鶴の怪はうつけ犬に愛でられる

だいきち

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犬のお気に入り

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 よくこうも嫌われたものだなと、ヨギリは思った。
 腕の中のイチカを間一髪受け止めたまではよかった。虹蛇の扇子の一振りで開かれた地下の岩屋戸へも、傷一つなく着地できたのもまたよかった。しかし参ったのはその後で、大きな音を立てて入り口は閉じてしまったのだ。

「しね! 消えろ! 俺をここからだせヨギリ!」
「俺が入れたわけじゃないから、出せるわけないんだよなあ」
「おろせ馬鹿野郎! 誰がこの玉体に触れることを許した!」
「虹蛇様かなあ」

 本当に、安定してイチカに嫌われている。
 ヨギリはイチカをおろそうとして、素足なことに気がついた。足元は土だ。二人して屋敷に入った時点で履き物は脱いでいた。ヨギリは気にしないが、イチカは潔癖のきらいがある。何せ、餓鬼を踏みつけるためにわざわざ専用の履物を仕立てるくらいだ。
 ヨギリは辺りを見渡した。おかげさまで暗闇には慣れている。大きな岩を見つけると、その上にイチカをそっと座らせた。

「なんの真似だ」
「足元は直に土だよ。イチカは踏みたくないかなって思って」

 ぐう、と苦しげな声が聞こえて黙りこくる。ヨギリの読みは日ごろイチカを眺めているからこそよく当たっていた。暗がりの中で、イチカの周りだけ光っているように見えるのは、単に色素が薄いからだろう。見慣れぬ黒髪もまた、ヨギリは似合うなと思う。そんなことを口にすれば、たちまち顔を引っ掻かれかねないが。

「寒い、くそ……本当に妖力を練ることができぬ」
「俺の服着る?」
「誰がそんなボロを纏うか。もっと考えてからものを言え」

 はん、と鼻で笑うようにイチカが宣う。しかし、バカにするように煽る方向が的外れであった。ヨギリは今、イチカの座る岩に寄りかかるようにして横並びになっていた。つまり、隣にいる。それなのに、イチカときたらなぜか正面を向いて喋るのだ。
 最初は、目も合わせたくないのかと思いもしたがどうやら違う。ヨギリが試しに顔の前で手を揺らしても、イチカは怒ることもしなかったのだ。

「イチカ」
「名を呼ぶな」
「わかった、そんなに俺が嫌なら……離れるよ」

 だからヨギリは、物分かりのいいふりをして試してみることにした。
 イチカの姿を捉えたまま、ゆっくりと音を立てずに離れる。ついでに壁に手を添えて岩屋戸を検分すれば、どうやらただの岩ではなさそうなことだけはわかった。

(これ、肉壁だ)

 岩に魅せているが、触れていると微かに温もりを感じる。おそらく何かの妖の体内だ。となれば、虹蛇はまた随分と大きな化け物を配下にしたものである。口寄せの術とは違うのだろうか。
 ヨギリが興味を引かれて壁を強く押せば、ズブズブと手が沈んでいく。

「おい‼︎」
「え?」
「…………」
(ああ、俺が黙っちゃったから不安なのか)

 目を向ければ、イチカは顔に不安を貼り付けていた。しかし意地なのか顔だけは動かさず、目線だけでヨギリを探しているようにも見える。
 思わず、名前を呼んでしまったのだろう。その後の言い訳すら思いつかないのか、ヨギリの声を聞いただけでイチカは黙りこくってしまった。

「なあに?」
「なんでもない、喋るな。俺は集中しているんだ」

 と言って、イチカは少しだけ安堵したような顔を見せる。暗がりでも、ヨギリはそれがありありとわかった。
 
(ああ、鳥目だから見えないのか)

 外は月明かりがあるから見えるけど、ここには何もない。ヨギリが見えるのは、単純に目が暗闇に慣れているのと、イチカの汗の匂いを知っているからだ。

(これは、不安な時の匂いだ)

 ヨギリなら、こんな肉壁どうとでもなる。お得意の病魔を呼び寄せて、吐き出して貰えばいいのだから。でも、それをしないのは単純に、お膳立てされたこの状況は都合がいいからだ。
 ヨギリはイチカが好きだ。大好きだ。その見目もそうだし、悔しいと鼻の頭を真っ赤にして涙を堪える顔もそそる。ヨギリの幼馴染で、小さい頃は一緒にたくさん遊んだ仲だ。なんならヨギリの夢精もイチカの夢が最初だったくらい、可愛くて綺麗で、汚したくて仕方がない。
 犬は好きなものを穴に埋める習性がある。もちろん、ヨギリにもその気がある。だから、狭い闇の中二人きりという状況は、ヨギリにとっても願ったり叶ったりなのだ。

「名前を呼んで返事をすれば、そうやってブスくれる」
「あ?」
「俺、イチカが俺に何を求めているのかわかんないよ」

 だから、こんな素敵な状況だから。ヨギリはイチカを揶揄うことにした。
 
「イチカ、俺がイチカに優しくするのは好きになってもらいたいからだよ。だけど、こんな状況でも俺を頼りもせずに文句ばかり言うなんて、相当嫌われてるんだなってことくらいはわかる。見込みが、ないことも」
「…………」
「俺もいい歳だし、こないだは告白してくれた子もいた。イチカが好きだけど、俺の一生を愛されないまま終わるのも嫌だ」
「こ、告白? 誰にだ」
「それ、イチカに言う必要ある? 俺のこと好きじゃないのにさ」

 ヨギリは鼻で笑うように言ってのけた。それこそ、イチカのように。普段ならそう言うことはしないが、今のイチカはヨギリの助けを得ない限りはどうしようもないのだ。それに、ヨギリには聞きたいことが山ほどあった。

「ヨギリ、お前の分際で……‼︎」
「いい加減にしろよ」
「よぎ、……っ」

 イチカの焦りの匂いがする。それに、少しだけ鼻声になっていることも、性能の良い耳には届いていた。

「俺がお前を好きだと知っておきながら、その体を誰かに許したくせに」
「ふ、んっ……‼︎」

 イチカの顔は小さい。それも、ヨギリの手のひらで口を完全に覆ってしまえるくらいには。夜目が効かぬのに、イチカはその大きな目をさらに見開いた。
 ヨギリが座らせたのは、不安定な岩の真上だ。だから、妙な力を入れればイチカは滑り落ちて土を素足で踏むことになる。
 日頃からみくびられていることはわかっていた。それを甘んじて受け入れていたのは、単に強ぶるイチカが愛らしかったからだ。世の中は目立つものほど狙われやすい。だからヨギリは好んで黒を選んだし、黒ならば汚れも目立ちにくい。
 イチカは、ヨギリを臭いという。それも、犬くさいなどと。
 箱入り息子であり、親に許された範囲でしか威張れないイチカは、本当の犬の匂いなんか知らないのだ。だからヨギリは、犬臭いと馬鹿にされるたびに、ああ、かわいいなあと思う。
 犬の匂いが、こんなに血生臭いものだと勘違いしている。その無知で愚かがひどく可愛い。


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