名無しの龍は愛されたい。

始まりの大地編

65

エルマーがナナシを抱えたまま移動する。その癖スピードだけは早く、共に食料調達を買って出たサリバンとマルクスは、早くも息を上げていた。

「ま、まてって…おま、そんな…成人抱えてよく走れるな、ぉえっ、」
「はぁ、あ、も、もうむりだ…僕は休みたい。おいていかないで、一緒に休もう…」

どしゃりと情けなく崩れる二人を見て、エルマーは背負っていたナナシをそっと下ろすと、なんとも呆れたような目で振り向いた。

「三回目。」
「え？」
「てめえらが休憩つって駄々こねたの、これで三回目だあ。」

エルマーから降ろされたナナシはというと、ヘロヘロにくたばっている二人のもとに歩み寄る。あまりにもぐったりしている様子が、なんだか可哀想に思えたらしい。長い袖を押さえるように手を伸ばすと、二人の額に指先をちょんと触れさせる。

「つかれたの、なおしてあげるね」
「ナナシ、無駄な力使うな。ほら、戻ってこい。」
「はぁい。」

額に指先を当てられた二人はというと、じんわりと身体を包むような優しい治癒術を感じていた。
まったく、恐ろしいほどの実力を惜しげもなく晒すものである。
サリバンとマルクスは、嘘のように軽くなった体を地べたに投げ出したまま、太陽が輝くお空を見上げていた。早く昼飯調達しないとなあ。そんな事を思うのも、ナナシに回復されるのも三回目である。

「あー面倒くせえ、俺がちょっくら狩って来るから、おまえらそこにいろ。」
「だめだエルマー！！君、また逃げ出すとか言うだろう！？」
「やっぱそういうことか！飯調達ついてくるって言うの変だと思ったんだあ！てめえ、どんだけ疑り深いんだあ！」
「だああ、もうマルクスもエルマーも落ち着け！！んなでけえ声出したら獲物が逃げるだろう！！」

それは駄目だとバネのように飛び起きたマルクスの言葉に、エルマーが噛み付く。下心があったのは認めるが、エルマーがいなくなる可能性を懸念すれば当然の抗議である。
サリバンは今にも喧嘩をしそうな勢いの二人の間に慌てて入ると、助けを求める様にナナシを見る。
その視線を知ってか知らずか、ナナシは相変わらずマイペースにお花を積んでは、今日もにこにことご機嫌である。
微笑ましくて何よりなのだが、ここは魔物のはびこる森だ。一人離れて行くのも宜しくないし、この状況を丸投げできないのも大変によろしくない。
サリバンは渋い顔をすると、言い合う二人を放ってナナシの側に駆け寄った。
マイペースなナナシがそれ以上森の深くまで向かわないように止める為である。迷子になったと分かれば、エルマーから物理的に去勢される未来は、想像に容易い。

「おい、あんま奥行くな。恐い魔物がいっぱいいるぞ？」
「うー、でもこれ、たべれるくさだよう。」
「なに？おまえそう言うのわかるのか。」
「うん、ちょっとだけ」

そういうと、手に持っていた白い花の花弁をぴっと取ると、ぱくんと口に含む。
ナナシの無防備なそんな様子は、いけないものを見てしまったかのような、そんな心地になってくる。おそらく唇の隙間から見えた赤い舌がそう感じさせるのだろう。

「む…まえよりおいしくない…」

くちゃ、っとした顔で、ナナシは赤い舌にのせた花弁を見せつける。その唾液で濡れたひとひらを指先で摘むと、赤い舌と銀糸で繋がった。
サリバンが、魅せられるようにその様子を見つめる。そんな釘付けになってしまった視線を遮るように、ナナシの指先に摘まれたそれに、エルマーが食らいついた。

「ひゃ、」
「なあんでお前はこう無防備なんだ。おら、」
「あう、びっくりした…」

ナナシが口から出した花びらを、気にせずごくんと飲み込んだ。そんなエルマーに対して、サリバンはいろんな意味で突っ込みたかった。
いきなり人の指先に噛みつくなと言えばいいのか。それとも牽制がわりに睨むなと言えばいいのか。
サリバンは少し残念そうな、それでいてどこかホッとするような妙な気持ちになりながら、そんなエルマーの目線から逃げるように、ばりぼりと頭を掻いて誤魔化した。

