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名無しの龍は愛されたい番外編(これ以後は拙作ごった煮集です~)
サディンの企み(結婚編)エルマー×ナナシ
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「あのう、夫がこちらにお仕事しているのですが…」
辿々しい語りではあったが、その麗人は酷く整った容貌を愛らしく染め上げ、己の子供たちだろうか、10歳くらいの赤毛の少年と手をつなぎ、幼児を片腕で抱きながら兵舎の入口で困り果てていた。
獣人の番などもつ者は部隊のものに居ただろうか。
窓口の男は、ルナハンという。第一騎士団の新顔で、本日は持ち回りで行なう兵舎の管理事務所の業務を担当していた。
「しょ、少々お待ち下さい。」
ルナハンは頬を染めながら、少々上ずった声で答えた。なにしろ童貞で、貴族の三男坊である。
男を磨くためにと親のコネで城務めの騎士団になることができたが、最近は先輩方が次々と騎士をやめていくので、そろそろルナハンも第一騎士団のレギュラーメンバーに入れるのではないだろうかとわくわくしていた。
このつまらない兵舎の窓口業務は、第一騎士団に配属された下っ端の仕事である。まあ一番出会いも多い業務ではあるのだが、花形からは程遠い。
ルナハンは名簿をめくりながら、値踏みをするようにちらりと盗み見る。
きゅるりとした金色の目で、幼子が己を見つめていた。兄も、そして妹だろうか。揃って顔立ちが整っていた。しかし、なんとなく既視感のあるような気がして、ついにはまじまじと赤毛の少年を見つめる。
長いまつ毛に縁取られ、眠そうな二重できょとりと見返してくるのを見ていたら、なんだか無いはずの父性が湧く。
自分とこの人の間に子ができたら、どんな子になるのだろうなあなどと妄想していたから、そんな気分になったのだろう。
「旦那さんの名前を教えて下さい。」
「エルマー、です。」
なるほど旦那は平民らしい。白銀の髪が滑らかにその華奢な肩に流れる。白磁のほおに触れてみたいと思った。
こんな上等な麗人を嫁に持つなど、一体どのような徳を積めば良いのだろう。しかし、平民ならばルナハンも望みがある。貴族に娶られたいという市井のものは意外と多いのだ。それが子連れであっても何も問題はない。むしろ懐の深い男と見られるので、株も上がる。
しかしながら市井ではお目にかかれな位ほど美貌である。もしや白痴を理由に追い出されたか、はたまた没落貴族で路頭に迷ったか。
悩む素振りでその顔を見ると、困ったように瞳を揺らした。
「エルマーさん…名字がないなら平民の方ですか?平民の方なら我が部隊にはおりませんね…」
なにせ我が部隊は人が減ったが貴族ばかりで構成されている。もしや平民まじりなら第三騎士団だろうか。第一は貴族で構成され、魔物や敵国の襲撃に備える武闘派集団である。第二騎士団は主に大聖堂やら国の文化財などを守る修道騎士団であり、こちらも信心深い貴族出の物が多い。
第一と第二は共に遠征することも多く、第三騎士団は主に国の街門警備やら見回りで、新人がつく場合が多い。ここから引き抜かれるのを待っているものも多いので、大見得を切って嫁やら恋人に城務めの騎士だと言いふらしているものもいるらしい。
しかし、このように美しい嫁を娶る平民とは、一体誰のことだろう。騎士団に属するものは遠征が多く出会いも少ない。
連れ合いが居るだけで羨ましがられるのだが、こんな上等な麗人を横に侍らすことができたらさぞ鼻が高いだろう。
「える、でもここにいるって…」
「しかしですね、」
「ぱぱいないのう?」
