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シュマギナール皇国編
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何かが凭れ掛かるような壁の軋みがした後、それは床に倒れ込んだようだ。
微かに響いた床への振動に、ナナシはエルマーにしがみつく力を強めた。もしかして、また幽鬼が出たのだろうか。そんなナナシの怯えた表情に、エルマーはその背を宥めるようにして撫でる。
「大丈夫だ、魔物じゃねえ。」
エルマーの金色が、す、と細まった。その音に警戒はしたものの、呼吸音から幽鬼ではないだろうとあたりをつける。ナナシを下ろし、よいせと立ち上がると扉を開けた。重心が移動するように、ドアノブを回すだけで扉は勝手に開く。
その扉の僅かな隙間を縫うようにして、物音の原因である人物が、扉に背を擦り付けるかのようにして倒れ込んできた。
「っと、んだぁ?」
「はぁ、っ…あ、え?」
エルマーの足元に、既知感のある亜麻色の髪が広がった。華奢な体は床に頬をつけたまま小さく身動ぐ。エルマーが立膝をつくようにしてしゃがみ込むと、その髪を横に流して顔を晒した。
無骨な指が頬を擽るように触れる感触に反応してか、薄茶の瞳がゆっくりと開かれる。
「君は…っ、」
細い四肢をつっぱらせるように起きあがろとするダラスの体の下に、手を差し込んだ。エルマーが見かねて手を貸したのだ。その華奢な体を起こしてやる。触れた体の体温は低くはないはずなのに、ダラスは小さく身を震わせていた。
「あんた、ダラス?なんでこんなとこに…」
「それは、っ」
ダラスの唇が、エルマーの問いに答えようと微かに動いた。しかし、それは遮られてしまった。
どこからか聞こえてきた金属の擦れあうような音を耳にして、怯えるようにその身をこわばらせたのだ。
「っ、」
「…ちょっと待ってろ。」
息を詰め、震えるダラスを抱き上げると、エルマーは音を立てないようにそっと扉を閉めた。
口を押さえながら、その瞳に怯えを宿すダラスの体をソファに座らせると、エルマーはインベントリから取り出した短剣を片手に、その扉の真横の壁へと背中を貼り付けた。
戸惑ったようなナナシの瞳が見つめてくる。エルマーは人差し指を一本立てると、それを唇に当て、静かにするようにとジェスチャーをした。
ナナシの唇が、小さく噤まれる。こくんと頷いた己の大切に微笑むと、エルマーは感覚を研ぎ澄ますように、小さく息をついた。
鋭い音とともに、扉はしなるようにして開け放たれた。小さな悲鳴を合図に、エルマーはその長い足を勢いよく振り上げる。
「はい、いらっしゃい。」
「ガッ、…!」
現れた怪しげな男は、己の正面で怯える少女に気を取られたその僅かな間を許し、鋭い一打を顔面に許してしまった。顔の内側が弾けるほどの衝撃に、一瞬意識が遠のく。
エルマーはその手を伸ばして襟元を引っ張ると、遠心力でしなる男の頭に、扉を強かに打ち付けた。部屋の中では、突然の奇襲に対応したエルマーの粗野な暴力に、目を丸くしたダラスが絶句をしている。
扉での殴打に膝を折った男の胸ぐらをむんずと掴むと、エルマーはその体を己の背で持ち上げるようにして、床へと叩きつけた。
「ぃあ、っ!」
「よいしょっとぉ、おうおう。物騒なもんぶら下げちゃってまァ。」
投げ出された男の体を跨ぐような形で、どかりと腰を下ろす。顔を押さえて悶絶する男の、腰の獲物である青龍刀を引き抜くと、それを部屋の端へと床を滑らせるようにして遠くへ投げる。
「他にはねえの?んー?」
「ぐ、っ…や、やめっ…」
起きあがろうとする男の背中を手のひらで制すると、エルマは後ろから羽交い締めにするように、服の中に手を突っ込んだ。衣服の前を寛げるかのようにして中に手を這わすとと、やはり暗器は仕込んでいたようだ。
胸元を弄るようにして、エルマーが暗器のホルスターを外すそうとしたタイミングで、今度は開け放たれた扉からトッドが姿を表した。
「エルマー!だら…って、」
「あ?」
エルマーの間抜けな声が、トッドに向けられる。部屋に飛び込んできた体勢のまま固まるトッドの背後には、追いかけてきたのであろう、サジやアロンダーとも顔を出す。
トッドはというと、その顔をゆっくりと赤らめると、ワナワナと震え始めた。どうやらエルマーが男を組み敷いて服の中を弄るようにして責め立てている姿を見て、何かを勘違いしたらしい。唇を真一文字に引き結んだトッドの後ろから、サジが噴き出すようにして笑いかけ、アロンダートに嗜められていた。
「あれ、飯は?」
「いや、あんたなにして、っ!」
「おわっ、」
