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シュマギナール皇国編
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しくじった。エルマーはまず最初にそう思った。
「う、うぅ…う、ぅわ、ぁあん…っ、」
余程のトラウマを思い起こさせたらしい。エルマーは子供のように泣いて蹲るグレイシスの様子を見つめながら、手慰みのように時折頭を撫でてやるなどして、思考を巡らせた。
「やべえ。葬式に第一王子欠席とかあんのか、つかどうすんだこれ。」
「あ、あろ、あろんだーと…うぅ、っ…」
「あーもうわかったわかった、ちょっと待ってな。」
シーツを汚しながら、寝具を抱きしめてひぅひぅと泣く。まさかストレスを溜め込みすぎて幼児退行するなどわかっていれば術など使わなかった。
エルマーは仕方なく、続き間になっている浴室に向かい湯を溜めると、大判のタオル片手に寝室へと戻る。
未だベットの上で泣き続けているグレイシスを横抱きに抱えあげれば、エルマーは再び浴室に足を踏み入れた。
まさかこの歳頃の男を世話することになるとは思わなかったなと遠い目をする。しかしまあ、ある意味これも自分のせいか。このプライドの高い男の意識が戻った時、一体どんな顔をするのだろうと思いながら、グレイシスの着ていた衣服を脱がしてやった。
「おら、肩掴んで構わねえから足抜けって。濡れたまんまじゃ気持ち悪いだろう。」
「うぅ、ま、まだ…あっ、…」
「あ!?ま、まてまてま、ああぁぁ…」
エルマーの肩に凭れるように、グレイシスはその口元からあえかな吐息を漏らした。細い足に張り付くスラックスの裾から、重力に従って漏れ出る。膝を震わし、かくんと崩れそうになる体を片手で支えると、濡れそぼったそこにタオルを押し付けて受け止めた。
「おまえ、ああ、もういいや…俺がわりいな…もう出ねえか?」
「あ、…あろんだーと、は…ぅ、うー…っ…」
「ここにはいねえ。会いてえなら身だしなみ整えてからなあ。もう泣くなって…。」
ぐすぐすと愚図るグレイシスの衣服を全て脱がせると、その体を浴槽の縁に座らせる。
エルマーも風呂にあやかるかと思い直したらしい、グレイシスの目の前で豪快に服を脱ぐと、その身の汚れを流してから抱き上げ、湯船に浸した。
グレイシスの寝室と扉一枚で繋がる浴室は、エルマーが引くほど広く、転びそうなくらい磨き上げられたタイルが敷き詰められていた。一人で湯に浸かるにしても、気が滅入りそうだ。男二人で湯に入ってもまだ余りある。
エルマーは、律儀に肩まで湯に浸かりながら、未だぐずっているグレイシスを横目に見つめた。長い睫毛が縁どる翡翠の瞳が、涙に濡れていた。普段は勝気そうな眉が吊り上がっているのに、今は下がっている。
黙っていれば紅顔の美少年だ。年齢的には青年だが。
「アロンダートは、嫌いだろうか…僕のことを…」
「しるか。そんなもん自分で聞け。」
「聞きたいけど…っ、…も、もう…うぅ、っ」
エルマーのそっけない態度に、再びグレイシスの声が震えた。エルマーは勢いよく湯から上がると、面倒臭そうな顔のまま、石鹸を片手に戻ってくる。
「泣くなァ!ったく、何なんだよさっきからめそめそめそめそ…」
「なん、なんで死んじゃったの…あ、アロンダート…っ」
「…知るか、そういうもんは神様に聞いてくれや。」
まさか、俺のせいです。とは口が裂けても言えない。エルマーは雑に石鹸を泡立てると、グレイシスの髪をわしゃわしゃと洗う。
エルマーにされるがまま、グレイシスは未だ情けなく愚図る。己が蔑ろにしてきた唯一の弟に、今更の懺悔など届かないと打ちひしがれる。
この歪んだ兄は、アロンダートを憎むことで自分の足で立っていた。
第一王子としての重圧を耐えるためには、血の繋がらない、可哀想なアロンダートを縁にしていたのだ。
「好きなら好きで、構わねえだろう。なんでかーちゃんの言いなりになるんだ。」
「僕が…言うことを聞けば、弟は酷い目に合わないんだ…」
「…ああ、そういう」
いい子ちゃんでいれば、皇后の興味は第一王子である息子に向けられる。彼女の理想の王子である為に、グレイシスは必死で己を取り繕った。
不器用だ。兄として守ってやることがアロンダートの心の縁になるというのに、グレイシスは周りの目の色を伺いながら、アロンダートを蔑ろにすることで、それ以上の嫌な思いをすることのないように守ってきた。
自然に周りが第二王子嫌いのグレイシスと位置付けるのは自然な流れであった。そして、気が付けば己がアロンダートを可哀想な立ち位置へと追いやっていた。