「ウィル…もうちょっとまてて、ね?」
ウィルと呼ばれた幼児が、目に涙をためて男を見上げる。その目はいけない、言うことを聞いてあげたくなる。
しかし、ルナハンとて理由はどうであれ、この持ち場を離れるのもよろしくない。いくら丸腰でも、規則は規則だ。
故に、兵舎に入る者はたとえ娼婦でも手荷物検査は行わねばならない。であるからして、目の前の麗人にも勿論適用するルールだ。
ルナハンはコクリと喉を鳴らした。それを静かに赤毛の少年が目を細めて見つめていたなど知らずに。
「すみませんが、こちらに入るのに身体検査をさせて頂きます。」
「あ、うー‥、でも…」
「後ろめたいものでもお持ちですか?」
「…ないです」
ルナハンの笑顔の問いかけに、ぴくんと肩を揺らしたナナシが小さく呟く。
少し怯えたような顔が加虐心を煽る。ルナハンが詰め所の扉を開けて中に促そうとすると、歩みを進めようとするのを引き止めるようにして、赤毛の少年が手を引っ張った。
「まま、だめ」
「サディン?」
ふるふると首を振るサディンと呼ばれた息子を振り返る。ルナハンは少しだけ面倒くさそうな顔をした。
「困りましたねえ、確認をするようにと言われて、」
おります、とは続かなかった。
麗人に抱きつく赤毛の少年の金の瞳が、まるですべてを見据えるかのように、まっすぐにルナハンを見つめてきたのだ。
幼子の視線ではない。ルナハンはゴクリと喉を鳴らすと、ぎこちなく微笑んだその時だった。
「なんでおまえこんなとこいるんだあ?」
「ひゃ、」
後ろから腰を抱くように赤毛の指導教官が現れた。ルナハンは先輩方がこぞって文句を散らしてやめていった原因でもある眼の前の美丈夫を見上げると、はたと気がついた。
「える、」
「ぱぱ!」
「おー、マシュマロちゃん朝ぶりだなぁ。サディン、おまえまた拗ねてんのか?」
「拗ねてない。」
ちまこくなってまあ、と言いながらサディンと呼ばれた男の子の頭をわしわしと撫でる眼の前の人物を見て、ルナハンはようやく思い出したのである。
そうだ、そういえばこいつ、平民出のものだった!
驚愕とも取れる顔でわなわなしているルナハンを見ると、エルマーはサディンの不機嫌顔と見比べて何かを理解したらしい。
「ルナハン、これ俺の嫁。怪しいやつじゃねえから安心しな。お勤めご苦労さん、」
「はわ…」
がしりと腰を抱いて抱き寄せる様子に、ルナハンは冷や汗が止まらない。ニコニコと微笑んでいるくせに、目が笑っていないのだ。
「ナナシ、サディンいてもあぶねーから一人で来んなって言ったろ?ここは狼しかいねえんだからよ。」
「ぱぱ、さっきルナハンさん身体検査するっていってたよ。」
「ほーーーう。」
「ひえっ」
上ずった声で悲鳴を上げた。何故ならエルマーの大きな手が肩を鷲摑んだのだ。殺られるかもしれないという危機察知能力がルナハンの体を包み込む。
ぐい、と顔が近づいた。鼻先が触れそうな距離でまっすぐに見つめられると、その金色の瞳に青ざめた己の顔が映る。
「検査してたら口から背骨抜いてたぜ。」
「はひ…」
ぽそりと告げられた不穏過ぎる一言に、危うくルナハンは人としての尊厳を失うところであった。
赴任したてで、第一騎士団の殆どがやめたのは、指導が過酷すぎるからだとは聞いている。しかしながらルナハンはエルマーを見誤っていた。
赤毛の平民で、体つきもそこまでガチムチでもないのだ。だから恐らく参謀タイプだろうと思っていたのだ。後ろから指示を出すような、そんな男だろうと。しかし、この威圧感はマジである。
小さく震えるルナハンを、まるで褒めるようにぽんぽんと肩を叩くと、エルマーたち家族はナナシと呼ばれた麗人の腰を抱いたまま行ってしまった。