突然の身内の登場に、エルマーの気が緩んだ。その隙を許すほど男も間抜けではなかったらしい、エルマーを持ち上げるかのように、勢い良く背筋だけで身を起こした男は、その腕を振り上げてエルマーを床に転がそうとした。
しかし、その腕をぱしんと音を立てて受け止めると、捻り上げるようにして海老反りで体を固めて捕らえ直す。
「く、っ」
「いや、ダラスが来た後にこいつが来たからさ。」
「祭祀!!!!」
悲鳴混じりにトッドが叫ぶ。その巨躯からは想像がつかないほどの俊敏さで、ソファーから身を起こすダラスの元に駆け寄ると、縋り付くようにして怪我がないかを確認していた。
グレイシスとやり取りをした後、一行は礼拝堂に向かったのだが、そこに探し求めていたダラスは居らず、大慌てで探していたのだ。
部屋に戻れば、この状況。どうやらエルマーの組み敷いている男は闖入者らしいと理解すると、サジはつまらなさそうな顔で歩み寄る。
「なんだ、拘束か。プレイかと思ったぞ。」
「いやなんでだよ。流石にこんな硬い男抱く気はねえ。」
「それにしても手付きがいやらしくはなかったか?」
「暗器仕込んでねえか探してただけだっつの、ほれ。」
ひょいと服の隙間から細い針のような武器が固定されたベルトを取り出す。サジはそれを見て、ふーん、などと興味もなさそうな顔をした。サジが毎回やらしい目でしか物事を見ないというのは既に知っていた為、エルマーも特に何も言わずに無視をする。
跨った男は、布の下で心底嫌そうに顔を潜めたのだが、それを知られることもなかった。
体から外したホルスターを、青龍刀と同じところに放り投げると、エルマーは腕を固定したまま男を覗き込んだ。
「んで、何者。」
「言わぬ。」
「おやまあ。」
声からして、若そうだ。頑なに口を閉ざす男に面倒くさそうな顔をすると、ダラスの方へと視線を投げる。まるで、逃げるかのようにしてこの部屋に駆け込んできたのだ、何があったのか聞くのは構わないだろう。
「ダラス、なにこいつ。」
「様をつけなさいあんたは!」
「ダラスちゃん。いってえ!」
不敬極まりない態度のエルマーに、トッドが勢いよく頭を叩く。お仕置きだとしても。目から火が出るかと思うくらいの衝撃だった。
ダラスは、エルマーの問いかけに困ったように眉を下げると、ちらりと男を見た。
「わかりません。祈りを捧げている最中に、襲われたとしか。」
「ふうん。お前どこの回しもん?それともさっきの奴らとなんか関係あるかんじ?」
「…あ。」
「あ?」
項垂れるように大人しくなった男に問いかける。男は、ボソリと何かを呟いた。布越しの声が小さすぎて何を言ったのかは分からず、エルマーはその顔の側に耳を寄せるようにして聞き返す。
「ニア、」
なんだ、と思った瞬間だった。
微かな衣擦れの音がしたかと思うと、男の服の衿から白い何かが飛び出してきた。
「エルマー!!!」
己の名前を誰かが叫んだ。首へと何かがぶつかったかと思えば、鋭い痛みが首筋に走った。慌てて体を離したが、エルマーの首筋には蛇が噛み付いていた。
目端に映る、長く白い体に目を見開く。なんでこんなところに蛇がいるのかがわからなかった。
その、一瞬の隙きを男は逃さなかった。エルマーに跨がられていた男は、のけ反ったエルマーを腕を振り上げて払い落とす。取り押さえようとしたアロンダートの手をすり抜けると、素早い動きで部屋を駆け、飛び込むようにして窓を突き破って外に出た。
「っ…、ぐ…」
いつもなら直ぐに起き上がるのに、動けない。完全にしてやられた。エルマーは噛みつかれた首筋から、徐々に体へと異常をきたしていくのを感じ取る。
油断が招いた愚かだ。思考がぼやけてくる。エルマーが震える手で蛇の胴体を鷲掴んだが、不思議なことにその体はホロホロと崩れるようにして消えてしまった。
床に身を投げ出したエルマーを見て、目の前の出来事に取り乱したのはナナシだった。
「える、っ…!!」
ぐったりしたまま、動けずにいるエルマーに縋り付く。首筋の傷から、植物の根のような赤い痣が広がっていた。
呼吸が深い、ナナシがエルマーのインベントリからポーションを取り出したが、その手はコルクを抜く前に止められた。
「やめなさい、毒を抜く前に傷が塞がってしまう。」
ナナシの手を止めたのはダラスだ。縋り付くような目で見上げるナナシの、その美しい金色の瞳を向けられたダラスの表情は、僅かに驚いたようなものになった。
「でも、っ…」
「大丈夫です、…」
ダラスはそっとエルマーの首筋に手を触れると、そっと毒を吸い出すようなイメージで、徐々に手のひらをゆっくりと上げていく。小さな傷口から、黄色い雫がぷつり、ぷつりと浮かび上がってくると、それに合わせるかのようにエルマーの首筋に這わされた細い根のような痣は消えていく。
「見事なものだな。」
「城に勤めていると、覚えざるを得ません。」
