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シュマギナール皇国編

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「はっ、」

パチリと目を覚ましたエルマーは、慌てて飛び起きた。トッドに締められて落ちた後、どうやらアランのいる場所に運び込まれたらしい。
ダラスの部屋とは違い、少しだけ埃っぽいサロンの一室には誰もおらず、エルマーただ一人であった。
それもそうだ。確か、教会へ手続きをしに行くとダラスが言っていた。
寝乱れた髪を直すように手櫛で整えながら、寝ていたソファーから起き上がる。横を見れば、もうすでにアランの体は棺に入れられていた。

トッド達は、ナナシは何処だろう。自分の記憶の限りでは、不穏な勘違いを正せないまま落ちた気がする。誤解を招いているのなら、早急に解きたいところである。

「…………。」

ぼりぼりと頭を掻きながら、くありと欠伸をする。なんだかえらい目にあった。吐いたおかげで体はスッキリとはしているが、今度は普通に朝…いや、昼勃ちだ。
股間にぶら下がっているものを暫く慰めていない。アランが居なければ、気を使わずに抜いていただろう。

着ていたシャツとパンツの上に、ナナシのローブが被さっていた。
床に置かれたインべントリと靴。寝やすいようにと装備を緩めてくれたらしい。
エルマーはひとまず靴に足を通すと、そのままブーツの紐をしっかりと締める。
いつもの日課をこなすべく、己の魔力の通りに異常が無いかを確認する。体調管理程ではないが、巡りが悪いといざというときに不便をする。これは従軍時代からの癖のようなものだ。
スッとなんの抵抗もなく全身に巡ったのを確認すると、つま先で床を叩いてブーツの履き心地を確かめた。

「っし、とりあえず飯…あ?」

エルマーが軽い柔軟をした後宣えば、まるで寝起きのルーティンが終わるのを待っていたかのように、部屋の扉が開いた。

「あ、サジ。」
「うむ。」

ヒョコリと顔を出したサジの様子を見て、エルマーが怪訝そうな顔をする。
どことなく疲れているというか、げっそりしている。普段は飄々としているサジの見慣れぬ姿を前に、嫌な予感がじんわりとエルマーの思考に染みを作る。

「エルマー、まずいことになったぞ。うむ、非常にまずい。」
「あ?」
「お前、種の強化魔法を解いたろう。」
「種の………、あ。」

何か忘れているような気がしないでもなかった。確かに、言われて見ればすこぶる魔力の巡りが良い。それは己の魔力を、何にも割いていないという証明だ。
つまり、気絶しているうちに種の強化魔法が解けたということだ。すなわち、仮死薬が効果を発揮したともいう。

「ああ、アロンダートは?」
「今は私室だ。グレイシスが慟哭してえらいことになっている。まったく、こじらせた兄弟愛というのは、どうしてこうまで面倒くさいものなのだ…」

溜め息を吐くサジに、エルマーはなんとなく察した。
どうやら、アロンダートを嫌うことで矜持を保ってきた兄が、弟が死んだと勘違いをしてパニックになったらしい。
ああ、たしかに面倒くさそうだと引きつり笑みを浮かべると、サジはアランの棺に向かい、時の進みを留める魔法で棺の中の空間を固定した。

「埋めに行かねえの?」
「ばかもの、第二王子の突然死だぞ。優先順位が変わるだろうが。まったく、エルマーが気を抜かなければこんな事には…」
「いやトッドが絞め落とさなきゃよかったんだろうが。ったく、アランをここに置いとくわけには行かねえだろ。ほら手伝え。」
「…おまえの優しさは、たまに不器用よな。」
「あ?」

サジがなんとも言えない顔でエルマーを見る。後回しにされたアランをサロンに放置するくらいなら、一緒に移動しようと思ったのだ。
わけのわからぬことを宣うサジを無視し、エルマーはインべントリの口をガパリと開く。
そのままアランの眠る棺を豪快に飲み込ませていくエルマーに、サジは呆れたような目線を向ける。

「おうおう、罰当たりなヤツよな。」
「何いってんだあ。善意だろうが。」

まさかアランもこんな目に合うとは思わなかっただろう。もしアランが眼の前の光景を眺めていたとしたら、エルマーに呪詛を吐くに違いない。
棺をインベントリに打ち込むなんて!!君には常識はないのか!?多分、そんなことを言って、エルマーをポカポカと殴っていそうだ。

