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始まりの大地編

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頬に当たる風が、少しだけ肌寒い。
ナナシは長くなった髪を真横に流すように両手でお押さえて、くちゃっとした顔をしていた。

「まったく、理解し難い!!なんで魔力を取り込んだだけでそうなるのだ!!詳しく聞かせろバカモノ!!」
「ナナシ、ちからほしくてませきのんだの。そしたらおっきくなっちゃったよう。」
「お前、口調はかわらんのか。なんか馬鹿っぽいぞ!」
「サジばかっていう!ばかっていうのわるいこ!!」
「気の抜けた喋り方で怒るな馬鹿もの!!」

ギンイロに跨ったまま、滑るようにして空を駆ける。ちらりと振り向いた城は、異変を察知したのか、俄に騒がしい。このままでは、ナナシ達が抜け出したことがバレるのも時間の問題な気がした。
驚くことに、途方も無い時間を棺の中で過ごしていたと思っていたのだが、現実はほんの数十分程度だったらしい。ゾーイは棺を出すと相手が堕ちるまで動けないらしく、ナナシが飛び出してきた瞬間、真っ先に行ったのは自分の前にメーディアを出すことだった。

ゾーイは母親と妹を混ぜたと言っていた。しかし実際は幽鬼になりかけた母親を手にかけた時点で、腹の妹の魂は消えていたのだ。メーディアの体の中身は骨と皮のみ。ゾーイ自身がそのことを理解していたかは定かではないが、肉親の体を媒介にしたゴーレムを作り出したその技術の背景は、きっと彼自身の家族への歪んだ愛情からだろう。彼のその禁忌とも呼べる術の異端さから、死霊術師と呼ばれるようになったのだ。

「こわかった。かなしいおもいがたくさんつまってた。きっと、ゆっくりねむりたかったんだよう。」
「死人に口は無い。あいつの家族は歪んだ愛情の犠牲になったのだ。まあ、きっと向こうで一緒になれるように祈ってやればいいさ。サジは祈らんがな。」
「サジ、とらうまへいき?あくむ、こわかった?」
「ああ、お陰様で初心に帰れた。今は悪くない気分である。」

人に馬鹿にされないように、ハッタリをかませるように。そう思いながら生きていくうちに身についた口調は、簡単には戻らない。
サジは、遠慮することをやめたのだ。一度の人生、相手のことよりも自分を優先していきたい。だってサジは、遠慮して悲しい目に遭いたくないからだ。

「ツイタ」

ト、っと軽い音を立てて霊廟の屋根の上にギンイロが降り立った。ナナシがひょこりと顔を出して下を見ると、なるほど、どうやら警備がしっかりと配備されているらしい。霊廟の正面には衛兵が目を光らせ、入り口を守っていた。

「サジ、いりぐちにひとがいるよう。」
「なんの。また眠らせればよいだろう。」
「うーんと、ならナナシがやってもいい?」
「できるのか?」
「たぶん。」

ナナシはよいしょっと屋根の縁ぎりぎりに正座すると、丁度衛兵の真上の辺りに己の手のひらが被さるように手を差出した。
そのまま、少しばかし逡巡した。どうしたら傷をつけずに眠らせられるかと思ったのだ。そうして、ようやく己の考えを纏めたらしい。エルマーがいつもやっている真似をするかと意気込むと、相手の魔力の流れを遅らせるように術をコントロールしつつ、もう片方の翳した手からは、雪のように見立てた高濃度の魔力の粒子をゆっくりと降らせる。
粉雪のように、舞い落ちてきた光る粒子を浴びた衛兵はというと、酩酊状態のようにふらふらとその身を揺らめかせた後、どさりとその場に崩れた。

「できた。」
「おまえ、サジよりえぐいな…。」
「あう…ほめらりた。」
「り、ではない!れ、だ!それに褒めてなどいない!」

照れるナナシの頭を、サジがスパンと叩く。見た目は青年になっても、中身はやはりナナシのままだった。
ただ、サジは先程から少しだけ気になっていたことがあった。それは、棺から飛び出してきたままの、ナナシの痩せた姿だ。
トラウマが余程のものだったのだろうか、その顔は少しだけ頬の肉が削がれ、全体的に更に薄くなったような気さえした。

「ナナシ、マリョク」
「ギンイロ、おなかすいた?」
「ガンバタ!カラ、ゴホウビクレル?」

先程放ったナナシの魔力に引き寄せられたらしい、尻尾を振ったギンイロがいそいそと甘えてくる。ナナシがそっとギンイロの鼻先に口付け魔力を譲渡すると、その毛並みがぐんと艶めいた。

