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シュマギナール皇国編
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「ジルガスタントから領土を取り返す。グレイシス、お前にはその先陣を切ってもらいたい。」
事後、寝具の上でその白い体を投げ出したグレイシスは、父王の言葉を聞いて、小さく息を呑んだ。
尻のあわいから、とろとろと白濁を零しながら、散々に弄ばれたその体をいやらしく手慰みに撫でる父王の言葉が、グレイシスには信じられなかったのだ。
「たみ、が…」
「なんだ、グレイシス。民の心配をしておるのか。お前は優しい子だね。」
「戦火は、…いけません、多くの民が悲しみます。せっかく…、ここまで立て直したのに…あ、っ」
茂みに手を這わせ、成人の割に小ぶりな性器を翫ぶ。ふにふにと揉みしだきながら、時折皮を伸ばすようにして刺激をした。
「い、いけませぬ…もう、あ、あ、」
「グレイシス、安心しなさい。今回は巻き込まないよ。おびき寄せるのだ、あの呪われた大地に。」
父王の目尻のシワが深く刻み込まれる。筆でひいたような細い目を緩ませて、茂みから薄い筋肉のついた腹を辿るように撫で上げていく。
この人は、城が民を守っていると思っている。
本当は、皇国に住む人々の努力が国を立て直したのに、それを知ろうともせずにこうして玉座を汚すのだ。
細い首筋が晒される。この端ない体は、十年の月日で簡単に快楽を得るように育てられてしまっていた。
女のように体を扱われることを、こんなに嫌悪をしているのに。まるで頭にもやがかかったかのように、流される。
助けてほしかった。本当はアロンダートに、自分のことを助けてほしかったのだ。
「互いに知ろうともしなかった、から」
消え入りそうな声で呟いた言葉に、哀感が色濃く混ざる。
お互いを遠ざけた。そのきっかけを作った自分が、不遇の扱いを受けた弟に許しを請うのは間違っている。
失ってから気が付いた、独りよがりの寂しい愛だ、本当に、笑えるほどに情けない。
「なにか言ったかい、グレイシス」
「いえ…、…はぁ…っ、」
そのすえた臭いのする口が、胸の飾りを口に含む。まるで女のようにふくりと育ってしまったそこを、王は気に入っていた。
こんなにはしたない体で、皇后はグレイシスに女を抱けという。
女よりも余程感じやすいだろうこの身体で。
静かな室内に、濡れた音と荒い息遣いが混じる。神経をざわめかせるような嫌悪感を飲み込みながら、グレイシスはきつく目を瞑った。
「気持ちが良いかグレイシス、ほうら、もっといじってや、」
ふつりと父王の声が途切れた。
ベッドの上、なすがままにくたりと体を投げ出していたグレイシスは、唐突な変化に訝しげに顔をあげた。己の胸元では、父王が微笑みながら突起を齧ろうとしている状態で動きを止めていた。
「…え、」
まるで、そこだけ時間が止まっているかのようだった。
グレイシスはそっと体を起こすと、慎重に父王の下から上半身を抜き出した。
動きを止めたままの父王へと視線を走らせれば、ある筈の影が消えている事に気が付いた。
グレイシスの警戒心は、一気に高まった。その手のひらを父王の顔の前で翳すと、やはりなんの反応も示さない。
うつろな目で微笑んだまま、微動だにしない姿の異様さに、ごくりと喉が鳴る。
おかしい。
警備は厳重な筈だった。一体何が起きたのかはわからない。しかし、闖入者の気配もない。もしかしたら、時間差で発動するものだろうか。
影を奪われ、動きを止めた無防備な父王を前に、グレイシスは静かに動揺した。震える唇を隠すようにして手で覆う。人を呼ぼうか、その僅かな逡巡が隙きとなった。
「ーーーーーーっ!!」
「シー‥、シー‥」
「っ、…!」
突然、グレイシスの背後の壁から素早く伸びた黒い腕が、その華奢な身を拘束する。
黒い手に口を塞がれ、片腕は腹を抱えるようにして身を抱き込まれた。
「そう、大人しくしていろ。なあに、捕って食ったりはしないさ。」
気配なくあらわれた訳のわからない闖入者に動きを封じられ、グレイシスの身は緊張で強張った。心臓が忙しなく胸の内側で暴れるのを感じる。
息を呑み、声を失ったグレイシスの様子に、闖入者は満足そうに笑った。影のようなもので宥めるかのように首筋を撫でると、耳朶に唇を寄せる。
「…っ、…、」
心臓から伝わった鼓動が、指先すらも震わせる。闖入者が何者かを確かめるかのように、翡翠の瞳が腕の先を追うように視線を滑らせた、その時だった。