細い肩から顔を出した、ナナシと同じ色味のウィルという幼子がゆるゆると手を振るのを見て、振り返すのが精一杯であった。
「える、インベントリ忘れてたでしょう?」
「あ、わりい。」
演習場までなんだかんだでついてきてしまった。サディンはナナシと手を繋ぎながら、物珍しそうにきょろりとあたりを見回す。
エルマーはしゃがみ込むと、そのちまこくおさまったサディンの少年の体をがばりと抱きしめた。
「うわあっ!」
「サディン、お前が牽制してくれたんだろう?さすが俺の息子だあ。」
「う、うんっ、わ、き、きすはいらなっ、わー!!」
頬にぶちゅりと口づけられると、サディンは恥ずかしくて仕方がない。ナナシは微笑ましそうに見ているが、サディンだって今はこんなだがもう14歳だ。いい加減親にキスされて喜ぶ歳ではない。
「んだよ連れねえなあ。口にしてやってもいいぜ?」
「お母さんにされたい!」
「お母さんの唇は俺のもんだから駄目だあ。」
「んんんんーーー!!」
がしりと頭を抑えられてぶちゅりと口付けられた。信じられない。しかしエルマーはエルマーでウィルの唇にも口付けるし、ありのままの姿のサディンにまで口付ける。子供っぽく押し付けるような冗談じみたそれなのでまだ良いが、人目くらいは気にしてほしい。
「ぱぱ!うぃるも!うぃるもちゅーしてえ!」
「ぐあーかわい、ウィルからちゅーしてくれえ。」
「ちゅー!」
ゴシゴシとサディンが唇を拭っている頭上で、ウィルに口付けられてデレデレしている。ナナシは若干諦めにも似た呆れたような目でエルマーを見ているが、嗜めるつもりもないらしい。
何度もいうが人目位は気にしてほしい。ここは騎士団の演習場なのだから。
「き、教官?その方々とはどういう…」
勇気のあるものが一人、恐る恐る歩み出た。
軽装のその者が代表して聞きに来たらしい。彼の後ろには、団子のように固まって柱の陰からこちらを伺っている者たちがいた。
「嫁と息子。」
「けっ、結婚されてたんですか!?」
「夫がいつも、おせわになてます、」
ぺこりとお辞儀をする。この文言はアリシアが教えてくれた。奥さん言葉よといって覚えさせられたとき、エルマーが大いに興奮してその晩は寝かせてもらえなかったのは余談だが。
「奥さんめちゃ美人ですね!?てか子供の顔面偏差値どうなってんすかやば!?」
「うるせえうるせえ、ジル、てめえ走り込み終わったんだろうな?ミュクシルはどうした。」
「ミュクシルはいまキャスパー追いかけてます…ほら、」
物凄く情けない声を上げながら演習場を走り回っている褐色の男が、ミュクシルと共にこちらへと向かってくる。
エルマーは呆れたような顔でため息を吐くと、頭を掻きながら一歩前にでた。
ミュクシルの金眼がエルマーを捉えた。その後ろのウィルを視界に入れると、それはもうものすごい跳躍で飛び上がる。
「ミュクシル、もう追いかけなくていい。」
ぎゃは、と笑い声にもにた鳴き声を出すと、ウィルを抱いていたナナシの目の前にドシンと降り立った。
「き、教官!」
「危なくねえから平気。」
恐ろしい容貌の黒い幽鬼が赤い舌を晒しながら3つの金眼でウィルを見た。ナナシがあろうことがミュクシルに差し出すようにウィルを抱き直すと、騎士団の面々は声なき悲鳴を上げた。
エルマーの言う事しか聞かず、捕まれば空中に放り投げるような乱暴な魔物である。幼子を差し出せば取って食われてしまうのではと思ったのだ。
「みーちゃ、しゅき!」
「え、」
ウィルが嬉しそうに両手を広げると、ミュクシルの顔にしがみつく。蟷螂のような折れ曲がった腕でその体を支えると、ミュクシルはウィルの顔をべろりと舐める。