ダラスの言葉に渋い顔をしたのはアロンダートだ。第二王子としてその言葉の意味は痛いくらいに理解している。
ナナシは徐々にエルマーの顔色が戻ってくるのを認めると、その表情に安堵の色を浮かべた。毒が吸い出され、赤い痣が消えたことを確認すれば、ナナシはダラスに指示されるままに、エルマーの首筋へとポーションをかけた。
「神経毒ですね、この場に私がいてよかった。」
「ださいぞエルマー。油断するからだ。」
「えるぅ、よかったぁ…」
ぎゅうぎゅうと抱きついてくるナナシを、重だるい身体で受け止める。宥めるように華奢な背中を撫でたエルマーは、まだぼやける思考のまま、小さく頷いた。
サジも口は悪いが安心したようで、小突くようにしてエルマーの肩を叩く。
しかし、先程の感覚とはまた違う体の具合に、エルマーはムクリと起き上がると、少しだけバツが悪そうにボリボリと頭を掻いた。
「こら。急に起き上がるのではなく、ゆっくりと…」
「あー、うん。悪い…」
ひとまず危機を脱したことを理解したのか、トッドは今度こそとダラスに駆け寄る。
エルマーも心配ではあったが、ダラスが処置を施したのなら安心だと思っているのだ。トッドはダラスに縋るようにその手を取る。
「祭祀様、どうかアランへ祈りの言葉を捧げてはくれませんか!」
「そうだ。本題はそれだった。」
思い出したかのようにサジが言う。ダラスはトッドに促されるように振り向いた。
視線の先には、白いベッドに血を滲ませて、穏やかに剣を抱いて眠るアランの姿があった。
体を酷使し、命の灯を終えたその姿を認めると、ダラスは裾を揺らしながらゆっくりと立ち上がった。
男にしては小柄な体が、そっとアランの元に向かう。アロンダートもエルマーに気を使いはしたが、その背に続くように立ち上がる。
エルマーはというと、皆が祈りの言葉を聞くためにベッドの周りに集まるのに気づきながら、片手で顔を抑えたまま無言で膝を立てた。
「える、へいき?」
「おう、元気すぎるくらいだあ。」
ボソリと呟く。ナナシはエルマーの気だるげな様子に首を傾げて不思議そうな顔をしたものの、エルマーの隣にくっつくように座ると、ダラスがアランへと祈りの言葉を捧げるのを、膝を抱えて聞いていた。
「?」
柔らかで優しい声で紡がれるダラスの言葉に、どこか既知感を感じた。ナナシの金色はダラスを映したまま、記憶の海の中、その感覚の答えの在り処を探すように逡巡した。それでも、自分が何に気になっているのかがわからず、困ったように再び首を傾げた。
サジがアランの髪に飾られた花と、腕の包帯に気がつく。ちらりとエルマーを見ると小さく笑った。
「随分可愛くしてもらっちゃって…」
トッドが涙目で飾られた花に触れた。ダラスは最後に聖水を振りかけると、そっと髪に触れて身型を整える。
眠るアランの胸元に添えられた、ダラスの華奢な手のひら。動かぬ心臓の上を撫でるかのように触れると、ダラスは労わりの言葉を手向ける。
「この方のご家族は、」
「おりません、私が家族のようなものですわ。」
「そうですか…明日、私の方から教会へは話を通しておきます。本日は皆さんが側にいてあげてください。」
「ああ、ありがとう。」
アロンダートはダラスにお礼を言う。どうやら彼の穏やかな人柄に心を許しているようで、その言葉には信頼が込められていた。
サジはその横で少し考えるような素振りを見せると、ラブラドライトの双眸にダラスを映した。
「おい、ダラスとやら。お前はどうするのだ」
「サジ、あんたも口には気をつけなさいって!」
「構いません。そうですね…、ひとまず明日考えます。私は一度部屋に戻らねば。」
「送っていきますわ。」
「ああ、そうしてもらうといい。本当にありがとう。」
トッドは目配せをしたアロンダートに小さく頷く事で答えると、そのまま動かなくなったエルマーへと目を配らせた。
赤毛の頭を差し出すように俯いている。煩いくらいの男が、随分と大人しいのが気になったのだ。
その視線を感じ取ったのか、エルマーは何事もなかったかのように顔をあげる。気だるげな表情は、やはり黙っていれば随分と上等である。エルマーはナナシの頭をひと無でして立ち上がると、そのままよろめきながらダラスの前まで足を運んだ。
「俺が行く。」
「は、いやいや!あんた城の中のことわかんないでしょうが!」
「あー‥、そうだった。まあなんとかなんだろ。」
「…まあ、私は構いませんが…、体は?」
「ギンギン。」
「ぎんぎ…」
エルマーの言い回しに、思わずダラスの視線がゆっくりと下肢へと降ろされる。不可抗力だ、男ならその言い回しだけで少なくとも意味はわかる。
エルマーは無表情でいながら、毒の抽出を終えたあたりから勃起が治らなくなっていた。