「んで、ナナシは?」
「アロンダートの私室だ。状況から突然死ということになっている。サジたちはダラスの元に居たからな。無罪というのも変なのだが…」
「あー‥」

サジの言いたいことがわかったらしい。エルマーは面倒くさいと顔に文句を貼り付けたまま、インベントリを背負う。
悪気はなかったとはいえ、己の手落ちではある。
息の詰まる空間に再び戻るのは嫌だと駄々を捏ねるサジを引きずりながら、エルマーはサジと共にアロンダートの部屋へと向かった。

道中、魔女だと慌てた様子で道を譲る侍従を横目に通り過ぎる。城の中は息苦しくて敵わないと辟易するサジに珍しく同意を返したエルマーは、アロンダートはもっと我慢をしたのだろうかと、そんなことを思った。

アロンダートの私室に近づくに連れ、少しずつ侍従の出入りも目立ち始めた。
人の出入りが増えたのが、仮死状態になってからだというのは皮肉なものである。エルマーは、棺を運び込んでいるらしい葬儀屋の者たちを横目に、近づくに連れて俄に騒がしくなる部屋へと目を向けた。

「いやだ、ならぬ!!アロンダートを連れて行くなどと、誰が申すのか…!!いやだ、いやだ、触れるな…!!」
「グレイシス様、なりませぬ!死者に触れれば身を清めねばなりませぬ!どうかお戯れはよしてください!!」
「貴様は、死して尚、余の弟の事をそのように申すのか!!許さぬ、そこに直れ!!叩き切ってくれる!!」
「ひ、っ!し、しかし生者が触れると、死者が迷います!これは教会のしきたりでございますれば、何卒ご容赦いただきたく…!!」
「だまれ!!許さぬ、アロンダートは余の、…!!」

グレイシスは、酷く取り乱していた。
その整った顔立ちは涙に濡れ、ひぐ、と喉を詰まらせながら、慟哭をするように叫ぶ。
なるほど、気丈に振る舞っていたのは弟の存在があってこそのようだ。まるで癇癪を起こすように駄々をこねる第一王子を前に、エルマーはサジが辟易している様子に納得した。確かにこれは面倒くさい。

ナナシは隣の別室でギンイロと共に居た。トッドはダラスと葬儀の準備をしているようで、アロンダートが逝去したという一報が市井に知らされるの、は明日の昼過ぎだという。
時間は有限ではない。しかし、第二王子と仲違いをしていたグレイシスのあまりの変貌ぶりには、皆一様に戸惑いの表情を浮かべていた。

「許さぬ!!…っ!!」

銀色の美しい刀身は、光を弾くかのようにして振り上げられ、細い刀身が侍従へ向けて振り下ろされるかに思えた。
その一瞬を捉えるかのように、グレイシスが握るレイピアを、その細い手首ごと掴んで止めたのはエルマーだった。

「やめとけ。」
「っ、」

乱心したグレイシスに、怖じることなく嗜める謎の人物へ、その場にいた城の関係者達の視線は注がれた。
青褪めたまま、それでいてどこか安堵するかのようなその様子は、まるで面倒事を押し付ける先を見つけたかの様は、そんな意味合いも含まっていた。

「兄ちゃんよ、寝てんだから騒がしくしてやるなって。」
「貴様、っ、…!!不敬だぞ!!その汚い手を離せ!!」
「あ?お前まじで可愛くねえな。やんのか、コラ」
「ぅ、っ」

グレイシスの言い分に、エルマーのこめかみに血管が浮かぶ。細い手首を掴むと、持ち上げるかのようにしてグレイシスをつま先で立たせた。
苛立った様子のエルマーに呆れた目を向けたサジが、嗜めるようにエルマーの後頭部を叩いた。

「エルマー。今はそうではないだろう。収めよ。ほら、貴様ら今のうちにアロンダートを運び出せ。この機を逃すな。 
「っ、いやだ!!アロンダート、アロンダート!!」

グレイシスの悲痛な叫びに、エルマーは溜め息を吐く。ここで我慢してもらわねば、本来の目的を果たすことは出来ないのだ。可哀想だとは思わないが、こんなに千切れそうな声で喚くなら最初から嫌うなとも思った。