濡れた睫毛が束になって、その顔立ちを引き立てる。泣いたことで目元を赤らめ、濡れた唇で言葉を紡ぐグレイシスは、酷く煽情的だ。
「…閨教育は、父上がしてくださった。」
ぽつりと落ちた言葉に、エルマーの顔は更に不機嫌になる。
「だからよ、普通はプロを呼ぶだろう。てかお前のほうが酷い目にあってんじゃねえか。」
「そうなのかな、」
グレイシスは、乳白色の湯の中で膝を抱えた。ばしゃりと雑に湯を浴びせられて泡を流されるのは乱暴で怖かったが、こうして話を聞いてもらえる機会はあまりなかった。
それに、なんだか今は素直にならなくてはいけない、そんな気がしていた。己の世話を焼くエルマーには、そういう魅力があるのかもしれない。
第一王子だから、皇后の言うことを聞けば間違うことはない。決められたレールの上で待ち構えていた老いた父王は、その美しい愛息子も情欲の対象とした。
「僕は、半魔のものでも自由に暮らせる…そんな世にしたかった。」
か細い声で告げられたグレイシスの理想。それを、エルマーは薄い肩に湯をかけてやりながら黙って聞いていた。
「抱かれれば、立場は変わると思った。僕のわがままを、父王は聞いてくれると思ったんだ。」
なんで、その選択肢を選んだのだろう。そう悔やむように、ぐす、と鼻を啜りながら俯く様子は、酷く脆い。
「その夢には、アロンダートが必要なんだ…だって、彼は半魔で僕の弟だ…血は繋がっていなくても、父王と母上が死んだら、二人で玉座に付きたかった…。」
「さらっとすげえこと言うなお前。かーちゃんも嫌いなのか。」
「嫌い、嫌いだよ…彼女は僕達を離れ離れにしたし、父王に僕を差し出した。ねえ、市井の民は、皆血の繋がった父親に抱かれるものなの、」
翡翠の瞳を濡らしながら、グレイシスがエルマーをその目に捉える。縋るような声色で口にした言葉は、そのままグレイシスのトラウマだ。
エルマーはその金色でグレイシスを見つめ返すと、濡れた髪を梳くようにして耳にかける。
「抱かねえ。普通は抱かねえもんなんだ。お前は選択を誤ったんだよグレイシス。」
「もっと。優しく言ってよ…っ、」
泣きそうに表情を歪ませる。グレイシスの後悔に寄り添い続けてやれるほどエルマーは優しくない。
グレイシスの濡れた目元を、かさついた親指で拭った。
「言わねえよ、それは俺の役目じゃねえしな。」
「え、…っ…」
「お前が甘やかされたいのは、俺にじゃねえだろう。」
唇を、真一文字に引き結ぶ。グレイシスの求めている人は、アロンダートだ。
体格は似ているが、エルマーは肌の色も、目の色も違う。
じっと目の前の男を見つめた。美しい男だ、きっと粗暴さも魅力の一つとなっているのだろう。グレイシスは、確かめるように顔を近づける。
華奢な手のひらが、エルマーの頬に触れた。父王によって男を覚えさせられた体は、今もまだグレイシスのものなのかを確かめたかった。
だからこそ、己を試す為にも、目の前で醜態を晒したエルマーは都合が良かったのだ。
エルマーの頬に触れたグレイシスの手に、無骨な手が重なった。指を絡ませるように握られる。もう片方の手が、後頭部を支えるように回される。
エルマーの金色の双眸が、熱を宿すようにクラリと光った気がした。
鼻先が触れ合う、互いに顔を傾けるかのように、グレイシスは睫毛を震わして目を閉じた。
「おやすみぃ、グレイシス。お前は葬式には出ねえほうがいい。」
甘く囁くような声色で、エルマーが宣う。力の抜けた体を支えるようにその肩で受け止めると、後頭部に回した手のひらで頭を撫でる。
「んとに、城には不器用しかいねえのかよ。」
気絶した体を抱き上げる。唇が触れ合う直前に、術を解いたのだ。自分が後で素直になったことを思い出したら、こいつはどんな顔をするのだろう。それは少しだけ気にはなったが、これ以上踏み込むのはだめだった。
氷の麗人とも揶揄される、冷徹な第一王子の内側がこんなに脆かったとは思わなかった。
自分の首を絞めないためにも、引きどころは見極めねばならない。弱みを握るのは大好きだが、握るのにも相手くらいは見極める。
「悪いなあ、おまえの大切はサジのもんなんだぁ。ちっとばかし、素直になんのが遅かったな。」
エルマーの肩口に凭れ掛かり、すうすうと眠る顔は幼い。この細い体で背負ってきた重圧は、どれほどのものなのだろう。同情するつもりもないが、こいつにも幸せな出会いが来るといいと思った。弟が死んでから素直になる愛情など、最初から実りもしないのだ。
エルマーはグレイシスの身だしなみを簡単に整えてやると、ソファに横たえた。そして、深く深呼吸をするようにして、溜め息を吐く。