生命の危機に体が遺伝子を残したくなったのだろう。布越しでもわかる大きさのものが、しっかりとそこで主張していた。
「な、…」
「だっはっは!!!うひ、ひひひひっ、さ、最高だエルマー!!不敬が服着て歩いている!!サジはお前のそういうところ好きだ!!あひゃひゃ!!」
「さ、サジ…静かに…」
泣きながら大笑いするサジとは裏腹に、ダラスは分かりやすく顔を染め上げた。言葉を失うとはこのことだ。
サジの下世話な指摘に対しても、腕を組むエルマーの態度は、その勃起同様随分と堂々としている。
そのまま釘付けになったダラスの視線は、動揺で目を廻しながらも、しっかりとそこに注がれた。
「いえ、あ、あの…気持ちは…ありがたいのですが…」
「ここに残ってりゃナナシのこと襲いかねねえ。便所。ついでに貸してくれや。」
「ええ、ああ…わ、私の部屋で処理するつもりなのですか…」
「あ?お前のことは襲わねえから安心しろ。」
顔を染め上げて狼狽えるダラスに、エルマーは不機嫌に片眉を上げて宣う。別にそういう心配をしていたわけではないのだが、指摘されたことで誤解をさせたらしい。そのことを恥じるかのように、ダラスは少しだけ泣きそうな顔になってしまった。
「安心できるわけないでしょうが!!!」
「いってええ!!」
ドン引きしていたトッドのフルスイングが、見事にエルマーの後頭部に決まる。ナナシはエルマーの堂々たる振る舞いを前に、困ったようにオロオロしていたが、その整った顔をじんわりと染めた。
小さな手でエルマーの手をきゅっと握りしめると、意を決したように宣った。
「ナナシ、いいよぅ…」
「………………いやだめだ。」
据え膳。という単語が思い浮かんだが、ぐっと飲み込む。エルマーとしては、その提案に喜んであやかりたいこと山の如しであったが、断腸の思いで自制した。
ナナシのことを抱くなら、こんな処ではなく、きちんとしたシチュエーションで抱きたい。
テントの中でも平気でセックスできるエルマーが、ナナシに対してはこうも甘かった。
エルマーの言葉にしょんもりするナナシとは違い、そのやり取りに引きつり笑みを浮かべたのはダラスだ。
「わ、私ならいいという基準を教えていただきたい。」
「だってお前犯したらバチあたりそうじゃん。おらいくぞ、」
「なんと、わ、ちょっと待ってくださ、…っ!」
そういうとこだぞ!!とサジの笑い声とトッドの怒鳴り声が飛んできたが、エルマーはひょいとダラスを担ぐと、追手が来る前にさっさと扉を閉める。もう色々なことが限界だったし、早く吐き出してスッキリしたかったのだ。
「お、下ろして…下ろしなさい!」
「ん、」
どうち、わちゃわちゃと頭上で控えめながら嫌味を言っていたようだが、言葉が丁寧すぎてエルマーには伝わっていなかった。
どうやら部屋に着いたらしい。ダラスの文句混じりのナビゲーションだけはしっかりと聞き取ったらしいエルマーが、目の前の重厚な扉を足蹴にするようにして開く。
「まったく、あなたは毒を打たれたというのに、なぜ無茶をするのです…!」
思いの外優しく降ろされた。その絨毯の柔らかさを感じたダラスは、己が素足だったことに今頃気がついた。
闖入者が現れ、逃げるようにして飛び出したせいで靴を履いていなかったのだ。
もしかしたら、この男はそれを気遣って此処まで抱き上げてきたのかと思い至ると、その気遣いに少しだけ悔しそうにした。
「あー。あれはダサかったと思う。」
呑気に頭を掻きながら宣うエルマーには悪いが、私室についたのだから、早く帰ってほしかった。
ムスッとした顔でダラスが見つめると、その整った顔で見つめ返される。無駄に顔がいいのも少しだけ腹が立つ要因だ。
「ダサいダサくないではありません、まったく!送ってくれたのはありがとうございます、どうぞ、来た道をおかえりくださ、っ…」
ダラスの言葉が、不自然に遮られた。エルマーの影が差し込んで、僅かな圧迫感を感じたのだ。
恐る恐る顔を見上げる。その体の距離は思いのほか近く、ダラスは思わず身じろいだ。
「な、ん…っ、」
「なあ、」
ダラスの瞳が揺らいだ。己の顔の横に手をつくようにして、エルマーは身を寄せることで、ダラスを閉じ込めた。
動揺して、エルマーから逃げようと体を背ければ、もう片方の手が、ダラスの逃げ道を塞ぐ。
距離が近い、ダラスの頬を、エルマーの赤い髪がそっと撫でた。そんな距離で、見下ろされているのだ。他人の体温を感じて、小さく息を呑む。
緊張をしているのがバレたくなくて、ダラスは文句の一つでも言ってやろうと、ゆっくりと顔を上げた。
「っ、」
トクン、と体の奥で、心臓が跳ねた。神話に出てくる、雄々しい男神のように造作の整った顔が、己を真っ直ぐに見つめていたのだ。