「エルマー、悪いが任せるぞ。サジはジルバのもとに行かねばならぬ。それと、ナナシを連れて行くから、早く収めよ。」
「ガキの相手は趣味じゃねえんだけど。」
「ガキだと!?貴様、余をガキだとはなん、むー!!」
「うるせえうるせえ。わかったから早くいけ。」

サジは渋い顔をしなから、喚く口を押さえてグレイシスを羽交い締めにするエルマーを見る。泣き喚く子供を宥める親のような姿が笑えるのだが、そんな姿を見せればまたナナシが拗ねるだろう。
サジが続き間になっている隣からナナシを連れてくると、やっぱりムスッとした顔をしてエルマーを見た。

「える。」
「おー、あ、ナナシ…まだ怒ってる?」
「…える、ナナシもおなじことする。やだ?」
「他の男に触らせたら、そいつを殺す。」
「……うぅ、」

なんだこのやりとり。サジは泣いているグレイシスを羽交い締めにしたまま、平然とやり取りをするエルマーに尻がむず痒くなるような、妙な心地になった。いい加減にしろと思わなくもない。
エルマーの言葉に、怒りながらも照れるといった器用な事をするナナシを見て、エルマーは堪らずグレイシスを術で縛ると、その体をベッドへと放り投げてナナシの元へと駆け寄った。
この国の第一王子に散々不敬なことをしているので今更なのだが、余程衝撃的だったのだろう。グレイシスは目を丸くして固まっていた。
そんな不敬の権化であるエルマーはというと、まるで雄が雌にへりくだるようにナナシの前に跪き、拗ねたような顔をする己の大切の手を取って懇願するかのように宣う。

「ナナシ、そんな酷えこと言わねえで。今回は俺が悪かったからさあ、でもお前にだせえとこ見られんのだけは、嫌だったんだあ。」
「える、でもナナシはやだよう。ナナシのことさわってくれないのに、ほかのひととやらしいのする、やだよう。」
「なんつー可愛いこと抜かすんだ。お前、そんな可愛くてよく今まで純粋に育ってきたな。あーかわいい、どうしようサジ。俺のナナシがこんなにもかわいい。」
「心底どうでもよい!もうお前ら面倒くさい、はやくお前もハメればいいだろう。」
「だめだあ!ヤんならきちんとしたとこで手順を踏んでから抱きてえ。なあナナシ、つまんねーって笑っていいからよ、もうちっと待っててくんねえか?だめ?」
「うー‥、いいよう、でもやくそくしてくれるう?」
「小指ごと差し出しても構わねえ。」
「それはだいじょうぶだよう…」

このバカップルめと言わんばかりのサジの態度を前に、お前もランデブーするのに恋人を仮死状態にさせるサイコパスだろうがとエルマーは思った。
結局、エルマーはナナシに言わなきゃいいのに、この後後ろの馬鹿者を宥めるのにまたナナシに嫌な思いをさせちまうかもしれんと宣った。
ナナシにのみ馬鹿正直なエルマーの発言に、先程の話を聞いてたのかと、呆れた雰囲気を纏うナナシが、なんとも言えない表情で頷く。どうやら仕方なく割り切るという心地の一つを、学んだらしい。

サジはナナシのそんな姿を見て、子供が大人になっていく瞬間を見たような気がした。というより、なんでお前はこんな時だけ正直に伝えるのだとサジは思った。
それは単に己も数多の男の竿を食べ比べしてきたからにほかならない。それをアロンダートに知られるのは、やはりサジといえどもあまりよろしくない。知られて、お仕置きをされたら体力的に不安が残る、それは先日痛いほどわかったからだ。

「別にこのまま放置してもいいのだろう?とうに動けなくしたのなら。」
「構わねえンだけどよ。まあ、蟠り残しとくと後々だるい気がするう。」
「経験談か。」
「そんな感じだぁな。」

抱き上げたナナシの唇に甘く吸い付く。ちゅ、と音を立てて唇を離すと、そのままサジにナナシのことを手渡した。

「サジのこと頼むな。」
「はぁい。」
「はあ!?サジがおもりをするのにか!!不服である、訂正し」

喧しいサジを扉の向こう側へと押し込んだ。まだ扉の外で喚いているサジを無視をしながら、エルマーは扉の前でずるずるとしゃがみこんだ。
あー、かわいい。自分も向こう側に行きたい。こんな奴の為に時間を取ってやる必要なんてない筈なのになあと、先程と真逆なことを思いながら、静かに悶絶した。