「オオオ、コイ。シミワタル、スキスキ!」
「しみわたる…」

ギンイロの語彙力よりもナナシの語彙力の方が少ない。しみわたるってなんだろう。聞き慣れない言葉を前に、妙な顔をしたナナシの首根っこをサジが掴むと、よいしょと立ち上がった。

「ほら、早くアロンダートのとこに行くぞ。墓荒らししたらトンズラだ。」
「とんずら、はあい。」

ご機嫌なギンイロに掴まって下まで降りると、ナナシたちは堂々と正面を突っ切って霊廟の中に入っていく。中は静謐な雰囲気が場の空気を支配しており、柱の所々に浄化の陣が彫り込まれていた。決して魔物を通さない様にと、少しでも魔障を感知したらその建物全体が高度な結界で覆われるようになっている。
サジたちは、靴音を響かせながら通路を歩く。目的地であるアロンダートの眠る部屋に辿り着くと、重厚な扉をゆっくりと押し開いた。

「迎えに来た。よいしょっと、」

サジが白い棺の蓋に手を這わせる。その表面にじんわりと己の魔力を流し込めば、棺の縁に仕込んでおいた種が芽吹き、むくむくと成長した。ぐん、と伸びた蔓が棺と蓋の間に隙間を作る。サジはすかさずそこに手を突っ込むと、力づくでその蓋をずらした。
空間固定が行われた棺の中。白い百合に囲まれるようにして眠っている、呼吸を止めたままのアロンダートの頬をそっと撫でる。サジはインベントリから小瓶を取り出すと、そのコルクの蓋を歯で引き抜いた。
頬に触れた手が、アロンダートの口端に指を引っ掛ける。そのまま無理くりにこじ開けるようにして口を開かせると、その隙間からトロリとした薬を流し込んだ。

「すぐ目覚める。んだが、」
「うん?」
「これ、信じられんくらい不味いのである。」

てっきり口移しするのかと思っていたナナシは、一歩下がったサジに続くように横に並んだ。なんとなくだが、そうした方がいいのかなあと思ったのだ。ギンイロだけはフンフンと鼻を引くつかせて、棺の中を覗き込んでいる。その湿った鼻先が、アロンダートの額に触れたその時だった。

「ーーーーーーーっ!!!」
「キャイン!!」

情けないギンイロの悲鳴が、静かな霊廟の中に響き渡った。勢いよく、声にならない悲鳴をあげて起き上がったアロンダートが、その鼻先に激突をしたのだ。
まるで弾かれたように起き上がったアロンダートの体が、再びゆっくりと棺の中へ戻って行く。ギンイロはというと、体格に似合わない可愛らしい声を上げてナナシの後ろに頭を抱えて、怯えるように蹲った。

「……!!っ、………!!!」
「うんうん、効果覿面でなによりだなあ。アロンダート、起きたなら返事をしろ。」
「…………………なんだ、この…ドブみたいな味…」
「お前の目覚め薬みたいなものだ。ドブを飲んだことがあるのか?」
「ないが、……くそまずいな。」

呑気な声と共に近づくいてきたサジを、アロンダートは口を押さえながら恨めしげに見やる。
こんなにもこの世のえぐ味を寄せ集めて作ったかのような酷い味の薬だと知っていれば、仮死薬なんて飲まなかったのに。
後悔先に立たず。やはり先人の経験談である格言は説得力がある。
アロンダートは若干涙目になりながら棺をどけて起き上がる。その額はギンイロとぶつかったときにできたのか、赤いたんこぶが出来ていた。

「アロンダート、おでこかわいそ。」
「む、」

ナナシの手のひらが、ペタリとアロンダートの額に触れる。じんわりと暖かくなった後、額の痛みはあっさりと消えていった。
その効力に驚きつつも、アロンダートは己の目を疑うようにナナシへと視線を向けた。

「…………君は、ナナシか?」
「はあい。」
「…僕は、一体何年寝ていた…」
「三日だなあ。うむ、寝呆けていないで早く立ち上がれ。」

アロンダートは、ナナシのあまりの変貌ぶりに暫く思考を止めていたのだが、この眠たげな喋り方はナナシしかいないと納得した。おっとりしている性格はどうやら変わってはいないようで、薄灰の髪も相まって、随分と神秘的な印象になった。
エルマーがみたら卒倒しそうだなあと思ったが、まあいい、今はそれどころではないのだ。