「良い子。」
喉奥を震わせるように、闖入者の男が笑う。
抵抗する素振りも見せぬグレイシスに、なるほど冷静さは残っているのかと感心したのだ。
端的に褒めたその声色は複音で、まるで愛撫をするかのように耳朶を擽った。
黒い手が、ゆっくりと胸元を撫でる。依然片腕は首筋に触れたままだ。抵抗をすればどうなるか、相手へ思考の余地を残すかのような振る舞いに、主導権は明け渡す気がないのだと理解する。
不意に、カサリ、と何かが擦れるような音が聞こえた。グレイシスは、震える手をゆっくりとベッドシーツの上に置いた。わかりやすい無抵抗の意思表示だ。
「そうだ、それでいい。」
満足そうに囁く男の声が、徐々に明瞭になっていく。
グレイシスの心音を吸収するかのように、その胸の上に黒い手が置かれると、肺を膨らませるようにゆっくりと深呼吸をした。
「お前は、」
「質問は許していない。しかしそうだな、うむ、告げてやろう。」
「………、」
勇気を出した一言を一蹴される。思いの外柔らかく嗜められはしたものの、気まぐれだろうか。男はゆったりとした口調で宣った。
「父王は愚かだ。本質を見ていない。己のプライドと国宝を天秤にかけるような男だしなあ。時を待たずして、崩御するだろう。」
「国宝…、まさか、」
「おや。実父の死に関しては興味はないと。」
クツクツと、喉奥で愉快そうに笑う。グレイシスの唇をそっと指先で触れると、まるでその輪郭を確かめるかのようにして、その美しい顔に手のひらを辿らせた。
「もう随分と古い話だ。文献にも残っているかどうか。」
「それは、ヒントか…っ、」
「質問は、許していない。」
ぐに、と胸の突起を強く摘まれて肩を跳ねさせる。クスクス笑いながら、グレイシスの項に舌が這わされた。
ひくんと揺れる肩に口付けると、がじがじと甘噛みをしながらきつく抱きしめられる。
後ろから体温を分け合うように身を寄せる謎の男の素肌は、弟と同じ褐色だった。
アロンダート…、グレイシスはアロンダートに抱かれているような錯覚に陥った。こくりと喉が鳴る。泣きたくないのに涙が滲んで、唇をふにりと翫ぶ悪戯なその指先に甘えるように、得体のしれない半魔の男の指先を口に含んだ。
ぐち、と、まるで褒めるようにグレイシスの腔内を愛撫する。舌の上で指先が蠢くだけで、その体は答えるように、僅かに反応を返した。
にやついたまま、まるで精緻な蝋人形のように動きを止められた父王の目の前で、グレイシスは知らない男に性的な触れ方をされるのだ。
体が熱くなる。秘匿されるべき行為を、こうして意図的に晒される。この手がアロンダートなら。なんて、背徳的な考えが過ぎった。
「身を委ねよグレイシス、素直になれ。」
「す、なお…」
耳朶をゆっくりと舐め上げられた。ぞくりとした感覚と共に蘇ったのは、自分に素直になれぬまま選択肢を誤ったあの日の遺憾。
グレイシスは、素直になれずにしくじった。そのちいさな禍根が、ずっとその心を蝕んできた。
白く、肌目の細かい素肌を侵食するように、褐色の悪魔は甘く囁く。
「お前のすべてを、曝け出すのだ。」
乾いた喉を潤すように、エルマーは度数の強い酒を煽った。まるでやってられないと言うように、その不機嫌な顔は口にせずとも全てを語っていた。
あの後、アロンダートの私室から秘密の通路を通って城下へ降りた。このまま、はいそうですかと戦火に参加するつもりはなかった為である。
今回のジルバの依頼は、それはもう物凄く手間ではあったが、貰えるもんはやはり貰いたい。
それに、辺境伯が死した今、争いごとを起こす軍隊を指揮するのは、気の弱そうな息子しかいないのだ。
やりすぎたせいもあるかも知れないが、まさか己に白羽の矢が立つとは思わなかった。
エルマーは、始まりの大地へ向かうことになったのだ。
アロンダートの知り合いで、戦争に参加していたトッドとも既知だ。ならば、この戦火に飛び込んで道を切り開いてくれるのではないか。
そんな感じで、期待を込めた眼差しに捕まったエルマーは、ノーを叫ぶ前に顔を合わせた戦陣の指揮を取る男を前に、言葉を失った。
日陰で育ったエノキのように白く細長い男を見て、誰が辺境伯の息子だと思うのか。
頼りなさそうな男を目の前に、エルマーは久方ぶりに哀れんだ。
まさか、あの禿狸の一人息子がこれでは、辺境伯も気が気ではなかっただろう。
その、出会い頭は唐突で、朝飯でもとナナシたちと廊下に出たところを助けてくれと取り縋られたのだ。今振り返っても腹が立つ。なにがって、見抜けなかった自分にである。
