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知らぬが仏
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「いいじゃないか。いったい何が問題だというのだ。我が一家のなかから出来のいい男を見繕ったところで、ヨギリ以上の怪がおるわけもない。なにより、見目がよい」
ぷかりと口から吐き出した煙を空に遊ばせて、虹蛇は言った。本性は大蛇であるからして、人の形もじつに大きい。
寝殿造りの弌羅山會の屋敷は、翼を広げた鳥のような造りになっている。寝殿の真後ろ。鳥で例えるなら尾翼の位置に北の対。そして翼のごとく左右に伸びた西の対と東の対に虹蛇と篠海は守られている。
各々が長い廊下でつながっており、寝殿へは虹蛇の認めたものしか訪れることのできないまやかしをかけている。
虹蛇は、その寝殿の内部。本来ならば閉じるべき御簾を開け放ち、その腕に篠海を抱き込んでいた。
「のう篠海。お前もそう思うだろう。我の周りにはべらせるのは眉目秀麗なものほどよい。そこらの一派一絡げの塵芥どもは所詮ただの取り巻きのようなもの。この弌羅山會の名が欲しくて言うことを聞いているだけだろう」
「あいあい。そもそもイチカ、お前はいい加減ややをつくれ。いつまでも親の脛をかじらずに、おのれの屋敷を持てというたろ。だからかかはヨギリをつけたのだ」
「いやだ! イチカはいつまでもとと様とかか様の下で生きていく。かか様はまだイチカがとと様をたぶらかすと思っているから、そうやっておんもに出そうとするのだろう!」
篠海の長い尾が水面のように波打った。金色の髪を長く伸ばし、寝殿を覆うように力を見せつける。
イチカのいうとおり、篠海は己の息子に対して確かな愛情とともに、妬心も宿していた。化け狐は執着が強い。愛しい我が子でも雌に育てば、それはもはや恋敵と一緒なのである。
「戯言を抜かすなよ青二才めが。虹蛇がお前を手籠にしようとしたのは気の迷いぞ。あまりおまえのかかに力を使わせるな。流石に我が子を手に掛けとうない」
「これ、篠海」
またはじまった。
ヨギリはイチカの背後で控えながら、ただ笑みを浮かべて話を聞いていた。
一仕事を終え屋敷に戻るたび、篠海とイチカの虹蛇の取り合いが始まるのだ。虹蛇はそれを面白そうに眺めて止める気配はないのだが、今日はいつもと毛色が違っていた。
「イチカもまたかか様の血を引くことをお忘れなきよう。この身を投じてとと様の尻拭いをしているのは、ひとえに息子としての責務のため。それにあの晩の戯れなどとうに上書きをされている」
「あ?」
「あっ」
思わずぽろりと口にしたのだろう。イチカの手が己の口元を押さえている。
治安の悪い声は、もちろん虹蛇のものだった。篠海はその隣で、うっかり口をついてでた息子の言葉にぽかんとしている。
「誰じゃ」
「いわぬ」
「いえ、誰じゃそのおおうつけは。まさか処女を捨てたとは言わぬだろうな」
「な、っいくらとと様でもいうて良いことと悪いことがありまする!」
「虹蛇」
膨らむ虹蛇の妖気は、びりびりと部屋を包み込む。いくら怠惰を極める山神も、流石に愛息子に手をかけられたと聴いて落ち着いては居られなかったらしい。
ヨギリは静かにイチカの背後へと控えていたが、それでも頭から押さえつけられるような圧力に体が床に落ちそうになっていた。
琥珀色をしたヨギリの瞳が、イチカの背へ向けられる。華奢な体で怒る虹蛇の覇気を受け止める。その気丈さは流石の一言に尽きた。
「お前様、そろそろ子離れしなされよ」
「……その男の尻の毛を毟り取ってやる。名を言え」
「いやだ!」
イチカは頑なであった。これには、内心でヨギリもまた面白くはなかった。こうして許嫁の立ち位置に安心してあぐらをかいていたのは事実だが、こうも欺くように他者と関係を持たれるというのは承服しかねる。
だが、嫌われたくない一心で抗議の一つも言えないのは自覚していた。だからこそ、虹蛇の言葉は渡りに船であった。
「イチカ、お前後ろのヨギリとややをつくれ。できるまで、お前から力を剥奪する」
「え」
「…………」
この場では、許可が出るまで声を出してはいけない。だが、それでもヨギリは思わずイチカと同じ音を漏らしそうになってしまった。腹筋を絞り堪えた己の冷静さを、誰かに褒めてもらいたいくらいである。
しかし、イチカは────
「うあ、いやだ!」
「ヨギリ、お前がはよう男を見せぬからこんなことになるのだぞ。我にお膳立てをさせておいて、今さら怖気づくなど笑わせるなよ」
「虹蛇様、滅相もございません」
名を呼ばれ顔を上げたヨギリの目の前には、足をばたつかせるイチカの姿があった。細い足は、虹蛇の蛇の呪印が巻き付くように這わされている。妖気を縛り、ただの人同様に扱うそれは、虹蛇のいう一派一絡げの塵芥どもが恐れている秘術のひとつだ。
イチカの自慢である髪は黒の面積を広げていき、とうとう一色に染まってしまった。浮かび上がっていた体から力が抜け、ヨギリは慌てて両腕を伸ばした。
「っ、虹蛇様!」
「どうせお前なら受け止めるだろう。何を焦る必要がある」
