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シュマギナール皇国陰謀編

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あの半地下でのやり取りでレイガンが感じたのは、エルマーという赤毛の男が実力もあり、狡猾で、そして巻き込まれ体質だということだ。
最後のそれは少し、指先に塩を押し付ける程の哀れさを感じはしたが、その左目に埋め込まれた金眼が本物かどうかを、レイガンも確かめる必要があった。
そして、もしそれが本物だと分かれば、守り通すという使命があった。
たとえそれが、どんなに腹が立つ皮肉屋で、顔と戦闘センスしか取り柄のない、心底の馬鹿だとしても。



「お前は馬鹿か。」
「今回ばかりは何も言えねえ。」

レイガンがエルマーによって許され、身支度を整える為に湯を借りて戻ってくる間に、どうやらこの目の前赤毛がやらかしたらしいということだけは理解した。
そして、レイガンの予想通り、その左目が龍の金眼だということも。

「ああ、やっちまったあ…まさか取れなくなるとは思わねえじゃん……」
「……これで俺もお前を守る腹をくくった。まったく、義眼を外してから試せと言えばよかったのか?」
「いや、俺もそのつもりだったんだけどよ……つい。」
「ついでやらかされたら、溜まったもんじゃないな。」

エルマーの左目は、見事な宝玉の瞳に変わっていた。そして、外そうとしたのだろう。左目の下瞼がかすかに赤くなっていた。

しかし、レイガンは驚いていた。長く魔力を宿さなかった龍眼が、息を吹き返すようにして輝き出したのだ。

通常、人間が持っている聖魔力だと、ここまで見事に輝かない。輝いたとしても、それは持続せずにすぐに収まってしまうのだ。その理由は簡単で、この眼を満たすほどの魔力を持たないからだ。
仮に注ぎ込めたとしても、人間が不眠不休で魔力を注ぎ続けてほんの数分程度だろう。
それがどういうわけか、龍眼の内側を満たした魔力が、確かに馴染んでいる。レイガンは紫の瞳でエルマーの左目をまじまじと見つめると、更に検分すべく、その手でエルマーの顔を固定するように押さえた。

「…なあ、見てえなら大人しくするから、顔押さえんのやめてくんねえか。」
「…すまん、あまりに見事なもので…。というか、この魔力は…」

まるで、本物のそれじゃないか。レイガンが眉間にシワを寄せながら、エルマーの顔を包み込んでいた手を離す。
それを待っていたかのように、エルマーの腕に絡み付いたのはナナシの腕だ。
ぎゅう、と己の胸に腕を抱き込むと、エルマーの肩口に顔を埋めるかのようにして、ちろりとレイガンを見上げる。
その表情は不服そうだ。どうやら嫉妬したらしい。

「やだあ……」
「あー……、大丈夫だ。まあ、こいつは俺らに手は出さねえっつー約束をした。」
「うう……、でも、やだあ……」

ぎゅう、とエルマーの腕を抱きしめながら、肩口の服をはぐりと噛む。泣きそうな顔でレイガンのことを見つめる青年は、年嵩の割には随分と幼い様子だった。そして、なによりもレイガンが驚いたのは、その瞳だ。

「金色、」
「うう、える、こわい……」
「おら、てめえの面がこええってよ。その眉間のシワどうにかしな。」
「……。」

エルマーの後ろに身を隠すようにして、ナナシがこちらを伺っていたのは知っていた。己の出した大蛇でダメージを食らったことから、怯えられるのも納得している。

それでも、怯えるナナシを己の紫の瞳に映したとき、レイガンはナナシの身の内を満たす魔力が、計り知れないことに気がついた。

「なんだ、君は……、その魔力は普通ではない……。」
「あ?」
「エルマー、お前は……、どこで彼と出会った……」

レイガンが、椅子を倒すようにして後退りする。突然の態度の変化に、エルマーは眉を寄せ、ナナシは戸惑ったようにエルマーの服を握りしめる手の力を強めた。

まるで断崖の縁に立つような動悸と冷や汗だ。震える手で己の瞳を隠すようにして顔を覆ったレイガンは、己の体を襲う、唐突な不調に押されるようにして壁に背をつくと、身を預けるようにずるずると座り込んだ。

