箱庭のエデン

だいきち

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訪れたのは

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 目に見えるものが全てだと思っているものほど、愚かなものはいない。見通すことのできないこの世界こそが闇だと教えられるまで。ずっと周りから聞こえる音に怯えていた。
 どうやら、難儀な体に生まれてしまったらしい。奪われた視覚の代わりに研ぎ澄まされた聴覚は、人以外の声すら耳へ届ける。
 
「いい天気ですね」
 
 肌で感じるのは、日差しの温度だ。目の代わりの白杖を握りしめたまま、 白南風由比都しらはえゆいとは一人ごちた。
 待ち合わせは駅前だと聞いていたので、壁を背にして立っている。大きな街なのだろうか。行き交う人々は見えないが、大勢いるのだろうことは肌と歩みの振動で分かった。
 ぶぶ、と空気を震わせる羽音が由比都の聴覚をくすぐった。人には見えないだろう、小さな虫型の式に案内をさせるようにここまできた。
 

 「新しくやり直すから、今日くらい穏やかに過ごしたかったんですけどね」 

 その声は、不思議な落ち着きを放っていた。言い聞かせるような、それでいて声色の奥に諦めにも似た色も滲んでいた。
 由比都が対峙する存在を、もし誰かが目にすることができるのなら。それはきっと誰もが気にも留めない当たり前の光景に見えるだろう。
 
 薄い手のひらが、形を確かめるように白を握りしめる。鼻腔を掠めたのは、怪異が放つ独特の不快な臭気だ。
  揮発性の液体にも似たそれは、深く吸い込めば胸を悪くしそうであった。そんな香りを強く纏っても、気にもせぬまま平然としている存在が近くにいる。
 新しい土地に足を踏み入れるだけではない覚悟を今、由比都は試されているのだ。

 遠くから、足音が聞こえる。どうやら忙しない様子でこちらへと向かってきているようだった。このまま由比都の目の前を通り過ぎるのなら、きっと無関係の人間が一人怪異に刺されることだろう。見過ごすわけにはいかない。これが由比都に残された、なのだから。
 何より、由比都はこの京浜地区以外に居場所がない。この荒っぽい歓迎を拒むことなんて、最初から選択肢にはなかった。
 
「影送りを始めます」
 
 由比都が呟いた瞬間、耳元で羽を震わせていた式が炎に包まれるようにして燃え尽きた。体を生暖かい風が撫でる。足元の影が膨らむと、道ゆく人々の動きがゆったりしたものに変わった。まるで、景色は黒く塗り潰されるように暗転し、色彩を纏うのは由比都と一匹の怪異のみであった。 

「勘弁してくださいよ、案内役の式を使う羽目になった。この責任は重いですよ、何せ私にとっての目がなくなったわけですから」
 
 返答はない。おそらく、下級のものだろう。現世との境界を張った途端、背の曲がった老婆から姿を変えた怪異は、猿にも見える顔を由比都へと向けた。八つの目玉が、値踏みをするように由比都を見据える。複音の声が愉快そうに喉を鳴らすと、ゆっくりと口を開いた。
 
『驚いた。お前、この金縛りが効かぬのか』
「こちらこそ言語を解すとは驚きました。でもすみません、私は目がバカなものでね」
『なるほど面白い。ならばその体を労り、安らかに眠れるようにしてやろう』
 
 生暖かい風が、由比都の体の周りを囲うように吹きつけた。皮膚がピリつく。耳障りな鎖を引きずる音がして、わずかに由比都の肺が絞られた。
 
(精神的な攻撃を得意とするなら、おそらく中級か、なりかけというところだろうか)
 
 由比都は光のない藍色の瞳をまっすぐに向けると、ゆっくりと白杖を握りしめた。まだヒトデナシになっていないのなら、信仰文句を使わなくてもいいだろう。そこまで考えて、由比都は小さく舌打ちをした。京浜地区にきた理由を思い返したのだ。ここは、由比都がいた地区ではない。つまり、信仰文句を捧げる神はいないのだ。
 
「嫌気がさす」

 たった一言、口にした言葉。それは由比都の周りの空気を浄化し、怪異へと風を吹きつけた。目には見えないが、微かに狼狽える気配を感じた。由比都が口にしたのは、怪異の操る能力を半減する言霊だったのだ。