ウルル、などと聞いたこともないような甘ったれた声で喉を鳴らすものだから、何が起きたのか理解が追いつかない。
ウィルがミュクシルに口付けた。エルマーはもう慣れているらしい、ギンイロがママのおともだちなら、ミュクシルはパパのお友達。ウィルの中のミュクシルは、消して怖いものではないのだ。
そしてなによりママの匂いがする。ミュクシルの体内の聖石がその理由なのだが、どちらにせよ大人が泣いて逃げたくなるような恐ろしい幽鬼に愛情を示すのだ、この幼児は規格外だ。間違いなく教官の子だと再認識した。
「したの子は嫁の能力受け継いでてなあ、魔物に愛されるんだあ」
「ウィル、ミュクシルくるしいかわいそうだから、お首じゃないとこに抱きつくしてください、」
「はぁい!」
ミュクシルの筋肉の盛り上がった部分を枕に、あやされるように腕の中に収まったウィルは、ふくふくと楽しそうにしながらミュクシルの口が大きく裂けたほっぺをツンツンとしている。
呆気にとられていたジルは、むりやり納得するように数度頷く。
「んでこっちがサディン。」
「サディンです、人間観察が好きです。」
「自分はジルといいます、あっちてのびてるのがキャスパー。」
ペコリとお辞儀を返してくれたサディンの整った顔立ちはエルマーに似ている。にこりと微笑まれどきまぎしたが、もしや色目を使われたのだろうか。ハニトラさせたらうまそうだなこの子、などと思ってしまう。
「ジル、お前体術苦手だろ。うちのサディンとやってみれば。」
「教官、それは…」
「俺は良いですよ。魔法は?」
「無属性強化術のみ使用可で。」
本当にやる気か?とジルが狼狽える。その姿にサディンの闘争心に火が灯った。
「じゃ、お互い恨みっこなしで。」
にこりと人懐っこくサディンが笑う。なんだかその余裕の笑みに少しだけ身を震わしたが、気のせいだろうと自己完結した。
思えば、あのとき本能が警鐘を鳴らしていたのに、気にしなかったせいでえらい目に合うのだが、この時のジルはまだ知らなかった。
辿々しい語りではあったが、その麗人は酷く整った容貌を愛らしく染め上げ、己の子供たちだろうか、10歳くらいの赤毛の少年と手をつなぎ、幼児を片腕で抱きながら兵舎の入口で困り果てていた。
獣人の番などもつ者は部隊のものに居ただろうか。
窓口の男は、ルナハンという。第一騎士団の新顔で、本日は持ち回りで行なう兵舎の管理事務所の業務を担当していた。
「しょ、少々お待ち下さい。」
ルナハンは頬を染めながら、少々上ずった声で答えた。なにしろ童貞で、貴族の三男坊である。
男を磨くためにと親のコネで城務めの騎士団になることができたが、最近は先輩方が次々と騎士をやめていくので、そろそろルナハンも第一騎士団のレギュラーメンバーに入れるのではないだろうかとわくわくしていた。
このつまらない兵舎の窓口業務は、第一騎士団に配属された下っ端の仕事である。まあ一番出会いも多い業務ではあるのだが、花形からは程遠い。
ルナハンは名簿をめくりながら、値踏みをするようにちらりと盗み見る。
きゅるりとした金色の目で、幼子が己を見つめていた。兄も、そして妹だろうか。揃って顔立ちが整っていた。しかし、なんとなく既視感のあるような気がして、ついにはまじまじと赤毛の少年を見つめる。
長いまつ毛に縁取られ、眠そうな二重できょとりと見返してくるのを見ていたら、なんだか無いはずの父性が湧く。
自分とこの人の間に子ができたら、どんな子になるのだろうなあなどと妄想していたから、そんな気分になったのだろう。
「旦那さんの名前を教えて下さい。」
「エルマー、です。」
なるほど旦那は平民らしい。白銀の髪が滑らかにその華奢な肩に流れる。白磁のほおに触れてみたいと思った。
