名無しの龍は愛されたい。

だいきち

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シュマギナール皇国編

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第二王子が倒れたらしい。
その報告が上がってきた時、男はまるで勝利を掴んだかのように、密かに拳を握りしめた。

王家の血筋を汚す、黒髪の第二王子。血迷った王が見目に騙されて犯した女が孕んだときは、事故に見せかけて処分しようかと思っていた。
しかし先に生まれた方が病弱で、予断を許さない状況が続いていたのだ。
王は歳も歳だった。今更もう一人作れと言うのも無理な話で、本当に仕方がなく、男子だったこともあり召し上げられた。

皇后は怒り狂った。まさか半魔のものとの間に設けた子を、跡目争いに持ってくるだなんてと。

第二王子の母である、半魔の女。その髪はワインのような濃厚な赤だ。背に携える猛禽の羽根が、ティターニアのように神々しいものを思わせる、例えるなら森の妖精のような上等な女だった。
誑かされるのも無理はない。そう思ったが、女が孕むと王の興味はすぐに逸らされた。
皇后の顔色を伺ったのかは測りかねるが、せめてもの情けだろうか、まるで罪人の護送のように、武装した者たちによって馬車に乗せられた女は、皇后の手によって後宮から追い出され、皇国の端の静養地に幽閉されたそうだ。
見たものによると、小さな手のひらを向け、母を求めて泣く我が子へと視線すら向けず、やっと息の詰まる日々から離れられるといった具合で自ら馬車へと乗り込んでいったらしい。半魔のものの考えることなどわからないが、気高い女は城という鳥籠から子を代償にして解き放たれたのだ。

そして暫くして顔を見た第二王子は、黒髪褐色の異国の人のような風貌だった。謁見の間に通された幼児は誰にも抱かれぬまま、まるで見世物のように籠の中に入れられていた。
肌の白い王や皇后たちと並ぶと、その色は酷く浮いて見えた。

「なんでぼくだけ、いろがちがうの。」

物心がつく頃には、よく植え込みに隠れるようにして、泣いている姿を思い浮かべる。それは庭で開かれた皇后とのお茶会の場面で、幼い皇子達へ、マナーを身に付けさせる為の学びの場でもあった。
用意されたのは、二人分。第二王子が座るはずの一つ分の席が足りなかったのだ。
そして、皇后は己の子でもある第一皇子を席につかせたまま、汚いものを見る目で彼を睨みつけていた。

「お前は悪いことをしたから、その色なのよ。」

爪を、汚い赤色で塗りたくった皇后が言った。

「お前は第二王子としてここにいること自体が奇跡なの。王族の名を汚す小汚い童め。身の程をわきまえなさい。」

真っ赤なルージュが、釣り上がるように歪む。
第二王子の母だったあの女は、笑わなかった。表情が抜け落ちていたからだ。
聞くに堪えない、幼子に向けるには残酷過ぎる事実を上品に宣う皇后によって、幼い第二王子も心を殺されたように口数が減っていった。
次に顔を見る頃には、拙く喋る第二王子の表情は、あの女と同じで抜け落ちていた。ああ、似ているなと思った。

それからだ、ぱたりと会うこともなくなった。式典や、祝の日ですら会わない。誕生日ですら祝われない。あの褐色の第二王子はどこに行ったのだろう。死んだのか、いや違う、城の奥深くでまだ生きている。

以前一度だけ見えたことがある。執務室の窓から見下した別館へと続く回廊で、褐色の肌の背の高い男が大柄な男と共に草の束のような物を抱いて歩いていたのだ。
雑草など持ってと、その時は馬鹿にした。
そんな王族としてしぶとく席を汚していた第二王子に、何故成人の儀が執り行われたのか。

答えは簡単だ。他国へと売るため。
皇国の領土を広げるためには、他国の姫と契らせればいい。幸い、見目はいい。しかし第一王子を契らせれば、逆に皇国を売ることとなる。
カストール共和国に女児が産まれたと聞いた為、それならばとずるい大人が動いたのだった。


そしてアロンダートの成人の儀は、第一王子として確かだった王座への道筋に翳りを与えた、最初のきっかけになる。





「アロンダート様にご助力願いたく。」

南の国の使者が現れた。海沿いにある、カストール共和国の使者だ。
船を使った物流が盛んで、ここを取り込めれば物資供給もスムーズに行える。以前から皇国が目をつけていた国からの使者が、なぜか第二王子に会いに来た。
宰相が慌てた様子で席を設けて話を聞くと、城下に店を置く衣料品店に置いてあった、清潔魔法をかけたローブの製作者が、第二王子だという。
慌てて確認を取ると、トッドという店の店主は元城勤めの兵士で、年齢を理由に席を追いやられたものが、第二王子の下についているという。
衣料品店は、そのトッドが営む店だった。