「…エルマー、」
「なんだっていいだろ。…俺を守るなら、ナナシも守れ。俺の命はナナシのものだ。」

問い掛けの語気を僅かに強めたレイガンを前に、エルマーは守るようにしてナナシの腰を抱く。怯えた様子でこちらを見つめ返す。
レイガンは深呼吸をすると、胸元から仮面を取り出した。顔の上半分を覆うそれは、レイガンの見え過ぎる瞳の力を抑えることができる。邪魔くさいとつけてはいなかったが、たしかに今はそれが必要だった。

蛇を模した仮面を着ける。深呼吸をしてゆっくり顔をあげると、レイガンの瞳は漸く穏やかになってくれた。

「すまん、取り乱した。」
「いいよ、つかお前のそれは何なんだ。」
「これは、俺の一族が着けるものだ。まあ、初めて使ったがな。」
「また蛇かよ…ナナシがトラウマになったらどうすんだ。」

蛇の眼のようなその仮面をつけたレイガンが怖いのか、ナナシはエルマーの胸に顔を埋めた。
その華奢な体を抱き締めるようにして宥めながら、エルマーはレイガンを見つめ返した。その言葉尻に引っかかりを覚えたのだ。

「お前は魔力が見えるのか。」
「ああ、この紫の瞳にはな。といっても、この瞳を受け継ぐものは、俺で最後だが。」

レイガンはそっと仮面に触れた。紫の瞳は本質を見抜く力がある。その瞳を持つものは、水神信仰をし、蛇神を使役する。レイガンの一族の始まりがその神と番ったことから、稀に力を持つものが生まれるのだと言う。

「神と番った?」
「ああ、祖先は魔女だったという。その者はこの紫の瞳を神より与えられ、その地を収めた御使いの下に傅き手助けをされたと聞いている。」
「へえ、」

レイガンは、エルマーの体に顔をくっつけたまま、こちらを見ようともしないナナシへと向き直った。そのまま膝をつくと、ナナシよりも低い位置で申し訳無さそうに宣う。

「怖かっただろう。突然攻撃してしまってすまない。」
「……うん、」
「君は、……いや、止めておこう。エルマーと君を、俺に守らせてくれるか。」
「……こわいこと、もうない?」
「ああ、誓おう。もし破ったら、この紫眼を差し出すよ。」

エルマーは、レイガンの言葉に答えるように、おずおずと手を差し出したナナシに驚いた。恐ろしい目にあったのに、自分からレイガンに触れようとしたのだ。
戸惑ったような顔をしながら差し出された小さな手を、レイガンは両手で包み込むようにして応える。

「エルマー、これからの話をしよう。お前がその眼を覚醒させた今、悠長なことはしていられない。」
「ああ、ならサジにも言わねえと…」
「サジ?」
「仲間だ。俺とナナシ以外に、後二人連れがいる。」
「ああ、あの魔獣に跨った魔女か。」

エルマーはぺたりと左目に触れると、しばらく考えてから髪を下ろした。まったく、えらいことをしてしまった。そういえばインべントリの中に眼帯を入れておいた気がする。エルマーは探るようにインべントリの中を漁ると、それを取り出して久しぶりに身に着けた。

「ふわ、える…かこいい。」
「浮かれたガキみてえでださくね?すげえやなんだけど。」
「自己責任だろう、まあ、悪くはない。」

エルマーはレイガンをちらりと見ると、仮面よりかはまだ良いかなどと失礼なことを思う。
 久しぶりのそれに、なかなか肌が馴染んではくれない。エルマーは眼帯の縁をつまむ様にして心地の良い場所を探ると、改めてサジに来るように念じた。

繋がりを辿るように探ると、ぐんぐんとスピードを上げてこちらに向かってきている。どうやら遠出をしていたらしく、スピードからしてアロンダートに跨っているのは明白だ。
いつも通り突然現れればいいのにとも思ったが、アロンダートごとは無理らしい。

カタカタと窓が小刻みに揺れる。やがてガタンと強い風圧で軋んだかと思うと、しばらくしてナナシのベッドの真横の窓からサジが顔を出した。

「……サジの目が悪くなったのか。」

ラブラドライトの瞳が訝しげに歪む。サジはたっぷりと時間をかけてレイガンを見つめると、ぐっと眉を寄せて宣う。その背後で、アロンダートが己の転化を解いたらしい。サジの背後からひょこりと顔を出すと、気まずそうな顔で仮面を外したレイガンを前に、おや?という顔をした。