「……ああ、本当に」

 ボソリと呟いた。由比都の声色は、怪異を前にしていても落ち着いていた。何も映さない瞳が、虚空を見据える。纏う空気は静かで、冷え切っているようにも見えた。

『なるほど、曲がりなりにも祓屋かい』
「この言霊が通じるのなら、お前は私よりも弱いということだねえ」
『めくらが、何を言おうともおしまいには抗えぬだろうよ』
 
 由比都は怪異の動きを探るべく、耳を研ぎ澄ませた。どうやら好戦的な怪異のようだ。由比都の放った式を喰らいにきたらしい。進んで狩りをするのであれば、おそらく知能もあるだろう。
 
(なりかけではない、な。これは)
 『祓屋の体は使い勝手がよさそうだねえ、私は目玉が多いから、お前よりももっと視野が広がりそうだ』
「釘を刺す」
『目が見えなくて、当てられるもの、かっ……⁉︎』
 
 乾いた土に、粘度の高い液体が落ちる音がした。由比都は手を持ち上げると、広げた手のひらをゆっくりと閉じていく。
 八つの目玉を動かし、辺りに警戒を放っていたはずだった。しかし、怪異の右腕には深々と五寸釘が突き刺さっていた。
 言いようのない怖気が、怪異の周りを囲むように支配する。一体何が起きたのだ。気配を探るために辺りへと意識を回した瞬間。足元の影から勢いよく飛び出した釘の一本が、怪異の頭蓋を貫いた。
 
「この程度では死にませんよね」
『おま、お前、な、何を、っ』

 気道を塞がれるかのような、怪異の汚い悲鳴が上がった。けむくじゃらの手が、確かめるように顎の下から生えた釘に触れる。目玉の一つは、ダメになってしまった。明確な死を目の前に突きつけられて、怪異は逃げるように飛び退った。
 
「あ」
『いやだ、私はまだ消えたくない‼︎』
「なるほど、境界の外に出るつもりですか」 

 気配が遠ざかることで気がついた。こうなると、由比都は実に不利であった。
 猿のような腕が、着地と同時に地べたを叩いた。その瞬間、怪異の放った赤黒い帯状の影が勢いよく向かってきた。由比都を守るように、再び影から浮かび上がった五寸釘が立ち向かう。影の帯は由比都に触れることも叶わず、またたく間に空間へと縫い留められた。
 
「ねえ、今何したの」
『舐めるなよ小僧……‼︎』
 
 先ほどよりも多い帯状の影が放たれる。どうやら由比都を手こずらせ、隙を見て逃げるつもりのようだ。膨らんだ怪異の気配に眉を寄せる。釘を通してじわりと感じた嫌な感覚に、由比都は小さく舌打ちした。
 
(なるほど、伝播したのか)
 
 由比都の力は、直接釘を通して繋がっている。どうやら放たれた怪異の攻撃は、触れたものにさわりをもたらすようだ。肌がひりつく感覚がする。この程度なら外に出ればよくなるだろうが、不意を突かれて攻撃を受ければ、さらなる魔障をもらうだろう。
 由比都は懐から折リ鶴を取り出すと、息を吹きかけるようにして式に変化させた。純白の鶴が、守るように大きな羽を広げる。本当は攻撃特化型の式を出したいところだが、その時間を与えてはくれないだろう。
 白杖に手を添える。力の消耗を承知の上で、次で決めるべきだろう。そう意識を切り替えた時だった。
 
「白南風くん⁉︎」
「え」
 
 突然、由比都が作り上げた境界が歪に波打った。名前を呼ばれ、とっさに反応は遅れた。大きな音がして、怪異の殺気を嗅ぎ取った。
 一体、何が起きたのか。状況を理解できぬまま、由比都は思わず叫んだ。
 
「何かくる‼︎」
「うん、大丈夫」
『木偶の坊め‼︎ 私の前から消えよ‼︎』
 
 鋭い叫び声が聞こえた瞬間、由比都の式の防衛が発動した。眩い光と共に、被膜は由比都を包みこむ。一度だけ攻撃を無効化してくれる式が動いたということは、一瞬でも生死を揺るがす何かが起こったということだ。
 被膜に包まれてしまえば、外の音は聞こえなくなる。由比都は戸惑うように白杖を構えると、慎重に辺りの気配を探った。
 しかし、事態は由比都の意図せぬ方向へと動いた。攻撃を受けたなら消えるはずの防衛膜が、一向に消えなかったのだ。
 まさか、由比都が出てくるのを待っているとでも言うのだろうか。
 戸惑いは少しずつ焦りという感覚に変わっていく。もし由比都が出てくるのを待っているとしたら、術を解除すればすぐに反撃を喰らうだろう。
 どうする、どうすればいい。由比都の顔はこわばった。経験の浅さを突きつけられているようで、ひどく不快な感覚であった。


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