金色の瞳は、不思議な光を帯びていた。体の内側に火を灯すような、そんな危うい魅力のある男だ。囚われてはいけないと思うのに、ダラスはその瞳から目を離すことが出来なくなっていた。
微かに響いた床への振動に、ナナシはエルマーにしがみつく力を強めた。もしかして、また幽鬼が出たのだろうか。そんなナナシの怯えた表情に、エルマーはその背を宥めるようにして撫でる。
「大丈夫だ、魔物じゃねえ。」
エルマーの金色が、す、と細まった。その音に警戒はしたものの、呼吸音から幽鬼ではないだろうとあたりをつける。ナナシを下ろし、よいせと立ち上がると扉を開けた。重心が移動するように、ドアノブを回すだけで扉は勝手に開く。
その扉の僅かな隙間を縫うようにして、物音の原因である人物が、扉に背を擦り付けるかのようにして倒れ込んできた。
「っと、んだぁ?」
「はぁ、っ…あ、え?」
エルマーの足元に、既知感のある亜麻色の髪が広がった。華奢な体は床に頬をつけたまま小さく身動ぐ。エルマーが立膝をつくようにしてしゃがみ込むと、その髪を横に流して顔を晒した。
無骨な指が頬を擽るように触れる感触に反応してか、薄茶の瞳がゆっくりと開かれる。
「君は…っ、」
細い四肢をつっぱらせるように起きあがろとするダラスの体の下に、手を差し込んだ。エルマーが見かねて手を貸したのだ。その華奢な体を起こしてやる。触れた体の体温は低くはないはずなのに、ダラスは小さく身を震わせていた。
「あんた、ダラス?なんでこんなとこに…」
「それは、っ」
ダラスの唇が、エルマーの問いに答えようと微かに動いた。しかし、それは遮られてしまった。
どこからか聞こえてきた金属の擦れあうような音を耳にして、怯えるようにその身をこわばらせたのだ。
「っ、」
「…ちょっと待ってろ。」
息を詰め、震えるダラスを抱き上げると、エルマーは音を立てないようにそっと扉を閉めた。
口を押さえながら、その瞳に怯えを宿すダラスの体をソファに座らせると、エルマーはインベントリから取り出した短剣を片手に、その扉の真横の壁へと背中を貼り付けた。
戸惑ったようなナナシの瞳が見つめてくる。エルマーは人差し指を一本立てると、それを唇に当て、静かにするようにとジェスチャーをした。
ナナシの唇が、小さく噤まれる。こくんと頷いた己の大切に微笑むと、エルマーは感覚を研ぎ澄ますように、小さく息をついた。
鋭い音とともに、扉はしなるようにして開け放たれた。小さな悲鳴を合図に、エルマーはその長い足を勢いよく振り上げる。
「はい、いらっしゃい。」
「ガッ、…!」
現れた怪しげな男は、己の正面で怯える少女に気を取られたその僅かな間を許し、鋭い一打を顔面に許してしまった。顔の内側が弾けるほどの衝撃に、一瞬意識が遠のく。
エルマーはその手を伸ばして襟元を引っ張ると、遠心力でしなる男の頭に、扉を強かに打ち付けた。部屋の中では、突然の奇襲に対応したエルマーの粗野な暴力に、目を丸くしたダラスが絶句をしている。
扉での殴打に膝を折った男の胸ぐらをむんずと掴むと、エルマーはその体を己の背で持ち上げるようにして、床へと叩きつけた。
「ぃあ、っ!」
「よいしょっとぉ、おうおう。物騒なもんぶら下げちゃってまァ。」
投げ出された男の体を跨ぐような形で、どかりと腰を下ろす。顔を押さえて悶絶する男の、腰の獲物である青龍刀を引き抜くと、それを部屋の端へと床を滑らせるようにして遠くへ投げる。
「他にはねえの?んー?」
「ぐ、っ…や、やめっ…」
起きあがろうとする男の背中を手のひらで制すると、エルマは後ろから羽交い締めにするように、服の中に手を突っ込んだ。衣服の前を寛げるかのようにして中に手を這わすとと、やはり暗器は仕込んでいたようだ。
胸元を弄るようにして、エルマーが暗器のホルスターを外すそうとしたタイミングで、今度は開け放たれた扉からトッドが姿を表した。
「エルマー!だら…って、」
「あ?」
エルマーの間抜けな声が、トッドに向けられる。部屋に飛び込んできた体勢のまま固まるトッドの背後には、追いかけてきたのであろう、サジやアロンダーとも顔を出す。
トッドはというと、その顔をゆっくりと赤らめると、ワナワナと震え始めた。どうやらエルマーが男を組み敷いて服の中を弄るようにして責め立てている姿を見て、何かを勘違いしたらしい。唇を真一文字に引き結んだトッドの後ろから、サジが噴き出すようにして笑いかけ、アロンダートに嗜められていた。
「あれ、飯は?」
「いや、あんたなにして、っ!」
「おわっ、」
突然の身内の登場に、エルマーの気が緩んだ。その隙を許すほど男も間抜けではなかったらしい、エルマーを持ち上げるかのように、勢い良く背筋だけで身を起こした男は、その腕を振り上げてエルマーを床に転がそうとした。
しかし、その腕をぱしんと音を立てて受け止めると、捻り上げるようにして海老反りで体を固めて捕らえ直す。