「今彼は戦地か。」
「そうだなあ、まあ大丈夫だとは思うが、行ってやったほうが良いだろう。」
「トッドは?」
「城下におりて、戦火がこちらに来ないようにと見張っている。まったく、お前の部下は何人城下に身を潜めているのだ。」

サジが呆れ気味に言うのには理由があった。第二王子お抱えの部下たちが、トッドの指揮の元、細やかな状況を報告してくれていたのだ。
アロンダートは満足そうに笑うと、起き上がって身なりを整える。棺から抜け出すと、その腕でサジの腰を引き寄せた。己が離れていた間の隙間を埋めるかのように華奢な体を抱き込むと、その枯葉色に指を通す。

「サジ、寂しくはなかったか。」
「戯け者、全然へっちゃらだったわ!」

ぼ、と顔を赤らめながら、サジが悪態をつく。その癖、しっかりとアロンダートの背に腕を回しているあたり説得力がない。
ナナシはなんだかそれが羨ましくて、ぎゅっとギンイロに抱きついた。ナナシも早くエルマーに会いたい。でも、エルマーからはサジと待っていろと言われていた気もする。
アロンダートが起きた今、三人とギンイロを連れての行動になるので大丈夫だとは思うが、また勝手に動いてエルマーに迷惑を掛けるのだけは嫌だった。

「あう、どうしよう。える、まっててっていってたよう。」
「おい、いつまでお前はいい子ちゃんでいるつもりだ。会いたいなら会いに行けばいいだろう。」
「うう、でも…」
「ナナシ、僕もいる。大丈夫だろう。それに、彼もきっと気が気ではないはずだ。」

サジとアロンダートの言葉に、ナナシの唇はモニョリと動いた。
そうかな、そうだといいな。
ナナシは何かを堪えるように、ぎゅっと抱きついていたギンイロをちろりと見つめる。己の相棒も、その背中を押すように緑の目をきょろりと向けると、笑うように口元を吊り上げ、ハカハカとした息遣いで返事をした。

「えるのとこ、いきたい。」

控えめな、それでいて、少しだけおねだりをするような声色で呟いた。
ナナシは愚図だから、何も出来ないかもしれない。それでも、エルマーの隣に行きたいと思うのはエゴだろうか。
側で体温を感じたい、我儘だと言われても、ナナシの寂しさを満たしてくれるのは、やっぱりエルマーの腕の中しかなのだから。











エルマーは疲れ果てていた。その体は刈り取った獲物の返り血でところどころ汚れており、自慢の赤毛の心なしかヘタレていた。
ガシャン、と音を立てて大鎌を地べたに置く。そのままうつ伏せになるように倒れ込むと、ゴロリと仰向けに体勢を変えて、空を仰いだ。
大方の道は切り開けた筈だ。途中でわけのわからない魔女に絡まれて足止めを食らったが、ここまでやればもういいだろう。

「あーーー‥、」

なんだか偉く頑張ってしまった。疲れ切った声は間伸びして、溜め息混じりに空に溶ける。道中、グレイシスの部隊のものと鉢合わせたのだが、エルマーの格好が余りも血みどろすぎて、悲鳴を上げられた。
討伐中、魔女によってけしかけられた大量の食肉植物型の魔物に冷や汗をかくハメになったが、途中から無心で草刈りのようにバスバスと処理していった。
奇襲をかける手口の陰湿さから、てっきりサジのまわしもんかと思ってしまった。それくらい植物の魔物を上手く扱う奴だったのだ。

結局蓋を開けてみれば、魔女が持っていた食肉植物の魔物の雌しべの花粉を、風魔法でエルマーの周りに滞留させていただけだった。おかげさまでそれに反応した雄しべをもつ食肉植物の魔物が大ハッスルして襲いかかってきたというのが真実だが、メス認定されたのが腹持ちならなくてエルマーも大いにハッスルしてしまった。

しかし次襲ってくるなら、腹を満たした魔物だけはけしかけてくれるなと願いたい。

「球根に他人のモツ蓄えたまま襲いかかるのは無しだろ…。」

鎌を振りかざして処理をした瞬間、けしかけた魔女と共に女のような悲鳴を上げたのは記憶に新しい。エルマーの鎌が命中し、見事に中身が弾けて散らばったのだ。それはもう花火のように真っ赤なナニが。