だから腹いせに、ギルドに指名依頼を出せといったのだ。あくまでも城の一員ではなく、依頼を受ける側という立場は決して揺るがなかった。そのほうが実入りがいいのである。
そして出された指名依頼を引き受けに城を出ると、今度は途端に面倒くさくなったのだ。
汗を掻いたグラスを鷲掴み、一気に煽る。何時になく荒んでいるエルマーの様子に、トッドは呆れたような眼差しを向けた。
「ちょっと、アンタ飲み過ぎよ。吐いても知らないからね?」
「胃の腑に強化魔法かけてっから平気。」
「…あんたそれ飲む意味あるの?」
「味が好きなんだあ。」
不貞腐れるエルマーの隣では、ひっく、とナナシがしゃっくりをあげる。エルマーが散々っぱらおかわりをしていた葡萄酒が、どれだけ美味しいのかと悪戯をしてしまったようだった。
「ひっく、」
「あ!?ばっかやろ、おま、アルコールはまだ早いっつの!」
「あらやだ!ちょっと、おやじお水ー!!」
「はぅ、ひっく、んん、ぇる、ひぅー‥ひゃっ、んく、っ…」
顔を赤らめながら、なんだかふわふわとした不思議な心地になったナナシは、こてんとエルマーの肩に寄りかかると、すりすりと猫のように甘える。
とろりとしたトパーズの瞳は、ちこちこと不可視の光の明滅を追いかけるようにして彷徨わせる。完全に酔っている。
エルマーは慌てた。己の大切の体調が崩れたら、心配で何も手につかないだろう。トッドが手渡してくれた水をナナシの唇に当てると、むぐっと口を噤んだナナシがいやいやと首を降った。
「んん、やらよう、ひっく、ふあふあ、うふふ…」
「あらあ、そんなに飲んでたかしら…エルマーも注意しておかないと!全く困った子ねえ…」
「いやじゃねえんだってば、ほら、冷たくて気持ちいぞ?飲めって。」
「んく、っ‥ひぅっ、く、…やら、えるいじわるするもん…ふぇ、っく…ちぅしてくれたら、のむよう。」
「小悪魔!!!」
エルマーの腕に抱きつきながら、酔いに任せてふにゃふにゃ宣う。
酒精にやられ、おつむまで輪にかけてゆるふわになったナナシはというと、今度はトッドの手を握り、誘導するように自身の頭に乗せた。ぐりぐりと頭を擦り付けるように甘えると、撫でてと無言のお強請りだ。
その幼い様子に、エルマーもトッドも己の唇を吸い込むようにして、静かに悶絶した。
何が楽しいのかくふくふ笑うナナシは、二人に構われてご機嫌である。
エルマーはスンと真顔になると、真剣な眼差しでトッドを見つめた。
「なあ、今日はもう帰っていいか。俺明日から本気出すからよ。」
ナナシの肩を抱き寄せるエルマーは、トッドが知り合ってから見たこともない真面目な顔で、そんなことを宣う。
真剣な顔をしていれば実に上等な面であるが、其の実下心が服を着て歩いているような男である。トッドは、またなにか妙なことを考えているのだろうと検討をつけながら、呆れ半分で頷いた。
「えぇ…構わないけれど…」
「ふぁふぁ…」
「…そうねえ。」
視線を向けたナナシは、ぽよぽよとしたまま喃語のような言葉を喋る。流石にこの状態のナナシをそのままにしておくのも駄目だろうと思ったのだ。あくまでもトッドの意見としては、だが。
「まあ、忙しくなってくるだろうし…息抜きするのは構わないけど、明日には城に戻ってきなさいよ…」
「おう、どうせジルバだって嫁御野郎とよろしくしてンだ。こっちはこっちで好きにさせてもらうぜ。」
エルマーはというと、若干据わっている目で虚空を見つめていた。おそらく色々なものを耐えているのだろう、ナナシによって無骨な指をはむはむと甘噛みされている。
その理性の糸が千切れるのは、時間の問題だろうなあ。トッドは目の前の不機嫌な赤毛頭を見つめると、疲れたような顔をした。
しかし、その視線すらものともしないエルマーは、酒を味わいながら物思いに耽っていた。
ー邪魔するなよ、邪魔したら手伝わん。俺は嫁御と遊んでくる。
不意に思い出されたのは、ジルバの言葉である。
ナナシによる理性への攻撃の回避の為とはいえ、まさか天敵を思い出させるとは。と、エルマーは自分の単純な思考に渋い顔をした。
そもそも、エルマーが自棄酒をした原因は他でもないジルバのせいなのだ。
今振り返っても腹が立つ。何が楽しいのか、ジルバは先の言葉を宣ってご機嫌で牽制をしてきやがった。
あの後、思わずテンションが上がったらしいジルバが、着ていたジレを突き破り、クチクラの外骨格に覆われた節足を飛び出させるものだから、横にいたエルマーは慌てて避ける羽目になったのだ。
今思えば一発殴っておけばよかったかもしれない。
渋い顔をしていれば、ナナシに水を飲ませることに成功したトッドが、溜め息混じり口を開いた。