これから、エルマーはこの惨状をどうにかしないといけない。己が招いたことだ。尻拭いは吝かではないが、それにしたって気が滅入る。しかし、グレイシスが起きる前にさっさと終わらせねばならない。
精神支配で戯れるのは嫌いじゃないが、今回ばかりは少しだけ疲れた。早くナナシの下に行って、抱きしめて、体温を確かめたい。その頤を掬い上げ、柔らかな唇を堪能したい。そんな、己にとっての癒しを求める体の反応は実に素直で、その想像をするだけで少しだけ熱が溜まってしまう。
エルマーは、目を細めてそっと唇をなぞると、思考を切り替えるために、体の凝りをほぐすかのようにして腕を伸ばしたのであった。
「ふふ、なるほどなあ。面白い。俺が食ってもいいなら俺のものにするのだが。」
声色一つで性格の悪さが滲み出るのも、ある意味才能だと思う。
エルマーは口にはしなかったものの、隣で楽しそうに笑う己の天敵を横目に、面倒ごとが起こる予感を前にして、渋い顔をした。
「やめろ悪食。お前が捉えるにはあいつは脆すぎる。」
「なに、締め付けの加減を誤らなければ死にはしないだろう。」
「あーあ、可哀想なグレイシス。エルマーが余計な事を言わなければジルバが興味を持つこともなかったと言うに。」
「える、わるいこ。」
うぐぅ。エルマーは喉の奥から妙な声を引きずりながら、ごちんと棺に頭を打ち付けた。
現在、ジルバを交えて王家の霊廟で目下作戦会議中なのであった。
エルマーがグレイシスを眠らせた後、様子を伺いにきた侍従に対して、一応のグレイシスの体裁を保ちつつ、錯乱していた為に術で眠らせていると伝えた。
そうでもしなくては、第一王子に働いた無体を取り沙汰されて打首になりかねない。そこまでのことをしたという自覚が一応はある手前、侍従へと嘯くその演技は、実に神妙な顔つきであった。
そして、念のためにグレイシスは安静にさせた方がいいと伝えると、心の傷を広げないためにも、葬儀には参加させない方がいいだろうとも伝えた。しかし、それを聞いた侍従は、他人事のように宣ったのだ。
「まさか発表だけで葬儀すらされねえっつう、不遇具合は恐れ入るわあ。」
「アランの方が人は多かったぞ。まあ、市井の教会ということもあるだろうが」
ペチン。エルマーが、アロンダートの眠る棺桶を叩いた。乾いた音が、やけに耳に残る。静謐な空間には似合わない、なんとも気の抜けた音だ。
あれから、サジもアランの棺を埋めるために墓地へと共に向かったのだ。元々、アランがそこの教会に出入りしていたことも相まって、棺を埋める際にはゆかりがあるものたちが集まって祈りを捧げてくれたのだ。
サジはというと、その後ジルバの元に舞い戻り、解毒薬を生成してもらった。無論、アロンダートに飲ませる為である。
そこで、ついぽろりと口が滑って、グレイシスのことを話してしまったのだ。といっても、エルマーのように、事の顛末をあけすけに話したわけではないのだが、後悔してももう遅い。
哀れなものが必死で足掻く姿が好物なジルバは、拗らせた第一王子の存在を耳にするや否や、ニンマリと悪い顔で微笑んだ。そして、面白そうだなあ。とここまでついてきてしまったのだ。
「それで、俺の可愛い嫁御はどこだ。」
モノクルをつけた美丈夫が、いつになくご機嫌な様子で宣う。ご機嫌な様子とは言っても、決してはしゃいでいるというわけではなく、比較的に口数がいつもよりかは多い程度の事。
しかし、見慣れぬジルバの様子は、なかなかに精神的にくるものがある。なんでかというと、顔が怖いのだ。これから何かとんでもないことをやらかしてやる。と言った具合の意気込みを感じなくもない。
「やべぇよコイツ、もう嫁認定してンだけど。」
「人の子はいい。愛しても食われぬからな。」
「ああ、お前らンとこの結婚観ってカニバリズムかあ。」
エルマーの言葉を肯定するかのように、ジルバが、そうだ。と端的な言葉で返した。アラクネの繁殖とは、男が最後に食われるのだ。もちろん、ジルバの父親も腹の中ということになるが、もともと番いにするなら人間の子だと決めていたようだ。
「この世の半魔を受け入れるという綺麗事。くふ、純粋な思いならなおのこと汚したくなる。」
「おいやめろ。性格悪いぞジルバ。」
「エルマー、とにかくジルバはこうなったら止まらんぞ。多分予知もしているのだろうしなあ。」
アロンダートの棺桶に頬杖をつき、呆れた顔をしたサジがジルバをチラリと見た。夜の女王に傅く目の前の男が、魔女として仮死薬を快く作ってくれたという時点で、怪しいとは思っていた。
「ああ、父王と皇后は死ぬぞ。俺が殺す。」
「はあ、…はあ!?」