こんな上等な麗人を嫁に持つなど、一体どのような徳を積めば良いのだろう。しかし、平民ならばルナハンも望みがある。貴族に娶られたいという市井のものは意外と多いのだ。それが子連れであっても何も問題はない。むしろ懐の深い男と見られるので、株も上がる。
しかしながら市井ではお目にかかれな位ほど美貌である。もしや白痴を理由に追い出されたか、はたまた没落貴族で路頭に迷ったか。
悩む素振りでその顔を見ると、困ったように瞳を揺らした。
「エルマーさん…名字がないなら平民の方ですか?平民の方なら我が部隊にはおりませんね…」
なにせ我が部隊は人が減ったが貴族ばかりで構成されている。もしや平民まじりなら第三騎士団だろうか。第一は貴族で構成され、魔物や敵国の襲撃に備える武闘派集団である。第二騎士団は主に大聖堂やら国の文化財などを守る修道騎士団であり、こちらも信心深い貴族出の物が多い。
第一と第二は共に遠征することも多く、第三騎士団は主に国の街門警備やら見回りで、新人がつく場合が多い。ここから引き抜かれるのを待っているものも多いので、大見得を切って嫁やら恋人に城務めの騎士だと言いふらしているものもいるらしい。
しかし、このように美しい嫁を娶る平民とは、一体誰のことだろう。騎士団に属するものは遠征が多く出会いも少ない。
連れ合いが居るだけで羨ましがられるのだが、こんな上等な麗人を横に侍らすことができたらさぞ鼻が高いだろう。
「える、でもここにいるって…」
「しかしですね、」
「ぱぱいないのう?」
「ウィル…もうちょっとまてて、ね?」
ウィルと呼ばれた幼児が、目に涙をためて男を見上げる。その目はいけない、言うことを聞いてあげたくなる。
しかし、ルナハンとて理由はどうであれ、この持ち場を離れるのもよろしくない。いくら丸腰でも、規則は規則だ。
故に、兵舎に入る者はたとえ娼婦でも手荷物検査は行わねばならない。であるからして、目の前の麗人にも勿論適用するルールだ。
ルナハンはコクリと喉を鳴らした。それを静かに赤毛の少年が目を細めて見つめていたなど知らずに。
「すみませんが、こちらに入るのに身体検査をさせて頂きます。」
「あ、うー‥、でも…」
「後ろめたいものでもお持ちですか?」
「…ないです」
ルナハンの笑顔の問いかけに、ぴくんと肩を揺らしたナナシが小さく呟く。
少し怯えたような顔が加虐心を煽る。ルナハンが詰め所の扉を開けて中に促そうとすると、歩みを進めようとするのを引き止めるようにして、赤毛の少年が手を引っ張った。
「まま、だめ」
「サディン?」
ふるふると首を振るサディンと呼ばれた息子を振り返る。ルナハンは少しだけ面倒くさそうな顔をした。
「困りましたねえ、確認をするようにと言われて、」
おります、とは続かなかった。
麗人に抱きつく赤毛の少年の金の瞳が、まるですべてを見据えるかのように、まっすぐにルナハンを見つめてきたのだ。
幼子の視線ではない。ルナハンはゴクリと喉を鳴らすと、ぎこちなく微笑んだその時だった。
「なんでおまえこんなとこいるんだあ?」
「ひゃ、」
後ろから腰を抱くように赤毛の指導教官が現れた。ルナハンは先輩方がこぞって文句を散らしてやめていった原因でもある眼の前の美丈夫を見上げると、はたと気がついた。
「える、」
「ぱぱ!」
「おー、マシュマロちゃん朝ぶりだなぁ。サディン、おまえまた拗ねてんのか?」
「拗ねてない。」
ちまこくなってまあ、と言いながらサディンと呼ばれた男の子の頭をわしわしと撫でる眼の前の人物を見て、ルナハンはようやく思い出したのである。
そうだ、そういえばこいつ、平民出のものだった!