「てか嫁子って誰よ。あたしあんなイケメン蜘蛛男を彼氏に持つ人が城に居るだなんて思わないんだけど。」
赤く塗った唇の跡がグラスに写る。その色付いた縁を指先で拭ったトッドは、霊廟に赴いた際のことを振り返る。
アロンダートの様子を見に向かったその場所で、見知らぬ褐色の美丈夫がエルマー達と共に出てきた所で鉢合わせたのだ。
最初は、その肌色を見て、もしやアロンダートが化けているのかと勘違いしていた。
まあ、アロンダートはあんな嫌味な笑みは浮かべないので直ぐに違うなと理解はしたが。
「あー、グレイシス。」
「は?」
「だから、多分グレイシス」
「ふぁーーー!?!?!?」
なんとも妙な声色で、素っ頓狂に驚愕するトッドが余程面白かったのか、ナナシはぱちぱちと拍手をしながら笑う。
いい加減その可愛い酔い方はやめろとばかりにエルマーが引き寄せ膝に乗せると、嬉しそうに肩口に頭を凭れながら、もしょりとエルマーの食べていたチーズを食べる。
「うそでしょう!?氷の彫刻が歩いてると名高い御方に!?!?」
「えるねむいよぅ、」
「おー、今日くらいは宿取ろうな。明日一日ゆっくりしてから、また仕事だあ。」
「ふぁ、はぁい…ひぅ、っく、」
「解釈違いなんですけど!?!?」
「あー、はいはい。まあ嫌でもそのうちわかんだろお。じゃあなトッド、俺はもう行く。」
一人で喧しく騒ぐトッドを放置したまま、エルマーはパチンと音を立てて飲み屋代代わりの銅貨を置いた。トッドは聞こえてるのか聞こえていないのか、顔を色んな色にしながら、ひぃはぁと喧しい。
エルマーは酔っ払いのナナシの体をしがみつかせたまま立ち上がると、飲みかけだった葡萄酒を一気に煽る。
「んう、えるぅ…おしっこ、」
「あー、まだ我慢できるか?近くの宿取ってからにしねえ?」
「はぁい。」
はむはむとエルマーの肩口の生地を喰みながら、ナナシはなんだか楽しそうである。
そのこめかみに口付けると、エルマーは華奢な背中をあやすように撫でた。
戦火がどのように広がるのかはわからない。エルマーは手伝いも積極的にするつもりは無いし、ナナシだって危険に晒すつもりも無い。
それでも、嫌でも括らねばならない腹がある。
エルマーは、ナナシを置いていく。守るために、今だけは側から離すことを決意した。
だからこそ誰にも邪魔されぬように、一日くらいは自由にしたかった。
ブーツの裏で踏みしめた小石が煩い。
ナナシは、エルマーの歩みに合わせるようにぷらぷらと足を揺らしながら、その背中に小さな手のひらをを回した。
「えるぅ、」
「んー?」
「ななしね、えるのことすきだよぅ。」
酒精でふやけた思考のまま、ナナシがぽそりと名前を呼ぶ。
「える、」
「うん?」
エルマーに抱きつく力を、僅かに強めた。
先程のトッドとの大人な話の中で、ナナシがふんわりと汲み取れたのは、エルマーが危ないことをするかもしれないということだ。
何気ない会話で、悟らせないようにしていた。だけど、エルマーが不機嫌になるときは、大抵自分絡みだということを、ナナシが一番わかっていた。
城の外に出て、エルマーが受注をするところまでしっかり見ていたのだ。文字は読めなくても、言葉はわかる。そして、下から見上げるから、エルマーの表情だってわかるのだ。
「ちっちゃくて、ごめんねぇ」
「…気にすんなっての。な?」
「うん、」
離れたくない、エルマーはそう口にせずとも、一緒にいる時間を少しでも長く取ろうとする、その行動で示してくれる。
そんなエルマーの優しさに甘えてもいいのだろうか。
大人なのに、たくさん我慢しているエルマーの気遣いが、ナナシには嬉しい反面少しだけ寂しかったのだ。
エルマーが、また戦うことになるのが嫌だった。腹に傷を作って倒れたのに、また理不尽な戦いに巻き込まれるのだ。
きっと、あの時のように置いてかれるのだろうと、容易に想像できてしまう。
「えるぅ、」
「なんだ、ねむたくねえの?」
エルマーの優しい声が大好きだ。細い腕でギュッと抱きつく力を込める。
唇が震える。でも、いま勇気を出して言いたかった。離れたくない、離れたくないからこそ、安心して待っていられる理由を、ナナシは欲しがった。
「抱いて、ほし…」
小さな声だった。か細い声色は緊張で震え、強い風が吹けば、きっと流れて言ってしまいそうな程の囁きにも似た懇願。
それでも、ナナシの言葉はしっかりとエルマーの耳に届いていた。
息が詰まった。ナナシの背に回された手のひらが少しだけ強ばる。
僅かな様子の変化ではあったが、体を寄り添わせているからこそわかる。