「ふん、下層のもの同士の乳繰り合いなど、反吐が出る。」
「あーそうかい。なら聞かなきゃ良かったんじゃねえの。」

先程の情けない声とは違う冷たい声色に変わったエルマーに、グレイシスは僅かに身構えた。
大きな溜め息ととも、気だるそうに立ち上がる。エルマーはごつごつと何かが仕込んでありそうな重いブーツの音を立てながら、グレイシスが倒れ込んだベッドに腰掛ける。
どかりと座ったせいだろうか、ベッドのきしみ音と共にグレイシスの体が僅かに跳ねた。


「余に近付くな、不届き者め。」
「あ?駄々こねるバブちゃんが威張ってんじゃねえぞ。」
「巫山戯るな、赤子扱いだと…!?貴様、この術を解け!今すぐ叩き切る!!」
「こんな目にあっても威張るのかあ。おまえの弟のが理性的だぁな。」

がばりと起き上がってきたグレイシスの肩を掴むと、エルマーは体を押さえつけるかのように腰に跨る。
今だ喚いているグレイシスへと覆い被さるように顔の横に手をつくと、エルマーはその口元を覆うようにして手で押さえつけた。

「ンぐ…っ、!」
「意地っ張りィ。ちっと位素直になれ。」

至近距離で見つめられる。掠れた声が甘く腰に響き、自分の体の反応に戸惑ったように瞳を揺らした。手で隔てているとはいえ、口付けてしまいそうな距離だ。その身をひくんと震わせる。
どうやら体のほうが素直らしい。エルマーはグレイシスの反応を見てなにか思い至ったのか、その口元を緩ませる。悪い大人の笑みだ。しかしそれはエルマーに親しいものでなくてはわからないだろう。
現に。その笑みの意味はグレイシスには通じたはいない。幼子を見守る大人のようなエルマーの目に見つめられたと錯覚した体は、じわじわと羞恥心に苛まれていく。

「グレイシス…」

エルマーの美しい顔が、翡翠の瞳をまっすぐに見つめた。魔物のような金色の瞳が、とろりとした光沢を帯びる。
その瞳に捕らわれるかのように、瞳の内側に映ったグレイシスの姿は、まるで怒られた幼子のような稚さを宿していた。

「あ、っ」

ぞくりと、体中の神経が忙しなくざわめく。ぶわりと体に広がったのは、感じた事の無い多幸感だ。精神支配の魔法は、抱えている思いが重い程によく効くのだ。エルマーの得意とするその魔法は、正しくグレイシスの深部にまで届いたようだった。

「あ、あ、っ」
「なあグレイシス、お前は一体何を抱え込んでいる。いい子だから、言ってごらん。」
「ひ、っ…」

頭を撫でられ、かくん、と腰が揺れる。思考も覚束ぬほどの甘やかな快感は、グレイシスに夢を見せているかのようだった。
熱い吐息が、エルマーの手のひらにあたる。そっと口元を覆っていた手を離せば、濡れた唇から唾液が一筋伝った。
エルマーの手のひらと繋がっていた銀糸がぷつりと切れる。それは、グレイシスの内側で蹲る幼いままの自分を押さえていた、理性だったのかもしれない。

「ぼ、ぼく、ぼく…は、…」

泣きそうな声で言葉を紡ぐ。自分のことを僕、と呼んだ濡れた顔のグレイシスを前に、エルマーは堕ちたことを確信した。
自分よりも小さな手のひらが、不安げに服の裾を握る。エルマーはその手を開くように裾から外すと、柔らかく握りしめてやる。
そっと引き寄せ、その華奢な体を抱きしめると、後頭部に手を這わせるかのようにして頭を撫でた。
自分とは違う、男らしい体に抱き込まれたグレイシスの涙腺が壊れる。その白い頬に幾筋も涙を伝わせると、奥深く、押し込めていたはずの幼い感情が、ゆっくりと顔を出す。