「く、っ」
「いや、ダラスが来た後にこいつが来たからさ。」
「祭祀!!!!」
悲鳴混じりにトッドが叫ぶ。その巨躯からは想像がつかないほどの俊敏さで、ソファーから身を起こすダラスの元に駆け寄ると、縋り付くようにして怪我がないかを確認していた。
グレイシスとやり取りをした後、一行は礼拝堂に向かったのだが、そこに探し求めていたダラスは居らず、大慌てで探していたのだ。
部屋に戻れば、この状況。どうやらエルマーの組み敷いている男は闖入者らしいと理解すると、サジはつまらなさそうな顔で歩み寄る。
「なんだ、拘束か。プレイかと思ったぞ。」
「いやなんでだよ。流石にこんな硬い男抱く気はねえ。」
「それにしても手付きがいやらしくはなかったか?」
「暗器仕込んでねえか探してただけだっつの、ほれ。」
ひょいと服の隙間から細い針のような武器が固定されたベルトを取り出す。サジはそれを見て、ふーん、などと興味もなさそうな顔をした。サジが毎回やらしい目でしか物事を見ないというのは既に知っていた為、エルマーも特に何も言わずに無視をする。
跨った男は、布の下で心底嫌そうに顔を潜めたのだが、それを知られることもなかった。
体から外したホルスターを、青龍刀と同じところに放り投げると、エルマーは腕を固定したまま男を覗き込んだ。
「んで、何者。」
「言わぬ。」
「おやまあ。」
声からして、若そうだ。頑なに口を閉ざす男に面倒くさそうな顔をすると、ダラスの方へと視線を投げる。まるで、逃げるかのようにしてこの部屋に駆け込んできたのだ、何があったのか聞くのは構わないだろう。
「ダラス、なにこいつ。」
「様をつけなさいあんたは!」
「ダラスちゃん。いってえ!」
不敬極まりない態度のエルマーに、トッドが勢いよく頭を叩く。お仕置きだとしても。目から火が出るかと思うくらいの衝撃だった。
ダラスは、エルマーの問いかけに困ったように眉を下げると、ちらりと男を見た。
「わかりません。祈りを捧げている最中に、襲われたとしか。」
「ふうん。お前どこの回しもん?それともさっきの奴らとなんか関係あるかんじ?」
「…あ。」
「あ?」
項垂れるように大人しくなった男に問いかける。男は、ボソリと何かを呟いた。布越しの声が小さすぎて何を言ったのかは分からず、エルマーはその顔の側に耳を寄せるようにして聞き返す。
「ニア、」
なんだ、と思った瞬間だった。
微かな衣擦れの音がしたかと思うと、男の服の衿から白い何かが飛び出してきた。
「エルマー!!!」
己の名前を誰かが叫んだ。首へと何かがぶつかったかと思えば、鋭い痛みが首筋に走った。慌てて体を離したが、エルマーの首筋には蛇が噛み付いていた。
目端に映る、長く白い体に目を見開く。なんでこんなところに蛇がいるのかがわからなかった。
その、一瞬の隙きを男は逃さなかった。エルマーに跨がられていた男は、のけ反ったエルマーを腕を振り上げて払い落とす。取り押さえようとしたアロンダートの手をすり抜けると、素早い動きで部屋を駆け、飛び込むようにして窓を突き破って外に出た。
「っ…、ぐ…」
いつもなら直ぐに起き上がるのに、動けない。完全にしてやられた。エルマーは噛みつかれた首筋から、徐々に体へと異常をきたしていくのを感じ取る。
油断が招いた愚かだ。思考がぼやけてくる。エルマーが震える手で蛇の胴体を鷲掴んだが、不思議なことにその体はホロホロと崩れるようにして消えてしまった。
床に身を投げ出したエルマーを見て、目の前の出来事に取り乱したのはナナシだった。
「える、っ…!!」
ぐったりしたまま、動けずにいるエルマーに縋り付く。首筋の傷から、植物の根のような赤い痣が広がっていた。
呼吸が深い、ナナシがエルマーのインベントリからポーションを取り出したが、その手はコルクを抜く前に止められた。
「やめなさい、毒を抜く前に傷が塞がってしまう。」
ナナシの手を止めたのはダラスだ。縋り付くような目で見上げるナナシの、その美しい金色の瞳を向けられたダラスの表情は、僅かに驚いたようなものになった。
「でも、っ…」
「大丈夫です、…」
ダラスはそっとエルマーの首筋に手を触れると、そっと毒を吸い出すようなイメージで、徐々に手のひらをゆっくりと上げていく。小さな傷口から、黄色い雫がぷつり、ぷつりと浮かび上がってくると、それに合わせるかのようにエルマーの首筋に這わされた細い根のような痣は消えていく。
「見事なものだな。」
「城に勤めていると、覚えざるを得ません。」
ダラスの言葉に渋い顔をしたのはアロンダートだ。第二王子としてその言葉の意味は痛いくらいに理解している。