驚愕とも取れる顔でわなわなしているルナハンを見ると、エルマーはサディンの不機嫌顔と見比べて何かを理解したらしい。
「ルナハン、これ俺の嫁。怪しいやつじゃねえから安心しな。お勤めご苦労さん、」
「はわ…」
がしりと腰を抱いて抱き寄せる様子に、ルナハンは冷や汗が止まらない。ニコニコと微笑んでいるくせに、目が笑っていないのだ。
「ナナシ、サディンいてもあぶねーから一人で来んなって言ったろ?ここは狼しかいねえんだからよ。」
「ぱぱ、さっきルナハンさん身体検査するっていってたよ。」
「ほーーーう。」
「ひえっ」
上ずった声で悲鳴を上げた。何故ならエルマーの大きな手が肩を鷲摑んだのだ。殺られるかもしれないという危機察知能力がルナハンの体を包み込む。
ぐい、と顔が近づいた。鼻先が触れそうな距離でまっすぐに見つめられると、その金色の瞳に青ざめた己の顔が映る。
「検査してたら口から背骨抜いてたぜ。」
「はひ…」
ぽそりと告げられた不穏過ぎる一言に、危うくルナハンは人としての尊厳を失うところであった。
赴任したてで、第一騎士団の殆どがやめたのは、指導が過酷すぎるからだとは聞いている。しかしながらルナハンはエルマーを見誤っていた。
赤毛の平民で、体つきもそこまでガチムチでもないのだ。だから恐らく参謀タイプだろうと思っていたのだ。後ろから指示を出すような、そんな男だろうと。しかし、この威圧感はマジである。
小さく震えるルナハンを、まるで褒めるようにぽんぽんと肩を叩くと、エルマーたち家族はナナシと呼ばれた麗人の腰を抱いたまま行ってしまった。
細い肩から顔を出した、ナナシと同じ色味のウィルという幼子がゆるゆると手を振るのを見て、振り返すのが精一杯であった。
「える、インベントリ忘れてたでしょう?」
「あ、わりい。」
演習場までなんだかんだでついてきてしまった。サディンはナナシと手を繋ぎながら、物珍しそうにきょろりとあたりを見回す。
エルマーはしゃがみ込むと、そのちまこくおさまったサディンの少年の体をがばりと抱きしめた。
「うわあっ!」
「サディン、お前が牽制してくれたんだろう?さすが俺の息子だあ。」
「う、うんっ、わ、き、きすはいらなっ、わー!!」
頬にぶちゅりと口づけられると、サディンは恥ずかしくて仕方がない。ナナシは微笑ましそうに見ているが、サディンだって今はこんなだがもう14歳だ。いい加減親にキスされて喜ぶ歳ではない。
「んだよ連れねえなあ。口にしてやってもいいぜ?」
「お母さんにされたい!」
「お母さんの唇は俺のもんだから駄目だあ。」
「んんんんーーー!!」
がしりと頭を抑えられてぶちゅりと口付けられた。信じられない。しかしエルマーはエルマーでウィルの唇にも口付けるし、ありのままの姿のサディンにまで口付ける。子供っぽく押し付けるような冗談じみたそれなのでまだ良いが、人目くらいは気にしてほしい。
「ぱぱ!うぃるも!うぃるもちゅーしてえ!」
「ぐあーかわい、ウィルからちゅーしてくれえ。」
「ちゅー!」
ゴシゴシとサディンが唇を拭っている頭上で、ウィルに口付けられてデレデレしている。ナナシは若干諦めにも似た呆れたような目でエルマーを見ているが、嗜めるつもりもないらしい。
何度もいうが人目位は気にしてほしい。ここは騎士団の演習場なのだから。
「き、教官?その方々とはどういう…」
勇気のあるものが一人、恐る恐る歩み出た。
軽装のその者が代表して聞きに来たらしい。彼の後ろには、団子のように固まって柱の陰からこちらを伺っている者たちがいた。
「嫁と息子。」
「けっ、結婚されてたんですか!?」
「夫がいつも、おせわになてます、」