ナナシはエルマーに抱きついたまま、怖くて怖くて顔を見ることができなかった。
事後、寝具の上でその白い体を投げ出したグレイシスは、父王の言葉を聞いて、小さく息を呑んだ。
尻のあわいから、とろとろと白濁を零しながら、散々に弄ばれたその体をいやらしく手慰みに撫でる父王の言葉が、グレイシスには信じられなかったのだ。
「たみ、が…」
「なんだ、グレイシス。民の心配をしておるのか。お前は優しい子だね。」
「戦火は、…いけません、多くの民が悲しみます。せっかく…、ここまで立て直したのに…あ、っ」
茂みに手を這わせ、成人の割に小ぶりな性器を翫ぶ。ふにふにと揉みしだきながら、時折皮を伸ばすようにして刺激をした。
「い、いけませぬ…もう、あ、あ、」
「グレイシス、安心しなさい。今回は巻き込まないよ。おびき寄せるのだ、あの呪われた大地に。」
父王の目尻のシワが深く刻み込まれる。筆でひいたような細い目を緩ませて、茂みから薄い筋肉のついた腹を辿るように撫で上げていく。
この人は、城が民を守っていると思っている。
本当は、皇国に住む人々の努力が国を立て直したのに、それを知ろうともせずにこうして玉座を汚すのだ。
細い首筋が晒される。この端ない体は、十年の月日で簡単に快楽を得るように育てられてしまっていた。
女のように体を扱われることを、こんなに嫌悪をしているのに。まるで頭にもやがかかったかのように、流される。
助けてほしかった。本当はアロンダートに、自分のことを助けてほしかったのだ。
「互いに知ろうともしなかった、から」
消え入りそうな声で呟いた言葉に、哀感が色濃く混ざる。
お互いを遠ざけた。そのきっかけを作った自分が、不遇の扱いを受けた弟に許しを請うのは間違っている。
失ってから気が付いた、独りよがりの寂しい愛だ、本当に、笑えるほどに情けない。
「なにか言ったかい、グレイシス」
「いえ…、…はぁ…っ、」
そのすえた臭いのする口が、胸の飾りを口に含む。まるで女のようにふくりと育ってしまったそこを、王は気に入っていた。
こんなにはしたない体で、皇后はグレイシスに女を抱けという。
女よりも余程感じやすいだろうこの身体で。
静かな室内に、濡れた音と荒い息遣いが混じる。神経をざわめかせるような嫌悪感を飲み込みながら、グレイシスはきつく目を瞑った。
「気持ちが良いかグレイシス、ほうら、もっといじってや、」
ふつりと父王の声が途切れた。
ベッドの上、なすがままにくたりと体を投げ出していたグレイシスは、唐突な変化に訝しげに顔をあげた。己の胸元では、父王が微笑みながら突起を齧ろうとしている状態で動きを止めていた。
「…え、」
まるで、そこだけ時間が止まっているかのようだった。
グレイシスはそっと体を起こすと、慎重に父王の下から上半身を抜き出した。
動きを止めたままの父王へと視線を走らせれば、ある筈の影が消えている事に気が付いた。
グレイシスの警戒心は、一気に高まった。その手のひらを父王の顔の前で翳すと、やはりなんの反応も示さない。
うつろな目で微笑んだまま、微動だにしない姿の異様さに、ごくりと喉が鳴る。
おかしい。
警備は厳重な筈だった。一体何が起きたのかはわからない。しかし、闖入者の気配もない。もしかしたら、時間差で発動するものだろうか。
影を奪われ、動きを止めた無防備な父王を前に、グレイシスは静かに動揺した。震える唇を隠すようにして手で覆う。人を呼ぼうか、その僅かな逡巡が隙きとなった。
「ーーーーーーっ!!」
「シー‥、シー‥」
「っ、…!」
突然、グレイシスの背後の壁から素早く伸びた黒い腕が、その華奢な身を拘束する。
黒い手に口を塞がれ、片腕は腹を抱えるようにして身を抱き込まれた。
「そう、大人しくしていろ。なあに、捕って食ったりはしないさ。」
気配なくあらわれた訳のわからない闖入者に動きを封じられ、グレイシスの身は緊張で強張った。心臓が忙しなく胸の内側で暴れるのを感じる。
息を呑み、声を失ったグレイシスの様子に、闖入者は満足そうに笑った。影のようなもので宥めるかのように首筋を撫でると、耳朶に唇を寄せる。
「…っ、…、」
心臓から伝わった鼓動が、指先すらも震わせる。闖入者が何者かを確かめるかのように、翡翠の瞳が腕の先を追うように視線を滑らせた、その時だった。
「良い子。」
喉奥を震わせるように、闖入者の男が笑う。
抵抗する素振りも見せぬグレイシスに、なるほど冷静さは残っているのかと感心したのだ。
端的に褒めたその声色は複音で、まるで愛撫をするかのように耳朶を擽った。