「っと、みつけた。ナナシ、獲物。」
「はあい、んと…」

ガサガサと音をたて、茂みから顔を出したのは、以前ナナシが怯えて恥ずかしいことになってしまったボアの魔物だ。エルマーが指で居場所を差し示すと、ナナシはちろりとエルマーを見上げた後、少しだけ気恥ずかしそうにしながら手のひらをボアへと向けた。

「ごめんね、」

そう呟くと、ナナシはボアの体内の魔力の動きを鈍らせる。強制的に目眩を起こさせたのだ。
巨躯は地べたを揺らすようにして横倒しになった。ナナシは、倒れ込んだボアに近づくと、そっとその鼻先を撫でて、己の魔力を注ぎ込んだ。

純粋な聖の魔力がボアの体内に流れ込む。相反するそれに四肢を突っ張らせると、ボアはそのまま眠るように身を差し出した。その体を大切に食べるから許してくださいと意味を込めて、その獣らしい毛並みをそっと撫でた。きちんと出来たよ言うように立ちあがると、エルマーへと振り返る。

エルマーは頷いてくれたが、後ろの二人は絶句していた。まさかナナシにそんな力かあると思わなかったのだろう。
もじもじしながらエルマーのもとにナナシが戻る。褒めてくれるかなという期待で見上げると、その華奢な腰を男らしい腕で抱き寄せられた。

「天才。俺のナナシまじで天才だあ。おらてめえら血抜き。有り難く感謝しながら処理をしろ。」

相変わらずの物言いに、食料調達についてきた二人はげんなりとしつつも、腰に下げた短剣を取り出した。
仕留めたのはナナシだし、ナナシはエルマーの大切だし。自分たちはここまで何も働いていないしなあ。そんなことを思いながら、雑な扱いを受ける己等にしぶしぶ納得をする。
結構な大きさのボアの腹に、いざナイフを突き立てようとして、サリバンは思った。

「血抜きしてたら魔物が寄ってくんじゃねえかな？」
「あーーー‥」

たしかに。言われてみれば、血の匂いに誘われて他の魔物が来るに違いない。境界の川まではまだ遠い、しかし血抜きができる水場もない。ここに来て、飯を確保したら別の問題の発生だ。
エルマーは少し考えた結果、はたと思いついた。

「いるじゃねえか、適役。」
「は？」
「サジぃ！」

マルクスが興味津々にボアの顔を間近で見つめていると、エルマーがサジの名前を呼ぶ。
ここにきて突然叫ぶものだから、気狂い者を見るような目を向けてしまった。
それも無理はない。二人はエルマーとサジが繋がっていることを知らなかったのだ。

しゅるりとエルマーの足元の草が伸びたかと思うと、周りの木々がざわめく。
突然吹いた強い風に煽られるように、一陣の風がサリバンとマルクスの間を吹き抜けたときだった。

「おいふざけるな！せっかくの逢瀬の邪魔をするなど、エルマーでも許さぬ！」

葉を撒き散らすかのような旋風がその場に吹き荒れたかと思うと、プンプンとむすくれたサジが半裸で現れた。
サリバンもマルクスも、あられもない姿で怒っているサジに目を丸くする。
まさかエルマーがそんなカジュアルに召喚するとは思わなかったのだ。
そんなエルマーはというと、悪びれる様子もなく、ナナシが仕留めたボアの体を指差し、サジに言った。

「血抜き。」
「はああ！？まさかそのためだけにサジを呼んだのか！？まったく、便利屋ではないと言うに！！するけども！！」

するんだ…。蚊帳の外の二人は顔を赤らめながら、しっかりとサジの腰についた手の跡を目に収めながらそう思った。
サジはというと、そんな目で見られているとも気がつかぬまま、身嗜みを整える。そのまま地べたに膝をつくと、サジの白い手をぺたりと地面にくっつける。

「おいで、可愛い子。」

柔らかな声で囁いたその瞬間、サジの周りの空気が一気に変化した。蠢いた地面を敏感に察知すると、エルマーは慌てたようにナナシを担ぎ、二人が佇む方へと駆け足で向かってきた。
一体何が起きたのかと、サリバンもマルクスもキョトンとしている。しかし、エルマーが退いた場所の地面が大きくずれ込み、ずず、と引きずるような地鳴りがした瞬間、二人の目の前で突然ボアの体を緑色の蔦が覆った。その蔦の鋭い棘が埋め込れるようにボアへと絡みつくと、土を持ち上げるかのようにして、巨大な蕾が姿を現した。