「生地の内側と外側で、かけられている魔法が異なる。しかも繊維自体にその魔法加工を施されているとなると、これほど画期的なことはございません。どうか、この布をカストール共和国にもおろしては下さいませんか。」
「なんと、それは誠にございますか!し、しばしお待ちを!」

己の国にしかないものに、使者が興味を持ったのだ。そこからはもう、蜘蛛の子を散らすかのように慌ただしくなった。
穀潰しだとされてきた第二王子が考えた魔道具や布は、トッドやアランという城に居場所が無くなった人物達が城下に広めていたのだ。
勿論、申請もきちんと出ていた。製作者の名前も、第二王子の名前である、アロンダートとして。
なぜ申請が通ったのか。答えは簡単だった。穀潰しだと思われ、みな興味を持たなかった為に、申請を許可する徴税官も財務大臣も、あろうことか第二王子の名前を知らなかったという。

宰相に話をされた外交官は目の色を変えた。
なぜもっと早くに、せめて申請される前に王族と周りに周知させておかなかったのかと。
アロンダートで通ってしまった申請は、個人のものの権利になる。国として使えない。
しかし、今後の国力を伸ばすためにも、けしてカストール共和国は無下にはできない。そして、新たに魔道具を発明したとなれば、著作権が発生する。似たような別の機能のものを作ろうとしても、こちらもアロンダートへ申請をしなくては罪となる。

日の目を浴びなかった王子の、その隠れた才能は国を揺るがした。カストール共和国にその品を下ろすことで太いパイプを作らねば、姫との結婚を提案する為の土台すらも作れずに、他国に取られてしまうと危惧した大人たちが、てんやわんやになったのだ。

宰相と外交官は冷や汗をかいた。今更、どの面下げて会いに行けばいいのかと。当たり前だろう、幼い頃の面影すらもあやふやなのだ。
成人の儀ですら、式典としては行われなかった。出された書類へ名前を書くのみの、王族としてはありえない、手続きのような儀式で終わってしまっている。

カストールからの使者には、取り繕うかのように言い訳をたてた。第二王子であるアロンダート様は病弱な為、現在は席を設けることはできない。必ず本人に伝えるので、しばし待っていただきたい。
そう伝えると、布をおろして頂けるのならと待ってもらうことに成功したようだった。

白羽の矢が立ったのは、第一王子、グレイシスだ。

「本当に、虫酸が走る。」

大理石の回廊を叩くように、苛立ちを隠さない歩みで進む。その足音を追いかけるかのように、まばらな足音が付随した。

どの面下げて、とはグレイシスも同じだった。
カストール共和国が待つのは一週間。無理を言って留まってもらった。宴を開く話をしたので、ならばアロンダートはそこで紹介するという約束をしたのだった。

「何が病弱だ。貴様らは本当に考えもなしよな。病弱なものが宴などに参加すると思うのか。」
「しかしながら、彼はろくに陽の光も浴びず、蟄居なさっているとか…、庭先のみの外出ならば、鍛えようもありますまい。」
「ならば、貴様はアロンダートを見たというのか。」
「いえ、それは…あくまでも予想の範囲で、」
「予想で物事を図るか。その想像を余に押し付けるとは、貴様は随分と偉くなったのだな。」

グレイシスは豊かな金髪に、翡翠の瞳の麗人だ。中性的で美しい彼は、しかし愚鈍な王と違い、実に苛烈な性格をしていた。

「無駄口を叩くな。余に指図をするな。」

申し訳ありません。という言葉も発することは許されない。一度、兵士が切られていたからだ。
ゴクリと鳴る喉の音すら、その鋒の餌食になるきっかけになるだろう。そんな、張り詰めた空気がその場を支配する。王族しか許されないロイヤルブルーのマントを翻し、城の奥、誰も通らない回廊の先へと、顔色を伺う大人を引きずるように向かうグレイシスの、その歩みの先に部屋はあった。
日当たりが悪いため、庭木も育たない。同じフロアにはリネンや備品をしまう倉庫などもある場所だ。侍従すら滅多に行き来しない別館といってもいい。
第二王子が暮らしているそこは、城の中でも一番に古い建物だった。