エルマーとサジの不躾な視線すらも心地よいと言わんばかりに、ジルバはくふりと一つ笑みを零す。
サラリととんでもないことを抜かしたジルバに、エルマーがギョッとした顔で振り向いた。
「いよいよ戦争が始まる。幸い、先日の夜にカストール共和国の使者が無事だったことと、その後のやり取りで皇国は友好関係を築けた。二国間同盟は成立なされた。まったく、死者に感謝だな。」
コツコツと、アロンダートの棺を拳で叩く。
そんなジルバと、棺を挟んで向かい合わせに座っているナナシはというと、この真っ白な霊廟の中、まるでテーブルのような扱いを受けているアロンダートが少しだけ可哀想に思えて、よしよしと棺を撫でた。
「…ジルガスタントか。」
「おう、そこだな。愚王が傀儡だと言ったろう。国民の為と銘打っての国土拡大だ。全く笑える。俺の蜘蛛の巣も広げさせてもらおうか。」
「うええ、いちぬけしたい。サジはもう隠居したい。」
「また面白いことを、ここにいる限りお前も出る羽目になるのだ、足掻け。」
楽しそうなジルバは、血筋柄好戦的だ。サジだって知らないわけではなかったが、自分が巻き込まれそうな気配を敏感に感じ取ると、わかりやすく辟易した顔を晒す。
棺に抱きつく。その姿は、テコでも動かないと言わんばかりであった。
「んで、俺たちはどうすんだあ。」
エルマーはというと、隣でいい子にしているナナシの頭を引き寄せて、肩口に凭れかからせる。
手慰みのように、術で染まった髪をわしゃわしゃと撫でてやれば、頬を染めながらも、ナナシは嬉しそうに反応を返した。
「何もせず。三日後に蘇らせる。エルマー、お前は駆り出されるぞ。いま城の者がお前を探している。」
「いやだああ!!」
「俺は番いに会いに行こう。くふ、束の間の休息だ。いいか、三日後に必ず事は起こる。その慌ただしさに紛れて墓荒らしをするぞ。」
ジルバはそういうと、散々肘置きにしていた棺の蓋に手をかける。ぎい、と音を立てながら扉を開くと、天鵞絨の生地が張られた内側で、白い百合の花に埋もれるかのように、仮死状態のアロンダートがそこに眠っていた。
「毛先を貰おう。」
影で形成した裁ち鋏のような何かで、シャキンとアロンダートの黒髪の一部を切る。ジルバはそれを小瓶に入れると、その口元を満足そうに歪めた。
「お前のそれは何なんだ。」
「何だ、知りたいのか。」
エルマーの問いかけに、ジルバはニヤリと笑みを浮かべる。どうやら答える気はないらしい。確かに気になりはするが、藪を突いて蛇が飛び出してきたらたまったもんじゃない。エルマーはひくっ、と口元を引き攣らせると、やっぱりやめておくと、聞くことを辞退した。
カタン、と音がした。
グレイシスはぴくりと耳を澄ますと、そっと枕の下に手を入れた。
指先が硬質な金属の持ち手に触れる。それを握り込むと、瞼を閉じて気配を研ぎ澄ませた。
「…グレイシス、起きているか。」
「父上、」
嗄れた声がした。年老いた王、その人である。
アロンダートの死は、国民へは流行り病を拗らせてということになった。笑えることに、王城内での王族の突然死に取り乱したのは自身だけであった。
城内にいたカストール共和国の使者は、死の真相は先日の魔物の襲撃による傷が祟ったものだとアロンダートの従者から伝えられ、大層悔やまれたという。
ー殿下は国民へ、不安を煽らないようにと自身の死の真相すらも秘匿されるのですね。
その言葉の奥に隠された本当の意味を、正しく捉えたのはグレイシスだけだろう。
王はその答えに満足したように頷いていた。まるでこれこそが皇国の王族たる者の国民への示し方だと言わんばかりに。
「おお、可哀想なグレイシスよ、お前が酷く取り乱したと聞いて、儂は気が気ではなかったよ。ああ、酷い顔色だ。」
「父上、父上…」
グレイシスは、そっと王へと手を差し伸べた。まるで幼子のように、いとけない顔でだ。
父王へは、自身がいい子であるように見せるのがこの城での生き方だと、そう自分に言い聞かせたのは、一体いつからだったのか。
父王は自尊心を満たしていた。この苛烈な王子が、己にだけ見せる甘やかな表情、そしてその手綱を握っているという優越感。
全部、全部ハリボテなのに。
太り、生き汚くその玉座を汚している愚かな父の芋虫のような手のひらが、そっとグレイシスを抱き締めた。
脂肪で歪に膨れる背中へと手を回し、乾いて牧草のようになった金髪へと手を差し入れる。
グレイシスの首筋に、父王のすえた臭いのする舌が這わされた。グレイシスは、こうすることでしかアロンダートを守ることができないと言い聞かせてきたのに。
「アロンダート、」
死んだ今ですら、自分は素直になれないよ。
