみを指示とする。
 
「……まじかあ」

 面倒臭そうな声を漏らした藻武の指が、指定された住所を登録する。場所は京浜地区内にある、夜見の住むマンションであった。
 
 
 
 
 
 
 

 
 会社に寝泊まりをすることが多い夜見の家に着いたのは、それから一時間後のことだった。もう昼と言える時間はゆうに過ぎている。道中、昼飯でもと言える空気ではなかったのだ。
 藻武の車が、マンションの地下駐車場へと入る。会社を経営しているからだろう、夜見の住むマンションは見上げるほどの高さであった。顔に似合わないとは言われはしないが、その性格からは想像がつかないと何度か部下から言われている。そんな、二十階建ての高層マンションの十五階の一室が、夜見の塒であった。
 
「あんなに下向いて拗ねてっからだよ。ばか」
「由比都、楽にしてていいからね。ていうか乗り物酔いするなら助手席に座らせたのに‼︎」
「うるさい……し、しゃべ、るな」
 
 顔に不本意を堂々と貼り付けた由比都は、夜見によって背負われる形で運ばれていた。夜見の着ていた会社のロゴが入ったブルゾンは、今は由比都の肩にかかっている。着ているパーカーのフード部分に頬を押し付けるようにして、由比都は真っ青な顔をしたまま悪態を吐く。
 乗るのは電車ばかりで、久しぶりに車による長距離の移動をしたからだろう。京浜地区から外れた場所に収監されていた田原を恨むべきか、それとも長距離移動に付き合わせた夜見を恨むべきか。
 力が入らない体を抱え直す。その振動だけでもしっかりと胃に響くのだ。車の中の芳香剤の香りもいけなかった。己の体調不良の原因を探ろうとすれば、ありとあらゆるものが関わってくる気がしてきた。一番は、ストレスだろうが。
 
「でも、なんで社長んち? ここ一ヶ月くらい帰ってなかったじゃないっすか」
「だって、由比都の荷物の届け先は俺んちにしちゃったし」
「うわ、その場しのぎで適当かましたんでしょ。そーゆーとこまじでよくないと思いますよ」
「その場しのぎじゃないって、ほら、一人じゃ何かと……最初は大変だろうしさ」

 取ってつけたように、最初は。と言葉を濁した。本当は、一人だと何も出来ないだろうから。が正解だろう。夜見の気の回し方が、つくづく由比都には合わなかった。
 しかし、気分が悪くても会話は嫌でも耳に入ってくる。由比都は藻武の言葉に引っ掛かりを覚えてしまった。最初に口にしていた、この場所がどうとか。
 
「ここ……どこ」 
「ん? 余ってる俺の部屋に由比都の荷物運んであるんだよ。社員寮はあるけど、なんかあった時を考えると一緒に住む方が楽だしね」
「一緒に……住む……?」

 うん。呑気な夜見の声がした。由比都のストレスの原因である夜見と、一緒に衣食住を共にする。夜見の言葉が脳に届く頃には、由比都は体調不良などすっかり忘れて勢いよく顔を上げた。
 
「絶対に嫌だ……っ」
「ぅわびっくりした」
 
 驚いたのは、むしろ由比都の方であった。どんなに鈍感であれば、嫌悪を示す相手と一緒に住もうとなるのだろうか。おそらくエレベーターだろう到着を知らせる軽快な音が、空気を読まずに間抜けに鳴った。
 
「ぅぐ、っ」
「え? 待って。もう着いたから。あと数分我慢して⁉︎」
「吐く⁉︎ 吐くのか⁉︎ 待て待て待て、袋、袋‼︎」
「待って待って待って、あっあっあっ」
 
 勢いよく顔を上げたのがいけなかったらしい。マンションの通路に夜見と藻武の情けない悲鳴が上がると同時に、由比都はまたしても己の不始末に頭を抱えることになるのであった。



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