名無しの龍は愛されたい。

シュマギナール皇国編

41

コトリとテーブルに置かれたのは、美しい玻璃の小瓶だ。
目をキラキラさせながら、テーブルの縁に張り付いて見つめていたナナシが指先で触れようとして、ゴチンとサジに頭を叩かれる。

「あぅっ」
「触れるな馬鹿者。これは玩具などではないわ。」
「うぅ、あい…」

頭を抑えてしょんもりするナナシを見て、アロンダートは苦笑いをした。
あれからグレイシスは顔を見せず、ついに本番の日が来てしまった。
この小瓶はジルバが用意したものだ。代償にサジの血を一瓶奪われたが、まあそれはいい。

「もう後戻りはできぬぞ。よいな、アロンダート。」
「勿論。」
「手筈は？」
「この薬は即効性だ。飲んだらすぐに効果を発揮し、お前は仮死状態になる。宴の途中で倒れるのは騒ぎになるだろう、だからこうする。」

エルマーの問いに、サジはニヤリと笑う。
その手に玻璃の小瓶を手に取ると、キュポンと瓶の蓋を開けた。ぱきき、と音を立て、片手で硬い種子の種を出現させると、サジはその種子を二つに割り開き、本来ならば胚芽が入っているであろう空洞に、用意した仮死薬を注ぎこんだ。

「エルマー。おまえの強化の術を種に施せ。」
「あ？まあいいけどよ。」

ひょいと放り投げられた、仮死薬入りの種をキャッチしたエルマーは、種を握りしめる。その周りを薄くコーティングするように、強化魔法を施したのだ。そこまで魔力を使うものではないが、相変わらず己の魔力を膜のようにして薄く纏わせる技術は卓越しており、豊富な魔力をもつアランもアロンダートも、エルマーの技術を見て驚いたような表情になった。

「これを時間になったら解除しろ。」
「あー、なるほど。もう先に飲み込ませとくのか。」
「胃液ごときでエルマーの魔力が消えるわけ無いだろう。お前が酒の飲み比べ対決で稼ぐときに、胃の強化を施していたのを見て思いついたのだ。」
「オイコラ。種明かししてんじゃねえぞ。」
「何を、閉まっているだろうが。」

エルマーから受け取った種を手にして、サジが宣う。
そっちの種開かしじゃねえという視線を向けながら、エルマーは渋い顔をした。まさかサジにイカサマがバレていたとは思わなかったのだ。

「なるほど、倒れるタイミングを調整するということか。」
「そう、そしてアロンダートが墓に埋められたらサジが掘り起こす。うふふ、墓荒らしを経験することになるとはなあ。楽しみである。」
「皇国って土葬なのか。燃やすんだと思ってた。」
「王族の身を焼くのは不敬になるらしい。王家のマウソレウムには浄化の陣が組み込まれているとも言っていたな。」
「なるほど、てか王家の墓で魔物が出たら笑い話か。」

なにそれおもしろそうという顔でエルマーを見たサジの頭を、エルマーがすかさず叩く。先程叩かれたナナシの代わりの仕返しもかねてだが、割といい音が響いた。

「あいてっ、まだなんもいっとらんもいうに！」
「いや顔がムカついて。」

エルマーとサジの下らないやり取りに痺れを切らしたのか、トッドが手を叩いて空気を切り替える。
その手には宴の参加者に扮する為の小道具や衣装も握りしめられており、動きにくそうなその召し物を見たエルマーは、辟易とした顔でそれらを見た。

「はいはい、じゃあサジは殿下の随伴者。エルマー、あんたはナナシちゃんのエスコート役よ。しっかりやんなさいな！」
「エスコート役は吝かじゃねえけど、敬語とか使えねえ。」
「ですますつけとくか、微笑んで黙ってなさい。あんた顔しか褒められるとこないじゃない。」
「すげえ雑じゃん。いいのかよそんなんで。」

適当にやれと言われても、それはそれで楽ではあるが、無駄な気を遣うことにはなりそうだ。
サジはどうやら乗り気らしく、嬉々として服を脱ぎ始めた。アロンダートが慌ててその身を抱き上げて部屋に連れて行ったので全裸にはならなかったが、同じ男だというのに気を遣い過ぎな気もする。戻ってきたアロンダートも含め、アランも顔を紅くしていたが。