グレイシスの心の中の悲鳴は、薄玻璃に入った皸のようにじわじわとその心を侵食していった。
「う、うぅ…う、ぅわ、ぁあん…っ、」
余程のトラウマを思い起こさせたらしい。エルマーは子供のように泣いて蹲るグレイシスの様子を見つめながら、手慰みのように時折頭を撫でてやるなどして、思考を巡らせた。
「やべえ。葬式に第一王子欠席とかあんのか、つかどうすんだこれ。」
「あ、あろ、あろんだーと…うぅ、っ…」
「あーもうわかったわかった、ちょっと待ってな。」
シーツを汚しながら、寝具を抱きしめてひぅひぅと泣く。まさかストレスを溜め込みすぎて幼児退行するなどわかっていれば術など使わなかった。
エルマーは仕方なく、続き間になっている浴室に向かい湯を溜めると、大判のタオル片手に寝室へと戻る。
未だベットの上で泣き続けているグレイシスを横抱きに抱えあげれば、エルマーは再び浴室に足を踏み入れた。
まさかこの歳頃の男を世話することになるとは思わなかったなと遠い目をする。しかしまあ、ある意味これも自分のせいか。このプライドの高い男の意識が戻った時、一体どんな顔をするのだろうと思いながら、グレイシスの着ていた衣服を脱がしてやった。
「おら、肩掴んで構わねえから足抜けって。濡れたまんまじゃ気持ち悪いだろう。」
「うぅ、ま、まだ…あっ、…」
「あ!?ま、まてまてま、ああぁぁ…」
エルマーの肩に凭れるように、グレイシスはその口元からあえかな吐息を漏らした。細い足に張り付くスラックスの裾から、重力に従って漏れ出る。膝を震わし、かくんと崩れそうになる体を片手で支えると、濡れそぼったそこにタオルを押し付けて受け止めた。
「おまえ、ああ、もういいや…俺がわりいな…もう出ねえか?」
「あ、…あろんだーと、は…ぅ、うー…っ…」
「ここにはいねえ。会いてえなら身だしなみ整えてからなあ。もう泣くなって…。」
ぐすぐすと愚図るグレイシスの衣服を全て脱がせると、その体を浴槽の縁に座らせる。
エルマーも風呂にあやかるかと思い直したらしい、グレイシスの目の前で豪快に服を脱ぐと、その身の汚れを流してから抱き上げ、湯船に浸した。
グレイシスの寝室と扉一枚で繋がる浴室は、エルマーが引くほど広く、転びそうなくらい磨き上げられたタイルが敷き詰められていた。一人で湯に浸かるにしても、気が滅入りそうだ。男二人で湯に入ってもまだ余りある。
エルマーは、律儀に肩まで湯に浸かりながら、未だぐずっているグレイシスを横目に見つめた。長い睫毛が縁どる翡翠の瞳が、涙に濡れていた。普段は勝気そうな眉が吊り上がっているのに、今は下がっている。
黙っていれば紅顔の美少年だ。年齢的には青年だが。
「アロンダートは、嫌いだろうか…僕のことを…」
「しるか。そんなもん自分で聞け。」
「聞きたいけど…っ、…も、もう…うぅ、っ」
エルマーのそっけない態度に、再びグレイシスの声が震えた。エルマーは勢いよく湯から上がると、面倒臭そうな顔のまま、石鹸を片手に戻ってくる。
「泣くなァ!ったく、何なんだよさっきからめそめそめそめそ…」
「なん、なんで死んじゃったの…あ、アロンダート…っ」
「…知るか、そういうもんは神様に聞いてくれや。」
まさか、俺のせいです。とは口が裂けても言えない。エルマーは雑に石鹸を泡立てると、グレイシスの髪をわしゃわしゃと洗う。
エルマーにされるがまま、グレイシスは未だ情けなく愚図る。己が蔑ろにしてきた唯一の弟に、今更の懺悔など届かないと打ちひしがれる。
この歪んだ兄は、アロンダートを憎むことで自分の足で立っていた。
第一王子としての重圧を耐えるためには、血の繋がらない、可哀想なアロンダートを縁にしていたのだ。
「好きなら好きで、構わねえだろう。なんでかーちゃんの言いなりになるんだ。」
「僕が…言うことを聞けば、弟は酷い目に合わないんだ…」
「…ああ、そういう」
いい子ちゃんでいれば、皇后の興味は第一王子である息子に向けられる。彼女の理想の王子である為に、グレイシスは必死で己を取り繕った。
不器用だ。兄として守ってやることがアロンダートの心の縁になるというのに、グレイシスは周りの目の色を伺いながら、アロンダートを蔑ろにすることで、それ以上の嫌な思いをすることのないように守ってきた。
自然に周りが第二王子嫌いのグレイシスと位置付けるのは自然な流れであった。そして、気が付けば己がアロンダートを可哀想な立ち位置へと追いやっていた。
濡れた睫毛が束になって、その顔立ちを引き立てる。泣いたことで目元を赤らめ、濡れた唇で言葉を紡ぐグレイシスは、酷く煽情的だ。
「…閨教育は、父上がしてくださった。」
ぽつりと落ちた言葉に、エルマーの顔は更に不機嫌になる。