ぺこりとお辞儀をする。この文言はアリシアが教えてくれた。奥さん言葉よといって覚えさせられたとき、エルマーが大いに興奮してその晩は寝かせてもらえなかったのは余談だが。
「奥さんめちゃ美人ですね!?てか子供の顔面偏差値どうなってんすかやば!?」
「うるせえうるせえ、ジル、てめえ走り込み終わったんだろうな?ミュクシルはどうした。」
「ミュクシルはいまキャスパー追いかけてます…ほら、」
物凄く情けない声を上げながら演習場を走り回っている褐色の男が、ミュクシルと共にこちらへと向かってくる。
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ミュクシルの金眼がエルマーを捉えた。その後ろのウィルを視界に入れると、それはもうものすごい跳躍で飛び上がる。
「ミュクシル、もう追いかけなくていい。」
ぎゃは、と笑い声にもにた鳴き声を出すと、ウィルを抱いていたナナシの目の前にドシンと降り立った。
「き、教官!」
「危なくねえから平気。」
恐ろしい容貌の黒い幽鬼が赤い舌を晒しながら3つの金眼でウィルを見た。ナナシがあろうことがミュクシルに差し出すようにウィルを抱き直すと、騎士団の面々は声なき悲鳴を上げた。
エルマーの言う事しか聞かず、捕まれば空中に放り投げるような乱暴な魔物である。幼子を差し出せば取って食われてしまうのではと思ったのだ。
「みーちゃ、しゅき!」
「え、」
ウィルが嬉しそうに両手を広げると、ミュクシルの顔にしがみつく。蟷螂のような折れ曲がった腕でその体を支えると、ミュクシルはウィルの顔をべろりと舐める。
ウルル、などと聞いたこともないような甘ったれた声で喉を鳴らすものだから、何が起きたのか理解が追いつかない。
ウィルがミュクシルに口付けた。エルマーはもう慣れているらしい、ギンイロがママのおともだちなら、ミュクシルはパパのお友達。ウィルの中のミュクシルは、消して怖いものではないのだ。
そしてなによりママの匂いがする。ミュクシルの体内の聖石がその理由なのだが、どちらにせよ大人が泣いて逃げたくなるような恐ろしい幽鬼に愛情を示すのだ、この幼児は規格外だ。間違いなく教官の子だと再認識した。
「したの子は嫁の能力受け継いでてなあ、魔物に愛されるんだあ」
「ウィル、ミュクシルくるしいかわいそうだから、お首じゃないとこに抱きつくしてください、」
「はぁい!」
ミュクシルの筋肉の盛り上がった部分を枕に、あやされるように腕の中に収まったウィルは、ふくふくと楽しそうにしながらミュクシルの口が大きく裂けたほっぺをツンツンとしている。
呆気にとられていたジルは、むりやり納得するように数度頷く。
「んでこっちがサディン。」
「サディンです、人間観察が好きです。」
「自分はジルといいます、あっちてのびてるのがキャスパー。」
ペコリとお辞儀を返してくれたサディンの整った顔立ちはエルマーに似ている。にこりと微笑まれどきまぎしたが、もしや色目を使われたのだろうか。ハニトラさせたらうまそうだなこの子、などと思ってしまう。
「ジル、お前体術苦手だろ。うちのサディンとやってみれば。」
「教官、それは…」
「俺は良いですよ。魔法は?」
「無属性強化術のみ使用可で。」
本当にやる気か?とジルが狼狽える。その姿にサディンの闘争心に火が灯った。
「じゃ、お互い恨みっこなしで。」
にこりと人懐っこくサディンが笑う。なんだかその余裕の笑みに少しだけ身を震わしたが、気のせいだろうと自己完結した。
思えば、あのとき本能が警鐘を鳴らしていたのに、気にしなかったせいでえらい目に合うのだが、この時のジルはまだ知らなかった。
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