黒い手が、ゆっくりと胸元を撫でる。依然片腕は首筋に触れたままだ。抵抗をすればどうなるか、相手へ思考の余地を残すかのような振る舞いに、主導権は明け渡す気がないのだと理解する。
不意に、カサリ、と何かが擦れるような音が聞こえた。グレイシスは、震える手をゆっくりとベッドシーツの上に置いた。わかりやすい無抵抗の意思表示だ。
「そうだ、それでいい。」
満足そうに囁く男の声が、徐々に明瞭になっていく。
グレイシスの心音を吸収するかのように、その胸の上に黒い手が置かれると、肺を膨らませるようにゆっくりと深呼吸をした。
「お前は、」
「質問は許していない。しかしそうだな、うむ、告げてやろう。」
「………、」
勇気を出した一言を一蹴される。思いの外柔らかく嗜められはしたものの、気まぐれだろうか。男はゆったりとした口調で宣った。
「父王は愚かだ。本質を見ていない。己のプライドと国宝を天秤にかけるような男だしなあ。時を待たずして、崩御するだろう。」
「国宝…、まさか、」
「おや。実父の死に関しては興味はないと。」
クツクツと、喉奥で愉快そうに笑う。グレイシスの唇をそっと指先で触れると、まるでその輪郭を確かめるかのようにして、その美しい顔に手のひらを辿らせた。
「もう随分と古い話だ。文献にも残っているかどうか。」
「それは、ヒントか…っ、」
「質問は、許していない。」
ぐに、と胸の突起を強く摘まれて肩を跳ねさせる。クスクス笑いながら、グレイシスの項に舌が這わされた。
ひくんと揺れる肩に口付けると、がじがじと甘噛みをしながらきつく抱きしめられる。
後ろから体温を分け合うように身を寄せる謎の男の素肌は、弟と同じ褐色だった。
アロンダート…、グレイシスはアロンダートに抱かれているような錯覚に陥った。こくりと喉が鳴る。泣きたくないのに涙が滲んで、唇をふにりと翫ぶ悪戯なその指先に甘えるように、得体のしれない半魔の男の指先を口に含んだ。
ぐち、と、まるで褒めるようにグレイシスの腔内を愛撫する。舌の上で指先が蠢くだけで、その体は答えるように、僅かに反応を返した。
にやついたまま、まるで精緻な蝋人形のように動きを止められた父王の目の前で、グレイシスは知らない男に性的な触れ方をされるのだ。
体が熱くなる。秘匿されるべき行為を、こうして意図的に晒される。この手がアロンダートなら。なんて、背徳的な考えが過ぎった。
「身を委ねよグレイシス、素直になれ。」
「す、なお…」
耳朶をゆっくりと舐め上げられた。ぞくりとした感覚と共に蘇ったのは、自分に素直になれぬまま選択肢を誤ったあの日の遺憾。
グレイシスは、素直になれずにしくじった。そのちいさな禍根が、ずっとその心を蝕んできた。
白く、肌目の細かい素肌を侵食するように、褐色の悪魔は甘く囁く。
「お前のすべてを、曝け出すのだ。」
乾いた喉を潤すように、エルマーは度数の強い酒を煽った。まるでやってられないと言うように、その不機嫌な顔は口にせずとも全てを語っていた。
あの後、アロンダートの私室から秘密の通路を通って城下へ降りた。このまま、はいそうですかと戦火に参加するつもりはなかった為である。
今回のジルバの依頼は、それはもう物凄く手間ではあったが、貰えるもんはやはり貰いたい。
それに、辺境伯が死した今、争いごとを起こす軍隊を指揮するのは、気の弱そうな息子しかいないのだ。
やりすぎたせいもあるかも知れないが、まさか己に白羽の矢が立つとは思わなかった。
エルマーは、始まりの大地へ向かうことになったのだ。
アロンダートの知り合いで、戦争に参加していたトッドとも既知だ。ならば、この戦火に飛び込んで道を切り開いてくれるのではないか。
そんな感じで、期待を込めた眼差しに捕まったエルマーは、ノーを叫ぶ前に顔を合わせた戦陣の指揮を取る男を前に、言葉を失った。
日陰で育ったエノキのように白く細長い男を見て、誰が辺境伯の息子だと思うのか。
頼りなさそうな男を目の前に、エルマーは久方ぶりに哀れんだ。
まさか、あの禿狸の一人息子がこれでは、辺境伯も気が気ではなかっただろう。
その、出会い頭は唐突で、朝飯でもとナナシたちと廊下に出たところを助けてくれと取り縋られたのだ。今振り返っても腹が立つ。なにがって、見抜けなかった自分にである。
だから腹いせに、ギルドに指名依頼を出せといったのだ。あくまでも城の一員ではなく、依頼を受ける側という立場は決して揺るがなかった。そのほうが実入りがいいのである。
そして出された指名依頼を引き受けに城を出ると、今度は途端に面倒くさくなったのだ。