「だからよ、普通はプロを呼ぶだろう。てかお前のほうが酷い目にあってんじゃねえか。」
「そうなのかな、」
グレイシスは、乳白色の湯の中で膝を抱えた。ばしゃりと雑に湯を浴びせられて泡を流されるのは乱暴で怖かったが、こうして話を聞いてもらえる機会はあまりなかった。
それに、なんだか今は素直にならなくてはいけない、そんな気がしていた。己の世話を焼くエルマーには、そういう魅力があるのかもしれない。
第一王子だから、皇后の言うことを聞けば間違うことはない。決められたレールの上で待ち構えていた老いた父王は、その美しい愛息子も情欲の対象とした。
「僕は、半魔のものでも自由に暮らせる…そんな世にしたかった。」
か細い声で告げられたグレイシスの理想。それを、エルマーは薄い肩に湯をかけてやりながら黙って聞いていた。
「抱かれれば、立場は変わると思った。僕のわがままを、父王は聞いてくれると思ったんだ。」
なんで、その選択肢を選んだのだろう。そう悔やむように、ぐす、と鼻を啜りながら俯く様子は、酷く脆い。
「その夢には、アロンダートが必要なんだ…だって、彼は半魔で僕の弟だ…血は繋がっていなくても、父王と母上が死んだら、二人で玉座に付きたかった…。」
「さらっとすげえこと言うなお前。かーちゃんも嫌いなのか。」
「嫌い、嫌いだよ…彼女は僕達を離れ離れにしたし、父王に僕を差し出した。ねえ、市井の民は、皆血の繋がった父親に抱かれるものなの、」
翡翠の瞳を濡らしながら、グレイシスがエルマーをその目に捉える。縋るような声色で口にした言葉は、そのままグレイシスのトラウマだ。
エルマーはその金色でグレイシスを見つめ返すと、濡れた髪を梳くようにして耳にかける。
「抱かねえ。普通は抱かねえもんなんだ。お前は選択を誤ったんだよグレイシス。」
「もっと。優しく言ってよ…っ、」
泣きそうに表情を歪ませる。グレイシスの後悔に寄り添い続けてやれるほどエルマーは優しくない。
グレイシスの濡れた目元を、かさついた親指で拭った。
「言わねえよ、それは俺の役目じゃねえしな。」
「え、…っ…」
「お前が甘やかされたいのは、俺にじゃねえだろう。」
唇を、真一文字に引き結ぶ。グレイシスの求めている人は、アロンダートだ。
体格は似ているが、エルマーは肌の色も、目の色も違う。
じっと目の前の男を見つめた。美しい男だ、きっと粗暴さも魅力の一つとなっているのだろう。グレイシスは、確かめるように顔を近づける。
華奢な手のひらが、エルマーの頬に触れた。父王によって男を覚えさせられた体は、今もまだグレイシスのものなのかを確かめたかった。
だからこそ、己を試す為にも、目の前で醜態を晒したエルマーは都合が良かったのだ。
エルマーの頬に触れたグレイシスの手に、無骨な手が重なった。指を絡ませるように握られる。もう片方の手が、後頭部を支えるように回される。
エルマーの金色の双眸が、熱を宿すようにクラリと光った気がした。
鼻先が触れ合う、互いに顔を傾けるかのように、グレイシスは睫毛を震わして目を閉じた。
「おやすみぃ、グレイシス。お前は葬式には出ねえほうがいい。」
甘く囁くような声色で、エルマーが宣う。力の抜けた体を支えるようにその肩で受け止めると、後頭部に回した手のひらで頭を撫でる。
「んとに、城には不器用しかいねえのかよ。」
気絶した体を抱き上げる。唇が触れ合う直前に、術を解いたのだ。自分が後で素直になったことを思い出したら、こいつはどんな顔をするのだろう。それは少しだけ気にはなったが、これ以上踏み込むのはだめだった。
氷の麗人とも揶揄される、冷徹な第一王子の内側がこんなに脆かったとは思わなかった。
自分の首を絞めないためにも、引きどころは見極めねばならない。弱みを握るのは大好きだが、握るのにも相手くらいは見極める。
「悪いなあ、おまえの大切はサジのもんなんだぁ。ちっとばかし、素直になんのが遅かったな。」
エルマーの肩口に凭れ掛かり、すうすうと眠る顔は幼い。この細い体で背負ってきた重圧は、どれほどのものなのだろう。同情するつもりもないが、こいつにも幸せな出会いが来るといいと思った。弟が死んでから素直になる愛情など、最初から実りもしないのだ。
エルマーはグレイシスの身だしなみを簡単に整えてやると、ソファに横たえた。そして、深く深呼吸をするようにして、溜め息を吐く。
これから、エルマーはこの惨状をどうにかしないといけない。己が招いたことだ。尻拭いは吝かではないが、それにしたって気が滅入る。しかし、グレイシスが起きる前にさっさと終わらせねばならない。