お陰様でこれである。エルマーは寝転がった草原を他人の血で汚しながら、未だ地べたに身を投げ出したままである。
熟成された口にするのも悍ましいアレソレの悪臭に、嘔吐したばかりだったので疲れてもいたのだ。

雨、降ってくんねえかな。

今の専らの願いはそれであった。
しかしそろそろ夜だ。テントを張るのも面倒くさいし、夜営所にいくのもなあと思っていた。
このまま朝を迎えるのも嫌だ。やる気の出し方を忘れてしまったかのように不貞腐れていたその時、エルマーの足の間から影が生えた。

「…人の股から顔出す趣味があるとは思わんかった。」
「そんな趣味などない。随分汚れているな、ここで何をしている。」
「いやそれこっちのセリフだあ。お前は?王子さんとこいなくていいんか。」

エルマーは足の間から姿を現したジルバに渋い顔をすると、腹筋を使って身を起こした。
足の間で胸糞悪い顔がにやついているのが嫌だったのもある。ジルバはそのまま体を引き抜くようにして立ち上がると、服の埃を払うかのようなそぶりで身だしなみを整える。そんな様子が、エルマーとしてはいちいち鼻につく。

「嫁御は一人で立てるからな。お陰で俺の外出も許してくれる。」
「へーへー、ったく若妻にはしゃいでんなあ。せっかくだ、そっちの出来のいい部下と俺んとこの馬鹿を交換してくれや。」
「何を言う。お前は相変わらずスタンドプレーだろうが。行きがけに覗いたが、お前のサポートする部隊のもやし男が、足を怪我して動けなくなっていたぞ。」

ジルバの言葉に、エルマーはがくりと肩を落とした。その様子は、なんであそこまで露払いをさせておいて、怪我ができるのだと言わんばかりの苦い顔だ。
もういやだ。再び脱力をしたようにエルマーがその身を投げ出すと、余程反応が愉快だったらしい。ジルバはくつくつと肩を揺らして笑う。

「お前が露払いをした魔物にやられたわけではないぞ。単純に草木に足を取られただけだ。喚いていて、実に面白かった。」
「やめろ言うな、悲しくなってくる。」
「まあ、不自然に結ばれた草木だからなあ、お前が払った魔女以外に、混じっているのかもしれん。」
「下っ端だろ、お前の仕事だろうが。」
「あいにくついでに処理してくれた働き者がいたおかげで、こちらは随分と楽をさせてもらっている。」

ニヤリと笑ったジルバを会えに、やっぱりこっちが貧乏くじじゃねえかと、エルマーが悪態をついて、空を仰ぐ。
見上げた夜空が嫌味なくらい綺麗だ。全然慰められはしないが。
なんだかわからんが、ジルバはやけにご機嫌だった。余程嫁御とやらの具合が良かったのかと無粋なことを考えたが、それはそれで聞くのが嫌な気がする。
そんなことをエルマーが思っているとはついも知らぬ。ジルバはモノクルを光らせると、その灰の二つ眼でエルマーを見据えた。

「ふふ、万事恙無く上手く行った。俺の放った兄弟達が仕事をしてくれたようでな。今頃城は大騒ぎだろうよ。」
「…ナナシ達もパニックに巻き込むつもりか?」
「いや?もう奴らは奴らの仕事を終えて此方へと向かっている。すべての犯人は、城に招かれた魔女の仕業と言うことさ。」
「濡衣被せたのか。おーおー、やっぱ性格わりぃのな。」

引きつり笑みを浮かべたエルマーは、詰めていた息を細く吐き出した。己の大切が巻き込まれたのは許せないが、此方に向かっているとなれば無事なのであろうと、溜飲を下げたのだ。

「何をホッとしているエルマー。お前は迎えに行け。あいつら、お前があの団体を引率していると思っているぞ。」
「げっ、」

そういえばそうだった。あの馬鹿どもの集いに突然サジ達が現れても、パニックを起こすだろうことは目に見えている。エルマーは慌てて立ち上がると、即座にサジの気配を辿った。やばい、ぐんぐんと近づいてきている。これは急いだほうが良さそうだ。

「ジルバ!」

切羽詰まった顔で、エルマーが振り向く。その真剣な表情に、ジルバも少しだけ身構えるように反応を返した。

「なんだ。」
「俺に清潔魔法かけてくれ。」
「………。」

血まみれの姿を前に、ジルバはヒクリと目元を跳ねさせた。迎えに行くにしても、やっぱり好きな子の前では格好つけたいエルマーなのであった。



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