「いやだ! こいつだけはいやだ! 離せ!」
「黙れ。少しは反省をしろバカ息子」
そう言って、虹蛇は話を聞かずに扇子を振り上げた。
ぷかりと口から吐き出した煙を空に遊ばせて、虹蛇は言った。本性は大蛇であるからして、人の形もじつに大きい。
寝殿造りの弌羅山會の屋敷は、翼を広げた鳥のような造りになっている。寝殿の真後ろ。鳥で例えるなら尾翼の位置に北の対。そして翼のごとく左右に伸びた西の対と東の対に虹蛇と篠海は守られている。
各々が長い廊下でつながっており、寝殿へは虹蛇の認めたものしか訪れることのできないまやかしをかけている。
虹蛇は、その寝殿の内部。本来ならば閉じるべき御簾を開け放ち、その腕に篠海を抱き込んでいた。
「のう篠海。お前もそう思うだろう。我の周りにはべらせるのは眉目秀麗なものほどよい。そこらの一派一絡げの塵芥どもは所詮ただの取り巻きのようなもの。この弌羅山會の名が欲しくて言うことを聞いているだけだろう」
「あいあい。そもそもイチカ、お前はいい加減ややをつくれ。いつまでも親の脛をかじらずに、おのれの屋敷を持てというたろ。だからかかはヨギリをつけたのだ」
「いやだ! イチカはいつまでもとと様とかか様の下で生きていく。かか様はまだイチカがとと様をたぶらかすと思っているから、そうやっておんもに出そうとするのだろう!」
篠海の長い尾が水面のように波打った。金色の髪を長く伸ばし、寝殿を覆うように力を見せつける。
イチカのいうとおり、篠海は己の息子に対して確かな愛情とともに、妬心も宿していた。化け狐は執着が強い。愛しい我が子でも雌に育てば、それはもはや恋敵と一緒なのである。
「戯言を抜かすなよ青二才めが。虹蛇がお前を手籠にしようとしたのは気の迷いぞ。あまりおまえのかかに力を使わせるな。流石に我が子を手に掛けとうない」
「これ、篠海」
またはじまった。
ヨギリはイチカの背後で控えながら、ただ笑みを浮かべて話を聞いていた。
一仕事を終え屋敷に戻るたび、篠海とイチカの虹蛇の取り合いが始まるのだ。虹蛇はそれを面白そうに眺めて止める気配はないのだが、今日はいつもと毛色が違っていた。
「イチカもまたかか様の血を引くことをお忘れなきよう。この身を投じてとと様の尻拭いをしているのは、ひとえに息子としての責務のため。それにあの晩の戯れなどとうに上書きをされている」
「あ?」
「あっ」
思わずぽろりと口にしたのだろう。イチカの手が己の口元を押さえている。
治安の悪い声は、もちろん虹蛇のものだった。篠海はその隣で、うっかり口をついてでた息子の言葉にぽかんとしている。
「誰じゃ」
「いわぬ」
「いえ、誰じゃそのおおうつけは。まさか処女を捨てたとは言わぬだろうな」
「な、っいくらとと様でもいうて良いことと悪いことがありまする!」
「虹蛇」
膨らむ虹蛇の妖気は、びりびりと部屋を包み込む。いくら怠惰を極める山神も、流石に愛息子に手をかけられたと聴いて落ち着いては居られなかったらしい。
ヨギリは静かにイチカの背後へと控えていたが、それでも頭から押さえつけられるような圧力に体が床に落ちそうになっていた。
琥珀色をしたヨギリの瞳が、イチカの背へ向けられる。華奢な体で怒る虹蛇の覇気を受け止める。その気丈さは流石の一言に尽きた。
「お前様、そろそろ子離れしなされよ」
「……その男の尻の毛を毟り取ってやる。名を言え」
「いやだ!」
イチカは頑なであった。これには、内心でヨギリもまた面白くはなかった。こうして許嫁の立ち位置に安心してあぐらをかいていたのは事実だが、こうも欺くように他者と関係を持たれるというのは承服しかねる。
だが、嫌われたくない一心で抗議の一つも言えないのは自覚していた。だからこそ、虹蛇の言葉は渡りに船であった。
「イチカ、お前後ろのヨギリとややをつくれ。できるまで、お前から力を剥奪する」
「え」
「…………」
この場では、許可が出るまで声を出してはいけない。だが、それでもヨギリは思わずイチカと同じ音を漏らしそうになってしまった。腹筋を絞り堪えた己の冷静さを、誰かに褒めてもらいたいくらいである。
しかし、イチカは────
「うあ、いやだ!」
「ヨギリ、お前がはよう男を見せぬからこんなことになるのだぞ。我にお膳立てをさせておいて、今さら怖気づくなど笑わせるなよ」
「虹蛇様、滅相もございません」
名を呼ばれ顔を上げたヨギリの目の前には、足をばたつかせるイチカの姿があった。細い足は、虹蛇の蛇の呪印が巻き付くように這わされている。妖気を縛り、ただの人同様に扱うそれは、虹蛇のいう一派一絡げの塵芥どもが恐れている秘術のひとつだ。
イチカの自慢である髪は黒の面積を広げていき、とうとう一色に染まってしまった。浮かび上がっていた体から力が抜け、ヨギリは慌てて両腕を伸ばした。
「っ、虹蛇様!」
「どうせお前なら受け止めるだろう。何を焦る必要がある」
「いやだ! こいつだけはいやだ! 離せ!」
「黙れ。少しは反省をしろバカ息子」
そう言って、虹蛇は話を聞かずに扇子を振り上げた。
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