精神支配で戯れるのは嫌いじゃないが、今回ばかりは少しだけ疲れた。早くナナシの下に行って、抱きしめて、体温を確かめたい。その頤を掬い上げ、柔らかな唇を堪能したい。そんな、己にとっての癒しを求める体の反応は実に素直で、その想像をするだけで少しだけ熱が溜まってしまう。
エルマーは、目を細めてそっと唇をなぞると、思考を切り替えるために、体の凝りをほぐすかのようにして腕を伸ばしたのであった。
「ふふ、なるほどなあ。面白い。俺が食ってもいいなら俺のものにするのだが。」
声色一つで性格の悪さが滲み出るのも、ある意味才能だと思う。
エルマーは口にはしなかったものの、隣で楽しそうに笑う己の天敵を横目に、面倒ごとが起こる予感を前にして、渋い顔をした。
「やめろ悪食。お前が捉えるにはあいつは脆すぎる。」
「なに、締め付けの加減を誤らなければ死にはしないだろう。」
「あーあ、可哀想なグレイシス。エルマーが余計な事を言わなければジルバが興味を持つこともなかったと言うに。」
「える、わるいこ。」
うぐぅ。エルマーは喉の奥から妙な声を引きずりながら、ごちんと棺に頭を打ち付けた。
現在、ジルバを交えて王家の霊廟で目下作戦会議中なのであった。
エルマーがグレイシスを眠らせた後、様子を伺いにきた侍従に対して、一応のグレイシスの体裁を保ちつつ、錯乱していた為に術で眠らせていると伝えた。
そうでもしなくては、第一王子に働いた無体を取り沙汰されて打首になりかねない。そこまでのことをしたという自覚が一応はある手前、侍従へと嘯くその演技は、実に神妙な顔つきであった。
そして、念のためにグレイシスは安静にさせた方がいいと伝えると、心の傷を広げないためにも、葬儀には参加させない方がいいだろうとも伝えた。しかし、それを聞いた侍従は、他人事のように宣ったのだ。
「まさか発表だけで葬儀すらされねえっつう、不遇具合は恐れ入るわあ。」
「アランの方が人は多かったぞ。まあ、市井の教会ということもあるだろうが」
ペチン。エルマーが、アロンダートの眠る棺桶を叩いた。乾いた音が、やけに耳に残る。静謐な空間には似合わない、なんとも気の抜けた音だ。
あれから、サジもアランの棺を埋めるために墓地へと共に向かったのだ。元々、アランがそこの教会に出入りしていたことも相まって、棺を埋める際にはゆかりがあるものたちが集まって祈りを捧げてくれたのだ。
サジはというと、その後ジルバの元に舞い戻り、解毒薬を生成してもらった。無論、アロンダートに飲ませる為である。
そこで、ついぽろりと口が滑って、グレイシスのことを話してしまったのだ。といっても、エルマーのように、事の顛末をあけすけに話したわけではないのだが、後悔してももう遅い。
哀れなものが必死で足掻く姿が好物なジルバは、拗らせた第一王子の存在を耳にするや否や、ニンマリと悪い顔で微笑んだ。そして、面白そうだなあ。とここまでついてきてしまったのだ。
「それで、俺の可愛い嫁御はどこだ。」
モノクルをつけた美丈夫が、いつになくご機嫌な様子で宣う。ご機嫌な様子とは言っても、決してはしゃいでいるというわけではなく、比較的に口数がいつもよりかは多い程度の事。
しかし、見慣れぬジルバの様子は、なかなかに精神的にくるものがある。なんでかというと、顔が怖いのだ。これから何かとんでもないことをやらかしてやる。と言った具合の意気込みを感じなくもない。
「やべぇよコイツ、もう嫁認定してンだけど。」
「人の子はいい。愛しても食われぬからな。」
「ああ、お前らンとこの結婚観ってカニバリズムかあ。」
エルマーの言葉を肯定するかのように、ジルバが、そうだ。と端的な言葉で返した。アラクネの繁殖とは、男が最後に食われるのだ。もちろん、ジルバの父親も腹の中ということになるが、もともと番いにするなら人間の子だと決めていたようだ。
「この世の半魔を受け入れるという綺麗事。くふ、純粋な思いならなおのこと汚したくなる。」
「おいやめろ。性格悪いぞジルバ。」
「エルマー、とにかくジルバはこうなったら止まらんぞ。多分予知もしているのだろうしなあ。」
アロンダートの棺桶に頬杖をつき、呆れた顔をしたサジがジルバをチラリと見た。夜の女王に傅く目の前の男が、魔女として仮死薬を快く作ってくれたという時点で、怪しいとは思っていた。
「ああ、父王と皇后は死ぬぞ。俺が殺す。」
「はあ、…はあ!?」
エルマーとサジの不躾な視線すらも心地よいと言わんばかりに、ジルバはくふりと一つ笑みを零す。
サラリととんでもないことを抜かしたジルバに、エルマーがギョッとした顔で振り向いた。