「える、ナナシのおててつないでくれるのう？」
「おうよ、俺のこと見張っててくれっか？」
「いーよぅ、エルマーいいこにするのう？」
「多分な。」
「はあい。」

なんともふんわりとしたやりとりで、こちらも話が纏まった。ナナシといつも手を繋いでいることが多いので今更な気もするのだが、エルマーとしてはナナシに触れるのなら同意があるに越したことはない。理性的な意味で。

トッドはというと、話の切れ目を見つけてか、早々にナナシの手を取り、衣装片手にサジの連れて行かれた部屋に向かう。扉を閉める直前に、あんたなんでノーパンなのよ！？！？というトッドの悲鳴じみた声を聞くと、アロンダートもアランも想像したらしい、取り繕うように噎せていた。
エルマーはふむ、と一つ頷くと、腕捲くりをして一歩踏み出した。

「はあ、ナナシの着替えかあ。俺ちょっと手伝ってくら、」
「行かせるわけないだろう。貴様はいやらしいことしかしないきがするしな。」

むんずとエルマーの結ばれた赤毛を鷲掴み、アランが引き止めた。
アロンダートもそう思う。この男はやたらとナナシを構いたがるのだ。なんだかイケないことを教えてそうな気さえする。少年性愛があると堂々と言ってもらったほうが、まだ気を使わなくて済む。

髪を掴まれ、たたらを踏んだエルマーはというと、その髪をアランの手から引き抜いて、わかりやすくブスくれた。
ナナシの裸は何度も見てるが、見られるもんなら見たいのだ。それが男の性だろうし、好きなこの裸体だぞと開き直ってもいい。

「これだから童貞は。」
「僕はもう童貞ではない。」
「ならアランだけかあ。」
「んなっ…！！いいから貴様もさっさと着替えろ！！」

童貞は否定はしなかったが、顔を真っ赤に染めたアランが急かすようにして怒鳴り散らす。
アランによって顔面に押し付けられた服を手に取ると、なんの気無しにそれを広げた。華美な装飾が施されたそれを見て、エルマーの仏頂面が益々歪んだ。









「やだぁ、かんわいいわぁ。やっぱナナシちゃんは清楚なのが似合うわねぇ！！」
「あう、すごい…かみのいろがちがうくなっちゃった…」

ナナシはというと、サジの妹役という設定になった。宴と言う事もあり、潜入するならまずは着飾れとトッドの独壇場となったこの日。ナナシは薄水色のシンプルで上品な詰衿に、白いリボンを首元にあしらったドレスを召していた。
結い上げられた髪は変化の魔法がかけられたヘッドドレスを付け、サジと同じ枯れ葉色の髪に変えている。
長い睫毛はそのままに、ほんのりと頬紅と薄い桃色のアイシャドウを施しただけのナナシは、どこぞの深窓のご令嬢も逃げ出すレベルの愛らしさであった。
眠たげだが少しだけ色気のある目元を緩ませながら、色の変わった髪を見て嬉しそうにくふくふ笑う。

「ふん、馬子にも衣装とはこのことだな。」
「それはあんたにも言えるわよ。」

まったく、黙っていれば本当に美人なのに。そう、トッドからお墨付きを貰ったサジもまた、今回の夜会に交じるために衣装を召している。
サジは、実に色気のある上品さを醸し出す。その白い背を晒し、胸元は無い膨らみを補うかのようにドレープが施されている。黒に近い濃いグレーの、クラシックなマーメイドラインのドレスだ。一見地味な色に見えるが、サジの美貌を引き立てており、首元のチョーカーに合わせるように、細腕に嵌められた黒のバングルも、オニキスでできたシンプルながらに美しいものだった。
白い背中が艶かしい。男性だとはわかるが、危うい色気は化粧を施されたことで増していた。
赤い口紅と大振りな黒のピアスが、その顔の小ささを強調するかのように揺れている。枯れ葉色の髪は結い上げられ、ナナシとは色の違うリボンで丁寧に纏められていた。そのリボンの先は、白い項を撫でるようにして垂らされている。