「お前はいい子だ、グレイシス。言えるだろ。」

いいこ、だ。そうだ、僕はいいこ、だ。
苦しいくらいに抱きしめられ、グレイシスは虚な思考のまま、ゆるゆると頷いた。言葉を促すように優しく体を撫でられる。
この腕なら、何があっても守ってくれるかもしれない。そんな、エルマーが思い込ませた偽りの信頼に背中を押されるようにして、内側に凝っていた感情の昂りが呼吸に合わせて吹き上げるように、小さな子供のような嗚咽が口から漏れた。

「や、やだった…やだったんだ…お、おとうと…が、く、くらべられ、るの…っ」
「かわいいグレイシス、お前はアロンダートのお兄ちゃんだったものなあ。」
「うん、うん…!」

エルマーの声が、グレイシスの耳元を掠める。甘美な痺れが優しく神経を伝う。ひくんと、肩が揺れた。エルマーの手が触れる場所が気持ちよくて、その指先で涙を拭われると、逞しい背中に縋るように手を回した。
気持ちがいい。脳が馬鹿になるような快感が、その正しい判断を奪い取る。このまま身を委ねてしまいたい。
エルマーは、そんなグレイシスの心の内を理解しているかのように、ひどく優しい手つきで甘やかす。その唇を耳元に寄せると、柔らかな耳朶をがじりと喰む。

「あ、…ま、ままが、ままがいけない、んだ…っ、ぼ、ぼくはなかよく、したかった…」

本当は、仲良くしたかった。だけど、幼気な子供同士のやり取りにさえ大人の目があった。だからアロンダートに手を伸ばすことすら出来なかったのだ。
グレイシスは、植え込みの僅かな隙間に座り込み、膝を抱える弟の手を取って、一緒に遊ぼうと声をかけるだけで良かったのに。それを大人達が許さなかった。
大人の醜い感情が、幼い子どもたちを気負わせる。何故、大人が自分よりも小さな子に意地悪をするのかが分からなかった。
グレイシスの母が振りかざした矜持が、目に見えぬ鎖となって、その幼い体をどれほど縛り付けたのか。

貴方は一番でなくては。
貴方は王でなくては。
学びなさいグレイシス。
子供じみたことをしてはだめ。
あれをなさい
これをなさい
お父様の言うことを、よく聞くのよ。

「ひ、っ…」

グレイシスの声が引きつる。エルマーは頭を抱えて震えだす様子を黙って見つめた。
幼い頃からの、絶対の言いつけを守り続けてきた。まだ柔らかな体を痛ぶるように、王が手を伸ばしても、それは父による教えだと言われていた。
ざらついた粘膜が、体を這い回る。そんな恐ろしい感覚が唐突に蘇り、グレイシスの喉はか細く悲鳴をあげた。

「や、やだ。やだよ、やだあ…っ、ち、ちうえ…!!」
「グレイシス、ここに王はいねえ。どうした、何に怯えている。」
「やだ、さ、さわらな…い、いたいのは、やだ…!」

はあはあと荒い呼吸をしながらグレイシスが蹲る。背中を撫でながらエルマーが宥めすかす。尋常ではない怯え方に、エルマーは眉間に皺を寄せる。
ベットの上で丸くなり、小さく震えるその姿は子供のようだった。深く堕としすぎた。まさかここまでグレイシスの矜持がハリボテだったとは思わなかった。これは、エルマーの落ち度だ。
美しく整った顔を真っ赤に染め上げ、喘ぐように荒い呼吸を繰り返す。エルマーの手に縋り付くように頬を寄せれば、無意識のまま、グレイシスはじわりと腰まわりのシーツを濡らした。

「いたい、いたいのはやだ、やだよ…」
「犯されたのか、」
「ひう、っ…あ、あー!!」

細い体を、自ら守ように抱きしめながら、ぶるぶると震える。グレイシスの記憶の扉は開け放たれ、老いた父王から、初めて体を開かれた時のことを思い出させていた。
エルマーは小さく舌打ちをした。首を突っ込んだせいで、更に面倒くさいことになったからだ。

広いベットの上で、怯えながら泣くグレイシスの姿に、エルマーは頭が痛そうな顔をする。グレイシスの涙をそっと拭うと、額を抑えながら項垂れた。

「なんつー、こいつも被害者じゃねえか…。」

ぐすぐすと泣きながら指をくわえるグレイシスは、小さな頃に戻っているかのようだった。その頭をわしゃわしゃと撫でると、エルマーは倒れ込むようにシーツに顔を埋めて、泣きたいのはこっちだとくぐもった声で宣った。



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