グレイシスが顎で開けろと指し示す。
深々と頭を下げた兵士の一人が、扉をノックし訪問の言葉を述べる。しばらく経ってから、ガチャリとドアノブが回った。

「はぁい、」
「は…、」

鈴の転がるような愛らしい声で、随分と下から返事がした。
グレイシスを含めた、その場にいた大人が呆気にとられた。その目を見下ろすようにして、ドアの隙間から顔を出した黒髪の美少年へと大人達の視線が集中した。

「…アロンダートは、今いくつだ。」
「恐れながら、殿下と同じ二十三歳かと…けしてこのような少年ではございません…。」
「おい少年。お前は一体何者だ。」
「…えと、はい、ナナシです。」

キョトンとした顔で、グレイシスを見上げる。その小柄な体を囲むように、多くの大人達からの視線に晒される。ナナシは怯えたようにドアの影に身を隠すと、ちろりと顔の半分だけを出したまま、困ったような顔をした。
困っているのは、こちらの方だ。グレイシスには、ナナシというらしい少年がここにいる理由がわからなかった。ここは、アロンダートの部屋のはずだからだ。

「アロンダートはどこにい、」
「ナナシぃ!勝手に扉開けたら駄目だろう。ほら、こっちこい。」
「えるぅ、おきゃくさまだよう」

ナナシというらしい。少年の小さな手で支えられていた扉が、突然不遜な男の声と共に現れた無骨な男らしい手によって掴まれる。
少々深爪気味の手の主はナナシの体を抱き寄せると、こちらに目もくれずに開きかけの扉をパタンと締めた。

「な…、」

グレイシスは目を見開いた。兵士は青褪め、背後に控えていた者たちも、その静かなる怒りに冷や汗を吹き出す。
何故開いた扉を閉めるのか。しかも、顔すら確認せずにだ。余りに不敬がすぎる。
グレイシスは帯剣していたレイピアを握りしめた。第一騎士団を統べる彼は、その剣捌きのみで大型の魔物をいとも簡単に倒したこともある程の腕前だ。
その場の空気が、一度下がった気がした。苛立ちを抑えるような声色が、静かにその場に溶ける。

「閉じるなら、開けばいいだろう。」
「…ご尤もで御座います。」

その場に居た全員が一様にして、血が流れると思った。グレイシスの行く手をば阻む権利など、王以外は誰も持ってはいないからだ。

キン、とレイピアの澄んだ刀身が空を切り裂く。氷柱のような怜悧な美しさを持つそれが、閉じられた扉の表面を掠めるようにして往復した。軽く振るっただけだ。しかし、たったそれだけのことに見えるが、鋒を掠められた扉はそうではなかった。
まるで、刀身を鞘に戻るのを待っていたかのように、見事に三等分に切り分けられると、重厚に作られた木の扉だったものは音を立てて室内に崩れ落ちた。

「ふん。」

グレイシスにとって、扉を切り倒すなど朝飯前である。特になんの感慨もなく切り落とした扉を踏みつけて室内に入ると、先程の少年がぽかんとした顔で突っ立っていた。

「少年。先程の不敬な者はどこにいる。」
「あ、…あう…」

ナナシといったか、グレイシスは、悲しい顔で己の足元に散らばる扉の破片と、崩れた際に割れた花瓶から落ちた花を見て、泣きそうに顔を歪める姿を視界に収める。

「お、おはな…ナナシ、つんだのに…」
「余の問いに答えぬか。」
「う、ぅー‥」

ぐすっと鼻を鳴らして、ナナシが跪いた。グレイシスの問いかけに答えられぬまま、散らばった花の一輪を手にしている。
どいつもこいつも、人を舐め腐りおって。腹に燻る苛立ちを向けるかのように、グレイシスは跪くナナシの頭上へとレイピアの鋒を突き付けた。筈だった。

「く、っ!」

ひゅう、と、空を切り裂く音がしたかと思えば、己のレイピアを持つ手に、鋭い痺れを感じた。瞬きの間に己の手から離れたレイピアが、その刀身を光らせるように、回転しながら床を滑る。
何が起きたのかと、震える手を握り込むようにしてゆっくりと視線を横に滑らせる。見開いたグレイシスの瞳が捉えたのは、壁に刺さったカトラリーだった。