汗を掻いたグラスを鷲掴み、一気に煽る。何時になく荒んでいるエルマーの様子に、トッドは呆れたような眼差しを向けた。
「ちょっと、アンタ飲み過ぎよ。吐いても知らないからね?」
「胃の腑に強化魔法かけてっから平気。」
「…あんたそれ飲む意味あるの?」
「味が好きなんだあ。」
不貞腐れるエルマーの隣では、ひっく、とナナシがしゃっくりをあげる。エルマーが散々っぱらおかわりをしていた葡萄酒が、どれだけ美味しいのかと悪戯をしてしまったようだった。
「ひっく、」
「あ!?ばっかやろ、おま、アルコールはまだ早いっつの!」
「あらやだ!ちょっと、おやじお水ー!!」
「はぅ、ひっく、んん、ぇる、ひぅー‥ひゃっ、んく、っ…」
顔を赤らめながら、なんだかふわふわとした不思議な心地になったナナシは、こてんとエルマーの肩に寄りかかると、すりすりと猫のように甘える。
とろりとしたトパーズの瞳は、ちこちこと不可視の光の明滅を追いかけるようにして彷徨わせる。完全に酔っている。
エルマーは慌てた。己の大切の体調が崩れたら、心配で何も手につかないだろう。トッドが手渡してくれた水をナナシの唇に当てると、むぐっと口を噤んだナナシがいやいやと首を降った。
「んん、やらよう、ひっく、ふあふあ、うふふ…」
「あらあ、そんなに飲んでたかしら…エルマーも注意しておかないと!全く困った子ねえ…」
「いやじゃねえんだってば、ほら、冷たくて気持ちいぞ?飲めって。」
「んく、っ‥ひぅっ、く、…やら、えるいじわるするもん…ふぇ、っく…ちぅしてくれたら、のむよう。」
「小悪魔!!!」
エルマーの腕に抱きつきながら、酔いに任せてふにゃふにゃ宣う。
酒精にやられ、おつむまで輪にかけてゆるふわになったナナシはというと、今度はトッドの手を握り、誘導するように自身の頭に乗せた。ぐりぐりと頭を擦り付けるように甘えると、撫でてと無言のお強請りだ。
その幼い様子に、エルマーもトッドも己の唇を吸い込むようにして、静かに悶絶した。
何が楽しいのかくふくふ笑うナナシは、二人に構われてご機嫌である。
エルマーはスンと真顔になると、真剣な眼差しでトッドを見つめた。
「なあ、今日はもう帰っていいか。俺明日から本気出すからよ。」
ナナシの肩を抱き寄せるエルマーは、トッドが知り合ってから見たこともない真面目な顔で、そんなことを宣う。
真剣な顔をしていれば実に上等な面であるが、其の実下心が服を着て歩いているような男である。トッドは、またなにか妙なことを考えているのだろうと検討をつけながら、呆れ半分で頷いた。
「えぇ…構わないけれど…」
「ふぁふぁ…」
「…そうねえ。」
視線を向けたナナシは、ぽよぽよとしたまま喃語のような言葉を喋る。流石にこの状態のナナシをそのままにしておくのも駄目だろうと思ったのだ。あくまでもトッドの意見としては、だが。
「まあ、忙しくなってくるだろうし…息抜きするのは構わないけど、明日には城に戻ってきなさいよ…」
「おう、どうせジルバだって嫁御野郎とよろしくしてンだ。こっちはこっちで好きにさせてもらうぜ。」
エルマーはというと、若干据わっている目で虚空を見つめていた。おそらく色々なものを耐えているのだろう、ナナシによって無骨な指をはむはむと甘噛みされている。
その理性の糸が千切れるのは、時間の問題だろうなあ。トッドは目の前の不機嫌な赤毛頭を見つめると、疲れたような顔をした。
しかし、その視線すらものともしないエルマーは、酒を味わいながら物思いに耽っていた。
ー邪魔するなよ、邪魔したら手伝わん。俺は嫁御と遊んでくる。
不意に思い出されたのは、ジルバの言葉である。
ナナシによる理性への攻撃の回避の為とはいえ、まさか天敵を思い出させるとは。と、エルマーは自分の単純な思考に渋い顔をした。
そもそも、エルマーが自棄酒をした原因は他でもないジルバのせいなのだ。
今振り返っても腹が立つ。何が楽しいのか、ジルバは先の言葉を宣ってご機嫌で牽制をしてきやがった。
あの後、思わずテンションが上がったらしいジルバが、着ていたジレを突き破り、クチクラの外骨格に覆われた節足を飛び出させるものだから、横にいたエルマーは慌てて避ける羽目になったのだ。
今思えば一発殴っておけばよかったかもしれない。
渋い顔をしていれば、ナナシに水を飲ませることに成功したトッドが、溜め息混じり口を開いた。
「てか嫁子って誰よ。あたしあんなイケメン蜘蛛男を彼氏に持つ人が城に居るだなんて思わないんだけど。」
赤く塗った唇の跡がグラスに写る。その色付いた縁を指先で拭ったトッドは、霊廟に赴いた際のことを振り返る。