ナナシは徐々にエルマーの顔色が戻ってくるのを認めると、その表情に安堵の色を浮かべた。毒が吸い出され、赤い痣が消えたことを確認すれば、ナナシはダラスに指示されるままに、エルマーの首筋へとポーションをかけた。
「神経毒ですね、この場に私がいてよかった。」
「ださいぞエルマー。油断するからだ。」
「えるぅ、よかったぁ…」
ぎゅうぎゅうと抱きついてくるナナシを、重だるい身体で受け止める。宥めるように華奢な背中を撫でたエルマーは、まだぼやける思考のまま、小さく頷いた。
サジも口は悪いが安心したようで、小突くようにしてエルマーの肩を叩く。
しかし、先程の感覚とはまた違う体の具合に、エルマーはムクリと起き上がると、少しだけバツが悪そうにボリボリと頭を掻いた。
「こら。急に起き上がるのではなく、ゆっくりと…」
「あー、うん。悪い…」
ひとまず危機を脱したことを理解したのか、トッドは今度こそとダラスに駆け寄る。
エルマーも心配ではあったが、ダラスが処置を施したのなら安心だと思っているのだ。トッドはダラスに縋るようにその手を取る。
「祭祀様、どうかアランへ祈りの言葉を捧げてはくれませんか!」
「そうだ。本題はそれだった。」
思い出したかのようにサジが言う。ダラスはトッドに促されるように振り向いた。
視線の先には、白いベッドに血を滲ませて、穏やかに剣を抱いて眠るアランの姿があった。
体を酷使し、命の灯を終えたその姿を認めると、ダラスは裾を揺らしながらゆっくりと立ち上がった。
男にしては小柄な体が、そっとアランの元に向かう。アロンダートもエルマーに気を使いはしたが、その背に続くように立ち上がる。
エルマーはというと、皆が祈りの言葉を聞くためにベッドの周りに集まるのに気づきながら、片手で顔を抑えたまま無言で膝を立てた。
「える、へいき?」
「おう、元気すぎるくらいだあ。」
ボソリと呟く。ナナシはエルマーの気だるげな様子に首を傾げて不思議そうな顔をしたものの、エルマーの隣にくっつくように座ると、ダラスがアランへと祈りの言葉を捧げるのを、膝を抱えて聞いていた。
「?」
柔らかで優しい声で紡がれるダラスの言葉に、どこか既知感を感じた。ナナシの金色はダラスを映したまま、記憶の海の中、その感覚の答えの在り処を探すように逡巡した。それでも、自分が何に気になっているのかがわからず、困ったように再び首を傾げた。
サジがアランの髪に飾られた花と、腕の包帯に気がつく。ちらりとエルマーを見ると小さく笑った。
「随分可愛くしてもらっちゃって…」
トッドが涙目で飾られた花に触れた。ダラスは最後に聖水を振りかけると、そっと髪に触れて身型を整える。
眠るアランの胸元に添えられた、ダラスの華奢な手のひら。動かぬ心臓の上を撫でるかのように触れると、ダラスは労わりの言葉を手向ける。
「この方のご家族は、」
「おりません、私が家族のようなものですわ。」
「そうですか…明日、私の方から教会へは話を通しておきます。本日は皆さんが側にいてあげてください。」
「ああ、ありがとう。」
アロンダートはダラスにお礼を言う。どうやら彼の穏やかな人柄に心を許しているようで、その言葉には信頼が込められていた。
サジはその横で少し考えるような素振りを見せると、ラブラドライトの双眸にダラスを映した。
「おい、ダラスとやら。お前はどうするのだ」
「サジ、あんたも口には気をつけなさいって!」
「構いません。そうですね…、ひとまず明日考えます。私は一度部屋に戻らねば。」
「送っていきますわ。」
「ああ、そうしてもらうといい。本当にありがとう。」
トッドは目配せをしたアロンダートに小さく頷く事で答えると、そのまま動かなくなったエルマーへと目を配らせた。
赤毛の頭を差し出すように俯いている。煩いくらいの男が、随分と大人しいのが気になったのだ。
その視線を感じ取ったのか、エルマーは何事もなかったかのように顔をあげる。気だるげな表情は、やはり黙っていれば随分と上等である。エルマーはナナシの頭をひと無でして立ち上がると、そのままよろめきながらダラスの前まで足を運んだ。
「俺が行く。」
「は、いやいや!あんた城の中のことわかんないでしょうが!」
「あー‥、そうだった。まあなんとかなんだろ。」
「…まあ、私は構いませんが…、体は?」
「ギンギン。」
「ぎんぎ…」
エルマーの言い回しに、思わずダラスの視線がゆっくりと下肢へと降ろされる。不可抗力だ、男ならその言い回しだけで少なくとも意味はわかる。
エルマーは無表情でいながら、毒の抽出を終えたあたりから勃起が治らなくなっていた。
生命の危機に体が遺伝子を残したくなったのだろう。布越しでもわかる大きさのものが、しっかりとそこで主張していた。
「な、…」
「だっはっは!!!うひ、ひひひひっ、さ、最高だエルマー!!不敬が服着て歩いている!!サジはお前のそういうところ好きだ!!あひゃひゃ!!」