「やはりトッドはセンスがいい。気に入った。これは買おう。」

鏡の前に立ち、己の着飾った姿を姿見に映したサジは、実に満足そうに頷いた。
化粧品を片付けながら、誇らしげにトッドが微笑む。己の腕を褒められるのは、やはり嬉しいものである。着飾るだけでなく、相手を飾り立てることも好むトッドからしてみれば、特技を活かせる場でもあった。

「男性でも、美しいものは着飾らなくてはね！あら、なら殿下に言っておくわ。」
「サジきれい、とてもいい！」
「ふはははは！！そうだろうそうだろう！！頭が高いぞ、頭を垂れるが良い！」
「あんたまじで口開かないほうがいいわよ。」
「ナナシもそうおもう。」

褒めると直ぐに調子に乗る。サジの様子に呆れた顔をしたトッドが嗜めると、ナナシもまたこくんと頷いた。
さて、華が出来上がれば次は殿方達の番である。
トッドは閉めていた扉を開けると、アロンダートとエルマーの着替えを任せたアランへと声をかけた。

「殿方たちー！お連れの方の衣装チェンジは完了よぉ、アランも準備できたのかしらあ！」

トッドの足元からにゅるりとギンイロがでてきた。
サジはがしりとその身を抱き上げると、ナナシの首元にファーのように巻きつける。

「ギンイロ殿はナナシを頼む。」
「アイヨ。」
「はわ、」

ぱたりと長い尻尾を振ると、ギンイロはわかっているとばかりにその尾をかぷりと口に含んで襟巻のように大人しくした。
振り向いたトッドが首に巻いてある銀色のファーに首を傾げたが、服装に合っていると納得したようだ。どうやらサジが出したものだと思ったらしい。にこにこと微笑むと、悪くないわねぇ。とサジの背をポンポンと叩く。

トッドの背後では、なにやらアランが苦労をしている気配がする。己の予測不能な事をされると苛立ってしまうというのは、エルマー達とやり取りをするようになってから初めて知ったアランの別の顔である。
真実は、エルマーがアロンダートへと放つ度し難い不敬への注意ばかりなのだが、アラン自身も己がここまで短気だったとはと、少しだけ衝撃を受けているらしい。
ナナシは促されるようにエルマー達のいる部屋に戻ると、こちらも準備は出来たようで、トッドは着飾った二人の姿を見るなり目を輝かせながら大いに燥いだ。

「あらぁあ！！んまぁーーー！！」
「うわうるっせえ。」
「ちょっとぉ！！あんたもまじで口開かないほうがいいわよ！！」

げえっという顔をしたエルマーは、その赤髪を片側に流し、手入れなどされていない、尾の様に散らばっていた髪を細い三編みにされていた。
均整の取れた男らしい美しさを誇るその体に纏うのは、黒い詰め襟に金縁のジュストコールだ。エルマーのスラリとした背にそれは良く似合っており、ブランデンブルク飾りの施された中のジレにはアンテミオンの刺繍が細かく施されている。
まるで、サッシュをつければ異国の皇子かのような出来栄えだ。
金の瞳の色との組合せを考えたのだろう、黒の軍服のようなフォーマルな装いに、赤毛がよく映えていた。
アロンダートもまた、褐色の肌に生える白銀の生地を使った軍服のような装いだ。こちらもエルマーとはデザインは違うが、ジュストコールには金縁の刺繍が施されており華やかである。
中に着たジレはサジのドレスと同じ色味で合わせている。美しい黒髪を撫でつけ、ハーフアップにして形のいい額を晒していた。
ギンプカフスの袖口には、ちらりとオニキスの細身の腕輪が見えた。サジのものと同じ石で作られたそれは、アロンダートの独占欲の現れだ。

「えるぅ！！！！」
「ナナシか！？」

目を輝かせながら駆け寄ってきた美少女に、エルマーは目を丸くした。聞き慣れた声に促されるかのように、抱きつこうとするナナシを受け止めようと腰を落としたその瞬間、トッドが悲鳴を上げた。

「メイクのお粉が付いちゃうから清潔魔法かけてからにしてええええ！！」
「うっ、」
「おうっ、」

互いが半歩分の距離を残して、ピタリと動きを止めた。トッドの切実さの表れでもある悲鳴に、エルマーもナナシも、これは汚してはいけないんだろうなと言うことだけは、体が理解したらしい。
ぎこちなく、お互い数歩下がって離れると、アランが慌てて清潔魔法をかけた。
全く手間のかかる。といった呆れた顔を見せるアランの横で、アロンダートは己で清潔魔法を施した。こちらはすでにサジを受け止める準備を整えたらしい。