「いよいよ戦争が始まる。幸い、先日の夜にカストール共和国の使者が無事だったことと、その後のやり取りで皇国は友好関係を築けた。二国間同盟は成立なされた。まったく、死者に感謝だな。」
コツコツと、アロンダートの棺を拳で叩く。
そんなジルバと、棺を挟んで向かい合わせに座っているナナシはというと、この真っ白な霊廟の中、まるでテーブルのような扱いを受けているアロンダートが少しだけ可哀想に思えて、よしよしと棺を撫でた。
「…ジルガスタントか。」
「おう、そこだな。愚王が傀儡だと言ったろう。国民の為と銘打っての国土拡大だ。全く笑える。俺の蜘蛛の巣も広げさせてもらおうか。」
「うええ、いちぬけしたい。サジはもう隠居したい。」
「また面白いことを、ここにいる限りお前も出る羽目になるのだ、足掻け。」
楽しそうなジルバは、血筋柄好戦的だ。サジだって知らないわけではなかったが、自分が巻き込まれそうな気配を敏感に感じ取ると、わかりやすく辟易した顔を晒す。
棺に抱きつく。その姿は、テコでも動かないと言わんばかりであった。
「んで、俺たちはどうすんだあ。」
エルマーはというと、隣でいい子にしているナナシの頭を引き寄せて、肩口に凭れかからせる。
手慰みのように、術で染まった髪をわしゃわしゃと撫でてやれば、頬を染めながらも、ナナシは嬉しそうに反応を返した。
「何もせず。三日後に蘇らせる。エルマー、お前は駆り出されるぞ。いま城の者がお前を探している。」
「いやだああ!!」
「俺は番いに会いに行こう。くふ、束の間の休息だ。いいか、三日後に必ず事は起こる。その慌ただしさに紛れて墓荒らしをするぞ。」
ジルバはそういうと、散々肘置きにしていた棺の蓋に手をかける。ぎい、と音を立てながら扉を開くと、天鵞絨の生地が張られた内側で、白い百合の花に埋もれるかのように、仮死状態のアロンダートがそこに眠っていた。
「毛先を貰おう。」
影で形成した裁ち鋏のような何かで、シャキンとアロンダートの黒髪の一部を切る。ジルバはそれを小瓶に入れると、その口元を満足そうに歪めた。
「お前のそれは何なんだ。」
「何だ、知りたいのか。」
エルマーの問いかけに、ジルバはニヤリと笑みを浮かべる。どうやら答える気はないらしい。確かに気になりはするが、藪を突いて蛇が飛び出してきたらたまったもんじゃない。エルマーはひくっ、と口元を引き攣らせると、やっぱりやめておくと、聞くことを辞退した。
カタン、と音がした。
グレイシスはぴくりと耳を澄ますと、そっと枕の下に手を入れた。
指先が硬質な金属の持ち手に触れる。それを握り込むと、瞼を閉じて気配を研ぎ澄ませた。
「…グレイシス、起きているか。」
「父上、」
嗄れた声がした。年老いた王、その人である。
アロンダートの死は、国民へは流行り病を拗らせてということになった。笑えることに、王城内での王族の突然死に取り乱したのは自身だけであった。
城内にいたカストール共和国の使者は、死の真相は先日の魔物の襲撃による傷が祟ったものだとアロンダートの従者から伝えられ、大層悔やまれたという。
ー殿下は国民へ、不安を煽らないようにと自身の死の真相すらも秘匿されるのですね。
その言葉の奥に隠された本当の意味を、正しく捉えたのはグレイシスだけだろう。
王はその答えに満足したように頷いていた。まるでこれこそが皇国の王族たる者の国民への示し方だと言わんばかりに。
「おお、可哀想なグレイシスよ、お前が酷く取り乱したと聞いて、儂は気が気ではなかったよ。ああ、酷い顔色だ。」
「父上、父上…」
グレイシスは、そっと王へと手を差し伸べた。まるで幼子のように、いとけない顔でだ。
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父王は自尊心を満たしていた。この苛烈な王子が、己にだけ見せる甘やかな表情、そしてその手綱を握っているという優越感。
全部、全部ハリボテなのに。
太り、生き汚くその玉座を汚している愚かな父の芋虫のような手のひらが、そっとグレイシスを抱き締めた。
脂肪で歪に膨れる背中へと手を回し、乾いて牧草のようになった金髪へと手を差し入れる。
グレイシスの首筋に、父王のすえた臭いのする舌が這わされた。グレイシスは、こうすることでしかアロンダートを守ることができないと言い聞かせてきたのに。
「アロンダート、」
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グレイシスの心の中の悲鳴は、薄玻璃に入った皸のようにじわじわとその心を侵食していった。
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