アロンダートの様子を見に向かったその場所で、見知らぬ褐色の美丈夫がエルマー達と共に出てきた所で鉢合わせたのだ。
最初は、その肌色を見て、もしやアロンダートが化けているのかと勘違いしていた。
まあ、アロンダートはあんな嫌味な笑みは浮かべないので直ぐに違うなと理解はしたが。
「あー、グレイシス。」
「は?」
「だから、多分グレイシス」
「ふぁーーー!?!?!?」
なんとも妙な声色で、素っ頓狂に驚愕するトッドが余程面白かったのか、ナナシはぱちぱちと拍手をしながら笑う。
いい加減その可愛い酔い方はやめろとばかりにエルマーが引き寄せ膝に乗せると、嬉しそうに肩口に頭を凭れながら、もしょりとエルマーの食べていたチーズを食べる。
「うそでしょう!?氷の彫刻が歩いてると名高い御方に!?!?」
「えるねむいよぅ、」
「おー、今日くらいは宿取ろうな。明日一日ゆっくりしてから、また仕事だあ。」
「ふぁ、はぁい…ひぅ、っく、」
「解釈違いなんですけど!?!?」
「あー、はいはい。まあ嫌でもそのうちわかんだろお。じゃあなトッド、俺はもう行く。」
一人で喧しく騒ぐトッドを放置したまま、エルマーはパチンと音を立てて飲み屋代代わりの銅貨を置いた。トッドは聞こえてるのか聞こえていないのか、顔を色んな色にしながら、ひぃはぁと喧しい。
エルマーは酔っ払いのナナシの体をしがみつかせたまま立ち上がると、飲みかけだった葡萄酒を一気に煽る。
「んう、えるぅ…おしっこ、」
「あー、まだ我慢できるか?近くの宿取ってからにしねえ?」
「はぁい。」
はむはむとエルマーの肩口の生地を喰みながら、ナナシはなんだか楽しそうである。
そのこめかみに口付けると、エルマーは華奢な背中をあやすように撫でた。
戦火がどのように広がるのかはわからない。エルマーは手伝いも積極的にするつもりは無いし、ナナシだって危険に晒すつもりも無い。
それでも、嫌でも括らねばならない腹がある。
エルマーは、ナナシを置いていく。守るために、今だけは側から離すことを決意した。
だからこそ誰にも邪魔されぬように、一日くらいは自由にしたかった。
ブーツの裏で踏みしめた小石が煩い。
ナナシは、エルマーの歩みに合わせるようにぷらぷらと足を揺らしながら、その背中に小さな手のひらをを回した。
「えるぅ、」
「んー?」
「ななしね、えるのことすきだよぅ。」
酒精でふやけた思考のまま、ナナシがぽそりと名前を呼ぶ。
「える、」
「うん?」
エルマーに抱きつく力を、僅かに強めた。
先程のトッドとの大人な話の中で、ナナシがふんわりと汲み取れたのは、エルマーが危ないことをするかもしれないということだ。
何気ない会話で、悟らせないようにしていた。だけど、エルマーが不機嫌になるときは、大抵自分絡みだということを、ナナシが一番わかっていた。
城の外に出て、エルマーが受注をするところまでしっかり見ていたのだ。文字は読めなくても、言葉はわかる。そして、下から見上げるから、エルマーの表情だってわかるのだ。
「ちっちゃくて、ごめんねぇ」
「…気にすんなっての。な?」
「うん、」
離れたくない、エルマーはそう口にせずとも、一緒にいる時間を少しでも長く取ろうとする、その行動で示してくれる。
そんなエルマーの優しさに甘えてもいいのだろうか。
大人なのに、たくさん我慢しているエルマーの気遣いが、ナナシには嬉しい反面少しだけ寂しかったのだ。
エルマーが、また戦うことになるのが嫌だった。腹に傷を作って倒れたのに、また理不尽な戦いに巻き込まれるのだ。
きっと、あの時のように置いてかれるのだろうと、容易に想像できてしまう。
「えるぅ、」
「なんだ、ねむたくねえの?」
エルマーの優しい声が大好きだ。細い腕でギュッと抱きつく力を込める。
唇が震える。でも、いま勇気を出して言いたかった。離れたくない、離れたくないからこそ、安心して待っていられる理由を、ナナシは欲しがった。
「抱いて、ほし…」
小さな声だった。か細い声色は緊張で震え、強い風が吹けば、きっと流れて言ってしまいそうな程の囁きにも似た懇願。
それでも、ナナシの言葉はしっかりとエルマーの耳に届いていた。
息が詰まった。ナナシの背に回された手のひらが少しだけ強ばる。
僅かな様子の変化ではあったが、体を寄り添わせているからこそわかる。
ナナシはエルマーに抱きついたまま、怖くて怖くて顔を見ることができなかった。
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