もういいわよ。というトッドの合図を聞くやいなや、仕切り直しだと言わんばかりに、ナナシが跳ねて抱っこをせがむ。
両手を伸ばして甘える様子にエルマーは胸の奥を甘く鳴かせると、すかさずその華奢な体を抱き込んだ。

「うわあ、脱がせてえ。かぁわい、うわぁ。」
「語彙力どこに置いてきたのあんた。」

トッドが呆れるほど、着飾ったナナシを前にしたエルマーは、それはもう分かりやすくデレた。嬉しそうに微笑んだナナシの破壊力といったらない。細腕が首に絡んだのに気付くと、周りの目など気にしないまま、エルマーは片手でナナシの頬に手を添えると、奪うかのようにナナシの唇に口付けた。

「っ、ン…」

鼻にかかった甘い声を漏らす。ナナシの小さな手のひらは、きゅ、とエルマーの服を握りしめる。
ぬち、と唇の隙間から舌が覗く、その腔内をエルマーの舌が侵したのを見て、アランは悲鳴を上げながら馬毛のブラシでエルマーの背中をぶっ叩いた。

「ぬぉ、っ！あにすんだ童貞！！」
「だだだだだまれ変態め！！！お前こそ何してんだ馬鹿者があ！！！」
「はぅ、」

ぽっと顔を赤らめたナナシが小さな手で顔を覆う。じんわりと赤くなった耳が見え、トッドは手の早いエルマーへと、最低なものを見る目を向けた。

「うふふ、なあに、エルマーとナナシはそうい仲よ。なにも隔てるものはないだろう。なあ？」
「あい…」

そのまろい頬を可愛らしく赤らめたナナシが、ぽしょりと答える。
サジの言葉に、アランはまじかよといった表情である。そんな危ない関係が許されるのか。ましてや、こんな節操もない男と。
アランのそんな視線を感じたらしい、エルマーはナナシを抱き寄せると、まるで見せつけるかのように、ちゅ、と首筋に吸い付いた。

「宴で変な輩につれてかれねえように、印な。」
「んん、っ…」

小さな声を漏らしたナナシが、蕩けた目でエルマーを見上げた。照れくさそうにしながらも、小さい手のひらをエルマーの頬に添えると、ちゅっとお返しに唇に返す。背伸びをしなくてはいけないが、エルマーはこうすると喜ぶし、ご機嫌になることを知っていたナナシは、今日も順調にエルマーによって色々なことを教え込まれていた。

サジはというと、二人に当てられたらしいアロンダートが、その柳腰に腕を回して抱き寄せるままに身を任せる。そのままアロンダートの首に腕を絡ませると、鼻先を擦り合わせて甘えた。
そっとアロンダートの唇に吸い付く。その唇を割り開くようにして、口に含ませておいた例の種を腔内に押し入れる。ぐい、と大きな手がサジの腰を抑えて下肢を押し付ける形になる。ちゅぷ、と水音を立て、アロンダートがサジの唾液と共に舌先にのせた種を受け入れると、ごくりと飲み込んだ。

「ふ、…上手に飲めたな、アロンダート。」
「今夜は僕から離れずにいてください。いいですね？」
「うふふ、サジの可愛い子よ。勿論だとも。」

それぞれが互いのパートナーとともに準備を終えた。トッドもアランも給仕として交じるらしく、改めて全員で段取りを確認する。
イレギュラーな事も起こるだろう。その場合動くのはエルマーだけだ。サジはアロンダートを守る。ナナシはトッドとアランが何かあったら守ると約束し、何もなければ最後までエルマーと共にいる事になる。
エルマーはナナシの首で大人しくしているギンイロに目配せをすると、了承したと言うようにゆっくりと瞬きをする。
トッドとアランが全力でナナシを守るなら、ギンイロが三人を守れという意味を正しく理解したらしい。

こし、とその毛並みを撫でてやると、あぐっと噛まれたのだけは解せないが。