「なんだか妙な奴がいるな。誰だろう。」
「蛇を出した男だ。サジはわけがわからん。なんでお前がそこにいる。まさか、許したのかエルマー。」
「……まあ、説明すっからとにかく中に入れ、」

サジが棘のある口調で宣う。どうやらエルマーが思っていた以上にナナシのことを心配してくれていたらしい。サジに続いてアロンダートも室内に入ると、手にしていた籠の中からりんごを一つ取り出した。

「ナナシ、これをすりおろしてやろう。お腹が気持ち悪いのが、よくなるかもしれない。」
「ふぉ……、ありがと……」
「よい、お前はエルマーの大切だからな。早く元気になってくれないと、エルマーも本調子は出ないだろう。」

アロンダートの言葉に、ふにゃ、と笑う。ナナシはりんごを受け取ると、鼻を近づける様にして香りを楽しんだ。ご機嫌なナナシの頭を、サジが髪を梳くように撫でた。どうやら、未だ腹に据えかねているらしい。ブスくれた顔でレイガンを睨み付ける。

「サジはお前のことが嫌いだ。爬虫類臭くてかなわん。さっさとどこかへ消えてしまえ。」
「サジ、エルマーがする説明を聞いてからでもいいだろう。彼が懐に入れたのなら、性根は悪い奴ではないのかもしれない。」

レイガンはアロンダートをまじまじと見つめた。恐らく半魔であろう美丈夫が、この中では一番理性的なのだろうと認識したのだ。そして、アロンダートを前にしたレイガンは、その整った容貌を見て既知感を感じていた。

奇襲をかけた相手を前にしても、随分と堂々とした立ち振る舞いである。男らしく鍛えられた体躯もそうだろうが、何よりもアロンダートには培われたであろう気品があった。

「自己紹介をしよう。僕はアロンダート。サジが騎乗していた鳥の化け物兼皇国の元第二王子だ。」
「アロンダート…聞いたことがある。そうか、お前が…。」
「サジはサジだ。エルマーに使役されている。それ以上は言わぬ。」
「レイガンだ、……もう敵ではない。」

刺々しい反応は予想の範囲内ではあったが、こうも露骨に嫌われてしまうと、なかなかに応えるものがある。レイガンはサジの剣呑な視線に辟易としているのか、そっと己の目線を外した。

「……もう?」

レイガンの言葉に、サジが反応を返した。枯れ葉色の髪を揺らしてサジが歩み寄る。不遜な顔で見下すようにして顔を近づけると、その襟首をぐっと鷲掴んで引き寄せた。

「っ、」
「ほう、珍しい。水龍信仰の北の民か。」
「……近い。」

サジの接近に体を仰反らすようにして距離をとっていたレイガンは、その言葉に小さく反応を返した。手のひらで押し返す様にして、サジの体を己から離す。

「水龍信仰と呼ばれているのか。まあ、間違いではないが。知っているとは…」
「こう見えて、ハーフエルフでなあ。サジの里にお前たちの文献が残っていた。何でも、紫の眼で主を決めると。そうか、お前が今代の頭首か。」
「もう、仲間もいない。俺の代でこの血も絶えよう。」

レイガンの言葉に同情をするでもなく、サジはくふりと意地悪く笑った。どうして行き場を失ったものたちが、こうも集まってくるのだろう。言葉にはせずとも、そんな皮肉じみた笑みを浮かべてエルマーを横目に見やる。
本人は気にしていない様な顔をしているが、しっかりと睨み返された。どうやらエルマーも未だ機嫌は治っていないらしい。軽やかな足取りでアロンダートのもとに戻ると、くるんと振り向く。サジのローブの裾が、ふわりと広がった。

「エルマー、おまえ、本当に難儀な男だなあ。」
「なんか知ってんのか、サジ。」
「北の民の者は、聖者に傅く。その紫眼をもって主を支え、終の灯火となるもの。サジの知っている一文だ。もう消えたはずの北の大地の末裔だぞ。エルマー、今度はなにをやらかした。」
「消えた……?」