「えるぅ…っ!」
「おいこら。尖ったもん人に向けるなって教わんなかったのかテメェ。」

グレイシスの左側から、やけに柄の悪い声が飛んできた。える、と呼ぶナナシが、数本の花を握りしめたまま駆け寄る。その小柄な体を抱き止めたのは、先程の不遜な態度も甚だしい、失礼極まりない男であった。
テメェ、とは自身に向けられているのだろうか。グレイシスは向けられたこともない粗野な言葉に閉口したのも束の間で、付き従っていた外交官がグレイシスの代わりに声を荒らげる。
怒りに顔を赤らめ、その自慢のひげを揺らしながら、太い指を見知らぬ二人に向けるのだ。

「き、貴様ァ!!この方に対してその不敬な態度!!叩っ斬るぞ!!」
「あ?お前ペンしか握ったことなさそうな面してっけど出来んのかァ?」
「なんだと!?!?おいそこの兵士!!貴様の剣を寄越せ!!」
「テメェで帯剣してねえ時点でかっこ悪いわなァ?おら表出ようぜ?」
「望むところだ!!」

グレイシスは眉間にシワを寄せると、己の目の前で許可なく争おうとしている、赤毛の男を見る。
鍛え抜かれたその体は見事だが、なぜバスローブ姿なのか。やけに寛いでいるような服装が、ますますグレイシスの頭を混乱させた。

「おい、やめよ。そこの赤毛。貴様はなんでアロンダートの私室にいる。」

グレイシスの声に、兵士が剣を貸すことを止めた。いまだ髭をざわめかせながら血走った目で赤毛を睨みつける外交官を下がらせると、白いブーツのつま先を向けるようにして、えると呼ばれた男を見据える。
見事な上半身をバスローブの隙間から覗かせた赤毛の男は、そのグレイシスの射抜くような視線を受けて、心底面倒くさそう顔を顰めると、その手で髪を乱すようにして頭をかいた。

「エルマーだ。アロンダートの護衛をしてる。まあ、成り行きってやつ。」

グレイシスが値踏みするようにエルマーを睨めつけていれば、くい、と服の袖を引っ張られた。
今度はなんだと見下ろすと、先程己が剣先を向けた少年が落ちていたレイピアを拾ったらしい、危なっかしい手付きで鍔を持ちながら差し出してくる。

「これ、おちてたよう…」
「…………。」

己を狙った武器など、普通は返さないだろう。この少年は間抜けなのだろうか。グレイシスにレイピアを返した少年は、ててて、と軽い足取りでエルマーのもとに戻ると、その腰に抱きつくようにして背中に隠れる。
様子を伺うかのように、ちらりとエルマーの腕の隙間からこちらを見つめるくせに、目が合うと慌てて隠れるのだ。
グレイシスは、なんとも言えない気持ちでその柄を握りしめると、澄んだ音を立てて鞘にしまった。

「おい小僧!!殿下のレイピアに触れるなど、なんたる不敬!!」
「ひぅ、」

つばを撒き散らしながら怒鳴る。グレイシスは今度は貴様かと苛立った目で宰相を見やる。
それに食って掛かったのは、エルマーだ。やはりその言葉に苛立ったらしい、鼻で笑うようにして見下すように宣った。

「床に転がしたままのが、不敬じゃねえの?俺はナナシは間違ってねぇと思うけど。」
「うぅ、…」

ナナシは不躾な怒鳴り声に怯えるように、小さく悲鳴を漏らした。エルマーの後ろに隠れたまま、その小さな体を震わせる。
己を挟んでの喧しいやり取りにグレイシスは溜息を吐くと、制止するように手を上げた。

「よい。ニルギアよ。この者の言い分は一理ある、放置するほうが不敬だ。許す。」
「ですが、」
「良いと言っている。余に同じことを言わせる気か。」

鋭い睨みに、ニルギアと呼ばれた男は言葉を飲み込む。グレイシスが口にした名に反応したのはエルマーだ。そして殿下という言葉に再びグレイシスを見ると、納得したような顔をする。

「ああ、あんたアロンダートの兄ちゃんか。」
「…兄ちゃん、だと。」
「悪いけどあいつ倒れてっから会えねえよ。病気感染ってもやだろ。かえんな。」

なにも、その関係性に誤りはない。しかし、何故こうもコイツが言うと腹が立つのかがわからなかった。
ニルギアを含めた他の者たちも、なんとも否定しづらい空気に口を噤む。冷えた空気を纏うグレイシスを前に、声を上げる勇気は誰にもなかったからだ。




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