「さ、サジ…静かに…」
泣きながら大笑いするサジとは裏腹に、ダラスは分かりやすく顔を染め上げた。言葉を失うとはこのことだ。
サジの下世話な指摘に対しても、腕を組むエルマーの態度は、その勃起同様随分と堂々としている。
そのまま釘付けになったダラスの視線は、動揺で目を廻しながらも、しっかりとそこに注がれた。
「いえ、あ、あの…気持ちは…ありがたいのですが…」
「ここに残ってりゃナナシのこと襲いかねねえ。便所。ついでに貸してくれや。」
「ええ、ああ…わ、私の部屋で処理するつもりなのですか…」
「あ?お前のことは襲わねえから安心しろ。」
顔を染め上げて狼狽えるダラスに、エルマーは不機嫌に片眉を上げて宣う。別にそういう心配をしていたわけではないのだが、指摘されたことで誤解をさせたらしい。そのことを恥じるかのように、ダラスは少しだけ泣きそうな顔になってしまった。
「安心できるわけないでしょうが!!!」
「いってええ!!」
ドン引きしていたトッドのフルスイングが、見事にエルマーの後頭部に決まる。ナナシはエルマーの堂々たる振る舞いを前に、困ったようにオロオロしていたが、その整った顔をじんわりと染めた。
小さな手でエルマーの手をきゅっと握りしめると、意を決したように宣った。
「ナナシ、いいよぅ…」
「………………いやだめだ。」
据え膳。という単語が思い浮かんだが、ぐっと飲み込む。エルマーとしては、その提案に喜んであやかりたいこと山の如しであったが、断腸の思いで自制した。
ナナシのことを抱くなら、こんな処ではなく、きちんとしたシチュエーションで抱きたい。
テントの中でも平気でセックスできるエルマーが、ナナシに対してはこうも甘かった。
エルマーの言葉にしょんもりするナナシとは違い、そのやり取りに引きつり笑みを浮かべたのはダラスだ。
「わ、私ならいいという基準を教えていただきたい。」
「だってお前犯したらバチあたりそうじゃん。おらいくぞ、」
「なんと、わ、ちょっと待ってくださ、…っ!」
そういうとこだぞ!!とサジの笑い声とトッドの怒鳴り声が飛んできたが、エルマーはひょいとダラスを担ぐと、追手が来る前にさっさと扉を閉める。もう色々なことが限界だったし、早く吐き出してスッキリしたかったのだ。
「お、下ろして…下ろしなさい!」
「ん、」
どうち、わちゃわちゃと頭上で控えめながら嫌味を言っていたようだが、言葉が丁寧すぎてエルマーには伝わっていなかった。
どうやら部屋に着いたらしい。ダラスの文句混じりのナビゲーションだけはしっかりと聞き取ったらしいエルマーが、目の前の重厚な扉を足蹴にするようにして開く。
「まったく、あなたは毒を打たれたというのに、なぜ無茶をするのです…!」
思いの外優しく降ろされた。その絨毯の柔らかさを感じたダラスは、己が素足だったことに今頃気がついた。
闖入者が現れ、逃げるようにして飛び出したせいで靴を履いていなかったのだ。
もしかしたら、この男はそれを気遣って此処まで抱き上げてきたのかと思い至ると、その気遣いに少しだけ悔しそうにした。
「あー。あれはダサかったと思う。」
呑気に頭を掻きながら宣うエルマーには悪いが、私室についたのだから、早く帰ってほしかった。
ムスッとした顔でダラスが見つめると、その整った顔で見つめ返される。無駄に顔がいいのも少しだけ腹が立つ要因だ。
「ダサいダサくないではありません、まったく!送ってくれたのはありがとうございます、どうぞ、来た道をおかえりくださ、っ…」
ダラスの言葉が、不自然に遮られた。エルマーの影が差し込んで、僅かな圧迫感を感じたのだ。
恐る恐る顔を見上げる。その体の距離は思いのほか近く、ダラスは思わず身じろいだ。
「な、ん…っ、」
「なあ、」
ダラスの瞳が揺らいだ。己の顔の横に手をつくようにして、エルマーは身を寄せることで、ダラスを閉じ込めた。
動揺して、エルマーから逃げようと体を背ければ、もう片方の手が、ダラスの逃げ道を塞ぐ。
距離が近い、ダラスの頬を、エルマーの赤い髪がそっと撫でた。そんな距離で、見下ろされているのだ。他人の体温を感じて、小さく息を呑む。
緊張をしているのがバレたくなくて、ダラスは文句の一つでも言ってやろうと、ゆっくりと顔を上げた。
「っ、」
トクン、と体の奥で、心臓が跳ねた。神話に出てくる、雄々しい男神のように造作の整った顔が、己を真っ直ぐに見つめていたのだ。
金色の瞳は、不思議な光を帯びていた。体の内側に火を灯すような、そんな危うい魅力のある男だ。囚われてはいけないと思うのに、ダラスはその瞳から目を離すことが出来なくなっていた。
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