「う、うわあああなにそれええええ！？」
「き、吸血花！？こ、こんなでけえのはじめてみた！！」
「ふふん、そうだろうそうだろう。」
「なんでお前が得意気なんだおい。」

マルクスとサリバンは、目を大きく見開くと、突然の巨大生物の登場に大騒ぎをするようにはしゃいだ。
二人の目の前に現れたのは、触手系の植物の魔物の中でも、テイムが最も難しいと言われている上位種である。それを。目の前の美貌の男があっさり繰り出し、そして自分の手足のように動かしてボアの血抜きをさせるのだ。そんな滅多にお目にかかれない状況で、はしゃぐなという方が難しい。

サジの繰り出した吸血花は、その口をグパリと開けると獲物に食らいついた。喉元にあたるであろう首元付近の茎が、ポンプのように動いている。ジュルジュルと吸い付く音がやけに生々しいが、己の腹を満たすかのようないい飲みっぷりに、二人同様目を輝かせるナナシを宥めながら、エルマーは若干引いたような目で状況を見つめていた。


「あれ、尻から出してた種じゃねえかなあ…」

サジの魔物の繁殖方法を知った上で憧れると思うのか。というのが本音である。サジの育成はかなりマニアックだ。己の匂い付けを行うぶん裏切ることもないのだから理にかなってはいるが。

「おはな！きれい…」
「ええ、あれが？うそだろ…」

白い百合のような花部分を、ボアの体にくっつけて血をすする度、その花弁に紫色の斑点が浮かぶ。親株である吸血花の根元で蠢く真っ赤で小さい花たちは、まるで栄養をもらっているかのように艶を良くし、ふわりとした芳しい香りを放っていた。

ぎゅぽ、と音をたて、その口を離した吸血花の足元では、ボアは吸われ尽くしたのかミイラのようになってい転がっている。これじゃあジャーキーだ。せめて吸血前に毛皮を剥げばよかったと思ったが、もう遅い。

ポイッと放り投げたボアの体が、サリバンとマルクスの間に落ちる。サジがシュルシュルと茎を波打たせて甘えてくる吸血花を撫でながら、実に満足そうに頷いた。

「よし！！」
「よし！！じゃねえ、これ完全にジャーキーじゃねえかあ！」
「実に食べやすくていいだろう。ほら、それもってさっさと帰るぞ。ジルバが言っていただろう、殿下がくると。」
「とんずら？」
「まてナナシ、お前とんずらなんて言葉どこで覚えてきた！？」

まさかのナナシの口から聞き慣れない粗野な言葉が出たことにも驚いたが、サジの言葉は最もで、食料調達をしに来たのもグレイシスの部隊と合流する為であったのだ。
エルマーは溜め息一つ、インべントリの中に干からびたボアだったものを突っ込むと、来た道を戻るべくサリバン達にも身体強化の術をかけてやった。

「エルマー！お前最初っから出来るならやってくれればよかっただろうに！！」
「うるせえ！帰りくらいは甘やかしてやるかってえ俺の優しさだあこんちくしょー！」

本音は行きの調子じゃ永遠に戻れないとエルマーが学習したからなのだが、恩を売っておいてもいいだろう。ナナシはきゅっとエルマーの手を握ると、片手にお花を持ちながらにこにことご機嫌で言った。

「ひさしぶりに、おうじさまあうね。まだぷんぷんかなあ…」
「あー、どうだろうなあ。まあジルバがいるから…いや、いたところで怒ってそうだな。」

なにせあの仏頂面である。泣き顔しか可愛くないなんてびっくりである。
それよりもエルマーは殺されないだろうかと思った。仕方のない状況だったとはいえ、第一王子であるグレイシスへやらかしたあれやそれがある。思い出したら、頭が痛くなってきたらしい。エルマーは疲れた顔をしたまま引き攣り笑みを浮かべると、行きよりも老けたような雰囲気を漂わせるのであった。