サジの言葉に、エルマーは眉を顰めた。国が消えた。とは一体なんだ。今出回っている地図には、最初から三つの国しか記されていなかった。想像するにも難しい。
戸惑うエルマーを前に、レイガンは懐から古びた羊皮紙を取り出した。そこに書かれていたのは、たしかに大陸のことを記した地図であったが、それはエルマーが知っているものではなかった。

「まて、ジルガスタントと皇国の間にあるのは、始まりの大地だろう。なんだ、これ……」
「北の民が住んでいた国だ。もっとも、名前がつけられる前に無くなった。だから、今の地図上に記載が無いんだ。」

そこに書かれていたのは、小さな町のようなものだった。皇国に城壁が築かれていないことから、恐らく国として独立してすぐのものだろう。丁寧に書かれた地図の中央には、大部分を占めるはずの始まりの大地が、四つの国に囲まれる様にして、こじんまりと存在していた。それは、今の規模の、おおよそ半分くらいの大きさである。

「見ればわかるだろう。始まりの大地は中央だ。厄災がこの大地を支配し、俺たちの国は沈んだ。」
「沈んだ、」
「飲み込まれた。今はもう、土の中だ。」

レイガンは、生き延びた北の民の末裔だという。
そっと国のあった場所に触れる。その横顔は、見たこともない故郷に思いを馳せているようだった。

「ジルガスタントからこの国に来ている者がいる。エルマー、まずは国に行く前にその人に会え。」
「なんだ、結局行くのか。潜入する手間が省けたなぁ。」
「…気楽な旅行ってわけにはいかなさそうだぁな。」

アロンダートにすりおろしてもらったりんごを、ちみちみと食べていたナナシが、気管に入ったのかケホケホとむせる。エルマーはその手から器をとると、宥めるように背中を撫でた。

「平気か、ほら無理すんな。」
「ぇほ、っ…」

ナナシの頭上に影が刺した。呼吸を整えたナナシが、涙目のままに見上げれば、レイガンがその紫色の瞳を向けていた。押し黙ったまま見つめるレイガンを前に、ナナシはキョトンとした顔で見上げる。
その瞳に戸惑いの色を滲ませたレイガンは、ゆっくりと向き直る様にしてエルマーに問いかけた。

「…エルマー、ナナシは女か。」
「…男だ。何なんだ、急に。」
「いや…、…なあ、お前たちはそういう関係なのか。」

レイガンが、ナナシの腹を見つめながら呟いた。エルマーは唐突な質問に眉を寄せはしたが、その声色に揶揄は含まれていなかった。
ただ端的に肯定を返しただけだ。しかし、その淡白な返事がレイガンの動揺を強めてしまう結果となった。

「これが、何なのかは俺にもわからないが、」

掠れた声で、レイガンは呟いた。その手のひらを、ナナシの薄い腹部に添えるようにして触れると、紫の瞳をくらりと揺らした。
魔力の流れを確かめるように目を瞑る。指先にまで神経を研ぎ澄ませると、己の検知を認めるかのように数度頷いた。

その張り詰めた空気の中、エルマーもナナシも、息をひそめる様にして言葉を待った。レイガンの紫の瞳が、ゆっくりと見開かれる。その宝石の輝きを放つ双眸にナナシを映すと、諭す様な口調で宣った。

「彼の腹の中で、二つの魔力が混じろうとしている。」
「魔力が、混じる?」
「お前の魔力が中にいる。おそらく、これは。」

レイガンの唇が、誰しもが予想しなかった言葉を紡ぐ。それは、サジもアロンダートもエルマーも、そしてなによりナナシ自身も、何を言われたのかを理解するのに脳が追いつかない言葉であった。

ーまるで、孕んでいるかのようだ。

レイガンの紫の瞳は、魔力の流れや本質を見ることができる。
その瞳が、真っ直ぐに射抜く様にして、ありえないものを捉えているのだ。

「は、」

エルマーの声が、ぽろりと零れた。それは、動揺を如実に表した声であった。

「ぅ…、」

ナナシの小さな声が漏れた。静かな室内の中、一呼吸すらも許されぬ、そんな緊張感が部屋に溶け込む。

男は孕まない。ナナシだって、それくらいなんとなくわかる。
まるで、自分が人間じゃないと言われているようだった。
ナナシの白い手が、どくどくと嫌な鼓動を走らせる心臓を、押さえつけるかのように襟元を握りしめる。
そうしなければ、手のかすかな震えを誤魔化すことが出来なかった。




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