「貴様は余、直々に処してやろうと決めていた…！！！」
「どわっ…！」

合流は、実にスムーズに行うことができた。そして、グレイシスの怒りもエルマーの予想通り、実に鮮やかな空を切る剣捌きと共に、エルマーへと向けられた。グレイシスは、エルマーを見るやいなやじわじわと顔を赤らめたかと思うと、一息にその距離を詰めてレイピアで突いてきた。
ヒュン、と音がしてエルマーの赤い毛先が数本切られたかと思うと、踏み込み素早く、貫通特化の鋭い武器の切っ先が襲い来る。エルマーの身体能力が良いからこそ避けられたが、到着後いの一番に襲いかかってきたのは頂けない。

「ばかやろー！んな尖ったもん人に向けてんじゃねえ！！」
「何を言う。刺さればいいと思っているのだ！避けていたら仕留められぬだろうが！」
「仕留められたくねンだけどナナシぃ！！」
「はあい！」

グレイシスの一突きを、エルマーは体勢を低くして避ける。目潰し代わりに飛ばした砂利も難なく避けられ、グレイシスの翡翠の瞳が光の軌跡を描いた。
手の中で素早く持ち替えたレイピアが、エルマーの脳天を的確に狙った、その瞬間であった。

「く、っ」

ガツンとその刀身が撓むほどの衝撃が、グレイシスの手首から肘にかけて走る。びりびりとした痺れに眉間にシワを寄せながら、不可視の壁をレイピアを通して感じ取っていた。

まるで水面を優しく突いたかのように波紋を広げながら、グレイシスの一突きを見事に止めたのはナナシの結界だ。
金眼を光らせながら、手のひらを差し出すように顔の前で翳したナナシは、エルマーの指示を正しく理解していた。

「小癪な、男なら盾など使わずに正々堂々と挑めば良い！」
「不意打ちしてきたてめえが正々堂々とかいってんなクソガキ。」

よいしょと立ち上がったエルマーが、グレイシスを見下ろす。悔しいことにエルマーよりも身長が低いのだ。闘争心だけは人一倍あるグレイシスは、その胸ぐらを掴もうとした手を、現れたジルバによって止められた。

「やめろ、馬鹿が感染る。」
「ああ！？んだてめえ開口一番に人のこと蔑みやがってやんのかコラァ！！」
「える、えるだめ！なかよくするっておふろでいった！」

今にも噛みつこうとするエルマーに、抱きつくようにしてナナシが仲裁に入る。その顔は、約束は守れと言わんばかりであり、エルマーは己の腰に抱きつく暖かな体温に絆されるように、渋々苛立ちを収める。
そんな中グレイシスはというと、まじまじとナナシを見つめていた。己の知っている姿と随分異なっているので、ついその顔が訝しげになってしまった。しかし、相変わらずの眠たげな口調は変わらないらしい。幼いナナシの雰囲気が残る顔を前に、驚愕のあまり目を見開いた。

「なんと、成長期…か？」
「そんなわけあるかァ！」

真顔でそんなことを言うものだから、エルマーは思わず突っ込んだし、ナナシはモジモジとする。普段怖いと言われているグレイシスの、珍しい年頃相応の驚愕を前に、どうやら照れたらしい。
そんなに驚かれると、ナナシはどうしていいかわからない。心根は容貌を変えても変わらないままなので、翡翠の瞳を大きく見開いたままのグレイシスの手を握ると、にへらと笑った。

「ナナシ、おっきくなったけど、おうじさまのがおっきいねえ」
「……お前はなんでこんなやつの隣りにいるのだ。」

向かい合わせになってもなお、グレイシスの方が背が高い。それを羨ましそうにしながらはにかみ笑うナナシを前に、己の周りに背の高いものしかいなかったグレイシスは、心の柔らかい部分を容赦なく抉られた。
顔には出さないが、なんとも形容しがたい庇護欲のような何かが、身の内から湧き上がってきたのだ。

「んとね、…えるのそばがうれしいから」
「………そうか。」

ナナシの言葉に、なんだかこちらが照れてしまう。純粋な心を持つ者の、なんの衒いもない言葉というのは時に鋭い。エルマーは愛しいものを見る目でナナシを見つめると、男らしく節張った手でナナシの頭を撫でる。

「悪いけどこういうことだから。俺を粛清すんのやめてくんねえ？」
「善処する。」
「善処かあ…」

三人のフルスロットルなやりとりを目の前で眺めていたサリバンとマルクスは、呆れたような表情で考えることを放棄した。
サジはというと、己の隣に舞い降りてきた獣化したままのアロンダートを迎え入れると、その毛並みを手ぐしで整えながら、やってられぬと嫌味混じりに舌打ちをした。